憂う青年
一度確認するようにわたしの顔を見たヘクターが小さめの扉を開け放つ。わたしは半ば予想していたものの、中にいた人物に驚きの声を上げた。
「フロロ!サイモン!」
さるぐつわに両手足にはロープという可哀相な姿の二人。ぐったりとした様子に息を飲むが、フロロの目がぱちりと開きなぜかこちらを睨んでくる。
あ、そうだ助けなきゃ!
わたしが二人の体に乗っかる箒やバケツを引っ張り出し、ヘクターと学園長がフロロ、サイモンを抱え上げた。
「エライ目に合ったぜ……」
さるぐつわを解かれたフロロが大きなため息と共に低い呟きを漏らす。
「何があったんだ?」
ヘクターが尋ねながらサイモンの体を縛るロープを、ソードの刃を当て切り取った。
「嗅ぎ回り過ぎました?」
学園長がにやりと笑うとフロロは顔をしかめる。
「おっちゃんも来るの遅いぜ。その分だと分かってたんだろ?俺もサイモンも危うく口封じに殺されるところだったんだからな」
「ええっ、大丈夫だったの!?」
わたしは思わず悲鳴混じりに叫ぶ。フロロは体の調子を確かめるように肩を回しながら答える。
「『猫の怨みは怖いんだぞ』って言ったら、とりあえずこの状態で済んだ」
「へえ……」
確かに怖そうだけど、それでビビる相手も気が弱いというか何と言うか。
「気を失ってるみたいだな」
廊下の壁に身を預け、目を閉じたままのサイモンにヘクターが眉間に皺寄せる。アルシオーネさんがサイモンの様子を調べ始めた。
「可哀相に。頭にコブが出来てる」
ほう、とため息をつくと回復の呪文を唱えだす。その間にわたしはフロロから話しを聞くことにした。
「アルシオーネさんの部屋に行ってからどうしてたのよ」
わたしの質問にフロロはもう一度肩をすくめた後、「エライ目に合った」話しを語り出した。
フロロがアルシオーネさんの部屋を訪ねることになったのは、アルフレートからの「法王と行動を共にしていたメンバーを知りたい」という指令の下だった。
何かリストのような物を、と彼女に伝えると快く引き受けて貰えたものの、隣の部屋で休んでいるはずのミーナ達の気配が無い。耳の良い彼には当然聞こえるはずの『寝息』すらも無い状態だったという。
不信に思い、アルシオーネさんと共に部屋を覗き込むと、中はわたしとヘクターが見たのと同じ、ついさっきまで布団にいたような跡だけを残した無人の部屋。
慌てたものの三人が万が一戻ってきた時の為にアルシオーネさんには部屋に残ってもらうようお願いして、フロロはその場を後にしたという。
「なんで俺達の所に戻らなかったんだ?」
少し責めるようにヘクターが尋ねた。彼も心配だったのだろう。フロロは短いため息をつく。
「戻ろうとしたよ。でも廊下出たと思ったらいきなりサイモンと知らないオッサンの争う音が聞こえちゃったんだよ」
わたしはアルシオーネさんの部屋の扉を見た後、男の部屋を見る。こんなすぐ近くだもの。フロロには音がまる聞こえだったんだろう。
「いくら俺がひ弱だっていっても、放っておくわけにいかないだろ?騒ぎになりゃ誰かしら来るだろ、とも思ったし。そしたらいきなり変な呪文掛けてきやがってあの野郎」
「あの野郎、って薄い茶の髪のオッサン?」
わたしが尋ねるとフロロは頷く。ザネッラ偽神官で間違いないようだ。
「それで二人とも掃除用具と共にされる、と。問題はミーナ親子ですね」
学園長はそう言うとちらりとサイモンを見た。治療が終わったらしく、アルシオーネさんが頷く。
皆揃ってサイモンの顔を覗き込んでいると、サイモンの瞼が痙攣し始めた。
「う……」
眩しそうに薄目を開ける彼を見て、わたしはほっと胸を撫で下ろす。
やがて目を見開くと驚いたようにわたし達を見回すサイモンにフロロが手を差し出した。
「起きたばっかで悪いんだけどさ、あんまり悠長にしてらんないから何があったのか答えてもらうよ」
サイモンはしばらく何か聞きたそうにしたり、何から言えばいいのか分からないようにわたし達の顔を交互に見ていたが、こくこくと頷いたのだった。
「ミーナとミーナのお母さんとフェンズリーの話しとか、マザーターニアの事とか話してたんだ。……そしたら知らないおじさんが入って来た」
「部屋を尋ねてきたのね?」
たどたどしく話すサイモンにわたしが聞き返すと、彼は首を振る。
「いきなりいた……よくわかんないけど」
いきなり……。扉を開ける気配も無く突然その場にいたということだろうか。
「そしたらフワフワした気持ちになってきて、外に行かなきゃいけない気になって、部屋を出て……そっから気が付いたら知らない部屋にいて、ミーナもミーナのお母さんもいなくて『こいつは消しとくか』とか言ってるからびっくりして」
「部屋っていうのはザネッラ神官の部屋?」
わたしはそう聞きつつも、サイモンには分からないか、と思い直す。案の定再び首を振るサイモン。
「よくわかんない」
サイモンは悪くないとわかりつつも皆、落胆の息をつく。オロオロとするサイモンの頭をヘクターが撫でた。
「どうしよう、僕、何も出来なかった」
「出来るようになればいい、これから」
慰めるヘクターの言葉にわたしも頷く。
しかし何も情報は無しか。多分ミーナ達は他に移動させた後、必要のないサイモンだけを自室に連れ帰ったという流れなんだろうが、肝心のミーナ達の居場所が何も掴めない。あのザネッラ偽神官は最後っ屁と共にお亡くなりになるし、どうしたもんか。
すると学園長がすっと立ち上がる。
「アルシオーネ、あなたはまた部屋に残っていてくれないか?皆さん、他のメンバーに会うことがあったら『何かあったらアルシオーネの部屋に行くように』と連絡を取ることにしましょう」
「じゃあ俺はおっちゃんと行くか」
フロロも立ち上がる。サイモンも慌てて立ち上がった。それを手で制すヘクター。
「アルシオーネさんの部屋にいるんだ」
サイモンの顔が見る見るうちに歪む。
「サイモンも一緒に行かない?」
わたしは思わず提案してしまった。ヘクター、サイモンまでも驚きの顔で見てくる。わたしは既に廊下を歩いて行くフロロと学園長をちらりと見ながら言葉を続けた。
「ほら、もしかしたら神殿を回ってるうちにサイモンが『こっちの方に来たかも』とか思い出すかもしれないし」
サイモンはあまり自信が無いのか困った顔になるが「頑張ってみる」と呟く。
「……じゃあそうしてみようか」
ヘクターが腰に手を当てながら苦笑した。アルシオーネさんがくすりと笑う。
「大丈夫、彼が一番ミーナを救いたいと願っているのだから」
そう言うとアルシオーネさんは何かを唱えだした。
「皆さんにフローの加護がありますように」
ヘクター、サイモン、わたしのおでこに指先から漏れる光を当てる。暖かい光に触れると、とても気分が落ち着いてきた。何か祝福の呪文なのだろう。
「……明るくなってきたわ」
時間がない。わたしは窓から見える空がピンク色になってきたのを確認し、探索を続ける気合いを入れ直した。
「こっちは見たっけ?」
「最初の方に回ったんじゃない?」
ヘクターの質問に答えながらわたしは広い神殿にため息をつく。
「案内図みたいのがあちこちにあればいいのに。手元に地図があるのが一番いいけど」
言ってもしょうがない不満を言いつつ廊下を歩く。サイモンが何か気になる物を見つけたように曲がり角の先を見ているのに気が付いた。
「……何かいるよー」
指差しながら走っていくサイモンにわたしは慌てる。
「そっちは厨房でしょ?」
まさかお腹空いたんじゃないわよね、なんて思いながら追い掛ける。すでに朝食の用意が始まっているようで、良い匂いと暖かい空気にぶつかった。サムいるかな?と思うが、ぱたぱたと走るサイモンが厨房を逸れ、突き当たりにある簡素な木の扉に飛びついた。
「何かって何がいたの?……あ、ここからも出られるんだ」
表の清んだ空気に触れ、わたしは息を吸い込む。顔を上げた瞬間、体が固まってしまった。わたしの反応にヘクターがロングソードに手を掛けるのが分かる。
まだ薄暗い空の下、神殿を囲む高い塀と植え込みの間に佇む人物。明け方の色合いに溶け込んでしまいそうな細い体の彼、マーゴは真っすぐわたしを見ている。声を掛けようとしたわたしの動きより素早く、口元に指を立てた。
「黙ってついてきなさい。ミーナ達が心配でしょう?」
静かだがよく通る声にぞわりと背中が震え、次の瞬間には怒りに顔が熱くなる。彼はミーナ達がどこにいるのか知っている。そして『従わないと』どうなるかわからないよ?と言っているのだ。
わたしはヘクターに目で合図する。彼の手が剣から離れた。サイモンもわたし達の様子を見てなのか顔が強張っている。わたしが足を踏み出したのを了承と受けとったのか、マーゴは音も無くローブをひるがえし歩き始めた。きい、と小さな音を立てて裏口から街へ出る。見回りを警戒してなのかマーゴは素早く脇道に入っていった。
「……帰らなかったんですね」
前を行くマーゴが呟いた。警告を無視した事に咎める様子と残念そうな空気。わたしは緊張しながら返す。
「神殿から拉致なんて大胆な行動取られるとは思っていなかったのよ」
返事は無い。マーゴは黙って歩き続ける。ヘクターから『誰?』という空気を感じるが、何も聞いてこないことが有り難かった。わたしとアルフレート以外はマーゴの顔も知らないんだもの。
何度か道を曲がるとだんだん地理が掴めてきた。間違いない。『青空のお家』に向かってる。デイビス達と鉢合わせしたりしないか心配になってきた。前を行く男が何をするか分からないからだ。
「こちらへ」
思ったより早い段階でどこかの敷地内に入るよう促される。小さな門を入ると細い道が続いていた。歩き始めて気が付く。アーチのように覆い茂る植物に、等間隔で置かれた飛び石を見るに、孤児院へ繋がる私道なんじゃないだろうか。案の定、見覚えのある建物が頭を覗かせる。暗い中にあるそれは、前に訪ねた時よりもずっと不気味で近寄り難い雰囲気に包まれていた。
「……孤児院?」
ヘクターの小さな呟きにわたしは頷くと、再び現れた門の脇に掛かる木の板を指差す。『青空のお家』そう書かれた看板が、誰にその存在を指し示しているのか不思議な物に感じた。