ヘクター、語る
廊下に出て扉を締めると、わたしは大きく深呼吸した。一つ大きな問題を解決した、という達成感もあるがやりきれない何かが残る。でもここから先はわたしが踏み込む事じゃないことも分かっている。
はあ、ともう一度息を吐くと廊下の先、壁に背を預けているヘクターの姿が目に入った。彼の方もわたしを見つけるとこちらに向かって来る。
「終った?」
そう尋ねられ、わたしは頷いた。
「待っててくれたの?入ってくれば良かったのに」
その質問には「んー」という曖昧な返事しか返ってこなかった。もしかしてまた心配されてたのかな、と反省する。今回、一人になるとろくな事なかったもんなー。
「ごめんね」
わたしが謝るとヘクターは少し驚いたような顔の後、苦笑しながら首を振る。
「俺が待っていたかったんだ」
そう言われた瞬間、顔から火が出るのが分かる。そ、そ、そんな事言われたら……勘違いしそうになるだろー!!
一人悶えるわたしにヘクターは「戻ろう」と言うと廊下を歩き出す。なんか、心なしか照れてない?
わたしは彼に追い付くと、未だ各部屋から話し声が響く廊下を見回した。
「すっかり揃ったみたいね、認定式に参加する人」
わたしの言葉にヘクターも頷く。
「どんな感じなんだろうなー、式典」
「なんかごたごたしてて肝心のイベント忘れそうになっちゃうね」
そんな会話をしながら階段を上ると、今朝エミール王子と日の出を見たバルコニーの入り口が目に入る。何となくその方向を見ていると、
「覗いていく?」
ヘクターから尋ねられた。わたしは即座に頷いてみせる。わたしがそう返したのには訳がある。ヘクターの腕を引っ張ると、けして綺麗とは言えない夜空の下に出た。
「あー、やっぱり曇ってるか」
残念そうに空を仰ぐヘクター。その腕を突いてわたしは東の方を指差す。
「ね、ね、あっちの方ってサントリナでしょ?」
わたしの指し示す先、微かに光る明かりの群れがある。
「本当だ、この位置だと多分カンカレの街だ」
ヘクターがぼんやりと存在を主張する街の景色に、嬉しそうに目を細める。
「どんな所?」
「ローラスからの馬車やなんかが全部集まる賑やかな街だよ。世界中の人種が集まってるんじゃないかってぐらい色んな人がいる。レイグーンみたいに騒がしくて、もっと派手な感じかなあ」
へええ、行ってみたい。こんな目と鼻の先でも異国の雰囲気はあるんだろうな。
「ヘクターがいたのはどんな街?」
わたしの質問にヘクターはカンカレの街の光の左にずれた方向を指差す。
「もっと東、王城のあるセントサントリナだよ」
「サントリナの首都にいたのね」
わたしは驚いて聞き返した。だから王子の生誕の時を覚えていたり、少し事情を知ってる風だったんだ。
「サントリナの中では少し異質な街だったかもしれない。陽気な船乗りの多い国で、伝統だとか王室みたいなものの空気が濃い唯一の街らしいから」
行ったことはない街だけど、その説明で何となく分かる。王子の雰囲気を見ていると明るい海の国、っていう感じではないもの。きっと王城のある首都だけ厳かなんだわ。
「学園もあるんでしょ?」
「俺が行ってたところだね」
ヘクターはそう答えると少し空を見上げた。きっと何か思い出してるんだろうな。
「……どんな雰囲気だった?」
わたしが遠慮がちに聞くとヘクターは苦笑する。
「プラティニ学園の方が全然大きくて立派だよ」
うむむ、中々情報が聞き出せないではないか。
「ヘクターはどんな感じの子供だった?」
わたしの質問にヘクターは一度瞬きすると、じっとわたしの顔を見る。
「聞きたい?」
そりゃ聞きたいに決まってらあ!と言いたいのを我慢してわたしは頷いた。
暫くの沈黙の後、ゆっくりと口を開いたヘクターの声が夜空に溶け込むように響く。
「家の手伝いなんかより暗くなるまで外でひたすら遊んでるような普通の子供だったんじゃないかな」
ヘクターはそう言うとふふ、と笑った。
「両親は傭兵業の合間にトレジャーハントなんかをやるような典型的な冒険者で、家に帰るのは半年に一度くらいだった」
「おじいさんおばあさんがお世話してくれてたんだよね?」
わたしは前に聞いた話しを思い出す。それだとしても随分顔合わせる機会少ないんだな、と思ってしまった。
「そう、でも生まれた時からその状態だと本人は特に何も思わないもんなんだけどね。ただ両親が旅立つと、じいちゃんもばあちゃんもずっとぶつぶつ文句言ってるからさ、それで『ああ、普通の状態では無いんだな』って何となく気が付くくらいなもんだよ」
そっかあ、じゃあおじいさんおばあさんが両親みたいな感じなんだろうか……。祖父祖母共に疎遠なわたしには想像つかない。
「そんな両親でも半年に一回帰る、っていうのが自分達なりのルールにしていたんだと思う。でも俺が十歳を迎えてからその期間が過ぎても帰らなくなった」
わたしは胸がぎゅうと痛くなる。続く展開に感じる嫌な予感。
「あ、とうとう来たな、って思った。こんな日が来るのを俺もじいちゃんもばあちゃんも分かっていたんだと思う。ただ三人とも何も言わずにいつもの毎日を過ごしていた。ただ、じいちゃんもばあちゃんも両親に対する文句も、思い出の話しもしなくなった」
そう言うとヘクターはわたしに向き直る。
「俺の両親は二人とも剣士で、ある剣をずっと探していた」
「剣?」
思わず聞き返すわたしにヘクターは黙って頷いた。ごうごうという音は風が荒野を走る音だろうか。わたしは頭の中で神秘的な佇まいの剣を思い浮かべる。ヘクターがバルコニーの柵に身を預けて息をついた。
「……自分でもよく分からないんだ。でも学園に入れる歳を迎える時には剣の道に進みたい、っていう気持ちよりも、それが決定事項のように考えてた。どうじいちゃん達を説得するか、ってことばっかり考えてたな」
「反対されたの?」
ヘクターは首を振る。「全然」と苦笑した。
「そうか、で終わりだった。考えてみればその方が『らしい』んだけどね。それでサントリナの学園に入って、毎日くたくたになるまで走り回って、三期生に上がったばかりの時だった。両親と組んでいた傭兵仲間が家にやって来た」
ふう、と息をつく彼を見て思う。本当に聞いて良かったんだろうか。わたしに聞く権利があったんだろうか。話すには辛い事だったんじゃないだろうか。言葉を探しているように見えるのはそのせいじゃないだろうか。ぐるぐると考える間にヘクターは口を開く。
「両親が死んだ、という知らせだった。その男もぼろぼろだったよ。何でもその知らせを届けるにも三年がかりで人里に戻ったんだそうだ。あらためて聞けばそりゃショックだった。もう会えないんだ、っていう思いがぐるぐるして苦しかった。でも、その男の状態もショックだったかな。冒険業ってこんな大変なんだ、って」
少し笑うように言ったが、わたしはどう返して良いか分からなかった。ただ頷くわたしの頭を大きな手が撫でる。
「両親がもう戻らない、っていう事が分かるとばあちゃんが初めて見るような真剣な顔でさ、『故郷のウェリスペルトの街に戻りたい。古いけど生まれ育った家があるの』って言って来た。二つ返事で了承して『俺も行ってみたい』って返したら、じいちゃんもばあちゃんもびっくりしてて、俺が無理してると思ったみたいだった。でも本心だったんだ」
そこで話しを区切ると、「嫌な事言うかも」と呟いた。
「妙に哀れみの目で見られるのがすごく嫌だったんだ。そりゃ始めっから片親の奴も両親がいない奴も学園にはいたけど、やっぱりあの年頃の子供にとって友人両親が死んだ、って話しはでかい出来事だからね。それに、ウェリスペルトにある学園は本家で規模もでかいっていうのは知っていたから、すごく憧れも大きかった。だから単純にそっち行きたいな、って。……なんかそういうノリが両親に似てる気がするんだよね、俺」
「そ、そんな事ないよ」
わたしはそう答えてからはっとする。これだとヘクターの両親に失礼か。あわあわとするわたしをヘクターが面白そうに笑った。
「……ごめん、変な話しを長々と」
「全然!すごく面白かった!いや、面白くは無いよ、面白くは。えーっと、聞きたかった話しを聞けて、嬉しかった」
わたしの返事にふー、と大きく息を吐き出すと、ヘクターはわたしの顔を見る。
「俺も聞いてもらって嬉しかった」
その言葉に嬉しいけど照れくさい、でもやっぱり堪らなく嬉しいと思う。ただこういう場合って、今度は自分の話しも聞いてもらって、なんて流れになるのだろうが、わたしには特にあらためてお話するような過去は無いのだった。
「綺麗よ、ローザちゃん」
サラがにこにこと手を叩く。
「ありがとう」
お前は式を控える花嫁か、と突っ込みたくなるような恥じらい顔を見せるローザ。
ここは神殿の一角、大広間。明日の認定式に参加する神官及び巫女の候補者が、式典に参加する時に着る衣装を合わせに集まったのだ。神官候補はローザの他に三人。いずれもわたし達よりかは年上だが、この妙なノリについていけないからか困惑顔だ。ローザ達四人の神官候補が着るのは、認定式のような特別な日にだけ着用するという重厚なローブ。普段ローザが着ているローブと同じような白を基調に金の刺繍が入った物だが、刺繍の細かさも布地も、返し部分から覗く裏地の模様も段違いに豪華。何て言うか高そう、という下世話な感想を持ってしまう。
「本当、綺麗だよね」
そう声を掛けるわたしにローザは微妙な顔になる。
「それは嬉しいけど、あんたその目、冷やすかなんかした方が良いんじゃない?」
そう言われてわたしは重い瞼を擦った。珍しく晴れ間が覗いて、広間を照らす日差しが眩しいのではない。目が腫れてるのだ。昨日、興奮して寝れなかったせいで今日起きたのが昼過ぎだったりする。顔はパンパンだし最悪だ。起きてすぐにメンバーの女の子だけこの大広間に集まることになったので、男性陣とは顔を合わせていないのが助かった。しかしこの状況でよくそんだけ寝れたものだ、と自分でも呆れてしまった。
「リジア、顔面白いですう」
イルヴァが傷をえぐるような台詞を吐き、頬を指で突いてくる。
「……うるさいな、やめてよ」
「あのう誰かお一人、こちらも手伝っては貰えませんか?」
パーテーションで仕切られた向こうから顔だけ覗かせ、こちらに声を掛けてくるのは巫女の認定式を控えた女性。ちらりと見えたローブがこちらも豪華。
「そんな顔して見ないの」
ぎりぎりと歯軋りするローザをセリスが呆れた顔で窘める。どうやら未だに巫女への憧れは無くなっていないらしい。
「私が手伝います!」
ヴェラが張り切って手を挙げ、パーテーションの向こうへと走って行った。
「貴方はラシャの司祭ですか?」
そうサラに語りかけてきたのは神官候補の一人。言いにくいが優男、という言葉がぴったりな男性だ。ウェーブした栗色の髪といい、流し目する垂れ気味の目といい、こんなタイプも神職者にいるんだな、なんて思ってしまう。
「はあ、そうですが」
軽く答えるサラに男性は大袈裟な身振りで詰め寄った。
「そうですか!いやーやっぱり真面目そうな雰囲気が見てとれますもんね」
これはあれか、ナンパというやつか。サラ可愛いもんな。
「ラシャの神官ですか?」
「いや私はまだ……」
「学生?見えないなー!大人っぽくて!」
必死にサラに喋り続ける男性を、つまらないものでも見るようにしていたセリスがローザに質問する。
「明日は何時からなの?」
「朝早いわよ。司祭の認定が時間掛かるからねー。人数多いし」
「へー、そういえばあの双子も司祭になるんだっけ」
セリスの言う通り、レオンとエミール王子も明日は司祭の認定を受ける。レオンは『ここまで不純な動機で来たのだし』と断ろうとしていたが、アルシオーネさんが引き止めたのだ。日々フローに信仰してきたのに変わりはないのだし、という理由だった。
「法王が戻るのは今日なんだっけ?」
わたしがローザに尋ねていると、
「きゃー!糸を切ってと言ったのに、なぜ布を切るんですか!」
パーテーションの向こうから悲鳴が聞こえる。
「ごごごごごごめんなさい!」
ヴェラの泣き声が続いた。あー、やっぱりやったか。一気に騒がしくなる乙女の園に、わたしは顔をしかめた。
「あれー?もう脱いじゃうんですかあ?」
イルヴァの残念そうな台詞のいうとおり、衣装を着る際に世話してくれたおばちゃんが今度は衣装を脱がし始めた。
「サイズ合わせは終わったからね。じっくり見るのはまた明日」
そう言ってにこにこと笑う。
コンコン、と入り口の扉が叩かれる音にわたし達はその方向を見る。少し開けられた扉からフロロが顔を覗かせている。
「法王のご帰還だそうだよ」
その言葉にわたし達だけでなく、部屋の中の全員がざわつき始めた。