『七人』
「その時からリョージャの女王としての生活が始まるんです。私が孤児院に連れて来られたのは、もう少し後になりますね。狂いはこの頃から始まった。リョージャは一教団のトップとしてよりも、この小さな城の女王としての自分を取ってしまったんです。もちろん、彼女にはそれが悪い事だという意識も無かったと思う」
「火のルビーという目的よりも孤児院の母としての生活が大事になった?」
「……そういう言い方も出来るかもしれないですね。実際は母というより、やっぱり『女王』ですよ」
レオンもそんな事言ってたっけ。彼は教団の仕組みなんて知らなかったんだから、それでも同じ印象を持っていたというのが面白い。
「彼女が火のルビーを忘れていたというのは本当です。それは始めに言った夫婦が、思いのほか早く亡くなったことが原因だと思います。……それから彼女の理想を追う団体に変わっていったんです、ここは。彼女の理想は簡単、散り散りになった八人を呼び寄せ、皆で仲良く暮らすこと」
マーゴの言い方はからかうような雰囲気が強い。リョージャの理想とやらがその言葉通りでないことは何となく想像出来た。
「孤児院の評判があまり良いものではないことから、代表を変えるという案が出たころでした。二人の男がひょっこり帰ってきたんです。私はリョージャの夢物語を話し半分にしか聞いていなかったものですから、足になるべき八人のうちの二人だと分かった時は驚きましたよ」
「二人、ってもしかして、えーっと、あの二人?」
何と言っていいものか迷ってしまい、曖昧な言い方になる。始めの襲撃に加わっていたネクロマンサーの男とあの偽神官ザネッラのことを言ったのだが、マーゴは簡単に頷いた。
「二人は戻ってきた。しかし六人は戻らなかった。どちらも事実です。私はぼんやりともう残りは戻る事は無いだろうと考えていました。だってそうでしょう?散り散りになった八人に施された記憶回帰の術は、男なら『女王の足となるべく力を身につける事』女なら『子を産む事』だったんですから。実際ハンナは子供を産めなかった。帰ってきた二人以外の男だって魔術の道を続けるかどうかなんて分かりません。ごく普通の家庭に貰われていったんですから」
確かに欠陥だらけのシステムっぽいな……。まあわたしが考えることじゃないけど。
「でもリョージャは夢を見続けた。私は孤児院がこのまま残ることを望んだ」
「意見が一致したんじゃない」
わたしは少しからかうように言ってみる。マーゴは少し微笑んだ。
「そういうことです」
「あなたが教団の信者としての顔も持ってないことからも分かるわ。ここって既に本来の役割はガタガタになってたのね」
この言葉には苦笑するマーゴ。小さく「そうですね」と答える。
「それを正す為にやってきたのがフォルフ達なんですよ。フォルフがすでにフローの大神殿にいる姿を知っていましたが、彼は藍色のローブに身を包んでやってきた。その姿を見れば意味は分かります。彼は『仲間』だったということです。彼は言った。『女王よ、今こそサイヴァの心臓を取り戻す時だ』と」
「リョージャは……それを望んだの?」
「もちろん。本来の目的は忘れていたけれど、彼女は立派なサイヴァ信者だ。それにフォルフはこうも言った。『私なら君の足である八人を集めてあげられる』そして本当にリョージャでさえ知らなかった残りの六人に手紙を出した」
「ハンナさんを連れ戻しに行ったのもフォルフね?わたし達が勘違いからミーナを連れ出した後」
わたしの問いにマーゴが頷く。一つ浮かぶ疑問があった。
「残りの五人は?」
フォルフ神官は常に神殿にいる姿を見せていた。それでハンナさんをウェリスペルトから連れ出すなんて、瞬間移動したとしか思えない。そんな人間離れした力を持つ彼なら、他の五人を集めるのも容易だったんじゃないだろうか。
「……予定が変わってしまったんですよ」
言い難そうなマーゴにわたしははっとする。
「ミーナね」
マーゴの肩が少し動いた。わたしは続けて言葉をぶつける。
「ミーナは……リョージャの娘ね」
「どうしてそう思うんです?」
少し目を閉じた後、わたしは質問に答える。
「彼女が怒った時に目を大きくした顔が、ミーナに似てたの」
マーゴが呻いた。これこそが、わたし達がこの街にやって来てから本格的に襲われるようになった原因なのだ。始めは勘違いからやってきたわたし達の仲間。リョージャは自分の目で見て初めて、自分の子供であることに気が付いたのだ。
「リョージャはミーナしか望まなくなった。そしてフォルフは必ず火の曜日に儀式を遂行することを決めた」
マーゴの話に、なぜ?と聞き返そうとしてやめる。答えが分かった気がしたのだ。
「ミーナが次の女王になる予定だったのね?それをフォルフは止めたかった」
「……そう、この孤児院は消えなくてはいけない。彼らはその為に来たのだから。さっき言ったようにサイヴァの心臓の復活にはそれなりの力を集める必要がある。失敗作は要らないんです」
マーゴは苦笑する。
「あなたには気付かないで欲しかったな」
「……大丈夫よ。ミーナには言わないから」
わたしは苦々しく答えるしかなかった。
「無理矢理にでも儀式を始めて、リョージャを亡き者にしたかったってわけね?」
「そう、意外でしょうがサイヴァ教にも守らなくていけないことがある。同じ信者同士の撃ち合いだ。混沌を望むもの同士でもこれだけは守らなくていけない。リョージャが戻ってきた足二人に課した決めごとにも、これが触れている」
「あ、自爆しろってやつ?」
わたしは二人の魔術師の最後を思い出し、眉を寄せた。
「そうです。本人が勝手にするにはいいんですよ。ただそれを他人に課してはいけないんです。ただ、リョージャはそれよりも孤児院が大事だったので、頭から抜け飛んでしまっていた」
孤児院の話しをされるぐらいなら消えなさい、と。これがダメというのは悪党にも決まりはあるってやつだろうか。
大方の話しは終ったのか、沈黙が広がる。わたしは一つ息をついた後、口を開く。
「レオンを巻き込んだのはあなたでしょう?あなたはサイヴァ信者では無いはずよ。何故なの?」
混沌を蒔くだけだったらリョージャの指示だったのかもしれないが、わざわざシェイルノースまで会いに行ったのは彼なのだ。
「彼の兄弟に会うべきだと思ったからです。彼は私と同じ目をしていた。だからきっとそれを望んでいると思った」
「わざわざ色々手回ししてまで、ねえ。まあいいわ、あなたにも色々都合はあったんだろうし」
「私も手練三人に女王が見ている前では教徒として動くしかありませんから」
マーゴはふふ、と笑った。
その手練三人も、儀式まではリョージャの駒として動いていたってことか。
「で、フォルフにあの獣人達は何者?」
わたしが身を乗り出すとマーゴは少し困ったような顔になる。
「『七人』」
「は?」
「『七人』、この言葉を覚えておくと良い。あなたの今後にも」
それを言うとマーゴは押し黙ってしまった。わたしも追求はしにくくなる。窓の外を見るとほんの少しピンク色になっているのに気が付いた。わたしはゆっくりと立ち上がる。
「……帰るわ。色々ありがとう」
「お礼は言わないでいいのでは?」
「癖よ、癖」
そう答え、扉の前までくると、ふと思いつく。
「フォルフ達はこの孤児院を消すために来た、って言ったわよね?大丈夫なの?」
急に不安になり、わたしは振り返る。
「大丈夫、既に子供達はフローの大神殿にある孤児院に移動するよう手配した。皆、ここを出れば普通の子供達ですから……立派な修道士となるはずです。もちろん、フロー教徒として」
ほっとするが「あなたは?」と聞きたくなる。が、ソファーに身を沈め目を閉じるマーゴは、既にわたしにさよならを告げていた。
屋敷を出ると深呼吸をする。肺に入る冷たい空気に「ようやく暖かいところに帰れるんだな」と思う。
わたしが庭を歩き出した時だった。
「お話は終ったかね?」
目の前に現れた人物にぞわりと背中が震える。瞬間的に吹き出す嫌な汗。グローブに包まれた両手を握りしめた。
「君にはこんな風に話した方がいいのかな?『なぜ君みたいな子供がこんな所にいるのだ!こんな不良が大神官の息子の仲間とはな!』」
藍色のローブに身を包む男、フォルフは大げさな身振りでそう言うと、口角を上げた。薄くなった赤い髪が見えなければ、誰だか分からない程、雰囲気を変えている。
「……結局失敗に終って残念だったわね」
わたしは精一杯の強がりを見せる。フォルフは少し面白そうに答える。
「なに、あの神殿に心臓が眠っているという事実さえあればいい。あそこにある限り、混沌を産む。復活には時間をかけるさ」
恐怖と緊張から動けないわたしの横をさっさと通り過ぎようとする彼に思わず言葉が出る。
「何をしに?」
「マーゴに最後の挨拶を」
その言葉に急いで振り返った。
「わ、わたしはいいの?放っといちゃって」
次の瞬間、扉に手を掛ける後ろ姿を見せていたはずのフォルフの顔が、目の前に現れる。息が止まってしまった。
「君は道端に巣を作る蟻を、全て踏みつぶすのかね?」
意識が飛びそうになる。ざあ!という木の葉の舞う音に、倒れそうになっていた体を無理矢理覚醒させた。
気が付くとフォルフの姿は無い。何の意味も無いとは分かっていたが、わたしは屋敷に走っていた。
「マーゴ!」
扉を開けるなり彼の名前を呼ぶ。静まり返る屋敷内は何事も無かったかのようだ。が、
「う……」
さっきまでいた応接間からのうめき声にわたしは再び駆け出す。扉を開け、凍り付く。胸元を赤く染めたマーゴがソファーの脇に倒れていた。わたしが動けなくなっていたのは一瞬だったはずなのに、既にフォルフの姿は無い。
「大丈夫!?」
マーゴに駆け寄ると彼に手で制される。そんな事をしている間にも床に広がる赤い輪は広がり続けていた。
「早く血を止めないと!神殿に運ぶわ!」
「止めてくれ!」
マーゴの怒鳴り声にわたしは一瞬身を縮めるが、すぐに怒鳴り返した。
「このままじゃ助からないわよ!?」
返ってくるのは耳を疑うもの。
「助けないでくれ、これは私の最後のお願いだ」
そう呻くマーゴに言葉を失ってしまった。どうして?そう聞きたいが声にならない。
「早く行きなさい。このままではあなたが罪の意識を持つことになる。それが私には耐えられない」
青い顔のマーゴにわたしは首を振った。小刻みに首を振り続けるわたしにマーゴが再び声を荒げる。
「早く行け!」
瞬間、わたしは跳ね起きる。彼の言う通りにするわけじゃない。神殿から誰かを呼びに行こう!転げるように部屋を出て、そのまま扉に張り付く。ノブを回す手順ですらもどかしかった。
外の空気に触れると柔らかい視線がわたしを見つける。
「リジア!探したよ」
風がヘクターの銀色の髪を撫でていた。わたしは彼の元に倒れ込む。
「マーゴが!……マーゴが死んじゃう!」
ヘクターの顔が強張る。そっとわたしの体を離すと屋敷内へと入って行った。
その時、残されたわたしの頬を何かが触れていく。それが何なのかが意識の隅で理解出来ると、わたしはその場にへたり込んでしまった。
ヘクターが屋敷から戻ってくる。わたしの目を見ると黙って首を振った。
頭がぼんやりとする。手のひらにあたる枯れ葉が痛い。ざあざあという風の音がやけに耳障りだった。
目の前にヘクターの影が落ち、膝をつくとわたしの肩に手を回す。
「……うう、う」
嗚咽が漏れた。必死に彼の背中に手を伸ばし、しがみつくのも今は恥ずかしくはなかった。わたしの目から溢れた涙がヘクターの上着を濡らしていく。ただ黙って頭を撫でるその手が、一生離して欲しくないと思うほど温かかった。