クーウェニ族
首都で迎えた朝はゆっくり目の時間だった。今日は休息日と決めたからである。わたしは隣りのベッドに座り、既に身支度を整えて髪を梳かしているローザに声を掛ける。
「じゃあローザちゃん達は商業地区に行くのね」
「そうよお、……ほんとにリジアは行かないのお?」
ローザはなんとも寂しげに眉を下げた。流石親友、心の友よ。昨日から滞在しているこの宿も二人部屋に各自別れることになったのだが、わたしとローザで組になっている。最早、誰も気にしないのが面白い。しかし特に買い物の予定が無いのは本当なので、わたしは今日、デイビス達野郎共と肉食い放題に参戦する予定である。ローザとイルヴァは女の子組と一緒に買い物に行くそうだ。ちょっと寂しいと思っているのは内緒だ。
ここでわたし達の財布事情、というものを公開させてもらうとしよう。実はわたし達のほぼ全員が親におんぶに抱っこである。普段、旅に出る時、移動費は依頼人から出ていることが大半だが、普段の生活費は自分持ち、すなわち親のお金だ。え、こんだけ冒険してるのに?と思われるだろうが、わたし達は「学生」という身分なのだ。修学する身であり金儲けが目的ではない、というのを明確にする為に冒険の依頼受付から終了後の依頼料受付まで学園の窓口で行っている。依頼受付時には学園が用意した誓約書にサイン、依頼完了後は料金を踏み倒そうにも学園がみっちり回収まで行う。その点は独り立ちした冒険者より、きちんとした制度に守られている感はあったりする。六期生からはまた事情は変わるけど、今はそういう仕組みになっているのだ。
一応プラティニ学園は「公的機関」なので国からの援助があり、依頼料は正規の冒険者を雇うよりも格安、という面もある。学園の収入には他に生徒の入学金、有力者からの援助がある。それを設備投資やら教官達への給料やら教科書代やら、材料費にも届かない学食の値段の維持やらに使われるわけだ。「学園側が不要に儲けてることは?」という疑問が住民の間に湧くこともない。なぜなら一番の出資者が町の有力者でもあり、国外にも名前を知られるフロー神の大神官であり、プラティニ学園の学園長様だからである。
そう、ローザのお家はお金持ちなのだ。これについては「何を今更」という感があるが、実はイルヴァのお家についてもそう。彼女のお家も上流家庭に位置する。まあそうでなかったらあんな毎日無駄に金掛かってそうな仮装は出来ないけど。このままわたし達が冒険者として独り立ちすればパーティー内における格差は無くなるだろうが、今は家柄が個人の財布事情に直結しているキビしい現状だったりする。うちは幸い「奨学金」を申請するほどじゃないけど、父はしがない物書きで簡単にいえば中流、「ザ・一般家庭」なのだからしょうがない。
何が言いたいのかというと、そんなに毎回ショッピングを楽しむ余裕は無え!という愚痴だ。食い放題すら「最低限、元は取らなくては」と意気込んでいる。
荷物を整えると二人揃って部屋を出る。他の部屋からもぞろぞろと見知った顔が出てくるところだった。(何故か)隣りの部屋だったフロロとアルフレートが欠伸しつつ出てくる。
「アルフレートはどっち行くの?」
買い物組か食い放題組か、という意味でわたしが聞くと、彼の整った眉がくいっと上がった。
「どっちも気が進まない。ぴーちくぱーちくうるさい買い出しも、肉を食いに行くのも嫌だ」
「俺は食い放題~」
フロロが張り切って手を上げる。肉食な彼は何時になくやる気があるようだ。
「じゃあ何処か他に行くの?」
わたしの問いにアルフレートは頷く。
「そうするかな。この町はどこもやかましくてどうも好きになれない」
そうぶつくさと呟きながら、彼は階段を降りていった。後ろからヘクターと同部屋だったイリヤのぼやく声が聞こえてくる。
「肉食えるのは嬉しいんだけどさ、何もこんな起き抜けに行かなくてもいいと思うんだ……」
胃の辺りを押さえる彼は眉間に深い皺を作っている。確かに夕飯でいいじゃないか、と言いたくなるが買い物組が来るまでの時間潰しなのだから仕方ない。
「じゃあ行くぜー!」
発案者のデイビスの晴れやかな笑顔が現れ、廊下に元気な声が響き渡った。
大人数が揃ってやってきたのはフロー神の教会とメーニ神の教会が揃う「女神の広場」。ここで買い物組と食い放題組の二手に分かれることになっているのだ。
「あんまり食べ過ぎないようにね」
ローザがわたしの顔を見てふう、と息をつく。
「お母さんじゃないんだから、ローザちゃん……」
右手の商業地区に向かう道と左手の飲食店通りを前に、何となく活気ある町の様子を眺めたまま話しを続けていると、
「おっと失礼」
人混みから現れた男性と肩がぶつかる。よろける体を立て直そうとしているとヘクターがわたしの手を掴んだ。
「ありがとう」
「いや、……クーウェニ族だ」
彼の視線を追うと、既に別の人混みに溶け込む寸前になっているぶつかった男の後ろ姿があった。クーウェニ族は大型の爬虫類に似た頭部に目立つオレンジ色の肌をした種族だ。珍しい種族ではないが人間の中にあまり入り込まずに、町に彼ら独自のコミュニティを作るので、あまり良い顔をしない人も多い。うちの学園にもいない種族だ。
彼ら独特の発達した上半身を思い出し、ぼーっとしているとフロロが眉を寄せながらやってくる。
「リジア、財布は?」
「え?……あ!忘れてた、フローラちゃんの中にある鞄に入れっ放し!」
「ならいいや、あいつスリだぜ?運が良いな」
「ええ!?」
フロロの言った衝撃の台詞に目を見開く。全然気が付かなかった……。も、もしかして一瞬でわたしの懐を探ったってこと!?なんか気持ち悪いよー!
わたしは無意味に体を掃う。……しかし首都は人が多くて活気がある分、ウェリスペルトよりは治安が悪いから気をつけなさいって母親に言われてたの忘れてたわ。帰ったら怒られそう。主に財布の危機で。
「よく分かったわねえ」
フロロに感心気な目を送るローザを見てわたしは尋ねる。
「フローラちゃんは?財布出したいんだけど」
その言葉にローザはポケットに手を突っ込む。が、ざあ、と音がしそうな勢いで一瞬にして青い顔に変わった。
「……忘れたわ」
「ええ!ど、どこに!?」
「宿の部屋の窓枠……、ひなたぼっこしてたから『ぎりぎりになったら捕まえればいいか』と思って……」
「そのまま?」
ローザはこくりと頷く。呆れた、という顔でわたしとフロロは顔を見合わせる。
「リジア、宿戻るなら俺も行く」
フロロの珍しい申し出に、わたしは首を傾げるが「いいわよ」と頷いた。わたしの不思議そうな顔にフロロは指差し答える。
「さっきの奴、宿に行く道の方向に行っただろ?顔もう一度見たいんだ。ギルドに所属してるかどうか確かめる」
あらら、何だか穏やかじゃない話しみたい。フロロがこんな事言うってことは、男の様子に何か思う事でもあったんだろうか。
「あんまり深入りするなよ?」
眉を寄せるヘクターにフロロはにやっと笑った。
「分かってるって」
そう言うなり駆け出すフロロにわたしは慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「早くしないとフローラがいなくなってたらどうすんだよー!」
騒がしく広場を後にするわたし達を、後ろからローザとヘクターが心配そうな目で見ていた。
「ちぇ、やっぱいないか」
目立つはずのクーウェニ族のオレンジ色をした肌は見当たらない。フロロはつまらなそうに舌打ちすると走るのを止めた。大通りではない住宅地にある狭い道だというのに人が多い。わたしとフロロは周りに埋もれていた。
「顔、覚えて無いの?」
わたしが聞くとフロロは頭の上で腕を組む。
「あいつらぐらい人間離れしてると、中々、個体差つき難いんだよ。リジアにだってみんな同じ顔に見えるだろ?」
確かに、とわたしは頷いた。モロロ族くらい人間に近い顔つきだと、学園にいる何人かを見比べても誰が誰だかぐらいは分かる。しかしクーウェニ族は人から見ればワニの方が近い(失礼だけど)としか思えない。町中で見る機会は多いものの、見分けを付けるのは難しい。頭髪も無いので色での見分けもつけられないのだ。
「ま、何個か特徴は押さえたけどさ。ギルドに報告するには似顔絵描くのが手っ取り早いんだよな」
「それでもすごいじゃん。あの一瞬で特徴なんて、普通、顔見るだけで精一杯よ」
単純に感心するわたしだが、フロロはつまらなそうにするだけだ。『俺を誰だと思ってる』とでも言いた気じゃないか。アルフレートと違って口には出さないけど。
「……ってことで俺、戻るわ」
「何言ってんの!」
広場方向へと体を回転させるフロロを、わたしは素早く捕まえた。襟元を掴まれたフロロはじたばたと暴れる。
「俺じゃ護衛になんないよ!戻ってヘクターの兄ちゃん連れてくるからさあ」
「護衛なんていいわよ、わざわざ悪いじゃない。それに、万が一フローラちゃんが宿から逃げてたりしたらアンタの役割じゃないの」
「……俺は逃走ペットの捕獲係になった覚えはないぜ?」
フロロは「はああ」とわざとらしく溜息をつくものの、諦めたように宿方向へ歩き出した。
「部屋にちゃんといますように!」
さっき出発したばかりの宿に出戻ったわたしは、入り口に手を掛ける前に祈りのポーズを取る。
「いるだろ、だってフローラって意外と頭良いじゃん」
そう言うフロロにわたしは指を振った。
「頭が良いから心配なのよ。結構ローザちゃんに懐いてるから、いなくなったのに気付いて後追いしてたりするかもしれないじゃない」
親だと思って……とは考えにくいがフローラちゃんはローザに一番懐いている。ま、それを薄情にも置いていったのはローザちゃんなんだけど。
わたしとフロロは宿に入ると朝手続きをしてくれたおじさんのいるカウンターへ向かう。おじさんは驚いたように目を丸くして顎髭を触った。
「ありゃ、どうした?忘れ物?」
その通り、とわたしが頷くとおじさんはうふうふ、と笑う。でっぷり突き出たお腹がカウンターに当たり、花瓶がかたかたと揺れた。
「だと思った!『肉肉ー!』ってはりきって出てったのにちびちゃんだけで戻ってくるんだもん。まだ掃除前だから部屋にあると思うよ」
ちょっと引っかかる言葉は多かったものの、わたしはほっと息ついた。おじさんに許可を貰うとわたし達は二階へと駆け出す。部屋の扉が並ぶ廊下を走って角を曲がると、わたしとローザが泊まった部屋の前にくる。
「いた!」
フローラちゃんが扉の開いた隙間からひょっこり顔を出していた。やっぱりじっと待っている気は無かったようだ。わたしとフロロは安堵の息を漏らす。ちょっとだけお邪魔するとして、部屋に入るとわたしはフローラちゃんをベッドの上に置いた。
「じゃ、取ってくる。……ちゃんと待っててよ?」
「信用ないなあ」
フロロのしかめた顔を見ると、わたしはフローラちゃんの中へと入っていった。
ふう、と不思議な浮遊感の後、わたしの足は内部の青白い光が満たされた床に立つ。昨日の夕飯前に『余計なお金を使わないように』と思って、ぎりぎりの夕飯代だけ持ち、財布を鞄に入れていったのだ。珍しいことなんてするもんじゃないな、と思う。自分の旅行鞄を探していると嫌な状態を発見してしまった。アルフレートのでかい鞄、セリスのお洒落な鞄がわたしの物を押しつぶしている。荷物までもが遠慮の無い人達だ。
「もう!」
わたしはいらいらと鞄を引っ張った。すると雪崩を起こしたように、大量の荷物が作る山が崩れていく。やばい、と慌てつつも中身は大抵衣服なのだ。大丈夫だろうと思う。鞄から財布を取ると外へ出る為に振り返った。
「……ああ!」
一人だというのに思わず出た大声。わたしは目に入った包みに駆け寄る。王妃様に買ったティーカップセットの包みだ。初日からフローラちゃんの餌が入った箱の上にあったはずなのに床に落ちている。この箱の高さから落ちたとすると、結構まずいんじゃないだろうか。さっきの雪崩のせいだったら洒落にならん。ゆっくりと振ってみるが微かに紙のこすれるような音がするだけで分からない。
迷ったあげく、わたしは一度外へ出ることにした。
「フロロ!」
急に現れ、名前を呼ぶわたしにフロロは少しびっくりしたようだ。しっぽが真っ直ぐ伸びる。
「な、何?」
「ちょっと来てくれない!?」
わたしの慌てように少し嫌な顔はするものの、すぐにフローラちゃんへ手を伸ばした。わたしもそれに続く。
「……うわあ、こんなに散らかってたっけ?」
フロロは中の惨状に呆れた声を上げた。わたしはそれには答えないようにして、王妃様へのプレゼントを指し示す。
「落ちちゃってたのよ。心配だからもう一回中見せてくれない?」
フロロは目をぱちぱちとさせた後「大丈夫だろ」とぶつくさ言って箱に近付く。包みを取る寸前にぴたりと止まり、わたしの顔を振り返り見る。
「謝礼は?」
「……はああ!?あのね、これはわたし達全員からの贈り物でしょ!?フロロだって心配じゃないわけ?渡す前に壊れちゃってたらがっかりでしょう?」
「全員に平等に管理責任があるのは分かったよ。でも包みを綺麗に解いて元通りにするのは俺なの、分かる?」
「…………夕飯に一品奢るわよ」
「分かればよろしい」
フロロはそう答えるなり包みを解き始めた。その間にも「リジア太っ腹~」などとうかれた声を上げているのが憎らしい。