邪神降臨
滑り込むように入った大聖堂内は、この騒動の中でも神聖な空気を崩すことなく存在していた。
「このどこかにあるはずよ」
わたしは自分にも言い聞かせるように言った。あるはず。あって欲しい。自然と祭壇に向かって歩いていると、イルヴァが何か見つけたように脇に並ぶ椅子の下を覗き込む。
「何してるんですかあ?」
見ると参拝者のために整列する椅子の下、でっぷりした体を窮屈そうに折り曲げるフォルフ神官がいた。
「な、何もしてないぞ!」
「何もしてないのが問題なんじゃないか」
にやにやとアルフレートが笑う。フォルフ神官は赤い顔で立ち上がり、何か言い返そうとするが口をぱくぱくするだけだ。
「一人で隠れてたのね?」
わたしは呆れて中年神官の顔を見る。ま、そうしてくれてた方がいいけど。このおっさんに騒がれても余計な混乱呼ぶだけだし。
「君らこそ何をしてるんだ!ここは神聖な場所であって君達のような……」
「おや、揃ってましたか」
フォルフ神官のだみ声を弾き飛ばす穏やかで通る声が、入り口方向からかかる。振り返るとこの状況でも笑みをたたえた学園長が、ゆったりと歩いてくる姿があった。 「リジア!」
隣にいるローザが駆けてくる。
「無事だったのね!」
涙を浮かべ抱き着くローザに大袈裟な、とも思うが一緒に入ってきたフロロの言葉にはっとする。
「神殿のどこにもいないから焦ったぜ」
ああ、そうだった。孤児院の方へ行ってたのは皆知らないんだっけ。
「こういう時には現れおって……。点数稼ぎに余念がないな」
ぶつぶつとこぼしながらフォルフ神官が学園長を睨む。あ、仲悪いんだっけ。学園長の方は気にも留めない様子でにこにことしているところが悲しい。
ふと真顔に戻ると、学園長はぴっ、と人差し指を立てる。
「さて、皆さん質問です」
は?と皆の顔がぽかんとする。構わず続ける学園長。
「残念ながら火のルビー……サイヴァの心臓は力を取り戻してしまいました。邪教徒の儀式によってね。そこでルビーを探したいところですが、この神殿を取り巻く魔物達はどこから来ているのでしょう?」
「ルビーからだろ?」
頭の後ろで腕を組みつつフロロが答える。
「その通り、あの騒がしい魔物達はルビーから発生している。……いや、あれが心臓の一部の姿なんでしょう。血管みたいなものでしょうか。気持ち悪いですねえ」
学園長はふふふ、と笑った。
「何が言いたい!相変わらず嫌な話し方をする奴だ!」
フォルフ神官が吠えるが、
「次の質問です」
学園長の一人舞台は終わらない。
「少し言い方を変えましょう。魔物達はどの方向から発生しています?」
「地中からですね」
ヘクターが答えると学園長は満足げに頷いた。
「そう、地中から伸びているようだ。表の様子を見ても大地から生え出る様が見てとれる。神殿内も一階の被害が大きい。元気よく伸びた触手が上の塔をへし折ったりもあったみたいですがね」
こほん、と息をつく。
「しかし神殿には地下は無い。これは断言してもいい事だ。神殿の土台が作られた歴史を見ても……まあこの話しは長くなるから、今はいいでしょう」
「神殿のどこかにあるルビーから伸びた触手が、一旦地面を潜ってから出て来てるってこと?」
ローザの言葉にわたしは植物が根を張る様子を思い浮かべる。ピーナッツってそんな生え方なんじゃなかったっけ?少し面白いと思ってしまった。学園長はまた深く頷く。
「そうなるね。じゃあ神殿のどこにあるのかを考えよう。見回ったところ、魔物達が窓や床下から侵入する姿は確認出来るが、肝心のルビーから発生する姿は見られない。伸びる触手をたどって行けば簡単に見つかりそうなのに、意地が悪いね」
意地が悪いのはあなたの話し方です、と言いたくなる。少し考えてからわたしは発言する。
「復活の儀式で流れたマナの動きからして、この大聖堂にあるはずなんです。だから見えないどこかに隠れてるんじゃないかと……」
「隠れてるってどこに?ルビーが埋め込まれてたフローの像は無くなっちゃったみたいだし」
ローザの質問に学園長は嬉しそうに微笑み、指を鳴らした。
「さて最後の質問です。では、その昔祀られていたという像はどこへ行ったのでしょう?」
皆、そうにこやかに質問する学園長のすっと立てられた人差し指を見る。
「こんだけ探して無いんだから風化しちゃったとか」
わたしの発言にアルフレートが溜息をつく。
「馬鹿か、たかだか数百年でそんな簡単に消えてたまるか。ましてや建物内にあったんだぞ?」
「どこか他の神殿に移したとかは?」
ヘクターが言うと学園長は首を振る。
「そういう記録は無いですねえ」
「バラバラにしちゃったとか~」
イルヴァがウォーハンマーを振り回すのをローザが睨む。
「一番あり得ない。フローの像を壊すなんて絶対にやらないと思うわ」
「おいおい、皆、勘違いしてるだろ。この大聖堂にあるんだろ?そういう話ししてたじゃないか」
フロロの突っ込みにわたしは首を傾げた。じゃあどこに……そんなでかいもの隠せるようなところないじゃない。
植物が根を張るように、ってことは床に触れているものよね。その場から地中に触手を伸ばしてるんだから。やっぱり床に埋められてるって可能性は無いのかなあ。埋められて……。
そう考えたところで頭に閃くものがある。わたしは勢いよく振り返った。
「あそこだわ……」
擦れた声を出すわたしの視線の先を、全員で見上げる。眉間に皺寄せていたローザがはっとしたように目を見開いた。
「像の中ってこと!?」
ぱちぱちぱち、と手を叩く音がする。にこやかに拍手する学園長へわたしは向き直った。
「ご名答~、リジアが一番早かったね」
えらいえらい、とわたしの頭を撫でる学園長。少し照れる。
「いやあ……ってそうじゃなくて!分かってるなら早いとこ何とかしましょうよ!」
わたしが拳を振り回すと、焦った声を上げたのはローザだった。
「だ、ダメよ!フローの像を壊すなんて!」
ダメって……じゃあどうしろと?頭の固いプリーストの意見に眉をひそめるが、分かった事もある。
たとえ偶像であろうと彼らには特別な意味合いがあるのだ。そしてそれこそが像の中に像を隠すなんてことに繋がる。新しくするにも古いものを壊してルビーを取り出すことが出来なかったのだろう。それに……アルシオーネさんや法王なども火のルビーを知っていたんじゃないだろうか。でも、彼らには像は壊せないのだ。
わたしは落ち着いた顔の学園長に、対照的に慌てるローザを見る。
「わたしがやるわよ」
当然の流れだと思うのだがフロロの顔が歪んだ。
「リジアが?アルの方がいいんでないの?」
その言い様にむっとしてフロロを睨むと、アルフレートが首を振る。
「私はその後始末だ。そっちの方が厄介だろう?」
「後始末?」
わたしは聞き返す。
「像を壊しルビーが現れたして、その後どうなる?」
わたしは破壊された像からルビーが現れる様を考える。ルビーから溢れる触手が聖堂内を埋め尽くすのを想像した。
「では私が防御結界を担当しよう」
学園長が静かに手を伸ばした。わたしも一つ頷くと前に出る。
壊すことに関してはお手の物、っていうのを見せてあげるわ!
そう胸を張るとわたしは呪文を唱え始めた。
「……そういえばあのフォルフ神官は?」
「ここも危なくなってきたんで逃げたんじゃないでしょーか?」
そんなヘクターとイルヴァの会話が聞こえた。
授業でトラブルを起こして以来、室内でなら絶対に使用しなかった呪文を完成させる。
「ファイアーボール!」
わたしの手元から放たれた赤い光球が、空気中に線を描きながら勢い良く飛んでいく。珍しく狙った通り、フローの像の頭部に当たると爆音を響かせた。ごうごうと火花が散り土煙が舞う。天井からは小石が落ちて来るがその全てを学園長の張ったシールドが消し飛ばしていった。
煙が舞う中、ちらりとフローの足下が見えた。その横にきらりと光る赤いものもあったのは気のせいだろうか。
「くるぞ!」
フロロが叫ぶ。アルフレートが片手を突き出すのが見えた。
次の瞬間に目に入った光景が、わたしが生きてきた中で一番恐怖を感じるものだったと思う。赤、赤、赤の波。ざざざ!という音は、凄まじいスピードで這い出る魔物が風を切る音なのか、床、壁、天井を擦る音なのか。
四方八方から襲いかかる口や触手モンスターにわたしとローザは腰を抜かす。あっという間に聖堂内を覆い尽くした大量の触手が表に向かい、窓を破り、壁を破壊する。隣りでローザが悲鳴を上げている気もするが聞こえない。
アルフレートが何か呟いたのが見えた。赤い波に混乱が起きる。わたし達の方へ向かってくる触手が次々と切り裂かれていくのだ。それを抜けたものもシールドに阻まれ四散する。更にそれを乗り越えたものをヘクター、イルヴァが片付けていった。
「いいぞいいぞ!」
フロロが飛び跳ねた。
暫くの間唖然としていたローザがふとわたしの顔を見る。
「これ……いつまで続くの?」
「さ、さあ」
そんな会話をしている間にもざあざあと赤い波は通り過ぎていき、こちらに向かってくるものはアルフレートの呪文に倒されていく。
「ルビーに集まった魔力が枯れるまで、ってところでしょう。ミーナ達だけならはっきり言って簡単に終ったんだろうけどねー。ちょっと厄介な人がいたのかな」
のんびりとした学園長の声にわたしとローザは頬を引き攣らせた。み、皆大丈夫なんだろうか。聖堂の外には今もアルシオーネさん達やデイビス達がいるのに。
「もうすぐ本体のお出ましかな?すぐに終るよ」
学園長がそう言う通り、少しずつだが触手の数が減ってきた気がする。潮が引くように徐々にではあるけれど、数を減らしていく魔物の数にほう、と息をつく。
すぱん、と最後の一筋をヘクターが斬りつける。床に落ちたそれが赤い血溜りへと姿を変えた。
「あれ……!」
ローザが立ち上がり祭壇方向を指差す。上半身を破壊されたフローの像の足下、転がる小さな赤いものは火のルビーなんだろうか。まるで熱を持ったように形が不安定な様に何かひやりとした。
ローザの手が引っ込む。彼女も気が付いたのだ。吹き出したばかりのマグマが蠢くように、形を変えるルビーは気のせいか大きくなっていっている気がする。
突如襲いかかる負の気配に気を失いそうになった。真っ黒な闇に体を覆われるような感覚。凍える空気。
目の前に現れたのは真っ赤な、火の権化というような女の姿だった。わたしの身長はありそうな頭を振り乱し、顔は怒りに狂っている。何かもがくような動きを見て、初めて彼女が腕を持たないのだと気が付く。いや、首から下が無いのだ。
彼女が怒りに口を開いたところで、風に吹き消されるように姿が無くなる。あっという間の出来事だった。
「混沌の女神の姿なんですかね。怖いですねー」
全く思ってないだろ、と突っ込みたくなる台詞を言いながら学園長が祭壇へと足を進める。ルビーに手を伸ばす瞬間、「あ」と言いそうになるが、学園長は何でも無いようにルビーを手に取り、軽く放った。
「急ごしらえの儀式だったんでしょう。それでこの効果ならすごいもんだ」
学園長の手の中にあるルビーは大柄の男性の握りこぶしぐらいある。神様の心臓と言われれば小さい気もするが、この大きさのルビーというとわたしは見た事がない。
「で、それはどうするんだ?」
アルフレートがルビーを顎で指すと学園長は苦笑する。
「そうですねえ、今までのように神殿に置いておくわけにはいかないでしょうね。またこんな災難が襲ってきたら今度こそ全壊してしまうかもね」
そう言って大穴、ヒビ、煤だらけになった大聖堂内を見渡した。




