震怒の女王
自分の心臓の音が周りにも聞こえている気がしてしまう。そんな静寂。わたしはサイモンの手を持ちながら狭い階段を下りる。
マーゴが案内するのは孤児院の建物の脇、庭の隅に入り口を構える地下道だ。利用者で無ければ存在に気付かないような、カモフラージュが施された入り口からするに、ここが何の目的で存在するのか何となく窺える。
結構な段数を下りた感覚の後、現れた暗い一本道をマーゴが戸惑う様子も無く進み続ける。何の為にわたし達を連れてきたのだろう。今更ながら考え始めてしまった。そして何故自分が彼に付いてきたのかも。
「さ、中へ」
愛想を微塵も感じない声で言うと、マーゴは右手にある扉を開けた。獣脂の蝋燭の臭いが鼻をかすめる。
「ミーナ!」
サイモンが中へ駆け出した。背の低い簡素な寝台に、横たわるミーナとハンナさんの姿を見るとわたしも思わず駆け寄りそうになるが、後ろにいるマーゴへ視線を送る。
「……あなたには聞きたいことが山ほどあるわ」
「でしょうね」
感情の読み取れない返事にかっとするが、マーゴの瞳を見て思う。レオンの言っていた『孤児院で唯一、人間らしかった』というのは、彼から嘘偽りを感じないからじゃないかしら。少なくとも相容れない悪人とは思えない。
「まず聞きたいのは、ミーナ達は無事なの?」
目を開けない二人にわたしは内心ひやりとしたものを感じながら尋ねる。
「眠っているだけです。少々、目を覚まし難い状態ではありますが」
マーゴの返事にわたし、ヘクターはほっと息をついた。ヘクターがマーゴに警戒を解かない様子を見て、わたしはミーナ親子の側へ駆け寄る。深い呼吸が眠っている状態だとよく分かる。もう一度大きく息をついた。わたしはマーゴに質問を開始する。
「二人はこの孤児院の出なの?」
マーゴが静かに頷いた。
「ミーナはまだ物心つく前にいなくなったので覚えていないのでしょうね。そしてハンナは故意に記憶を消されている。だからあなた方の情報源になり得なかったのは仕方が無い」
「記憶を消された?」
思わず聞き返すわたしの顔をマーゴはじっと見る。相変わらず感情が読めない。 「何かの拍子にここの情報が流れないように、そういったことをしていたんですよ。勿論、今はやっていない習慣ですが」
レオンは記憶が曖昧だ、と言っていたけどハンナさんのようにこの街にいた記憶も無いわけじゃなかったものね……。考えるわたしにマーゴは言葉を続ける。
「子供を産むと記憶が蘇るはずだったんです。そしてこの街に戻るはずだった。子供を連れてね」
わたしとヘクターは顔を見合わせていた。それで……。子供が出来なかった彼女は記憶が戻ることもなく、孤児院側は子供がすでにいるのに戻らない彼女に慌てたといったところかしら。
「何の為にそんな事を?」
わたしは一番聞きたかった質問をぶつける。
「当時、あまり良い評判の無かったここに近隣住民が押し掛けるといったことがあったそうです。その時の養父が住民に『子供達をしかるべき施設、家庭に預ける』ことを条件に、周りを宥めたんですよ」
「一度放流して、帰ってくるのを待つってことね?」
わたしの言い方が面白かったのか、マーゴが軽く笑みを見せた。
「そういうことです。大抵の子は新地で記憶を取り戻し、その地で新たに教団を作る。選ばれた数人はここに戻る。ハンナはその選ばれた側だったのに記憶が戻らなかったので、少し慌てたみたいですね」
「『みたいですね』って……、随分他人事なのね」
わたしが言うとマーゴは憂いのある表情を見せただけだった。答えが無さそうなので次の質問に移ることにする。
「教団、って言ったわね。ここはサイヴァを祀る団体が本当の姿、ってことでいいのかしら」
「……本来ならね。今現在は少し離れてきている。そしてまた本来のあるべき姿に戻ろうとしている段階、ってところでしょうか」
彼の答えにわたしは眉をひそめる。どういう意味なのかしら。飲み込めない状態に、再びわたしが質問しようとした時だった。ばたばたと走るような足音にびくん、と肩が震える。ヘクターがロングソードを素早く抜き、構える。足音の主は現れるのと同時に、マーゴへ飛びかかった。
「どういうことなの!裏切り者!」
髪を振り乱しマーゴの腕を取る人物のあまりの迫力に、わたしは固まってしまった。
「もうすぐ蜘蛛が現れるというのに……あなたは私の教団をめちゃくちゃにしてくれたわ!」
「……まだ分からないんですか、リョージャ?あなたの『教団』なんて既に存在しないんですよ」
血走った目の院長、リョージャにマーゴは諭すような声を掛ける。痛いような沈黙が広がった。
「あなたの教団なんて大分前から存在しない」
マーゴがもう一度告げる。リョージャの顔がひどく歪んだ。
「……私は女王よ。サイヴァもそう告げている」
「ええ、あなたはこのちっぽけな孤児院の女王だ。それは変わりない」
「だったら……」
リョージャが再び腕を振り上げた時だった。
「何これ!?」
サイモンの悲鳴にびくりとする。振り返るとミーナ、ハンナさんの胸元から何かの光が漏れ出しているのに気が付いた。慌てて駆け寄ってみてはっとする。魔力が漏れ出している?喉と胸元の間から出る光に、わたしは前回の冒険でアルフレートが見せた『魔力譲渡』の呪文を思い出していた。炭坑の呪いによって魔力を吸い取られた魔術師に、アルフレートが自分の魔力を押し付けていたのがこの辺だったはず。そこから光が出ているんだから、今度は急速に魔力が出ていってるんじゃないだろうか。
「始まったか」
扉からの声に振り向くとマーゴ、リョージャ共に膝をついていた。彼らの胸元からも光が出ているのが分かる。
「は、始まったって、何が!?」
声の主マーゴに聞き返すと、彼は苦しそうな表情のまま立ち上がる。ミーナ達の方へ足を引きずる彼に、ヘクターが剣を構え直した。4人から漏れ出る光がどんどん増していく。眩しいと感じる程の光の渦と巻き起こる風に頭がくらくらする。
「我らの女王の復活ですよ」
マーゴが呻くように呟いた。女王って……。一瞬リョージャに目を移すがわたしは首を振る。女王……サイヴァのことだ。
「何してるの!?」
ミーナの胸元から出る光に、手を当てるマーゴにわたしは詰め寄った。
「死なれたら困るでしょう?」
その言葉に彼のしようとしていることが分かる。『魔力譲渡』だ。でもあんたもやばいぐらい吸い取られてる状態じゃないか!このアホ!あんぽんたん!そんな罵倒を頭に浮かべながら、わたしはマーゴを突き飛ばす。
「な、何してるんです?」
「あんたにも死なれたら困るのよ!まだ聞きたいこと一割も聞けてないわ!」
わたしはミーナ、ハンナさんの胸元に手を押し当てると、アルフレートが唱えていた呪文を紡いでいく。不得意分野だからやったことないけどね!そんなこと言ってられない状況だし。
「む、無茶ですよ、二人同時だなんて……。それに回復したそばから流れていく。あなたも危ない」
玉のような汗を浮かべながらマーゴが言うが、わたしは彼を睨みつけた。
「うるさい!人にあげるほど有り余ってんのがわたしの自慢なの!」
コントロールに苦しむ魔力がこんなところで役に立つとは。魔力が急速に失われる初めての感覚に、更に増していく光の波。
「リジア!」
ヘクターが後ろに駆け寄ってくるのが分かる。ごめん、でも止めるわけにいかない。だってミーナもハンナさんも死んじゃうかもしれないし。初めて味わう疲労感にどきりとした。
視界の隅でマーゴが床に倒れるのが見える。はっと顔を上げた。
「……止まった?」
サイモンが腰を抜かしたように崩れた体勢から呟く。部屋を見渡すと四人の体から出ていた光が消えている。慌ててミーナ、ハンナさんの手を取るが、暖かく脈打っているのが分かる。ふー、と大きく溜息をついた。
「う……」
マーゴのうめきに少しほっとする。彼も何とか切り抜けたようだ。リョージャは?と顔を向けた所で体が傾く。
「なになに!?」
立っていられないほどの振動に悲鳴が漏れた。ベッドが動く程の揺れにぱらぱらと小石が頭を打つ。
「地震!?」
「そんなもんじゃないだろ!」
サイモンの問いに答えながらヘクターがわたしとサイモンの腕を引っ張る。彼に抱えられながら身をすくめているとマーゴが顔を上げた。
「街が……」
その呟きと同時に揺れが収まった。わたしはマーゴに駆け寄る。
「街?何が起きたのよ!」
「蘇った……、彼らによって……」
表の方向を指差すマーゴの言葉に、わたしは急速に不安が押し寄せる。
「……後でたっぷり聞くわ。サイモン、ミーナと一緒にいて」
そう告げるとわたしとヘクターは表に飛び出した。
「何よ、これ……」
自分の擦れた声に戸惑う。孤児院の敷地から出たわたし達の目に飛び込んできたのは逃げ惑う人々の姿。皆の指差し見上げる先を見て、体が硬直した。街のどこから見てもそびえ立つ様が伺える神殿。そのにょきにょきと生える塔の群れに絡み付く赤い物は何なのだろう。
「……竜?」
ヘクターが眉間に皺寄せながら呟いた。そう、神殿に絡み付くのは生き物のようにうねる動きを見せているのだ。竜か、はたまたヒドラのような多頭生物にも見える。あれが……もしかして復活したサイヴァの心臓だったりするんだろうか。予想しなかった姿に鳥肌が立つ。
「行こう」
ヘクターの声にわたしは頷くと、人々の走る隙間を縫うように駆け出した。ぶつからないよう神経を使うがこの不安の固まりのような流れを止める自信も無い。
「皆無事かしら!」
聞いても分からないと思われる質問だが、不安からヘクターにぶつけてしまう。
「きっと大丈夫!」
返して欲しかった通りの返事にほっとすると同時に申し訳なくなる。神殿にはローザ達、街に出ていたデイビス達もこの騒ぎにきっと戻っているに違いない。
わたし達も戻ったところで何とか出来るんだろうか。あの竜のような生き物を。だって本当にあれがサイヴァの心臓だとしたら、神様の一部だよ!?
「あれを復活させる為に……ミーナ達を連れ出したんだろうな」
ヘクターの言葉に頷きつつも考える。わざわざ連れ出さなきゃならなかったんだろうか。ヘクターが振り向き答える。
「さっきの部屋、ベッドの下に変な魔法陣があったんだ」
「何か儀式を施したってことね?」
そうとしか考えられない。「足」となる予定のミーナ達は彼らの元に戻る必要があったんだ。今日という日に復活を間に合わせる為に、きっと何か特別な処置があったのだろう。
「この日にこだわった理由があれなのね」
走りながらわたしは神殿を見る。あそこには法王を始め神官達、そして多くのフローの信者がいる。今が一番、フロー信者が集まっている時なのだ。
父親らしき初老の男性の肩を持つ女の人、その脇を通り過ぎた時だった。ヘクターの足が止まる。合わせて立ち止まり、前を見て息を飲んだ。通りの先に大きなシルエットを作るのは獣人ハーネル。向こうも気が付いたのか振り返る。
「よお!びっくりだよな!あれ、見たかよ」
おどけた様な言い方にわたしは目を丸くするが、隣のヘクターは黙ってロングソードを引き抜いた。ハーネルは首に手を当てこきこきと鳴らすと、ふうと息をつく。
「俺も今は疲れてんだけどなあ。まあ仕方ねえ」
その言葉にわたしははっとする。神殿に絡み付く赤い螺旋に目をやった後、ハーネルを見た。
「……あなたもアレの復活の為に力を取られたってことね?」
わたしの質問にハーネルは肩をすくめ、笑う。
「俺も『足』にされてるんでな。しょうがねえや」
『足』にされてる……。彼も仕方なく、って意味なのかしら……?
そこまで考えてから先程の光景を思い出す。リョージャは?彼女は女王であって『足』ではないはずよね。マーゴも言っていたけど、リョージャも無理矢理『足』にされたってこと?誰に?幹部を集める役の『女王』は誰になっているのか……。
「下がって」
ヘクターの声にはっとする。ハーネルが黄金色のソードを構える姿に、わたしは下がりながら自分を奮い立たせる。
最低限でも足手まといにはなってはいけない。二人の間合いを見つめ、自分にやれることを必死に考えた。