出発
馬車は揺れるよ、どこまでも。
まだ暗い中に出発したのだが、今は大地を暖める日差しがさんさんと輝いている。遠くには種を蒔かれたばかりの茶色い畑が広がって、緑広がるこの辺りと景色を二色に分けていた。
無事にパーティを組み終わり、いざ初冒険の地へと向かうべく馬車に揺られているわたし達。暫しのお別れ、ウェリスペルトの町。
「おやつ持ってくれば良かったですう」
そうイルヴァがぼやく。本日の格好はタンクトップにホットパンツ。レザーアーマーを着込んだその姿はかなりまともだ。本人曰く「アマゾネスルック」といっていたその服装に、コルネリウス教官あたりにかなり強く言われたのであろうと想像した。
言ってきく子ではないと思っていたのだが、イルヴァなりにこのパーティのことを考えてくれたようで嬉しいかぎりだ。
ローザが投げた何かが馬車内を飛んでいく。イルヴァは器用にそれをキャッチした。
「家の姉様が焼いたクッキーよ」
「ありがとうございますう」
緊張感がない雰囲気の中、わたしはすでに遠くになってしまった町を眺め、旅の出発を噛み締めた。期待でいっぱいの胸の中に、ちらりと湧く早すぎる望郷の念。たった二、三日で戻るはずだというのに、なぜ旅立ちというのはこうもおセンチな気持ちにさせるのか。
そんなわたしの気持ちも知らずにアルフレートは、
「一曲歌おうか」
などと言いだす。
「止めて、耳が腐る」
ローザにぴしゃりと言い放たれ、アルフレートはむっつり押し黙った。
心地いい馬車の振動に身を任せていると、ふいに体が斜めになった。山道に入ったのだ。そのまま揺られること暫し、
「リジア!見て見て!ほら、学校が見下ろせる!」
ローザがはしゃいだ声をあげる。馬車が走るのはアルフォレント山脈。アルフォレント山脈はローラス共和国のほぼ中央にある。標高は大したことはないが距離の長い山脈だ。ローザの言うとおり、馬車から身を乗り出すとわたし達の学園のあるローラス共和国の一都市ウェリスペリトの町が眼下に見えた。
「こうやって見ると、すぐ近くにあるみたい」
わたしは呟きつつもちらり、後ろへ視線を移す。ヘクターが外の景色を見ながら柔らかい笑みを浮かべている姿があった。その姿を見ながら、いや、ずっとだ。「君らのパーティに入れてくれ」と彼が言った日から、わたしは気になっていた。
ヘクターはわたし達のことを「魅力的だ」と言った。でもわたしには……イマイチ彼がそう言った理由が分からなかった。もちろんわたしにとっては大事な仲間だけど、何というか彼がそう言ったのが意外だったのだ。わたしは長い間、ヘクターに憧れて遠くから見ているだけだったけど、その期間もここ数日で会話をするようになってからも、彼の印象は変わらなかった。
絵に描いたようないい人、が彼の印象だった。話し方は優しく嫌味が無い。困ったような顔はしても決して怒らない。そんな彼がわたし達のことを「魅力的だ」と言ったことは嬉しくもあり、意外でもあった。どう考えてもいつも彼の周りにいる人達とわたし達とでは雰囲気が違うのではないか。期待を裏切りたくない。良いパーティだと思ってほしい。常にそんな風に考えてしまう。
「俺も腹減った」
フロロの声に我に返る。そういえば朝が早すぎてわたしもお腹空いたな。
「着いたらご飯にしましょうか。少しくらい遅くなっても大丈夫でしょ」
ローザの提案にわたしとフロロは頷いた。
荷馬車を改造した、お世辞にも乗り心地が良いとは言えない小さな馬車に揺られてお尻がいい加減痛くなってきた頃、
「そろそろ着くよ」
学園から派遣された御者さんが馬の手綱を握りながら言った。
「おじさんはすぐに帰るの?」
わたしの質問に肩をすくめる。
「学校側からお使いも頼まれてんだ。買い物したらトンボ帰りさ」
それを聞いたローザが顔をしかめる。
「じゃあ帰りはバスかなにか探さなきゃ」
バスといえば一般的には馬より大型の生き物「コルバイン」一、二頭に二階建ての車体を引かせる大型の乗り物である。今乗っている普通の馬車に比べて乗り心地は良いし、何より早い。しかし今から向かう「チード村」はかなり規模は小さいという事だし、今走る道も狭い山道だ。バスのような乗り物は期待出来そうにない。
「チードってどんなところです?」
「冒険者たるもの、自分の目で確かめなきゃ」
わたしの言葉におじさんはニヤリと笑い、前を指差した。山間にぽつぽつと立つ建物が見え始めた。わたし達が向かうチード村である。山の中腹にあるこの村は山脈を越える旅人や商人の休憩地として栄えているのだという。
「結構栄えてるのね。もっと寂しいところ想像してたわ」
ローザが村の入り口から見える景色に感嘆の声をあげた。
そう、チード村は村とはいいながら建物の数も歩く人の数も多い。ウェリスペルトのような大きな都市に比べれば寂しいが、まずまず賑わったところだった。何よりお店が多い。きっと旅人の休憩ポイントになっていることからだろう。看板も宿のものが多いようだった。
御者のおじさんと別れ、予定より早い到着となった村を歩く。青空の下に広がるのは山頂までの緑と、その中をぐにゃぐにゃと伸びる歩道。脇に積み木細工のように詰め込まれた商店や民家が並ぶ様は、絵画で見た田舎町といった感じだ。普通の観光旅行で訪れても良い場所なんじゃないだろうか。
「依頼人ってどんな人なんだろうね」
わたしは少し不安な気持ちを漏らす。
今回の「演習」は学園の生徒が受ける教育課程の一つになってはいるものの、その全てが実際に学園に来た本物の依頼なのだ。もちろん依頼主も学園外から「お助けお願いします」と言ってきた人達になる。これが緊張の元になっていた。
いつもは若手の教官や教育課程を終えた五、六期生が捌いている依頼を、簡単そうなものを選り分けてわたし達が「演習」として行う。
依頼人には許可を取ってあるし、実際現地にも教官達が一度足を運んでいる。まどろっこしいやり方をとっているが、そこは「未来の冒険者」達の為。一般の方達も協力的なのが嬉しいことである。
正規の冒険者に、ではなく学園にわざわざ依頼をよこす時点で大した依頼はなかったりもする。
学園にくる依頼の中で一番多いのが「お使い」と呼ばれるものだ。隣り町までポーションを買いに行って欲しい、マウニの森まで行ってキノコを採ってきて欲しい、等の依頼がそう呼ばれる。
お使いなどの簡単かつ面倒な依頼は嫌がる冒険者が多いので、学園を重宝している人も多いのだという。正規の冒険者を雇うよりもずっと安上がりというのが一番の理由かもしれない。
わたし達が選んだ依頼は、やっぱりお使い。ここチードで研究をしている科学者、という人の研究材料の調達である。選んだ理由は単純に科学者という存在が珍しく、興味を引かれたからだった。
「捕って喰われたりしないだろ。それより飯、飯」
フロロがわたしを見ながらお腹を摩った。
小さな店舗が並ぶ中、広い間口で目立つ一件の大衆食堂を見つけ、ぞろぞろと入る。カウンターバーと大きな丸テーブルがいくつかあるような、酒場兼飯処、といった感じか。早い時間なのでカウンターバーに人はいないが、テーブル席で朝食を取る地元民らしき姿があった。
白いエプロンを着けた「元気いっぱい!」という言葉がぴったりな若いウェイトレスが近寄ってきて、大きなテーブルを案内してくれた。
各自思い思いの飲み物を頼んでいると、アルフレートがウェイトレスの女の子に尋ねる。
「バレットという研究家の家を知っているか?」
わたし達が向かうべき依頼人の家のことである。一瞬、女の子に戸惑いの色が見えた……気がした。村の中でも有名な人だから、と聞いていたので即答が無いことに違和感を感じる。しかし、
「バレットさん?この店の前の大通りを北に向かうと村のはずれに出るから、そこにある大きな屋敷だからすぐわかると思うわ」
戸惑いの色は気のせいだったのか、彼女はにこやかに答えた。
「さーてと、何食べよっかなー」
ローザの声にわたしは我に返りメニューに目を落とした。考え過ぎかもしれない。初めてのクエストに神経が高ぶっているのかも。
そう自分に言い聞かせながら、わたしはお腹を満たすメニューを選んでいく。いつもよりがっつかないようにしなきゃ、とヘクターの顔をチラ見しつつ考えた。
「ちょっと難しい人なのかもね」
決まったメニューをウェイトレスに伝え、彼女が厨房の方へ下がっていくとヘクターが小声で呟く。
「何で?」
ローザがきょとんとした顔で聞き返す。
「いや、名前が出た途端に店の空気が変わったから」
ヘクターに言われて何気ない素振りで周りをみると、何やらこっちを見ながらこそこそと話す客や従業員の姿。躾がなっとらん。
「研究者なんて変人が多いからなあ。『科学者』なんて特によく分からんし」
フロロが天井を仰ぎ見ながら椅子を揺らす。
「……仮にバレットとやらが本当に研究者らしい研究者だったとしたら、依頼の中で嫌みのひとつも言われることもあるかもしれんが、私が言い返してやるさ」
アルフレートはそう言ってくれるが彼の場合、本気で相手の心臓を突き破るような嫌味を言いそうで少し怖い気もする。
しかしここまであからさまに町の人から注目されるバレットさんとはどんな人物なのか。わたしは自分の趣味の影響か、どんどん人間離れしたバレットさん像が浮かんでくるのを頭を振って消し去ることにした。科学者なんてわたし達も『珍しい』と思った職業の人だ。得体の知れない人種なのでお友達が少ない、なんていう話しだろう。