消えた仲間
「ああー、私の『マッシュルームオイル煮』ちゃん……」
泣き声を上げるのはセリス。まだ夕飯の途中だったらしい。
「私の立場でこんな物を閲覧していいのかしら」
眉を寄せつつ呟くのはサラだ。
「にしても、きっかり二人しか戻らないってどういう事よ」
ローザが二人を連れて来たヘクターを睨む。
「いや『どうせ俺らが帰ってもやる事なさそうだし』って言われちゃうと……」
ヘクターは頭を掻いた。デイビス達はきっちりとお腹を満たして帰るつもりらしい。意外と淡泊な関係なのね……。
「別に構わんだろ。役に立たないのは本当なんだ」
アルフレートがぴしゃりと言うとセリスも頷く。
「確かに!煩いだけだしね!」
はははーと笑う彼女はやけっぱちの雰囲気だ。わたしはやたら小難しい文体の記述にいらいらしながら文字を指で追っていく。ふと隣に座るヘクターを見た。
「ヘクターもご飯、済まして来てもいいよ?まだ途中だったでしょ」
「いや、そういうわけにもいかないよ」
苦笑する彼を見て無性に頭を撫でてみたくなる。向かいでサラが溜息をついた。
「ほんと、何なんだろ、この差は……」
「サラはイルヴァが応援しますよー」
イルヴァがサラの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ほんとに何か役に立つ情報でもあんのかよ」
役に立たないアントンがぼやく。サラがその彼を睨みつける。アントンは少し居心地が悪そうに腕を組み直した。
「でも確かにどういう情報を探せばいいの?さっきから全然関係ない話題ばっかでさあ。何処何処を修復した、とか誰々が神託を授かったとか知らないっつーの。『サイヴァの心臓』だけだと記述を誤魔化してる部分もあるかもしれないわよ?」
血走った目をしたセリスの意見にはわたしも同感だ。昼間アルフレートが言っていたように、この神殿記を書き記した昔の神官が『サイヴァ』だとかそういう言葉を避けていたのだとしたら、何か隠語的な言葉で書いているかもしれないし。
イリヤが首を傾げた。
「認定式に乱入するのは間違いないんでしょ?だってわざわざ日にち合わせてるんだし。で、それだったらその『サイヴァの心臓』っていうのもこの神殿の何処かにあるんじゃないの?」
皆揃ってイリヤの顔を見る。それにびっくりしたのかイリヤは目を大きくすると気まずそうに身を縮めた。
「……発言に感心したんだから自信持ちなさいよ」
ローザがイリヤの腕を突く。アルフレートがページを捲る手を止めた。
「その神殿の何処にあるか、が問題なんだよ。何しろ奴らも三十云年掛かってようやくたどり着いた答えなんだ」
アルフレートの言葉にわたしは驚いて彼を見る。
「三十云年……って、まさか孤児院が出来た時からってこと?」
「そうなんじゃないか?別に騒ぎ起こしたいだけなら、さっさと八人揃えて、神殿に突っ込むなりすればいい。それが長々と居座って何をするわけでもなく……、そもそもなんでこんなフローのお膝元に乗り込んだりするんだ」
そう言って舌打ち一つ。言われてみれば変な話しではあるけど、それだとその三十云年掛かった調べものを今、早急に調べろって事じゃないか。
「でも結局、相手の方も準備不足なんだよなー。蜘蛛の足だっけ?ハンナさんもミーナもレオンも、本人達に自覚も無いのに勝手に頭数に入れてただけじゃん」
デイビスが頭の後ろで手を組み、天井を仰ぎ見た。
「そこは『媚薬』で何とかしちゃうつもりだったんじゃないの?」
セリスが言うとアルフレートは首を振る。
「別に他の宗派のように信仰を誓わなくてもいいのかもしれない。『その場に女王が決めたメンバー全員が揃っていれば』良いんだったら?」
「……認定式には集まってるわね。少なくともその三人は」
ローザが真顔で呟いた。でも、それなら獣人達がミーナに見せた執着は何だったんだろう。レオンにしてもハンナさんにしても、とりあえずこの街に呼び寄せただけのような感じだが、ミーナに関しては少し違う気がする。
「……洗脳が終ってなかったからかしら」
「うん?」
わたしの小さな呟きにヘクターが首を傾げる。わたしは「何でもない」と頭を振った。にしてもちょっと眠くなってきていたりする。……今日は起きるの遅かったのになあ。誤魔化すように目の前の本のページを捲った。
「あ、それ大聖堂のフローの像?」
ヘクターがわたしの手元を指差す。本に描かれているのはフローと思われる女神像のスケッチ画だ。
「そうみたい。祭壇の裏にあった大きいやつだね、きっと」
ポーズに見覚えがあるし、なにより描かれている場所があの大聖堂の広いホールだ。
「でもこんな目が赤かったっけ?」
ヘクターがスケッチ画の女神像の頭部分を指した。その絵の中の女神像は右目が赤く彩色されているのだ。確かにこんな目立つ装飾だったら忘れるはずないんだけど。わたしは絵の説明の記述を探す。
「どれどれ、……えーっとこれは火のルビーなんだって。大昔の聖騎士が神殿に持ち帰った物で……」
そこまで言ってからわたしとヘクターは目を合わせる。
「火の……ルビー」
「見せてみろ」
アルフレートが本を引き寄せる。眉間に深い皺をよせ、本を凝視するとローザに向かって手招きした。
「おい、何故今ある女神像にはこのルビーが無いんだ?」
ローザは怪訝な顔をしながらやってくると本を覗き込む。
「これ、多分大昔のやつなんじゃないかしら。今と微妙に像の形が違うもの」
同じようにしか見えないけど、ずっと見てきた人には分かるんだろうか。わたしの表情を見たのかローザが説明を続ける。
「ほらここ、稲穂があしらってあるでしょ?これが今のだともっとぶわー!ってあるし、手のポーズも微妙に違うわ」
「これなんじゃないか?」
ヘクターが聞くが、ローザは何の事か飲み込めないようだった。
「これって?このルビーの話しは聞いたことあるわよ。何でも邪神と戦った聖騎士様が命と引き換えに邪神を封印するって伝説」
「ビンゴじゃないか」
アルフレートは呆れた顔で本とローザを見比べた。皆の目線に非難の色を感じたのか、
「だって『サイヴァの心臓』なんて言葉、聞いたことないわよ!」
ローザはぷりぷりと怒り出す。アルフレートはうるさそうに手を払うとローザの顔に人差し指を突き付けた。
「お前はその話しを誰から聞いたんだ?」
「お父様よ。小さい頃におとぎ話の一つみたいな感じで聞いたの。だから皆知ってるような話しかと思ってた」
ローザの話しにわたしは声を上げる。
「学園長は知ってるってことね?学園長、だからこっちに向かってるんだわ……!」
カミーユさんの言っていた学園長が慌てる様子で出発したという話しを思い出す。
「おいおい!」
アントンが急に何か思いついたように声を荒げるので、皆、彼の顔を見る。
「聖騎士がルビーを持って来たんだろ?なんで命と引き換えに封印したのに、持ち帰れるんだよ」
「うわ、超どうでもいい」
セリスが間を置かず突っ込んだ。……なんでそういう揚げ足取りは反応早いんだろう。皆の目線が冷たいことに気が付いたのかアントンは「気になるだろ!」と吠える。
「……邪神を封印するのに命を落とすんだけど、フローがその後、聖騎士を自分の従属神にするの。闘神として蘇るのね。それで神殿にルビーをもたらすのよ」
ローザはそう説明すると「これでいい?」と締めくくった。
「へー、面白い話しだね」
イリヤの感心した声が妙に部屋に響いた。アントンは気にいらないのかイリヤを睨む。
「な、何……?」
怯え顔のイリヤが気の毒だ。
「で、何で今ある女神像にはルビーが付いてないんだ?」
ヘクターの質問には首を振るローザ。
「たぶん、だけど古いから交換したんじゃない?あんな大きい物でしょ?倒れたら危ないし。とはいっても大分昔の話しだと思うわよ」
新しい方にはルビーを埋め込まなかったのか。その理由も気になるが、今はその古い像を見つけなきゃならない。
「その古い方の像は?」
デイビスの質問にローザが首を振るのを見て、皆から溜息が漏れた。その時、部屋の隅でお菓子をぱくつく二人の会話が耳に入る。
「フロロさん、遅いですね」
ヴェラだ。茶飲み友達のような雰囲気でイルヴァが答える。
「またどっかで遊んでますかね~」
わたしと同じように二人を見ていたアルフレートが手を叩いた。
「……フロロだ、あいつを探せ」
探せっていってもアルシオーネさんの所にいるんじゃ?と思ったが、確かに戻るのが遅い。面倒を避けて一人、遊んでるんだろうか。
「フロロさんがどうかしたんですか?」
ヴェラが顔をこちらに向ける。わたしは頷いた。
「神殿内を捜索することになったのよ。一番おあつらえ向きなあいつがいないと」
「捜索!?私ががんばりましょうか?」
ヴェラが目をキラキラさせたところでサラが目を逸らす。……気持ちは分かる。
「いや、フロロを探してくれ」
きっぱりと返すアルフレートに、ヴェラは黄昏顔になってしまった。
「あ、終りました?」
書記官の男性が扉に向かうわたし達を見てやれやれ、といった様子で立ち上がる。
「どうもありがとう」
わたしがお礼を言うと溜息とつきながらも「いいえ」と返してくれた。
書庫を出た所でアルフレートが皆を回し見る。
「アルシオーネの所に行く組と大聖堂に行く組で分かれるか」
「じゃあ俺達はアルシオーネさんの所に行くよ。像を見に行くならローザがいるそっちが良いだろ?」
デイビスの提案に皆が頷く。アントンの「俺は寝てえよ」というぼやきが廊下に響いた。
廊下を歩いていると酒盛りでもしているのか、旅人が寝泊まりする大部屋から楽しそうな騒ぎ声が聞こえてきた。わたしはちらりと廊下の窓から時計塔を見る。
「うわ、もうこんな時間じゃない」
ローザも塔を見た後、顔を歪めた。
「認定式まで何時間、って数えた方が早いわよ、これ」
寝ずの番……じゃないけど捜索になるのか。わたしは思わず大きく息を吐き出す。
一階、大聖堂前までくると見張りのテンプルナイトに止められる。
「どうした?こんな時間に。聖堂内は今晩は立ち入り禁止だ」
ええー、と文句を言おうとした時、廊下の反対側からもう一人、大柄な騎士が声を上げながらやって来た。
「おお、君達か。どうなった?何やら掴んだみたいだったが……」
「隊長!」
わたしはガブリエル隊長に手を振る。向こうもひょい、と手を上げた後、目をぱちくりさせた。
「何だ、聖堂に入りたいのか?」
そう言うとわたし達を止めに入った騎士を見る。
「すまん、私と話しがあるんだ」
そう言って聖堂内に入りながらわたし達に手招きした。騎士の男性は肩を竦めると、元いた見張りの場所に帰っていく。
聖堂内に響くガブリエル隊長の足音。ひんやりとした空気ながら心地よさを感じるのはなぜなんだろう。わたしは広い聖堂を見下ろすようなフローの女神像を仰ぎ見た。
「やっぱり無いわね」
女神像の目の部分、他と同じ石膏のような滑らかな表面があるだけだ。
「あの絵だと右目だったっけ?」
ヘクターが指差しながら祭壇に近付いていった。
「右目?何の話しだね?」
ガブリエル隊長もつられるように女神像に近付いていく。その時、
「おおい!」
聖堂入り口からの大声にびくん、と体が跳ねた。振り返るとアントンを先頭にアルシオーネさんの部屋へ行ったはずのメンバーが駆けて来る。
「どうしたの?」
わたしが言い終わる前にセリスがわたしの肩を掴んだ。
「いなくなっちゃったらしいのよ、ミーナとサイモンとハンナさん!三人とも!」
「フロロもそれを聞いて出て行ってから戻らないみたいなの」
サラも眉を下げる。わたしが固まってしまっていると、遅れてアルシオーネさんが聖堂に入ってきた。
「隣りの部屋で休ませたんですが……、急に静かになったと思ったらベッドが空になっていて。お仲間のモロロ族の方はそちらに戻ったのかと思ってたのよ」
「動き出したな」
アルフレートが低い呟きを漏らす。わたしはぞくりと震え、腕をさすった。
「アルシオーネ殿が気付かぬうちに連れ去るとは……」
ガブリエル隊長がうめいた。アルシオーネさんは首を振る。
「嫌な事を言うようですが、内部から連れて行ったのかもしれないわ。外部からの動きには気が付かないはずがないもの」
探知系の結界でもあるんだろうか。アルシオーネさんは力強く言うが、その目には焦りが窺えた。彼女にとっても予想外だったのだろう。
「探そうぜ」
デイビスが踵を返すと、イリヤがそれを止めた。
「バラバラになったら危ないよ。フロロまで消えてることだし。せめて二人一組になろう」
そうだ、フロロは何処行っちゃったの?わたしは仲間が消えたという事実に急に不安が押し寄せる。どうしよう、あいつすばしっこいけど戦闘とかになってたら危ないよね……。
「私も参加するぞ!」
ガブリエル隊長が聖堂内に勇ましい声を響かせる。
「そんな不安そうな顔しないの、大丈夫よ」
ローザの声にわたしは慌てて頷き返すしかなかった。