君に夢中
アントンが大口を開けて寝ている。かーかーという寝息が規則正しく馬車内に響き、口の中が乾かないのか人事ながら心配になってしまった。暇を感じたわたしは、目の前で外の景色を眺める大柄の青年に話しかけることにする。
「そういえばさ、デイビス達はどうしてパーティーを組むことになったの?」
昨日セリスからも聞いた話しだが彼から聞いても面白そうだと思ったのだ。デイビスのオレンジ色の瞳が何度か瞬きをみせる。
「……気付いたらだなあ。特に動き回ったような覚えは無いけど、気付いたらこんなメンバーが集まってたな」
何とも男らしい答えにわたしは眉を寄せる。もうちょっとこう、何かあるだろ。どう取っ掛かりを掴もうかな、と考えていると、
「お前らは?」
と逆に聞かれてしまう。わたしとヘクターは顔を見合わせた。……網に引っ掛けたんです、とは言えない。
「お前らこそ別に知り合いじゃなかったんだろ?そっちの方が不思議だよ。ナンパ?ナンパしたの?」
真顔で聞くデイビスにヘクターが少し頬を赤くして眉間に皺を作る。
「変なこと言うなよ……」
「そ、そうよ!アントンと一緒にしないで!」
思わず上げたわたしの大声に緑の頭が揺れた。
「俺が何だって?」
あれ、起きちゃった。三人で不機嫌な寝起き顔を見ていると、いきなり前方の小窓が開かれた。
「敵さんのお出ましだよ、用意しときな」
フロロの可愛い声に似つかわしくない台詞。ぴんと張りつめる空気にわたしは体が固まってしまう。馬車がスピードを緩め、徐々に止まっていった。
「主要街道外れた途端に出てきやがったか!」
何故か笑顔で声を張り上げると、デイビスは馬車後方の扉を蹴って開け放つ。学園長の馬車だって分かってるんだろうか。勢いよく飛び出すデイビスとヘクターに慌ててわたしも彼らを追いかける。が、後ろから来たアントンに突き飛ばされて派手にすっ転ぶ。
「へぶ!」
「だ、大丈夫?」
ヘクターに腕を取ってもらい起き上がるが、痛む顎と手に殺意が湧く。
「今に見てろよ……魔法の暴走に見せかけて消し炭に変えてやるぐらい出来るんだからな」
自分でも恐ろしいと思う台詞をぶつぶつ言いつつ、簡単な治癒術を唱え始めた。騒ぎの音からして前方にモンスターがいるらしい。馬車の影から覗くとデイビスよりも更に二周りほど大きくしたような体が三体。赤黒く異臭のしそうな肌に顔をしかめた。醜く凶悪な猿のような顔は巨人族オーガーのものだ。三体中二体は粗悪な棍棒のような物を持ち、一体は隆起した筋肉の素手を振っている。
「……待ってて」
ヘクターがわたしの肩を叩くと、既にデイビス達が武器を振るう中に駆け出した。イリヤも含めて四人いるんだし、見てるだけの方がいいかな、と思っていると馬車の上から声が掛かる。
「やばいかもしんない」
「うおあ!ちょっと何処に乗ってるのよ」
わたしは馬車の屋根部分から顔を覗かせるフロロを睨んだ。するとフロロは上空を指差す。空に浮かぶ黒い染みが風に吹かれて舞っているような光景。よく見ると染みの一つ一つには羽が生えており、大きな蝙蝠のような姿が次第に目で確認出来るようになる。翼のある人間の赤子にも見えるが手足は筋張って奇妙な曲がりを見せ、暗い緑の肌が不気味なモンスター。
「インプの群れだ……」
わたしの呟きにフロロが頷く。
「オーガーの獲物を奪いに来たな」
フロロの言う『獲物』とはわたし達の事だろう。わたし達だってオーガー相手にそのままやられるわけでは無いが、空を舞う妖魔達も黙って見ているだけとも思えない。
「数が数だし、飛行モンスター相手にさせんのは酷だろ?リジア追っ払ってくれよ」
馬車前方の戦士達を親指で示しつつフロロはわたしの顔を見る。
「え、……どうやって?」
わたしの正直な問いかけに仲間のシーフは露骨に顔をしかめた。
「お得意の魔法ぶっ放しをしてくれりゃあ良いんだよ。ちょっと厄介そうだと思ったら簡単に退いてくれる」
なるほど、と思うが何を唱えよう。また肝心な時にさらっと呪文が出て来ない。うわ、どうしよう。そう思うと更に頭から大事なものが抜けていく。
「早く早く!にいちゃん達の方に来る前にやんないと!あんた命中率、只でさえ悪いんだから!」
ばたばたと馬車の上で飛び跳ねるフロロにわたしは焦りながら言い返す。
「あ、焦らせないで!ななななんでも良いからヒントヒント!」
「ひひひヒントお!?俺、呪文なんて知らねえよ!」
「単語で良い!好きな精霊は!?」
「えええっと、ジン!風の精霊ジン!」
「おっけえええええ!」
わたしはフロロに向かってびしり!と親指を立てるとすぐさま呪文を唱え始めた。
インプ達の動きはすぐさま襲いかかるようなものでは無いものの、明らかに探るように空を旋回している。彼らの赤い目は日差しの降り注ぐこの時間でも光を放っているように見えて不気味だ。
わたしが早口で言葉を紡ぐごとに風が周囲に漂いだす。軽い体のフロロが飛ばされそうになったのか馬車に張り付いた。
「ミスティックカッター!」
風の精霊シルフによって現れた風の刃が無数に空に放たれる。ジンではないのか、と言われそうだが風の精霊の上位種であるジンの魔法なんぞ、ちょっとコントロールに自信が無い。空に溶け込みそうな青い光をした刃は耳障りな高音を響かせて飛行モンスターに襲いかかった。空を自由に動き回るインプ達に大抵は避けられてしまうが、
「ケエエ!」
仲間とぶつかりそうになった為に逃げ遅れた不運な二匹が悲鳴を上げた後、塵と消える。元は異界の者である彼らの最後は呆気無い消え方だ。フロロの予想通り、戦意を喪失したらしいインプの群れは何事も無かったかのように空の高みへ消えていく。ほっと胸を撫で下ろすわたしとフロロに聞こえてくる情けない声があった。
「ひええ……」
馬車前方、いつの間にかオーガー達は倒れたようで戦士の皆は武器を収め、こちらを見ている。そして彼らの中央、地面を巨大な爪がえぐり取ったような跡が走っていて、その脇でへたり込むイリヤの姿があった。
「何?どうしたの?」
わたしが言うとフロロが呆れた声で答える。
「あんたの魔法だろ」
おおう……、空しか見てなかったから気が付かなかった。周りをよく見ると右手に広がる林の木もいくつか枝が折れたり細い木が根元から切断されたりしているじゃないか。
「生身に当たったら妖魔じゃなくても消し飛ぶんだからな。気をつけろって、ほんとに……」
フロロはぶつくさと言い終わると屋根の上を四つん這いになりながら御者席の方へと戻っていく。
本当にフロロの言う通りだ。いつ事故を起こすか分からない暴走車両だわ、わたしって……。だからといっていつまでも何もせずに見学してるわけにもいかないしなあ。
「おし、行くか!」
オーガーの亡骸を端に避けたデイビスが彼の愛用の武器である大きなバトルアックスを肩に担ぎ直し、全員を見渡す。
「イリヤ、ごめん」
わたしは未だ座り込んでいるままのイリヤに手を差し伸べた。彼の金色の瞳がわたしを捉えると少し恥ずかしそうにその手を取った。
「いや、こっちこそ大げさに騒いでごめん。リジアの『それ』は噂には聞いてたけど実際みるとびびっちゃって」
イリヤの言葉がさくっ!とわたしの胸に刺さるが、気にしないよう務める。悪気はない、はず。イリヤが立ち上がり御者席に戻るのを見た後、わたしも馬車の中へ帰ることにする。
「ありがとう、助かった」
後ろから掛かる声はヘクターの柔らかいものだ。わたしは複雑ながら「うん」とだけ答えることにする。デイビスとアントンに至っては戦闘そのものが無かったかのように「腹減った」「飯どうするよ」などと騒いでいるのだった。
馬車の扉を開けると怯えた顔のヴェラが立っている。身を竦ませるようにしたポーズが何とも滑稽で、美人の顔とは合わないものであり、もったいない。
「どうしたの?」
わたしが声を掛けるとあうあうと口を動かした。
「すすすすいません、見張りなのにまた寝ちゃって……。皆さんがいないのに今気が付いて『何があったか見て来い』って言われたもので、ああうー、役立たずですいません!」
ヴェラが見張り、そして役立たずなのは分かった、いや分かっていたが何かあったと思うなら全員出て来いよ、と思うのは間違っているだろうか。
「……良いわ、『何も無かった』って伝えてちょうだい」
「あ、そうなんですか!よかったあ」
寝癖だらけの彼女はそのままフローラちゃんの中へと戻っていく。やっぱこの『二両編成』はよろしくないなあと思い始めているのはわたしだけじゃないらしく、昨日から丸きり『護衛』扱いの男達が深く溜息をつくのが聞こえた。
「三体中二体は俺が倒した」
機嫌よくアントンがグラスを傾けつつ、二本の指を立てる。
「聞いてない」
アルフレートがぴしゃりと言い放つとアントンは「何をー!?」と叫び立ち上がる。またか、という顔の皆を横目に、わたしは大袈裟過ぎる程顔を歪ませてアントンを睨んだ。
「店の中で騒がないでよ、恥ずかしい」
首都の外周部分にある大衆食堂は冒険者ばかりだからか元から賑やかだが、立ち上がって奇声を上げるような人はいない。全く以って恥ずかしい。
「アントンは無茶苦茶だよ……周りの奴の安全なんて関係無しにカタナ振りまくるんだもん」
イリヤが珍しく不機嫌そのものを現にした顔でぼやく。せかせかと口に運ぶ豆の煮物があっという間に皿から消えていく。
「こいつよりマシだろ」
アントンはそう吐き捨てるとフォークでわたしの顔を指した。むっとする間もなくイリヤが言い返す。
「リジアは悪気は無いだろ?アントンは『出来る』のにやらないんだ」
つまりわたしは『出来ない』と。言われように泣けてくるが、悪気は無いのだ、と思う。いや思わないとやってられない。
「お前なあ、膝から下まっ二つに切り落とされそうになっといてよく言えるな。悪気は無いのに暴走する方が性質悪いじゃねえか」
アントンの台詞になぜかセリスが目を輝かせる。
「まじ!?とうとうやっちゃった!?やあだあ、見たかったあ~」
「なんでそんな楽しそうなのよ」
ローザが呆れた顔でセリスを見た後、わたしに振り返った。
「でもこのままじゃやっぱ駄目ね。リジア!特訓するわよ」
「え、ええ!特訓って……何処で?」
わたしの嫌そうな顔を見たのかローザの顔は一層厳しいものに変わる。
「何処でって、町の外でやれば平気よ!何もない荒野にでも向かって撃ちまくって、少しは上達しなきゃ!」
「撃った先に人がいたらどうすんだよ」
フロロが言うとローザは一瞬考え込むように頬を指で叩く。そしてぽん、と手を叩いた。
「海なんてどうかしら!夜の海なんて誰もいないし、いいんじゃない?ここからじゃちょっと遠いから、もし今度海辺に行くようなことがあったらやってみましょう!それに綺麗かもよー、魔法の光で」
最後は完全に蛇足でしかないが、いいかもしれない。ちょっと前向きに気持ちが変わってきたところでアルフレートが口を開く。
「魔力の大きさ、その個人差はどうやって決まると思うかね?」
聞いた事がない質問だ。しかしもしかしたらわたしの魔法のコントロールに役に立つ情報が隠れているのかもしれない。わたしは唸りつつ熟考する。
「……気持ちが強い!とか」
わたしが言った答えにアルフレートは真顔のまま首を振る。確かにこの答えだと魔力が無い人は全て無気力になっちゃうか。戦士達の精神力なんてわたし以上にありそうだしなあ。戦闘中の彼らを見ていると、集中力に気合い、どれを取っても敵いそうにない。再び唸るわたしにアルフレートはゆっくりと正解を答え始める。
「答えは精神世界にいかに結びつきが強いか、だ。体はこの世界に剥き出しで立っている状態だとしても、その体という殻に精神は守られている。その精神は一部でしかなく、大部分は精神世界に隠れているんだな。そして現世にある精神力の大小が個人によって変わる。大きい人間は精神世界に入る術に長けてるのさ。想像力逞しいと言っていい。つまりは……」
そこまで言うとわたしの顔を見てにやー、と笑った。
「妄想力が長けているということだ」
「も、妄想!?」
わたしの大声にアントンが大きく吹き出す。そしてまた不愉快な馬鹿笑いを響かせるではないか。
「妄想かよ!なんだよ、単なる変態じゃねえか!」
今朝方と同じく頭がかっかっとしてくるわたし。アルフレートだって今そんな話しをしなくてもいいのに!
怒りと恥ずかしさから真っ赤になっている顔をごまかそうと、わたしはグラスに手を伸ばす。すると丸いテーブルの丁度反対側の席に着いているサラが目に入った。
まただ。あの顔、ぴくりとも動かない瞳。不機嫌とも取れる無表情。
半ば分かっていながらわたしはゆっくりと視線の先に目を移す。気難しい顔でスペアリブにかぶりつく男の顔。
アントンを見ているのだ。その事実が確定した時、急に鼓動が早くなる。サラの視線がすうっとずれてわたしと目が合いそうになった瞬間、何故か妙に気まずさを感じたわたしは慌てて視線を落とす。
お皿に残ったほうれん草のバターソテーを見ながら思う。
……もしかして、いや、かなりの確率で、サラってアントンの事好きなんじゃないの?
改めて頭に言葉を浮かべると心臓の動きが更に活発になる。
こんなに頻繁に顔を見ていたい相手、なんて答えは一つじゃないか。わたしにだってよーく分かりすぎる程分かる気持ち。いつまでも眺めていても飽きない顔。好意を持つ相手の顔だ。
隣りのテーブル席のドワーフが酒を飲みつつご機嫌な声を上げる。それを背後に何故か手に嫌な汗をかいているのを感じていた。