イリヤ、フル回転
中庭に着くとものすごい人の数に足が止まってしまう。日々人が増え続けているのがよく分かる光景だ。初日に見た僧侶達だけでなく、様々な見た目の群集。おろおろとする僧侶に冷やかし顔の冒険者、対照的な反応は神殿に住む者とそうでない者の差なのだろう。その人垣をくぐり抜けながら騒ぎの中心に向かう。自分に何が出来るか疑問だが、どうにかしなきゃという気持ちが沸き上がっていた。
一際、背の高いブルーノ、そしてレオンの護衛であるウーラの頭が見えてきた時だった。
「あまり無礼な態度を続けると追い出すぞ!」
聞き覚えのある声にわたしは顔をしかめる。ようやく人だかりから顔を出したわたしの目に飛び込んできたのは、出っ張ったお腹を偉そうに突き出しながらレオンとウーラを睨みつけるフォルフ神官の姿だった。
「だいたい来た日から怪しいと思っていたのだ。お前、その顔を利用して王子にすり替わろうとしているのだろう」
ふふん、と鼻を鳴らすフォルフ神官は、ここぞとばかりに自分を売り込もうとしているようにしか見えない。ふと中にいる王子と目が合った。王子は何か言いたげに口を開いたが、目を伏せてしまう。
「関係の無い貴方は黙っていてもらおう」
レオンがイライラとするように言い放つ。フォルフ神官は顔を真っ赤にしながら「何をー!?」と叫ぶが、前に出たブルーノに脇に押し除けられてしまった。
「何度も言うが要求は飲めない。大人しく立ち去れ」
ブルーノの冷たい視線と言葉に怯む事なくレオンは言い返す。
「しかし王子は私の話を受けたぞ。これは私とエミール王子の問題だ。当事者が許可を出したのだ。引くのは君の方だ」
年齢にそぐわない生意気な口調のレオンだが、その顔は青ざめている。そして問題なのは隣りにいるウーラの手元だ。背中の剣柄に手を伸ばしているではないか。これは『何かあれば戦闘に入ることも辞さない』という表明じゃないか。この場に二人がどんな決意でいるのかが伺える。ブルーノ、そして他の護衛達も明らかに気を抜いていない。一触即発、という空気。
ブルーノが再び低音を響かせる。
「はっきり言う。お前は殿下がこの神殿に入られる前から危険人物として我々には把握済みだ。何も嗅ぎ付かれていないとでも思っていたのか?生憎ここはサントリナではない。手荒な真似は控えようと思っていたのだがな」
その台詞にレオンの顔がみるみる内に赤くなる。てっきりイタい所を突かれて、なのかと思ったら怒りを露にしブルーノに怒鳴りつけるではないか。
「貴様!よくそんな卑怯な真似が出来るものだな!誰の差し金なんだ、言ってみろ!」
そして彼の視線は王子へと向けられる。
「この数年、父と母、そして私の心労をあざ笑うか!?明日生きられぬかもという思いで眠れぬ夜を明かしたことがお前にはあるのか!?」
レオンの迫力にエミール王子は青い顔で後ずさり、ウーラはレオンを抑えるように前に立った。その動きに王子の護衛達が一斉に剣に手を伸ばすが、一人ブルーノは片側の眉をく、と上げる。
「何を言っている?追い込まれての戯れ言か?」
冷ややかな声にレオンが再び足を踏み出した時だった。
「両方とも嘘はついてないよ」
この場に似合わないのんびりとした声を上げたのは、わたしの隣りにいる人物。
「イリヤ」
ヘクターが驚いたように彼の顔を見た。
「その王子の付き人さんも、えーっとレオンだっけ?その子も嘘はついてないよ」
そこまで言うと、周りが全員自分を見ていることに気が付いたのか、急にきょろきょろとしだす。
「あ、すいません……、何でもないんです……」
小声で謝るイリヤを見てわたしは思い出した。
「あ!イリヤ、あなた人の心が読めるのよね!?」
わたしの大声にイリヤは「しい!」と人差し指を立てるが、この空気からするにきちんと説明した方が良いと思うけど。呆気に取られた顔でこちらを見る王子達を見て、わたしは頬を掻いた。
「彼は、心が読めるのですか?」
王子がわたしの方へ歩きながら聞いてくる。わたしが頷くともう一つの質問。
「彼はあなたのお仲間ですか?」
えーっと、広い意味でならそうだ。もう一度わたしは頷いた。
「リジア、お願いがあります。あなた達に仲介者になっていただけないでしょうか。彼と、私の」
王子はそう言うとゆっくりとレオン、そして自分を指差す。
「どうやら彼と私にはお友達になるどころか、話し合わなくてならない深い溝があるようです。その話し合いの場にいてもらえませんか?」
「エミール様!」
ブルーノが鋭い声で遮ろうとした時だ。人垣が割れて一人の人物が現れる。素直に人々が道を譲り、この場の空気を一変させる女性。
「私がその場を提供しましょう」
アルシオーネさんは威厳ある声を響かせ、有無を言わせない雰囲気でわたし達を見回した。
談話室、というには集まった面々が和やかな雰囲気ではないが、一同が集まるのは大きな長テーブルが中央に陣取る広い部屋。大聖堂から入って来られるということは、きっと偉い人が使う部屋なのだろうな、と分かる。
向かい合わせに座るエミール王子にレオン。王子の後ろにブルーノ、レオンの後ろにウーラが仁王立ちしている光景はなんだかかっこいいとも思ってしまう。二人の間になるよう角の席に座るのはアルシオーネさん。レオンの隣りにイリヤ、わたし、ヘクターが座り、王子の隣りに座るのは何故かアルフレートとフロロ。
「……なんでいるのよ」
二人の妖精を睨みつつ、小声で聞くと、
「無駄に耳が良いもんでね」
「俺らを除けもんにしようとは無駄なことを」
ふざけた返事が返ってくることで余計に苛立つ。つーかブルーノもなんでこんな奴らが王子の隣りに着くことを許してんのよ。
ブルーノといえばいつもの無表情だが、明らかにふて腐れた様子だ。なぜなら最後までこの話し合いを反対していたものの、アルシオーネさんの『法王がいない今、この神殿の最高権威である私の言う事きけないなら追い出すぞ、こら』を柔らかくした台詞に渋々了承した経緯があるからだ。
「さて、イリヤさんでしたね?」
アルシオーネさんの呼びかけにわたしの隣の人物がびくりと肩を震わせる。
「心が読める、という事でしたがどういう力なんです?」
「あ、いや、さっきも言いましたけど、心が読めるっていうより何となく分かる程度なんです。人間の思考は複雑だから」
イリヤの返事にアルシオーネさんは笑顔ながら頭に『?』と浮かんでいる様子だ。わたしは助け舟を出す。
「イリヤはビーストマスターなんです」
部屋にいる皆の空気が変わるのが分かった。当のイリヤは居心地悪そうにもじもじと椅子に座り直す。
「成る程……、じゃあ生き物の感情が掴めるという事ね?」
「はい」
イリヤはアルシオーネさんの質問に答える。
「嘘をついているかは、はっきりと分かると?」
「はい」
「なら十分だわ」
老齢の大神官は満足そうに頷いた。 「この場に嘘偽りは許されないということです。よろしいかしら?」
アルシオーネさんが左右にいる王子、レオンを見ると二人も頷く。
「まず神殿側にも通達のあった、殿下の警備増員について。これは私共にもショックの大きい事でした」
今のアルシオーネさんの台詞には少し嫌味が含まれているのだろうか。ブルーノが眉を上げた。まあ神殿側の人間からしたら『そんな騒がしい時に来るなよ』と思いたくなるのも分かる。
「私共も詳しい話しを聞いていません。敢えて尋ねなかった、というのもありますが、少しお話しして下さる?」
アルシオーネさんが王子を見るとブルーノが「それは私から」と言い、手を挙げる。
「先月、エミール様の外出時に野盗から襲われるという事があった。二回続けてだ。この事態を受けて国王は次期王位後継者であるエミール様の命を狙うような者の存在がいるのではないか、と危惧なされた」
「それでこの少年が浮かび上がったと?」
アルシオーネさんが問うとブルーノは頷いた。
「調査の方法まで一々説明する気は無い。が、野盗の仲間がその少年と落ち合うのを調査員の一人が目撃した事で確定された」
「嘘だ!」
レオンが立ち上がり叫ぶ。わたしは思わずイリヤを見た。
「……嘘は言っていない。ブルーノも、今のレオンも」
イリヤはしぼり出すように言うと、ふう、と息をついた。
「ぶ、ブルーノ、私は聞いていない。そのような話しは」
今度は王子が非難の声を上げる。そういえば王子はわたしと話した時、レオンには警戒しているような素振りは無かったもんな。
「……国王は貴方が心配なのですよ」
ブルーノの返答は答えになっていない気もした。でもそういうものなのかもしれない。わたしはミーナの両親が今回のことを、最後までミーナには黙っていたことを思い出していた。王子は目を伏せる。
「私からも質問したいな」
アルフレートの発言に皆が彼を見た。アルシオーネさんが「どうぞ」と言うと、アルフレートは目線だけをブルーノに向ける。
「王子を狙う悪党に、その仲間には王子そっくりな少年、と。それで所謂『替え玉』を狙っているのだと考えたということで良いのかね?」
アルフレートが発言した途端、ブルーノに緊張が走った……ように見えた。無表情を貫く顔が少し強張った気がしたのだ。直感でアルフレートを油断できないと判断したようだった。
「そうだ」
ブルーノの素っ気ない返事の後、アルフレートはすぐに次の質問をぶつける。
「王子に少年を一切近付けないよう指示したのは?国王かね?」
「そうだ」
「そういった事情があるのに認定式に予定通り参加することになったのは?」
「国王が神託を受けたからだ。王も大変迷われた。だがサントリナでは国王一家がフローの神官であるという事が、大変重要な意味を持つ」
ブルーノの答えにわたしは「へえ」と呟いた。フローの加護がある一族が国を護っている、ということは国全体がフローの加護を受けているような感覚なんだろうか。そして国王自身も模範的なフロー信者の行動をとらなくてはならない、というところか。
「君がローラス中の孤児院を回って少年の背景を探ろうとしたのは誰の命だ?」
え、そうなの?と聞きたくなるが、ぐっと堪える。アルフレートの質問も吹っかけてみただけなのだろう。
「……王妃だ」
アルフレートはそれを聞くなり、にやーっと笑った。ブルーノが答えるには少し間があった気がする。アルフレートはイリヤをちらりと見て、何も無いのを確認すると「終わりだ」と告げた。
「何よ……」
わたしは小声でアルフレートに尋ねる。どういう意味の質問なのか?と聞いたのだが、
「今、我々にはあまり関係ないことなんじゃないかな」
と鼻で笑われてしまう。
気に食わない気に食わない気に食わない。
「……ねえ、アルフレートは嘘ついてない?」
わたしがイリヤの腕を突くと困ったような声で返される。
「い、いや、嘘は感じ無かったよ。一瞬、頭がピンク色になった気はしたけど」
なんじゃそりゃ。
わたしは眉間に皺寄せながら心の中で舌打ちした。アルフレートにはイリヤの嘘発券機じゃ意味ないわね。わたしがそんな事を考えている横でレオンが低いうめきを漏らす。
「王子の替え玉狙う奴が、なんで昼間からのこのこ王子に近付いたりするんだ……。それこそ掴まって終わりじゃないか」
ごもっともな事を言うので思わず吹き出しそうになる。
「じゃあ、次は貴方からお話を聞いてもいいかしら?」
アルシオーネさんがレオンに言うと、一瞬の間の後レオンは懐に手を入れる。躊躇の無い動作で取り出した何かがきらりと光った。テーブルに置かれたのは古ぼけた指輪だ。それを見た瞬間、エミール王子の顔色が変わる。
「これを、なぜ貴方が持っているのです!?」
「持たされていたからだ」
レオンは面白くなさそうに吐き捨てると、投げるように指輪を王子の方へ飛ばした。かつん、と王子の前に落ちた指輪が音を立て、テーブルに転がる。
「それは?」
アルシオーネさんが少し固い表情で王子に尋ねる。
「……私の母の物、のはずです。私も初めて見ました。なぜなら私が生まれた時には失われていたと聞いていましたから。父が身につけている物と対になる、王家の物が持つ婚約指輪のようなものです」
王子の言葉を聞き終わった後、わたしは思わずブルーノの方を見ていた。何を思っているのか分からない無表情な顔が、そこにはあるだけだった。