母
「孤児院の子供達は皆、修道院の方へ預けておきました」
さみしげな陽射しの下、学園長がわたしに言った。わたしは一つ頷くと、
「ありがとうございます」
優しい目をした学園長にお礼を言う。
神殿前にはいくつもの馬車が止まっている。帰宅ラッシュなのだ。もちろんわたし達の乗って帰る白い豪華馬車もある。その隣で同じ様に異彩を放っているのがレオンとウーラの黒い馬車。周りの人々もぎょっとしたように目を向けているが、もうあまり恥ずかしくはない。慣れてしまったのだろう。
「どっちに乗って帰るか……」
呟くデイビスにアントンが舌打ちした。
「どっちにしろ変わんねえよ!ったく趣味悪りい……」
そう、ウェリスペルトを経由して帰るレオン達の馬車に、人数の増えたわたし達は乗せて貰う事にしたのだ。
「どうするんだ、早くしろ」
仏頂面でレオンが急かす。不機嫌なのでは無くこれが素なのだろう。サラが手を叩いた。
「女の子と男の子で分かれるのはどうかしら?」
「あらー、いいわねえ、女の子だけの旅とか憧れてたのよお」
ローザも乗り気の声を上げる。
「ああ?んなこと言ってると魔物が出て来ても助けてやんねーぞ」
アントンがしかめっ面で言うとセリスが言い返す。
「良いわよー、こっちにはイルヴァがいるんだから」
「いますよー、男共の方がバランス悪いですねえー」
イルヴァが答え、きゃいきゃい言っているとアルフレートが無表情のまま口を開いた。
「男だけなんて臭そうだから嫌だ」
この言葉により、大人しく普段のパーティーメンバーで分かれることとなった。
「これ、道中食べてください」
馬車の窓から顔を覗かせるサムから、わたしはバスケットを受け取る。
「ありがとう、サムも元気でね」
「いやあ、次にお会いする時はもっと豪華な物を皆さんに食べさせてあげられるようになりたいです」
それは料理人としての言葉であって……僧侶としての道はいいのか?
「皆もリュシアンと一緒にちょくちょく来るといいぞ!」
にこにこと大声を上げるのはガブリエル隊長。今日もピカピカのフルアーマーが眩しい。
「隊長も元気でね。また何かあったらわたし達も駆けつけるからね」
わたしが手を伸ばすと大きな手が握り返してくれた。
「頼もしいな!勇者の再来を楽しみにするとしよう!」
「それじゃあ問題が起きるのを待ってるみたいじゃないの」
たった今、神殿入り口からやってきたアルシオーネさんが呆れた顔を見せる。馬車の窓を覗き込むとにこり、と笑った。
「皆さん、ローザをよろしくね。神官になったとはいえまだまだ経験不足な子供ですから」
同い年であるわたしは「はあ」としか返せない。が、彼女の優しさがローザでなくても嬉しかった。
「そろそろ出すよー」
御者席からフロロの声が聞こえてきた。了解、と答えようとしたところで神殿入り口にいる人物の姿に気が付く。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
わたしは慌てて大声を出すと馬車を一度降りる。皆の驚く視線に申し訳ない、と思いつつも足を進める。
階段を駆け上がると問題の人物の前に立った。
「そんな格好だと庭師のおじいちゃんみたいよ?」
ゆったりシャツに麦わら帽子という格好の法王を笑うと肩をすくめるポーズが返って来る。
「普段はこんな感じだもんね」
軽いノリのじいさんだ。それでも皆から尊敬の目で見られているのが不思議。
「……わたしに何が起きるのか分かってたのね?」
昨日の会話を思い出し、わたしは尋ねる。『この先何があろうとそなたは怒りに染まるなかれ』フォルフに少しでも手を出していたら、きっとこの場にわたしはいない。
「何のことかのー」
恍ける法王だったが、ふと真顔に戻った。
「この先ずっと、じゃよ。昨日の言葉を常に胸に置いておくことを願っとるよ」
わたしは目をぱちぱちとさせる。法王の顔がまたふにゃりとしたじいさんの顔に戻ってしまった。
「じゃあの、可愛いお嬢さん。あんたわしの奥さんの晩年に似とるわ」
「あ、ありがとう」
全然嬉しくない言葉を貰いつつ、わたしは神殿を後にした。法王の麦わら帽子にあった、『キール』という名が聞き覚えのあるものだ、と首を傾げながら。
馬車に急いで戻るとローザが不思議そうな顔で尋ねてくる。
「法王と何話してたの?」
「んー、まあちょっとしたアドバイスをね」
ローザは首を傾げ「ふうん」と呟く。学園長がそれをにこにこと見ていた。
「あれ?サイモンは?」
馬車の中のメンバーを見渡しわたしは尋ねる。いつものメンバーに学園長、ハンナさん、ミーナがいるのにサイモンがくっ付いていない。レオンの方の馬車?と思ったところで、ミーナが自分の肩に引っ付くフローラちゃんを指差した。
「中で拗ねてる」
ミーナの返事に「は?」と聞き返すとヘクターが苦笑した。
「帰りたくないんだよ」
ああ、なるほど……、と納得する。街の出口が近付いていた。
少し無理をして馬車を飛ばし、フェンズリーにやって来たのは、もう少しで日付が変わる時間だった。デイビス達には先にマルコムの屋敷に行ってもらい、サイモンを連れて孤児院『つちのこの家』へやって来たわたし達。
「どうしましょう、私からきちんと説明した方がいいかしら」
おろおろとするハンナさんにローザが溜息をつく。
「必要ないですよお、勝手に付いてきちゃったんだから」
「でもこんな時間に……」
ハンナさんの言葉を遮ったのは孤児院の扉が開く音だった。目を丸くしたアンナが扉の隙間からこちらを見ている。
「サイモン!あなた何処行ってたの!?ってリジア!まさか付いて行ってたの!?」
アンナはそう言うと、わたし達の顔を見回しあわあわとする。誰から話しかければいいのか混乱したようだ。
「ただいま、サイモンを無事送り届けたわよ。ミーナの件も片付いたわ」
わたしがアンナにそう伝えていると、アンナの後ろからマザーターニアも出てきた。少し驚いた顔をしたがわたし達に頭を下げ、すっとサイモンの前に行く。
ぱちん、という音に全員がびっくりしてマザーターニア、彼女に頬を叩かれたサイモンを見た。
「皆がどれほど心配したか、分かっていますか?」
淡々と言うマザーターニアの顔は見た事がないような厳しい顔だ。サイモンの目に涙が溜っていくのが分かる。
「ま、まあまあ、無事帰ってきたことですし……」
アンナがおずおずと言うとマザーターニアは凛とした態度で顔を上げた。
「いいえ、無断でいなくなった事、周りに心配をかけた事をサイモンも分からなくていけません」
誰もが何も言えなくなり静まり返る中、サイモンの「ごめんなさい……」という呟きが響いた。わたしもある程度はかばってやるつもりだったが、正論すぎるマザーターニアに沈黙するしかない。
「アンナ、サイモンに何か暖かい飲物をあげてちょうだい」
ようやく柔らかい表情に戻ったマザーターニアに皆、息をつく。アンナがサイモンの背中に手を置き、中へと戻っていった。
「……皆さんどうもありがとう、ご迷惑かけてしまって」
深々と頭を下げるマザーターニアにハンナさんが慌てて手を振った。
「サイモンは娘を心配してくれたんです。娘もすごく気持ちを救われたんですよ」
ハンナさんの言葉にマザーターニアはにっこりと笑った。
「ミーナ、良いお母さんが出来たわね」
ミーナは照れくさいのか頬を掻く。
「でもね、サイモンはここにいる限りは私の大事な息子です。普通の親がするように私はサイモンを心配し、叱ります」
ふふ、と笑うマザーターニアはわたし達を見回すともう一度深く頭を下げた。
「ハンナ!」
「マルコム、お久しぶり」
バクスター邸、屋敷の扉を開けるなりマルコムが廊下を走ってくる姿が目に入ってきた。
「皆も無事だったか!……でもどうしてハンナがここに?」
マルコムの言葉にわたし達は顔を見合わせた。あ、そっか、マルコムはハンナさんが自宅からいなくなったことすら知らないんだっけ。
わたし達の様子を感じ取ったのかマルコムが苦笑する。
「色々聞きたいけど皆疲れてるだろう?とりあえず入ってくれ」
案内されるままにダイニングに入るとデイビス達が食事を取っていた。飲めや歌えや、とまではいかないがかなり豪華な食事を全員でがっついている。
「おう!先、頂いてるぜ」
軽く手を上げるデイビスにアルフレートが呆れた声で答える。
「全然遠慮ってものが無いんだな」
……まあそれ言うとわたし達もなんだけど。レオンとウーラは宿を取るといって聞かなかったけど、わたし達はまたお世話になるわけだ。マルコムが嬉しそうにしてくれるのだけが救いだった。
「サイモンってどうしていつまでも子供っぽいのかしら」
バクスター邸の客間、フェンズリーの街並みを眺めながらミーナが呟いた。前にも借りた大部屋に今回は女性陣だけ。人数が人数なので男連中の為にもう一つ部屋を借りた。何から何まで申し訳ない。
「しょうがないんじゃないかなあ。マザーターニアのことだから笑顔で迎えてくれると思ってたんだろうし。……わたしもそう思ってたし」
わたしは言いながらミーナの頭を撫でた。ミーナは窓枠に寄りかかりながら大きく息をつく。
「サイモンにもいい勉強になったしいいじゃない。今回の旅にしても、マザーターニアのお叱りにしても」
ローザがにこにこと言うもミーナは不服そうだ。
セリスとヴェラがお風呂の順番をじゃんけんする声が聞こえる。その中、もう一度ミーナの溜息が響いた。
「でもさあ、結婚する相手にはもうちょっと頼れるところを見せていて欲しいと思うの」
その言葉に全員の動きが止まった。イルヴァの布団を整えてやっているハンナさんまでもが固まっている。
「え、何?」
わたしは不自然なほど棒読みでミーナに尋ねた。
「結婚するんだ、私達。サイモンがウェリスペルトに来たら」
ぼほう!と景気の良い音を立ててサラが飲物を吹き出す。
「あ、あぶないですうー」
イルヴァが珍しく大声をあげる。わたしはふらりと倒れ込むハンナさんを寸での所で受け止めた。
「最後まで泣いてたな、ダーリン」
フロロが面白そうにミーナに言うが、馬車の窓から外を眺めるミーナはご機嫌だ。遠くなりつつあるフェンズリーの街を鼻歌混じりに見つめる。わたしの前に座るアルフレートが大きな欠伸をした。彼がマルコムに今回の旅の話しをしてたんだよね。随分遅くまで話し込んだのだろう。
「……そういえばさ」
わたしは欠伸で涙目になっている彼に尋ねる。
「ずっと気になってたのよね、エミール王子の話し」
「……何がだ?」
「誤魔化さないでよ、イリヤ含めて会談した時の話し!あの時ブルーノに色々質問してたじゃない。ブルーノの反応見るに、向こうの王室でも色々ありそうな感じだったから」
レオンが城から連れ去られたという晩の話し、ブルーノは嘘はついていないはずだが、まだ隠していることがあるような雰囲気だったのだ。ブルーノは……きっと山賊の仕業では無いと勘づいてたんだわ。そしてそれを言わないということは……。
「下品だねえ、そう他人の家庭に首突っ込むな。中身はおばちゃんみたいだぞ?」
ふふん、と笑うアルフレートの言葉にぐさりとする。法王にも「ばあさんに似てる」と言われたばかりだ。気になってしまうじゃないか。
「そのうちサントリナにも行くだろうし、そん時のお楽しみでいいじゃん、な?」
フロロがヘクターの肩を叩いた。青い瞳が驚いたようにぱちぱちとする。
「え、サントリナ?そのうち行きたいけど……まだ無理じゃないかな」
ヘクターがそう答えるのは学園のルールからだろう。国外に行けるのは六期生に上がってからだもの。しかしフロロは気にもとめない様子で話し続ける。
「楽しみだなあ、兄ちゃんの故郷。色んなこと探るチャンスだぜ、リジア」
「な、なんでわたしに言うのよ」
慌ててわたしが返すと今度はアルフレートがにやにやと笑う。
「昔の女とかだ」
「な、なんだよそれ!俺向こうにいたの十三歳までだぜ?」
ヘクターの頬が赤くなる。……怪しい。と思うのは考え過ぎだろうか。
「十三歳なら充分だろうが。ここに九歳でフィアンセと暫しの別れをした少女がいるというのに」
アルフレートの言い方は完全にからかう調子だ。
「もーうるさいわよ」
御者席のローザに怒られてしまった。窓から見えるローザ親子の後ろ姿は本当によく似ている。
「はあ、ユハナに何て話そうかしら……」
ハンナさんの沈痛なぼやきが妙に耳に残ってしまった。