水面に光る
強い日差しに暖かい風、光る水辺という景色の中、アントンの奇妙な叫びが響き渡る。
「ほおおおおお!全部!俺のもんだああああ!」
そのままザバザバともの凄い勢いで湖に入っていき、泳いでいく。彼の「うおおおお」という声が遠ざかっていった。
と思いきや、Uターンして戻ってくる。のっそりのっそりと先ほどとは別人のようにテンション低く上がってくると、
「さむい」
そう一言言い放つ。
「当たり前だろ?半分以上湧き水って話しなのに、ここ」
ヘクターが呆れたように言うとアントンは、
「きき聞いてないぞ!そんな話し!俺は!!」
と唾飛ばす。二人の横にいるヴォイチェフが「へっへ」と笑った。
「旦那、準備運動無しに飛び込んだら、運悪きゃ心臓止まってお終いですぜ?きゅっとね、一瞬でさあ」
そう言うヴォイチェフの海パン姿はスタイルが良いとは言えないが、見事に引き締まっていて無数の傷痕がある。その異様さにヘクターとアントンの様子は明らかに引いていた。
「なんでこっち見ないのよ」
不服そうな声を上げたのはセリス。黒いビキニをかっこよく着こなす彼女はわたしと違って上着を羽織るなんて邪道なことはせずに仁王立ちになっている。視線の先にいるデイビスとイリヤは忙しそうに椅子やらバーベキューセットやらを組み立てていた。
「見たくて堪らないが『がっついてる』って思われるのもこわい、っていう可愛い年頃なんだろ?理解してやれ」
そうせせら笑いながら言うアルフレートは、死ぬほど似合わない短パンTシャツ姿でウッドチェアーに横になっている。とことん夏の気候の似合わない人だ。
しかしセリスの文句もよく分かる。水着に着替えて早速出発!となってから、ここに来る間に男連中と一度も目が合っていない。赤面して『か、可愛いじゃん』とか口篭ってくれ。
妙にそわそわする男連中と、仲良く並んで準備運動するフロロとイルヴァを見ているとエミール王子がやって来た。
「良い天気でよかったですね!」
にこにこする王子の水着姿が可愛い。対極にブルーノはいつもの黒い服をがっちり着込んだままだ。暑そうだな、と思うが本人は普段と変わらない無表情。汗一つ掻いていない。
「リジアの水着、とっても素敵ですよ」
「そ、そう、ありがとう」
さらりと言う王子に少し焦る。フロロとイルヴァが勢いよく駆け出し、水に飛び込んでいった。
「僕らも行きましょう。リジアは水、大丈夫?泳げます?」
そう言いながら上着を脱いだ王子の体はまだ子供特有の細さだ。色も白くて女の子みたい……っていうのはきっと失礼だな。言わないでおこう。
「少しだけね。でもあんまり深いところまでは行けないと思うな」
こちらも上着を脱いで岩場に引っ掛けつつ答える。
「じゃあ後でボートに乗りましょう!」
やけに張り切っている王子に腕を引っ張られる。海とは違うので岸辺も岩場と砂利、かと思えば柔らかい土が抜き出しになっているので、走ると少し怖い。
「うわあ、本当、冷たい」
足首まで水に浸かったわたしは目を見開いて水面を見つめた。そこへばさ!っと頭から水を掛けられる。
「けけけ」
「うふふ」
フロロとイルヴァの笑い声が聞こえる。わたしは顔の水を乱暴に拭うと二人を睨みつけた。そのままなし崩しにわたしとエミール王子対フロロ、イルヴァの水掛合戦が始まった。四人ともずぶ濡れ、誰に水を掛けてるのかもはや曖昧、という状況になってきた時、ピリリリリリリ!と笛の音がする。
驚いて顔を上げると「なぜ持っている?」と聞きたくなるホイッスルを片手にセリスが脇に立っていた。
「目標が間違ってるわよ」
そう言ってセリスがびしりと指す先にいるのは、暢気な顔で佇むアントン。
「目標、再確認」
フロロがそろそろと動くのに合わせて四人が移動する。
「発射!」
セリスの掛け声にわたし達は一斉にアントンへ水攻撃を開始した。初めは「ひえ!」などと情けない声を上げていたアントンだったが、その内「ふざけんな!」「おい!」「いい加減にしろ!」などの罵声が細切れに聞こえだす。
「うふふふふふふふふ」
テンション上がりきったからなのか、イルヴァが不気味な笑い声を響かせつつ、アントンを頭上に持ち上げた。全員呆気に取られてそれを見上げる。
「はあ!?おい!やめ……」
アントンの悲鳴もむなしく、イルヴァの怪力によって彼の体が飛んでいく。どぼーん、と痛そうな音を立ててアントンが水へ沈んでいった。ヘクター達を含めたメンバー全員が呆気に取られる中、エミール王子が楽しそうに笑い声を上げたのが幸いだった。
ジュウジュウと肉の焼ける匂い、音、そして煙り。赤い炎がちかちかする炭の上に網が固定されたバーベキュースタイルの食卓。暑いけどこういうものの熱気は何故か気にならないものだよね。
ファムさんが肉と野菜を丁寧に切り分けて、皆に配る。残念ながら彼女は水着ではなく白いシャツにラフなズボンというスタイル。
アルフレートは何故かアイスクリームのカップにほお擦りしている。顔が焼けたらしい。
「昼からバーベキューにビールか!最高だな、今回」
デイビスが口に白いヒゲを作り、空を仰いだ。
「まあ本来なら夏休みってことで、いいんじゃない?前回頑張り過ぎたし」
わたしはラグディスでの騒動を思い出しながら答える。帰ってからも一週間くらい怠かった。教官達に聞かれたら……どうなんだ?という今回の旅だけど、正直いい骨休みになったな、と思う。
「レオンも来ればよかったのにな~、こんな良いところ」
イリヤがぽやん、とした声を響かせる。皆の空気が凍りついたのに気がついたのか、イリヤは目にも止まらぬ素早さでしゅぱん!と土下座した。
「まだ何も言ってないわよ。……言う気満々だけど」
セリスが冷たい目で見下ろしていた。
わたしはちらりと王子の様子を見る。レオンと違って感情を隠す術が無いように思われる彼は、案の定眉を下げてしょんぼりとしていた。レオンに会えなかった寂しさもあるだろうけど、エミール王子もレオンを招待したことで広がる波紋に気づき始めたのかもしれない。
「……ねえ、アレ何?」
空気を変える為か、フロロが王子に質問する。指差すのは湖畔のすぐに建つように見える建物。ここからだと全貌は見えないが、結構大きい屋敷なんじゃないだろうか。かろうじてテラスのようなものが湖に掛かるように飛び出しているのが確認出来る。あの家から見える景色は夕焼けなんて素敵だろうな。
「ああ、あれはレイモンの別荘ですね。正確にはユベールのですが。ええっと、ユベールは僕の祖父の妹の子供で……」
「国王のいとこってことか。レイモンは君のはとこだな」
アルフレートが淡々と言うとエミール王子は顔を明るくした。こくこくと大きく頷く。
「そうですね!アルフレートは頭が良いんですね。大叔父は体が弱ってしまったのでレイモンがよく利用しているらしいです。レイモンは母のパーティーにも来ますから、会えますよ」
えーと、王室ってどこらへんの人までが含まれるんだろう。自分が家系図なんかに疎いから、こういうの混乱しちゃうな。誕生日パーティー当日も色々説明されても理解出来るかどうか心配になってきた。
心地よい浮遊感に酔いながら空に流れる雲をひたすら見つめる。浮き輪に寝そべり湖に浮かんだわたしは、一人ぼんやりとしていた。時々聞こえる水の音と小さな波で揺れる体。こういうのって胎内回帰みたいな間隔なのかなあ。
岸辺の方から誰かの笑い声がする。でもそれに振り向かない程ぼーっとして気持ち良い。
ふと頬が熱い感覚に気づく。やばい、日焼けするかもなあ。……というか眠いなあ。でも寝たら流石にやばいよね……。
上を向いてさえいなければ涎でも垂らしてそうなひどい力の抜け具合に、頭のどこかで警告音が鳴ってる気がした。
その時、いきなり左側の水面からぶわ!と何かが飛び出してくる。
「んがあ!」
全身が泡立つほど驚いたわたしは悲鳴を上げて浮き輪からひっくり返りそうになった。飛び出てきた人物が慌てて浮輪を固定する。
「ごめん、ごめん、そんなに驚くとは思わなかった」
銀髪が濡れて普段とは違う人に見えるヘクターは困ったように眉を下げている。
うん、許そう。
「いやあ、ぼーっとしてたからさあ」
わたしは照れ臭いのをごまかすように笑った。
「考え事してた?」
ヘクターが浮輪に掴まりながら聞いてくる。
「ううん、何にも考えないでいるのが気持ち良くて」
そう答えると「はは」と笑われる。そして岸辺の方向を指差した。
「結構流されてたって気付いてた?」
言われてみて初めて岸がかなり遠くになっていたことに気が付いたわたしは目を見開く。うわ、全然気付かなかった。どれだけぼんやりしていたんだろう。
「岸まで運ぼうか?」
ヘクターがそう言って浮輪に付いたロープを引っ張った。わたしは思わず体を起こす。
「えええ!勿体ない!」
わたしの叫びが意味不明だったのか、ヘクターは目をぱちくりさせた。
「い、いや流されて来たのが良かったとかじゃなくて!えーとその、もうちょっと……お話ししない?」
わたしのつっかえながらの言葉を最後まで聞くと、ヘクターはにこりと笑って浮輪に腕を乗せた。
「いいよ」
が、頑張ってみるものだ。しみじみとそう思う。しかし、わたしの頭上より奥に視線が動いたヘクターが眉を寄せる。
「……残念、急いだ方が良さそう」
わたしは彼の視線の先に目を移す。
東の空から信じられないほど真っ黒な厚い雲が、じわじわと近付いてくる光景がそこにはあった。
「王子、大丈夫かしらね?」
応接室の窓を叩きつける雨水が、滝のように流れるのを見ながらローザが呟いた。
雨雲から逃れられなかったわたし達は、全員走りながら屋敷に帰ってきた。着替えが終わった途端、王子は「そろそろ城に戻らなければいけないんです」としょんぼりしながら馬車に乗り、大雨の中を去っていってしまったのだ。
「この時期は毎日のようにこの規模の夕立がくるんでさあ。慣れてるもんだ。大丈夫でしょう」
いつの間にか傍らにいたヴォイチェフがそう言ってにやりと笑う。
「殺人事件でも起きそうなシチュエーションねえ……」
わたしがそう漏らすとローザがぷりぷり怒りだした。
「もう!止めてよ、そういうの!ただでさえあんたといると何かしら起きそうで嫌なんだから」
どういう意味だ。目を薄めるわたしの横でヴォイチェフが「へへ」と笑う。
「そうなったらあっしは『一番怪しいから犯人じゃない役』でしょうな」
「……『その裏かいてやっぱり犯人役』なんじゃないの?」
わたしがそう返すと彼の顔が一層不気味にニタニタとしたものになった。嬉しいらしい。何なんだ、こいつは。
「殺されるのは誰なんだろうな」
アルフレートが面白そうに話しを拾う。冗談だとはわかっているが、この場にいるのがわたし達だけで良かった、と思ってしまう。
「物語の最後まで犯人がわからないようにするなら『誰とも親しくない人間』じゃないの?この雨の中、急にやってきた見知らぬ旅人、とかね」
わたしが話しに合わせるように発言するとローザも食いついてきた。
「だけど少しずつ登場人物全員と何かしら繋がりがあることが分かってくるのよね。で、結局『じゃあ犯人は誰なんだ!?』で第二の殺人が起きるのよ」
楽しそうに語った後、ローザは「悪乗りし過ぎたかしら」と口元を押さえる。アルフレートが足を組み替えてわたし達の顔を見比べた。
「誰も怪しくない、から誰もが怪しい、に変わるだけで一気に舞台が狭くなり、登場人物以外に犯人はいない、と上手く誘導するんだな。……殺人が起こる前に被害者と誰かが派手な喧嘩をする、なんていうのもあるな」
「あ、わかる!『Aが犯人よ!だって被害者と揉めてるところ見たもの!殺してやる、とか言ってたわ!』なんて騒ぐのがいるのよね」
わたしが身を乗り出すと、アルフレートは大袈裟な身振りをつけながら芝居掛かった声を出す。
「『冗談じゃない、ミートパイを食べられた恨みで喧嘩しただけで、殺人犯にされるのか!?』」
わたしとローザが耐え切れずに笑い転げていると、ドアがノックされた。
「……晩飯だとよ」
ドアから覗いた不機嫌そうな顔のアントンに部屋が静まり返る。何となく気まずいのは、頭に浮かべていた『架空被害者の像』が彼に近かったからか。