悪夢に飲まれる
「危ないぞ!」
ガブリエル隊長の声と同時にヘクターに腕を取られる。
今まさにわたしが立っていた場所に、赤い触手がどすどすと突き刺さるのを見て、嫌な汗が流れた。ぎいぎいと妙な声に顔を上げる。地面に刺さる触手より一回り太いモンスターが、いくつもこちらに顔を向けている。神殿から伸びてきているということは、これが絡み付いているということか。
……全然ドラゴンやヒドラみたいなカッコイイもんじゃなかった。巨大なミミズのようなグロテスクさに目を背けたくなる。
牙がずらりと並ぶ口を動かす魔物には目も鼻も見当たらない。どうやって相手を認識しているのか分からないが、こちらが生物だと判断したのかいくつもの口と触手が集まってきた。
すぱん、と綺麗に口を斬りつけるヘクターに一瞬ときめくが、どろりと赤いものを撒き散らした後、くたりと果てる口だけモンスターに頬が引き攣る。
きもい。
「はいやあ!」
ガブリエル隊長も数本の触手と共に魔物の一体を斬りつけた。豪快な攻撃に何本かの赤い線が空を舞った。が、すぐに新しい口と触手が伸びてくるではないか。
「むむ、きりが無さそうだ!走るぞ!」
「はい!」
ガブリエル隊長に返事をするとわたしは神殿の入り口へと走る。もう走りっぱなしだ。腿が張る感覚に顔をしかめた。
神殿の入り口に近付くにつれ赤い魔物の数が増えていく。まるで巨大生物の中に入り込んだような錯覚。そうだ、これってやっぱサイヴァの心臓なんだわ。
危うく触手に腕が触れそうになる。わたしはドギマギしながら呪文を唱え始めた。ヘクターの姿を確認すると少し距離を取る。
「フレイムウィップ!」
わたしの右手から赤い炎の鞭が伸びる。円を画いて広がると、触れた触手を焼き尽くしていく。
んふふ、この呪文はもうモノにしたと言っていいわね。
そんな悦に浸っていると、
「はうあ!」
ガブリエル隊長の悲鳴がする。見ると触手と共に吹っ飛んでいく隊長の姿。
「も、もーそんな所にいるから!」
わたしの無理矢理な責任転嫁にガブリエル隊長は「す、スマン」と言うと鎧に残る炎の赤い跡を見て頬を引き攣らせた。 わたしが隊長の手を取り、立ち上がらせた時だった。悲鳴が聞こえた。騒がしい中でもはっきりと響き渡る恐怖の声に鳥肌が立つ。
ヘクターが弾かれたように走り出す。彼の走る先、神殿の入り口の前にいる姿に悲鳴を上げそうになる。わたしの二倍あるんじゃないかという巨体のワーウルフは、黒いシミターを天に掲げるように立っていた。その大きな剣の先、体の中心を貫かれた騎士が人形のように持ち上げられている。
頬のびりびりとした感触と隊長の表情で、彼が叫んでいることは分かる。が、不思議と音が止んでしまったように何も聞こえない。
ヘクターが斬りかかる直前に巨体のワーウルフ、ゴルテオがシミターを振るう。孤を描くように飛ばされた騎士をガブリエル隊長が受け止めた。だらりとする騎士の顔が隊長の腕の隙間から見える。さっきまで神殿の大聖堂の前で見張りをしていた彼だ。
ガブリエル隊長が動かないことから、彼が既に事切れているのが分かった。喉の奥が痛い。人の死に触れるのは初めてではない。でも、きっとこの感覚に馴れはこない。
大きな衝突音に体がすくむ。地面に叩きつけられたヘクターを見て、反射的に駆け出していた。が、わたしより素早くゴルテオに駆けていく姿があった。
「おおおおお!」
ガブリエル隊長が勇ましい掛け声と共に剣を振るう。がつん、というソードがぶつかり合う音。ゴルテオの目が細められた。
「早く中へ!」
立ち上がるヘクターに隊長が叫ぶ。
「こいつは私がやる!早く元凶を断ってくれ!」
ガブリエル隊長の気迫と彼の目に、わたしとヘクターは大きく頷いてみせた。
「どこにあるのよ、火のルビーは!」
自分でも分かる苛立った声を吐き出す。神殿内に入ってすぐだった。
「下がって!」
ヘクターはそう言うと、地面からはい出てきた触手を剣で撫いだ。床に空いた穴と、姿を見られた小動物のように戻っていく触手を見てふう、と息をついていると向こうから見知った顔が駆けてくる。
「リジア!」
「サラ!」
揺れる栗色の髪の少女に手を振ると、サラは神殿の奥を指差した。
「今、皆で手分けして居残った人を避難させようって話しになったの。塔は崩れていくし、窓からは魔物が入ってくるし危ないわ」
サラの言葉にわたしは頷く。サラは首を振った。
「冒険者の人や警備兵の人は頑張って相手してるけど……はっきり言ってきりが無いのよ」
「元を断たなきゃダメって事ね」
「火のルビー……サイヴァの心臓ね?」
わたしはもう一度サラに頷く。また別の足音が聞こえてきた。太い、力強い声がエントランスに響く。
「じゃあ手分けして僧侶達の避難と、ルビーの探索だ」
「デイビス」
わたしは大きなバトルアックスを担ぐ戦士に手を上げた。
「お前らどこ行ってたんだ?中はひでえもんだぜ。避難させようにも中には『認定式はどうなるんですか?』なんて言う馬鹿もいるしよ。殴りたくなるぜ」
デイビスはそう言うと、苛立たしげに拳を手の平に叩きつける。
「殴んないでよ?」
わたしが言うとデイビスは首をすくめた。
「まさか、アントンじゃあるまいし。……とりあえずサラと俺は向こうから回る」
右を指差す彼にヘクターが頷いた。
「俺達はこっちから回る」
左手を指すヘクターにわたしは頷いた。
軽く手を振るとデイビス、サラと別れ神殿内を駆け出す。話しの通り、酷い惨状の廊下に唇を噛んだ。ほんの少し離れていただけだというのに、暴れるサイヴァの心臓によって窓は割られ、壁はヒビが入り廃屋のようだ。今も窓の外ではグロテスクな赤い魔物がうねうねと不気味にうごめいている。まるで久方振りに血が通ったことを喜んでいるように。
「魔力を集めて……ってことは神様の原動力ってマナの粒子なのかしら」
今考えてもしょうがないことだが、わたしは呟いていた。
割れた窓の隙間から牙を覗かせた口だけモンスターが入り込んでくる。ヘクターが軽く切り捨てるが、既に次の魔物が伸びてきていた。
「エネルギーボルト!」
わたしの放った魔力の塊が魔物を吹き飛ばした後、壁に穴を明けて表の空へ飛んで行く。
「……ごめん」
気まずく謝るわたしにヘクターが首を振った。
「い、いや、大丈夫じゃないかな。これだけ荒れてるんだから、リジアのせいだなんて誰も思わないよ」
そう慰められるが、やっぱり室内じゃわたしは手を出さない方がいいな。そう思う。
再び走り出し、何度目かの角を曲がると治療所に繋がる廊下に出た。静かだということはこっちの方にいる僧侶達は避難済みかしら。そう思った時、見覚えのあるふわふわ頭が治療所から出て来たではないか。
「サム!」
「あー、お二人も無事でしたかー!」
綿雲頭の下で人の好い顔が笑った。
「サム、あなたも神殿を離れた方がいいわ」
わたしがそう声を掛けるとサムは困ったように眉を下げる。
「はあ、僕もそうしたいのは山々なんですけどねえ」
「何よ」
サムは返事の代わりに今出て来た治療所の扉を指差した。
「あーリジアですう」
治療所を覗き込んだわたしの目に飛び込んできたのは大きなウォーハンマー。それを軽く担ぐ美少女がわたしに間延びした声を出した。
「イルヴァ、無事だったのね」
「もちろんですよー」
にへ、と笑うイルヴァの後ろから声がかかる。
「おう、戻ってきたか」
治療所のベッドの脇にしゃがみ込んでいるのはアルフレート。その彼が手をかざすのは……。
「レオン……」
ベッドに横たわる少年にわたしは青ざめる。すると同じくベッドの脇に座り込んでいるウーラが顔を上げた。
「大丈夫です。魔力を失って気を失っているだけのようですから」
「おい、誰が『大丈夫』にしてやったんだ?」
アルフレートが手を引っ込めながら目を細める。ウーラの顔が一瞬で仏頂面に変わる。
「助かった。礼を言う」
棒読みの彼女に驚いてしまった。アルフレートが言ってたけど、ドラゴネルって本当にエルフが嫌いなんだなあ。どういう理由なんだろう。それでもアルフレートは満足げに頷いている。このエルフはこんなだけど、他のエルフはもっと良い人だと思うんだ。
「レオンも魔力を吸い取られたのか」
ヘクターが驚いたような声を上げた。そうだ、レオンまで……ということはどういうことなんだろう。と思ったところで、あの偽神官の顔を思い出す。彼がご臨終しちゃったから?完全に頭数揃えに使われた感じだ。
「ようは誰でも良いんだろ」
わたしの言いたいことを見越したようにアルフレートは吐き捨てると立ち上がる。そうなんだろうか。そうとしか思えないがひどくひっかかる。
「ウーラ、少年を連れて神殿を離れろ。ついでにそこで震えてる坊主も連れてってやれ」
アルフレートは部屋の隅で身を縮めているサムを指差した。ウーラは何か言いた気に口を開くが、黙ってレオンを担ぎだした。
「エミール王子や他の神官達はどうしたか知っているか?」
ヘクターがアルフレートに尋ねるとふー、という溜息が返ってくる。
「あの王子は護衛の奴らが真っ先に連れ出した。僧侶の下っ端は追い出したが、上の方の人間は頭でっかちで駄目だな。法王はじめ大神官、神官クラスも神殿を守る方が大事なんだと」
うーん、そうか。でもそうなると法王達もルビーの場所は知らないのね。知ってるなら真っ先に動いてるだろうし……。
「皆さんも気をつけて」
ウーラがレオンをおんぶしながらこちらに声をかけてくる。目を閉じるレオンの顔を見てはっとする。
「あ、そうだ!レオンの魔力が出て行く時って光が体から出て行くみたいになってなかった?」
わたしははやる気持ちを押さえながらウーラに尋ねる。
「そうです、マナの量が多かったので起きる現象じゃないでしょうか」
「そ、その光ってどっちの方向に向かってるように見えた!?」
「ルビーの場所か」
わたしの質問の意図が掴めたのかヘクターが呟いた。ウーラは迷うことなく一つの方向を指差す。
「大聖堂の方向だと思います。丁度向かっている最中でしたから」
「いくぞ」
皆まで聞く前にアルフレートが走り出す。イルヴァがそれに続いた。
「ちょ、ちょっと抜け駆けすんな!……ウーラ!ありがとね!」
わたし、ヘクターも慌てて廊下に飛び出す。先頭を行くアルフレートを追いかけながら、四人で走る。
「帰ったらしばらくは何もしないぞ」
アルフレートが疲れ切ったようにうめく声が聞こえた。