王都
「ちょっと、ちゃんと真っ直ぐ歩いてよ」
わたしはふらふらと頼りない歩きのセリスに口を尖らせる。わたしの肩によっ掛かりながら歩くセリスは「だって……」と言いながら大欠伸した。寝起きで足下が定まらないらしい。この調子だと今晩も遅くまで起きてるんじゃないだろうか。
皆すでに到着した町の通りを大分先に行っている。見通しのいい大きな通りだからはぐれることはなさそうだが、なんでヴェラといいわたしが面倒見なきゃいけないのだろう。
ようやく着いた町の入り口に立つ看板を見て、セリスと顔を見合わせる。
「『縦に長い町、ドノン』だって」
「もっと他に売りは無かったのかしらね?長いから何なのよ」
セリスは「へっ」と鼻を鳴らした。確かに、だからなんだ、というキャッチコピーではある。
「あ、でも確かに縦長!随分きれいに整備したのね」
わたしは看板の横にある町の地図を指差す。縦横の比率が随分と違う不思議な作りの町だ。今、目の前に広がる大きな通りを挟んで左右に建物が散らばっているらしい。
「へえ~」
と二人で町の地図看板を眺めていると後ろから声を掛けられた。
「きれいに整備したのとはちょっと違うな。実際はその逆なんだよ」
振り向くと町の人なのか煙管をくわえたおじさんが立っている。
「セントサントリナ――首都から歩いて一日掛かるこの町は、宿場町として栄えたんだよ。だけど最近はカンカレの方が賑やかだろう?そっちに近寄るようにあれよあれよという間に下に伸びて行って、こんな形になったわけだ」
「ふうん、ちょっとでも賑やかな町に近付きたいものなのかしら。だったらカンカレに引っ越せばいいのに」
セリスが身も蓋も無い話しをするとおじさんは「はは」と笑った。
「この町の人間が、っていうより旅人が近付けたんだ。内陸の町が発展する理由は旅人の利用だよ。町から歩いて来て、丁度夜が更ける時刻にある土地に町が出来る。そういう風になっているんだなあ」
「なるほどね、今は乗り物があるからもっと短時間で行き来出来るし、わたし達も丁度お昼の時間にお邪魔出来たわけだしね」
わたしが言うとおじさんは「そういうこと」とにこにこしている。面白い話しだな、と思っていると他のメンバーが遥か先に行ってしまったのに気が付いた。
「あ、ちょっとセリス!」
わたし達は慌てておじさんに礼を言い、通りを早足で進んで行く。
「もー、ちょっと待っててくれても良くない?」
「遅れた方が文句言うんじゃない、って怒られるわよ。人数多い分、あんまり気にしてないのかも」
文句垂れるセリスを宥めながら先に進む。ヘクター達の目立つ風貌の集団が昼食を取る店を迷っているのか、立ち止まっているのを確認出来た時だった。
「あああああ!!」
わたしは視界の隅に発見した影に思わず大声を上げて歩みを止める。
「ちょっとお、何よ……」
セリスの文句も聞かず、わたしは問題の人物――屋台の饅頭を頬張っている丸いおっさんを指差し叫んだ。
「ぼ、ボンさん!」
その声にこの暑い中、黒いハットに黒いコートの人物は「ふごお!」というくぐもった声を上げてむせ込む。
でっかいたすき掛け鞄と球体のような体、伸びきった髭と髪はまさしくあの不思議な生物学者ボン氏!
ボン氏は涙目になりながら胸を叩き、熱々の肉饅頭を流し込んでいるようだ。
「し、知り合い?」
セリスの小声にわたしは頷く。ボン氏もわたしに気が付くと小さな目をくりくりと丸くした。
「おお、また会いましたな、お嬢さん」
「は、はい。奇遇ですね……」
なぜこのおっさんとこうも遭遇するのか謎でしょうがないが、妙に気にかかるこの人物と知り合いになれたのは少し嬉しかった。
「ボンさんはこの町で何してるんです?」
わたしが尋ねるとボン氏は東の方向を指差す。
「トットムール平原の調査ですよ。あそこはまだ研究段階の小動物が沢山いるからね」
そこまで言ってからボン氏はもう一度目を丸くし、わたしのポーチをびしりと指す。
「おお!ちゃんと飾ってくれてるのだね」
ボン氏が言うのはポーチに付けてある小さなバッジの事だ。彼がわたしと会った時にくれたコボルトとオーガーの可愛くないバッジである。はっきり言っていらないのだけど、もしかしたらまたこの気になる人物に遭遇することもあるかも、と付けておいたのだ。
「あー、その趣味悪いやつ、なんで付けてんだろと思ってたんだけど、このおっさんに貰ったんだ?」
セリスの『人に好印象を与える』という事を一切考えていない台詞を聞いても、ボン氏はにこにことしている。そして「では今回は……」と言いながら自分の鞄をごそごそと探り始めた。三回目ともなるとわたしも「今回は何かな」と少しわくわくしてきてしまった。 「今回はなんとドラゴンのバッジだよ!」
「おお!」
感嘆の声を上げるわたしの手にバッジが渡される。が、手渡された物を見てわたしは無言になった。
「……これがドラゴン?」
セリスがわたしの手元を見て眉を寄せる。無理も無い。手渡されたバッジはどうみてもグロテスクなミミズに豚っ鼻と、牙のついた口元と凶悪な目を付け足したようにしか見えないのだから。
「ハイネカン地域に住む地竜の一種だよ。モグラのように地面を掘りながら暮らしているんだ」
にこやかに語るボン氏にわたしは「そうですか……」というしかなかった。ドラゴンだからか、他のバッジよりもでかくて更に存在感あるし……。
引き攣るわたしを隣りでにやにやと見ていたセリスだったが、ボン氏がじいっと彼女の方を見ているのに気が付くと、
「何よ」
と胸を張る。ボン氏はそれには答えず、再び鞄を漁りだした。
「はい、お嬢ちゃんにはこれ」
「え、いらないわよ……」
そう言いかけたセリスの手が止まる。渡されたバッジをまじまじと見た。
「精霊ドライアドのバッジだよ。木の精霊として知られている彼女は大変繊細で、扱いが難しい精霊でもあるんだ」
「え、ちょっと、いいなあ!」
わたしはセリスの手にあるバッジを見て頬を膨らませる。綺麗で女性的な容姿の精霊が横向きになったデザインだ。な、何、この差は。
文句を言おうと口を開きかけたところで止まる。セリスが真剣な顔でバッジを眺めているのに気が付いたからだ。
「じゃあ、がんばってね」
そう軽い挨拶を済ませるとボン氏はわたし達が来た方の町の入り口へ消えていく。ふわりと風に消えて行くような去り方をするボン氏を眺めているとセリスが口を開いた。
「私の方が文句多そうだから良いやつくれたのかもねー。得しちゃった」
そう言う様子は普段の彼女に戻っている。皆が消えていったと思われる店の方向へ歩きながら、わたしは前回ボン氏に会った時のことを思い出す。
そういえば、あの時は泣いてるミーナを慰める為にバッジをくれたんだっけ。
「今日の夜にはセントサントリナに着くのか」
デイビスが鳥のドラムにかぶりつきながら呟いた。若い人の多い店内はお昼時だからか騒がしい。テーブルが二つに分かれることになったわたし達の隣りでは、アントンとイリヤが半分ケンカのように騒いでいる。一緒のテーブルにされたローザが金切り声を上げて注意しているのが、端から見ると面白い。
「着いたら城に行けばいいのかな。その……」
ヘクターが言い淀むとフロロが頷く。
「泊まらせてもらえるのか、ってことっしょ?まあ普通に考えて招待されてるんだから、って思うけど、そんな長い期間居座っても平気なのかね」
「長い期間……って、王妃様の誕生日分かったの?」
サラが目をぱちくりさせて、野菜を退ける作業を進めるフロロに尋ねる。
「さっき通りにいた町の奴に聞いた。なんと十日も先だとよ」
「と、十日!?じゃあそれまでずっといるわけ!?」
フロロの答えにわたしは慌てる。いや、別に特別用事があるとかでは無いんだけど、それにしても十日も先だったとは……。
「確かにそんだけ長いと、いくらあのエミール王子が『いいよー!』なんて言っても気まずいわね。私達、ただでさえ向こうじゃ浮いてるだろうし」
セリスが言ったことが皆の心配な点であるに違いない。予想でしかないけど、そもそもわたし達が王妃様の誕生日パーティーなんてものに招待されたのは、エミール王子の言い出したものなのだ。だって王妃様自体は全然知り合いじゃないもの。王妃の誕生日会の席に息子の関係者枠がこんなに大人数でいいのかしら。それと「レオンを連れて来て欲しい」というのもエミール王子から母親へのサプライズだったのでは?というのがデイビスの意見だった。冒険者、しかもわたし達みたいな名が売れてるわけでもない単なる学生をお城の人間はどう見るのか……。今から不安でいっぱいだ。あのブルーノだってラグディスの事件を解決する前は相当上から目線だったもの。
「ヘクター、お前知り合いいるだろ?住んでた町なんだから。万が一の時は泊まる場所、都合つかねえかな。女共だけでもさ」
デイビスの、言葉使いは何だが優しい提案に、ヘクターは困ったような顔になった。
「知ってると思うけど、俺本来なら六期生なんだよ。同期は皆、町にいないんじゃないかな」
「あ、そっか……」
わたしは思わず呟く。ヘクターは学園を移る関係でわたし達と同じ学年になったんだ。サントリナの学園がうちの学園と同じような仕組みなら、六期生はもう一般の冒険者と同じ、色々な町を渡り歩いて旅の生活をしているはずだ。魔術師クラスなら学園に留まってるタイプもいそうだけど、ファイタークラスはそういう人もいなそう。
「やーい、ダブりダブりっ」
囃し立てるフロロにわたしは慌てて、
「あ、あんたなんてほんとは良いおっさんじゃないのよ!」
そういって黙らせる。それにしても今の話しで、ヘクターがサントリナ行きに楽しみな様子を見せない理由が、ほんの少しだけ分かった気がした。
「ローラスとサントリナの関係が良好なのは近年に限った話しじゃない。何処も領土争いで国境がしょっちゅう変わるような時代から、この二つの国は仲が良いんだな」
揺れる馬車内、窓からの風を受けながらアルフレートの授業は続く。
「ほー」
「国土、人口、経済を比べても差は歴然だ。時代時代の指導者によってはローラスの属国になっていてもおかしくはないサントリナが、何故こんなにも長い間対等な関係でいられたのか。その理由を示すエピソードは多いが、一番最近のだとローラスの革命後の混乱期の話しだな」
「ふむう……」
わたしは重たくなってきた瞼をこじ開けながら話しを聞く。
「無法地帯と化した都市は確かに多かったが、それでも世界的に見ればローラスは大国のままだった。周辺国はてぐすね引いたまま見ていた状況だ。ローラス側から見ればもし、周辺国が攻めてくるようなことがあれば、やられることは無くともただでは済まない。そんな時にサントリナがやったのはローラスに大量の食糧を流すことだった」
「ふぃ……」
「『食糧』、それがあの混乱期に一番不足していたことをサントリナ側は分かっていたんだ。そして食糧こそがローラスとサントリナを比べて後者が圧倒的に優っている点だ。土地が肥沃なのは両国共に恵まれた点だが、広大な海域に発展した港、古来から続く畜産の知識がサントリナにはある。ローラスの人間は感謝と共にそれを再確認させられたわけだな。それにローラスが共和制に移って一番『明日は我が身』と思っていたのはサントリナのはずなんだ。何処の国も共和制への波が広がるのを恐れていたのは間違いないがね。じゃあなぜサントリナが………」
アルフレートの言葉が止まったのには気が付いたが、わたしは抑えられない眠気に負けて夢の中へと落ちていくところだった。のだが、額に突然の強い衝撃を受けて一気に覚醒する。
「……いったいわね~!何すんのよ!」
前を見ると手をチョップの形にしたアルフレートがわたしを睨んでいた。隣りではヘクターがぎょっとした顔で固まっている。
「何すんのよ、だと?貴様が『退屈だから何か話して』っていうから話してやったのに」
アルフレートのわたしを睨む顔がどんどん険しくなる。でも殴ることないと思うんだけど。寝たら寝たで優しく毛布掛けるくらいの心の広さがないとね。
「だって授業でも無いのに堅苦しい話しばっかりなんだもん」
「なんだ?じゃあ私に好きなファッションやら恋の話しでもしろ、ってか?」
アルフレートは「けっ」と吐き捨てた後、ふと隣りに座るヘクターを見てにやりと笑う。嫌な予感にわたしが引いていると、
「恋、それは素晴らしい響き。さあ、このメンバーで『恋バナ』とやらでもしてみようか。我々の年代らしい青春の話題だ」
アルフレートは芝居かかった大袈裟な身振りを入れて話すと、うっとりとした顔を作る。
「ききき気持ち悪いこと言わないでよ!」
わたしが一際大きな声を上げると、横で寝息をかいていたはずのアントンがむくりと起き上がった。
「うるせーなあ。二人とも血圧高すぎじゃねえの?」
『お前に言われたくない』とわたしとアルフレートが言い放った時だった。
馬車前方の小窓からこんこん、と音がしてフロロが顔を出す。
「見えてきたぜー、セントサントリナ。意外と早かったな」
それを聞いてわたしは窓から顔を出す。馬の走る先に光の粒が幾つも浮かんでいた。紫色の空の下、一際大きな建物のシルエットが見える。あれが王城なのだろうか。
「着いたわねー」
ローザが腰を伸ばす仕種を見せる。他の皆も肩を回したりして思い思いのほっとする行動を取っている。わたしは町を囲む外壁へと目を向けた。
長い年月を感じさせるような灰色の曇った色に見えるが、心なしか青みを帯びているように見える。紋章といいサントリナの王室の色は青系なのかもしれない。開きっぱなしになっている町の門は古い時代の凱旋門なのか、植物を象った装飾が綺麗だ。色をつければ花のアーチにも見えるかもしれない。ここを歴代の将軍達が歓声を浴びながら通ったりしたのかもしれない。
奥に待っている町の風景を見ても、古い建物がそのまま残っているところが多いのが分かる。初めての来訪が暗い時間になってしまって残念だと思っていたが、ぽんぽんと浮かぶ明かりに照らされる、幻想的な光景を見るとかえってこの時間で良かったかもしれない。
夜といってもまだ早い時間だからか喧騒は多いが、わたしのこの町の印象は『静か』だった。
「本当にカンカレの町とは全然違うんだねー」
わたしのぽろりと出た呟きに、
「でしょう?」
とヘクターは笑って答えた。故郷を前に少し誇らしげな彼に、早く町を案内して欲しいな、と思った。