眠りの町ラグディス
目が覚めると見えた天井の形に「ああそうだ、ここ家じゃないんだっけ」と思い出す。夢の中では自宅で夕飯を食べていた気がする。あー、そろそろ家帰りたいな……。
そんな事を考えながらわたしはむくりと起き上がった。神殿内の一室、すぴすぴと皆の寝息が聞こえる。一番早起きだったようだ。部屋の中にはサラ、セリス、ヴェラが追加されている。隣の男部屋には勿論、デイビス達が追加になった。
昨日は流石に乙女トークに花を咲かす、とはいかずベッドに入った瞬間、夢の中だったけどかなりぐっすりだったらしく目覚めはいい。
今日は『2』が示される日だわ。
わたしはひんやりする床に足を下ろすと、ぼんやりと考えてしまった。
もしカウントダウンが終了してしまったら、何が起こるのか。それを調べるにもあと二日しか無いんだ。でも考えてみればミーナもハンナさんも神殿にいることだし、事態は良い方向に動いているんじゃないだろうか。
わたしはローブを引っ掛けると顔を洗いに行く事にした。
皆を起こさないように忍び足で部屋を横切ると、まだ静かな神殿の廊下に出る。消えかかった『ライト』の光と微かな朝食の匂い。もう朝の準備に追われる料理番がいるのだ。
突き当たりにある共同の洗面所に入ると、ひやりとした空気と誰もいない洗面台が並ぶ様子があった。冷たい水で顔を洗い、前に備えられた鏡を見て一息。……そんなに童顔かしら。なんて事を考えた時だった。廊下をうろつく一人の少年の姿が鏡越しに見える。わたしは驚いて振り返った。
「エミール王子!」
わたしの掛け声に王子のふわふわとした金髪がびくん、と揺れるが、わたしの顔を見付けると笑顔になった。
「やあリジア、あなたでしたか」
あらら、名前覚えてくれてたんだ、と嬉しくなるがどうして一人で?という方が気になる。顔に出ていたのか王子は苦笑した。
「この時間ならまだ私が寝ていると思って周りがうるさくないですからね。少し一人になってみたかったのです」
「あーなるほど」
よく分かります、という言葉は飲み込んだ。だって王子ほど窮屈な生活したことないし。安っぽい言葉を掛けるのはこの王子には躊躇われた。
「そこから外が眺められるんですか?」
王子が指差すのはバルコニーへの入り口。大柄な大人が一人入れば埋まってしまうような小さなものだ。見張り窓、というものなのかもしれない。わたしが頷くと王子は嬉しそうにふわふわと駆けていく。何だか妖精さんみたいだな。
わたしも王子の後をついて行き、外の朝日を拝む事にする。一人になりたい、って事だから遠慮するべき?とも考えたが、王子の方はハナからそのつもりだったのかバルコニーの縁に掴まると、こちらを振り向きわたしに向かってにこにことおいでおいで、というように手を振った。
「うわあ」
王子の隣に並ぶなり口から出るのは感嘆の声。地平線から伸びをするようにはい出る太陽は、わたしが見た事の無いピンク色の不思議なもの。夕焼けとも違う艶やかさに見とれてしまった。
この町の日の出がこんなに美しいなんて、この日まで気がつかなかったなあ。
「気候が特殊なのでこんな色合いが見られるのだそうですよ」
王子は地平線を指差し、にこにことわたしに語った。
しばらくの間、二人で無言になりながら美しい朝日を見る。太陽がすっかり地平線から離れたところでわたしは口を開いた。
「普段から一人きりで行動出来ないんですか?」
聞いてみたところではっとする。少々不躾だったかしら。
「城では自由です。一歩出ればこんな状態ですが」
王子はそう答えると苦笑した。わたしの質問に、というよりは自らの置かれた立場に、という感じだ。
「……それに先月あたりからの騒動で余計に警護が厳重になりました。仕方ない事だとは分かっているんですがね」
「騒動?」
わたしが尋ねると王子はわたしの顔を見る。
「先月の事です。外出の際、二回ほど野盗に襲われることがありました」
淡々と言われた答えにわたしは息が詰まってしまった。それでこんな厳戒体制なんだ。普段、王族がこういう場に来る時どんな雰囲気なのかは知らないけど、あのブルーノってお付きの様子が普通じゃないもの。
「それでも……過剰すぎやしないかと思ってしまいます。だってこの認定式に予定通り来れたのも、父上が神託を授かったからなんです」
「あ、インスピレーション?」
わたしが聞くと王子は頷き、地平線に目を戻す。そっか、一族みんなフロー神の信者だって話しだっけ。
「私がラグディスに向かっても危険は無い、むしろ城に留まるよりも良い、という言葉でした。だから予定通り、十二の歳の認定式に向かう事になったのです。楽しみでしたからね」
ふ、と王子は笑みを漏らした。
「えっと、同じ年頃のお友達が出来るのを楽しみにしていたと聞きました」
わたしはもごもごと言葉を紡ぐ。変に同情の言葉を掛けるよりこういう事を言った方が良いと思ったんだけど、どうだろう。王子は笑顔でわたしを見る。綺麗な顔に少しどきりとしてしまった。
「友達なら、もう出来ました」
へえ……と頷きそうになったが、王子の真っ直ぐこちらを見る瞳にはっとする。あ、わたしの事言ってくれてるんだ。直感で分かってしまい、顔が赤くなってくる。
「リジア達の話しをもっと聞いてみたいです。プラティニ学園の話しも」
「あーはい、そうですね!えっと」
年下の相手に情けないが舞い上がってしまって上手く喋れない。だって友達だよ!?王子様にお友達認定されちゃったよ!わたわたと手を振り回すわたしをにこにこと見ていた王子がふと真顔に戻る。「そういえば」と口を開いた。
「私にそっくりな少年の事を何か知っていますか?歳も同じくらいの」
レオンの事だ。やっぱり気になるよね。でもそれを聞きたいのはこっちでもある。
「……レオン、っていうみたいです。シェイルノースから来ていて、王子と同じ司祭の認定式に来たそうです」
「シェイルノース……」
王子はそう呟くと何やら考え込む。知り合いの線でもたぐっているのだろうか。
「……彼が、昨日の晩に私の部屋を訪ねてきたらしいのです。向こうも私と同じように気になったのでしょう。あんなにそっくりなのですから、もしかしたら本当に血縁かもしれませんからね。私もお話をしてみたかったのに……ブルーノが追い返してしまったらしく、少し言い争ってしまいました」
「え」
レオンが王子の所へ……。王子は『私と同じように』と言ったが、そうではないと思う。だって二人が顔を合わせた時、レオンの方は王子と違って驚きは見られなかったもの。何をするつもりだったんだろう。
わたしが『替え玉を狙うつもりだったとか?いや、ちょっと大胆すぎて現実的じゃないな』などぐるぐる考えていた時だった。不意に襲った衝撃にぎくりと心臓が跳ね上がる。
「ブルーノ!」
王子が眉間に皺寄せ非難の声を掛ける相手は、わたしの腕をがっしりと掴むブルーノ。
……なんか今回、腕掴まれること多いな。
少し痛いほど拘束される左腕を見ながらわたしは溜息をついてしまった。
「何をしている」
王子の声にひるむことなくブルーノは真っ直ぐわたしを見下ろし、冷たい声を響かせる。
「お友達になっていたのよ」
わたしは負けずに言い返した。わたしの生意気な態度に怒りだすかと思ったが、ブルーノは無表情のままだ。だってこの人、きっとわたしの事を本当に怪しんでるわけじゃない。脅しをかけてるだけなんだわ。
「ブルーノ!君は間違っている、間違っているよ!」
王子が声を荒げ、ブルーノの腕を引っ張る。ブルーノは静かにわたしの腕を離した。
「いいえ、エミール様、私は間違ってなどいないのです」
ブルーノが響かせた冷たい声にわたしは目を見開く。その時、再びわたしは腕を取られ、神殿内に引っ張られた。不思議と痛くはないその力に、わたしは頬が赤くなる。
「話しなら俺が聞く」
わたしを背後に置きながら静かに言い放つのはヘクター。ブルーノはそれを黙って見ているだけだ。王子が赤い目でヘクターを見上げる。
「私が悪かったのです。彼女は何もしていない。ブルーノが……彼が少し勘違いをしただけなのです」
最後は微かに漏れた呟きのようだった。王子はそう言うと廊下を駆けて行ってしまう。ブルーノはそれをすぐに追う為に足を踏み出す。
「王子は部屋に戻るわよ」
わたしが言うとブルーノの足が止まった。
「王子は……何処にも行かないわ。迷惑をかけたくないから」
わたしの言葉にふ、とブルーノの口元が緩む。
「知っている」
そう言うと廊下を去っていく。わたしははあ、と息をついた。
「大丈夫?」
心配そうにわたしを見るヘクターに頷いた後、「ごめん」と謝る。彼は苦笑し首を振った。
「何もなくて良かった。その、張りつめた空気だったから」
うわー、また心配かけちゃったんだな。そう思うのと同時に少し嬉しくなる。だって登場の仕方が格好良かったもんねえ。守られる立場ってのも悪くないかも。そんな事を考え、ニマニマする頬を押さえていると、廊下を見知った顔が欠伸しながらやってくる。短パン姿に寝癖頭、お尻をぼりぼりと掻きながら洗面所に入ろうとしている男、アントンはふとこちらを見ると露骨に顔をしかめた。
「朝っぱらから何やってんだよ、気持ちわりい」
ふん、と鼻をならすアントンをわたしは思いっきり睨みつけた。
「ふーん、それはちょっと普通の従者の態度じゃないねえ」
神殿内の食堂での朝食の席、わたしの話しを聞き終わるとアルフレートはぽりぽりと耳を掻いた。
「でしょ、でしょ?いくら幼い王子だとしても付き人が『私は間違っていない』なんて随分と偉そうよね?」
身を乗り出すわたしにフロロが首を振った。
「偉そうどころか、ご法度だろ。若い王子を嗜めながら教育してくっていうなら分かるけど、それでも真っ向からぶつかったりするもんか」
そうなんだよね。やけに過保護な態度を見せる割には愛情が感じられないというか。はっきり言って感じ悪い。
「でもさ」
セリスがわたし達三人の顔を見ながら口を開いた。
「今回の事とあんまり関係無い人達なんだから、首突っ込まない方が良いんじゃない?」
眉を寄せる彼女を見て思う。関係、無いのかなあ。
わたし達が知りたいのはこの町の孤児院で、そこから出てきたレオンの存在はやっぱり見過ごせないし、彼がエミール王子にそっくりな事やブルーノがフェンズリーのマザーターニアの元に何をしに行ったのかもやっぱり気になる。
「レオンは何をしに行ったのかしらねえ」
ローザの呟きはわたしが話した昨晩の事だろう。
「レオンだってこの雰囲気の中にいたら、そんな簡単に王子に会えるなんて事は無い、って分かってそうなものだけど。だってあの子頭は良いもの」
ローザの確認するような台詞にはわたしも同感だ。そしてそれはレオンに余裕が無い様子を頭に浮かばせた。 ベッドの上に横になりながら天井を見つめていると、隣でイルヴァが塗り始めたマニキュアのつんとする臭いが鼻を刺激する。
しばらく考え事を続けていたがどうも身に入らない。
「やっぱわたしもミーナ達の所に顔出してくるわ」
神殿内にある治療所、そこでハンナさんの解呪の祈祷が始まる。ローザにサラも協力の為に行ってしまったのだが、わたしは部屋に戻ったのだ。ミーナは昨晩からずっとハンナさんの元にいるし、そのミーナにサイモンも付き添っている。そしてセリスはデイビス達と神殿を周りに行ってしまった。
わたしはイルヴァに同行するか尋ねるが、
「フロロと隠れんぼする約束なんです」
と言われてしまった。隠れんぼの前に爪のお手入れですか。よくわかんない。
じゃあ一人で行くか、と腰を上げイルヴァに声を掛ける。
「じゃあ行ってくるから」
そう言い残すとわたしは部屋を出た。
少し歩き続けてから「やっぱりヘクターも誘おう」と思い直す。うん、いつまで照れてるんだって話しよね。
振り返ってみたところで訪ねようとした部屋の扉が開く。出てきた顔にわたしは頬が緩んだ。ヘクターがわたしを見て手を上げる。扉の中を振り返り何か声を掛けている様子。するとヘクターと一緒にイリヤも出てくる。
「あれ?イリヤはセリス達と一緒に行かなかったの?」
わたしが尋ねるとイリヤは頬を掻いた。
「うん、ハンナさんにやる儀式を見てみたかったから」
ああ、じゃあ二人も治療所に行くんだ。
「リジアもい、一緒に行かない?」
何故か吃るイリヤにわたしは答える。
「うん、わたしも行こうと思ってたんだ」
わたしの返事にどこかほっとしたような顔になるイリヤ。それは良いけどさ、いかにも緊張してます、って言い方されるとこっちまで照れてくるのよね。もしかしてまだわたしには人見知りしてるのかな。ヘクターを真ん中にする配置を崩すことなく歩き続けるイリヤを見て、少し残念な気持ちになった。学園内ではデイビス達とは挨拶する仲になったのに、イリヤは全然だもの。……というより学園内でイリヤを見かける事自体が無いんだけど。
治療所はどっちだっけ?なんて会話をしつつ一階まで下りる。すると何だか騒がしい空気に「また何かあった?」と眉をひそめた。廊下を向こうから走ってくる一人の僧侶にわたしは声を掛ける。
「サム!」
向こうもわたし達を見て「ああ!」と驚きの声を上げ、駆け寄って来た。
「もう、またアルシオーネ様を呼びに行く事態なんですよ!」
眉を八の字にしながらサムは廊下の先を指差す。雲みたいな頭が更に爆発している。
「何かあったのか?」
ヘクターが尋ねるとこくこくと頷いた。
「あの例のそっくりさんですよ!エミール王子にそっくりな……」
「レオンね?何かやったの?」
わたしは胸がざわつく。彼が暴れだすなんて事はないだろうけど、要注意人物ではある。でもなんだろう、彼を心配する気持ちの方が大きいというのが正直なところだった。
「な、何って言われると何もしてないような気もするんですが、中庭で休まれていたエミール王子に『どうしても二人で話したい』と聞かなくてですね、今護衛達と揉めてるんですよお!」
サムは言い終わると「では!」と手を振り、階段を駆け上がって行く。わたしはヘクターと顔を合わせた。
「と、止めた方がいいの?」
わたしは自分で言いながら発言の意味を考える。レオンを止めるんだろうか。護衛を止めるんだろうか。
「行こう」
ヘクターの声にわたし、イリヤは頷き、廊下を駆け出した。