幸せな悪夢
「やったぜ、特等席だ!」
フロロがはしゃいで椅子の上に飛び跳ねる。学園長が連れて来てくれた部屋は、大聖堂を窓から見下ろせる観覧席のようになっていた。
「この部屋って……」
イリヤがきょろきょろと部屋を見渡す。
「イリヤが活躍してくれた部屋ね」
わたしが答えると彼は照れたように頭を掻いた。
「活躍ってほどでも……」
「したじゃない、イリヤしか出来ないことよ!」
わたしは笑いながらイリヤの背中を叩くと部屋を見渡す。エミール王子とレオンが会談したあの部屋だった。カーテンを開けると大聖堂が見下ろせるようになってたんだわ。
「そう、活躍してくれた君達の為に特別に利用させてもらったんだ」
学園長はにこにこと言うと、窓の前に並ぶ椅子に腰掛けた。わたし達も習って腰掛ける。
「すごい、皆綺麗ねえ」
隣りに座ったハンナさんが式典の始まりを待つ司祭、神官達を見て感嘆の言葉を呟いた。白に金が散りばめられたローブが並ぶ様は本当に美しい。
「あ、あれが法王だよね」
逆隣りに座るヘクターが祭壇を指差す。わたしは思わず頬が引き攣った。
「そ、そうねえ」
昼間の会話の後だと偉い人に見えないんだけど……。同じ気持ちなのかフロロも眉をひそめている。
「あーローザさんですよー、うふふ、緊張してますう」
祭壇の脇に並ぶ神官候補と思われる列を指差し、イルヴァが笑った。確かに緊張してるみたい。怖い顔になってるわ。
「あんた何もしないでいいの?」
アルフレートが聞くと学園長は肩をすくませた。
「今回は欠席予定でしたからねえ。役割無いんですよねえー。だから他の皆さんにお任せです」
のほほん、とした返事にそれでいいのか、と言いたくなる。これで大神官まで登り詰めた男。恐るべし。
ふと下が静まり返るのが分かった。パイプオルガンの音色が響き渡る。
「あ、始まるんだわ」
サラが目をきらきらさせて身を乗り出す。異教徒のものでも楽しいらしい。
大聖堂の中心、小麦色のカーペットが敷かれた通路を、アルシオーネさんを先頭にした神官達の列が歩き始める。普段以上に豪華なローブに身を包んだ彼らを見て、わたしは胸がときめく。はああ、すごい、素敵。ぼろぼろになってしまった聖堂内だけど、そんなの関係ないぐらい厳かで息を飲むほどに美しい。いやむしろ崩れた背景とのミスマッチさが、余計に神聖さを際立たせているのだ。
これは宗教画だ。目の前の光景はそのくらい幻想的だった。
最後尾にエミール王子、レオンもいるのを確認して笑みがこぼれた。この二人が並ぶと天使みたいだわ。
わたしが下の光景に見とれる中、隣りで息を飲む音がする。はっとして顔を上げるとわたしの隣り、ハンナさんが目を見開いているのに気が付いた。気持ちが急激にざわつき始める。その表情は明らかに恐怖を浮かべていた。
「ど、どうして」
唸るような呟きにわたしは鼓動が早くなる。
「どうしたんです……?」
ヘクターも気が付いたようで声を掛ける。が、ハンナさんは手を震わせたまま動かない。と思ったらゆらりと立ち上がるではないか。
「どうして彼がいるんです!?」
その言葉に一同凍り付いたようになってしまった。彼……?どうしてって、何がなの?
「どいつのことだ」
いつの間に立ち上がっていたのかアルフレートが、倒れそうなハンナさんに腕を回し受け止めると厳しく尋ねる。ハンナさんは震える指で聖堂内を指差す。
わたしは窓に張り付くと指差された方角を凝視した。
「どうして彼がここにいるんです!?」
悲鳴に近いハンナさんの声。彼女が頭を抱えながら人差し指だけを前に出す先、一人の男の姿を見てわたしは固まる。
神官達の白のローブが並ぶ列の中、同じように白のローブに身を包み偉そうに胸をはる男、フォルフ神官が立っていた。
皆が寝静まる部屋を通り過ぎ、わたしは一人神殿の廊下を歩く。湯を借りる順番を一番最後にしたので、この状況は簡単に作ることが出来た。そんな小細工をしてまでも、一人抜け出す自分に苦笑しながら神殿を出る。
入り口に並ぶ石柱に、身を預ける美しい横顔に驚いてしまった。
「アルフレート」
「行くのか」
簡潔な問いにわたしは頷いた。もしかして一緒に来る?と思ったが、
「お前一人でないと色々話しが出てこなそうだ」
珍しい『任せる』という言葉。わたしはもう一度頷くと彼の前を通り過ぎ、階段を下りて行った。神殿前、流石に修繕の作業も止まっている。明日からはまた、日が昇ると同時に僧侶達は働き始めるのだろう。
この街に来て何度目の夜だっけ。そんな事を考えながらすっかり馴染んだ通りを歩く。孤児院までの抜け道は一度通っただけで覚えてしまった。神経を尖らせていたからだと思う。
簡素な門を開け、濃い緑のアーチの下を歩く。木の看板は下に落ちてしまっていた。月明かりに照らされて裏面が見える。古ぼけた字で『ミツバチの家』とあった。
枯れ葉が積もる庭から屋敷を見上げる。二階にある窓から一人の青年がわたしを見下ろしている。
なぜわたしが一人ここまで来たのか。彼と二人で話してみたかったのだ。空気が動けばそれに溶けていなくなりそうな……不思議な人。レオンと同じようにわたしも彼に惹かれているのかもしれない。
わたしを見下ろすマーゴは黙って屋敷の入り口方向を指差すと、消える。わたしも入り口を目指し歩き始めた。
「お待ちしていました」
彼の言葉にわたしは黙って手を挙げると、開かれた扉から屋敷の中へ入った。すぐに脇にある部屋へ通される。アルフレートと来た際にも始めに案内された部屋だ。
「よく一人で来ましたね」
マーゴはそう苦笑する。
「一対一で話してみたかったのよ」
わたしは正直に答えた。手で示された通り、ソファーに腰掛ける。
「物好きですね」
そう呟くマーゴにわたしはある方向を指差す。わたしが示すのはこの屋敷の図書室だ。
「あの絵本、あなたが見せたんでしょ?わたしとアルフレートに」
奇妙な落書きのあった有名な絵本。あの落書きもわたしの予想だと、彼が書いたのだと思う。子供の頃なのか、最近になってなのかは分からないけど。
「なぜそう思うんです?」
マーゴの質問にわたしは軽い調子で答える。
「この孤児院の子供達って、すごく大人しいし歳に似合わないほどきちんとしてるでしょ?それなのに本を片付けないまま出ていく、っていうのがしっくりこなかったのよねー」
マーゴは答えない。それでも答えをもらったようなものだった。しばらくの沈黙の後、マーゴが口を開く。
「……フォルフはどうしました?」
「消えたわ。気が付いた時にはいなくなってた」
マーゴの顔を真っすぐ見ながら答える。表情に変化は無かった。
あの後、わたし達はすぐに大聖堂へ向かったがあの集まりの中、誰にも気付かれることなくフォルフ神官は消えてしまったのだ。
「彼は何者だったの?」
わたしは尋ねる。
「フローの大神殿にいる少し嫌われ者の神官ですよ」
マーゴの納得いかない返事に眉を寄せるが、すぐに思い直す。
「あなたも詳しくは知らないってことね?」
マーゴは黙って頷いた。
「知っている範囲ではお答えしましょう。……彼らは裁きに来たんですよ」
「彼ら?」
「フォルフに、彼に従うゴルテオとハーネルの二人の獣人です」
その三人が部外者ということか。わたしは妙に納得する。自害した二人の男と、獣人達では扱いというか、雰囲気が違い過ぎたからだ。しかしフォルフ神官がリーダーだったとはね。
「えっと、誰を?」
裁きに来たの?と尋ねる間、マーゴの顔を見ると窓の外を眺めている。
「この孤児院を、女王リョージャを。まあ、彼らにとってはついでだったんだと思いますが」
「本来の目的は『サイヴァの心臓』でいいのね?」
マーゴは深く頷き、わたしの顔をじっと見る。
「まず言っておきたいのは、今からお話することは世界の裏側といっていい。それにあなたも片足……いや、つま先ぐらいでしょうか。入り込むのだとしてもお聞きになりますか?」
一瞬躊躇するが、わたしも彼に頷き返した。月明かりが入り込む部屋の中、マーゴの長い長い話しが始まった。
「ある一組の夫婦がこの街にやってきたのは三十年以上昔の話しです。彼らには目的があった。いや、使命ですね」
マーゴはそう言うと、藍色の巻物を取り出し、机に置いた。
「サイヴァ教の信者の名簿です。その夫婦が所属していた団体と、この孤児院から出た人数だけのほんの一部ですが。ご覧になります?」
わたしは首を振った。……さすがにそこまではあまり首を突っ込みたくない。
「賢明です。……彼らの使命はフロー大神殿にあるサイヴァの心臓、フロー教団では『火のルビー』と呼ばれるそれをサイヴァの元へ返すこと。知っています?サイヴァは心臓を失っている為、この世界への影響が薄れているんですよ」
「あれって本当にサイヴァの心臓なの?」
わたしは眉を寄せた。
「さあ……、大事な体の一部、ってぐらいじゃないでしょうか。人間の常識を当て嵌めて、理解出来る限界を超えた存在じゃないですか、神なんて」
確かにそうかも。でもその大事な一部分を失っている状況でさえ、世界には混沌が溢れている。それだけ本来なら力の強い神様なのかもしれない。しかしマーゴの言い様に引っかかる。この人も信者じゃないのかしら?他人事、というより学者の話しでも聞いてるような印象だ。
「火のルビーはフロー大神殿にある、彼らにはそれで充分だった。なぜならこの街で儀式さえ行えば心臓は復活し、自らサイヴァの元へ帰るのです。しかし問題があった」
「神官を集めること、足を集めることね?」
「そう、それに完全な復活を実現させるには高レベルな神官を集める必要があったんです。……でも彼らには時間の流れは気にする問題では無いのです。自分達で実現出来なかろうと、次の代、また次の代へと教えは受け継がれる。植物が根を張るように、この町で少しずつ力を蓄えていけばいい」 「それに関しては植物、っていうより『ミツバチ』って言い方がよく合ってると思うわよ。上手い事言うなあと思ったもの。女王がいて、子供達が混沌を撒き、次の地へ混沌の種を蒔く。そうでしょ?」
わたしの言い方に嫌味があることを感じ取ったのか、マーゴは苦笑した。
「そうですね、元はそういう意味合いがあったんですから。……話しを元に戻しましょうか。夫婦はこの地へやって来てから神官となる子供を集め始めた。何故子供かは知っています?」
「……大抵のサイヴァ信者で神官の力を持つような人は混沌を撒いた時点で死ぬからよ」
「よく知ってますね。戦を巻き起こすか自ら犠牲になるか、混沌の種類はともかく、だから神官を集めようにも一から育てるしか無いわけです。少なくともこの辺りのサイヴァ教団はこのような形を取っているはずだ。そこで夫婦は子供を集め始める。国内だと足がつき易いですから近隣の国からね。そういう意味でも国境の町ラグディスはおあつらえ向きといえた。しかし子供の数が増えると問題が起きてきた。近隣住民の目です。サイヴァ教の教えを守っているつもりでもかなり異質でしょうから。無駄な感情は許さず、自由も無い。普通の人間から見れば不気味なんです。いよいよ危ない、と踏んだ夫婦は九人の子供を残し、他の子供達は切り捨てます」
「切り捨てる?」
聞き返すわたしにマーゴは少し沈黙する。そしてゆっくり口を開いた。
「消したんでしょう。詳しくは知りません。何しろ九人の今後で色々忙しくなるんですから」
聞いた瞬間、言い様のない憎悪に唇を噛む。が、黙っていた。彼に詰問しても意味が無い。
「夫婦の予見した通り、その後、近隣住民が正義という拳を振り上げやってくる。夫婦は言う。『必ずや全ての子供達は幸せな家庭に移しましょう。ただ私達の一人娘を育てるのに、この家に置いて欲しい』と」
一人娘?次の女王は残すということか。そこまで考えてからはっとする。
「リョージャね?」
マーゴは答える代わりに窓の外に目を移す。つられてわたしも木枠の窓を向いた。広い庭が見える。その隅に一本の杭があるのに気が付いた。いや、あれは墓標?そこだけ落ち葉が無い様子から、あれはリョージャの眠る墓なのだと理解出来た。
「夫婦が残した九人の子供は大人しく従順、かつ利発な子が残されたんです」
「神官……足となるべき八人と女王」
「その通り、そして……」
「八人の中にハンナさんがいた」
わたしの言葉にマーゴは頷く。これは、ハンナさんに伝えるべき話しなんだろうか。わたしには分からない。