消えた厨房の男
折角の二人で歩くシチュエーションを、大半はよからぬ妄想からの暴走早歩きで潰す、という失態を犯しながら通信センターに到着となった。
今回の冒険で、もはや手慣れたものになった受付を済ませるとヴィジョンのある個室に入る。パチパチという係の装置を操作する音を聞くこと暫し、紫の水晶からぼやけた映像が映し出されていった。始めは不鮮明だったものがじょじょに形を明らかにしていくにしたがって、わたしは驚きに息を飲む。現れたのは金髪碧眼のアズナヴール家特有の美貌には間違いないが、学園長ではない。
「か、カミーユさん」
目の前に浮かび上がる美女の名前を口にすると相手はにっこりと微笑んだ。
『あら、お二人さん、こんにちは』
「こんにちはー、今日も素敵な御召し物で」
ローザの姉カミーユさんに手揉みしつつヘコヘコとお辞儀するわたし。何故かこの人を前にすると弱くてしょうがない。本能が恐怖しているってやつかもしれない。
『ほほほ、思ってもいないことを言われて喜ぶような人間じゃなくてよ。大体リジア、あなたの服装からするに私とセンスが合うわけがないじゃない』
相変わらず手厳しいカミーユさんにぐっと詰まっていると、隣のヘクターがヴィジョンに話しかける。
「あの、学園長は……」
『出掛けたわ』
即答にわたしとヘクターは思わず顔を見合わせた。
『ラグディスに行くって行ってたわよ。ヴィクトルの認定式にでも参加するのかしらね。昨日アルシオーネとヴィジョンで話し合ってたみたいだし』
「え、えええ!学園長がこっちに向かってるんですか!?」
わたしの大声に非難の色を感じたのかカミーユさんは目を大きくする。そして溜息をついた。
『まったく勝手な話しよね!珍しくバタバタと慌ててたと思ったら、あのニッコラさん……だっけ?その人のお世話よろしく、って押し付けて行っちゃうんだもの。なんで私があんな憔悴しきった中年男の面倒みなきゃいけないのよ』
カミーユさんの暴言に引きつつ、わたしは質問する。
「あの、何か言っていませんでした?学園長、出掛けに」
『お父様が?……何かあったかしら』
カミーユさんは考えるようにしばらく視線を上に向けていたが、ぱっとこちらを見る。
『ああ、確か「間に合うかな」とか呟いてたから思ったのよね、息子の晴れ姿見たいならなんで初めから用意しておかなかったのかしら、って』
「そう、ですか」
わたしは呟くように返事した。
学園長はローザの晴れ姿を見に来るわけじゃない。きっと何か分かったんだわ。それならせめて何か言い残しておいてくれれば良かったんだけど……。それぐらい慌てていたのかもしれない。でも学園長がそんなに慌てるような事がこの町に起きるの?間に合う、っていうのは何時のことを言っているんだろう。やっぱり認定式なんだろうか。
『他には何かある?』
考え込んでいたのがカミーユさんの声で我に返る。
「オルグレンさんってご存知ですか?」
わたしが聞くとカミーユさんは少し考えるような顔の後『ああ……』と呟いた。
『シェイルノースの方じゃなかった?』
「そ、そうです!」
わたしは嬉しくなって声を大きくする。
「その方って子供います?知ってたらどんな子とか……」
『どんな子までは知らないけど、確か養子を迎えたのよ、あのご家庭』
それを聞いてわたしとヘクターは目を見開いた顔でお互いを見る。
『何?何か変な事言ったかしら』
「いえ、大丈夫です」
わたしが答えるとカミーユさんはにこり、と微笑んだ。
『じゃあお土産よろしくね』
手を振りながら薄くなっていく姿を眺めていると、ヘクターに手を取られる。
「……神殿に戻ろう」
わたしの手を強く握る感触と、真剣な顔にわたしは動揺しながらも頷き返した。
わたしとヘクターが神殿に戻ると、すぐに一人の僧侶にアルシオーネさんの部屋に行くよう伝えられた。
「もう集まってるみたいね。ってことは何か分かったのかな?」
わたしは隣を歩くヘクターに聞いてみる。
「かもしれないね」
そう言ってからヘクターは廊下の窓から外を眺めた。つられてわたしも表の植え込みと灰色の空を見る。
「あと三日か……」
隣からのその呟きは認定式までの事を言ったのか、あの落書きから始まった数字の事を言ったのか。
「今日の朝出発したとして、ここまで何日かかるんだろう」
ヘクターがわたしの顔を見る。
「えっと、かかって三日ってところかな?」
学園長の事を言っているのだろう。もちろん上手い具合に乗り物を繋げられたらもっと早い。それよりもヘクターの真剣な様子にわたしも不安になってきてしまった。それが伝わってしまったのだろう。「ごめん」と呟きながらわたしの頭に手を置いた。
うーん、何て返そう。
そんな事を考えている間にアルシオーネさんの部屋の前へとたどり着く。軽くノックすると扉を開いた。
「おかえりなさい」
ソファーからアルシオーネさんが声を掛けてくる。その周りにはローザ達メンバーとガブリエル隊長の姿。
「あ、隊長」
彼がいても不思議は無いのだが、思わず呼びかけてしまった。すると少し気まずそうに目を伏せた後、顔を上げてわたしに手を上げた。ガブリエル隊長の態度もそうだけど、皆どこか暗いムード? 「何かわかった?」
空いている席に腰掛けながらわたしが聞くとローザが首を振る。
「まだその話しはしてないわ。……っていうよりそんな話ししてる場合じゃ無かったというか」
は?と聞き返そうとする前に、イルヴァが眉を下げながら声を漏らす。
「サムさんがいなくなっちゃったんですう」
「……誰?」
眉間に皺寄せ疑問を口にするヘクターにわたしが答える。
「あのよく神殿を動き回ってた僧侶の人。普段は厨房で働いてるらしいんだけど、わたし達を呼びにきてくれたりもした細い人よ」
そう言いながら「こんな髪型の」とわたしは手で頭の上に綿雲を作るような動きを見せる。「あー」とヘクターが頷いた。分かったようだ。
「いなくなっちゃったって……、何処に行ったんです?」
わたしは自然とガブリエル隊長に聞いていた。場の雰囲気から彼に聞くべきだと思ったのだ。
「これが今朝、神殿の入り口に。……警備隊の部下が発見したのだ」
そう言ってガブリエル隊長が出してきたのは一枚の紙。嫌になるほど見覚えのあるものだった。
「これって……」
思わず顔をしかめるわたしにアルフレートがふふ、と笑う。
「ニッコラ邸に着た『ミツバチ』だの『蜘蛛』だのいっていた手紙と同じ種類の物だな」
そう、アルフレートの言う通りその用紙は旅の発端になった手紙と同じ薄いクリーム色の手のひら大の羊皮紙だった。ガブリエル隊長から手渡され、裏を見るとこれまた同じように藍色の粗悪なインクで書かれたような文字が並んでいる。その隅にはよくわからない記号で埋め尽くされたものも一緒に書かれていた。
「『火の番をする男は捕らわれの身。返して欲しければ少女を我々に差し出す事。期限は設けない。が、火の番の男が生き延びる期限は分からない』」
わたしの手元を覗き込んだヘクターが文字を読み上げる。顔の近さと耳元の声に、我ながら場違いに赤面してしまう。それを誤魔化すようにわたしは頬に手を当て、
「何て事なの……」
と呟いてみる。が、フロロにはバレバレだったようで呆れた顔がこちらを向いていた。
「この『火の番の男』っていうのがサムさんの事なの?」
わたしが尋ねるとガブリエル隊長は苦しそうな息を漏らしながら頷いた。
「サムは調理室の係をやっている一人で、昨日の夜中から姿が見えないらしいのだ……。サムの事で間違いないと思われる」
「昨日の夜中って……連れ去られたんだとしたら、わたし達がお邪魔した後ってことになるわよね」
わたしが再び尋ねるとガブリエル隊長ももう一度大きく頷く。
「そう、君達がいなくなって私も夜食が終わり、夜勤の見回りに出た。その後、同じ調理室の者に『キール爺さんに夜食を持って行く』と言って出て行ったらしい」
ガブリエル隊長の言葉が切れたのでわたしは深く息を吐き出す。
「それきり、って事ね。キール爺さんっていうのは神殿にいるの?」
わたしの質問にガブリエル隊長は首を振った。
「この町の外れに一人で住む変わり者の老人だ。完全な夜型人間で普段からそういった時間に夜食を運んでいるのだ」
成る程、それで神殿の外へ出てしまったから狙われたのか。
「そのキール爺さんっていうのは……」
フロロが何か含みのある言い方で聞くと、ガブリエル隊長にアルシオーネさんも首を振っている。
「私からも保障しましょう。彼は怪しい所は無いわ。理由もちゃんとある」
きっぱり言い切るアルシオーネさん。
「そうとも、彼が一枚噛んでいたとしたら裸で踊ってやってもいいぐらいだ」
同じく自信満々に答えるガブリエル隊長には「誰が見たいんだ、そんなもん」と言いたくなる。そのキール爺さんの事もめちゃくちゃ気になるけど、とりあえず置いておくか。
「この交換を求めてる『少女』っていうのは……やっぱりミーナの事よね」
ローザが言いにくそうに呟くと、突然サイモンが立ち上がった。
「だ、ダメだよ、ミーナと交換だなんて!」
ぶんぶんと首を振るサイモンは、今は駄々っ子のようには見えなかった。まあ気持ちは分かるけど、というかわたしも同じ気持ちだけど。でもどうすれば……わたしが頭を抱えそうになった時、
「私、行くわ」
突然、力強い声を上げたのはミーナだった。前にあるローテーブルを睨みつけるように見つめている。そしてそのままもう一度口を開く。
「私、そいつらの所に行くわ。どうして私が望まれているのか分からないけど、行かなきゃ」
「ちょっとミーナ……」
ローザの止めに入る声に彼女はローザの顔を見上げた。
「だってこれ以上関係無い人を巻き込んでどうするの!?それに私、早くこの状況を何とかしたいの!」
最後は悲鳴交じりになったミーナの言葉に部屋が静まり返った。一瞬の間の後、ふふ、というアルフレートの笑い声にわたしは彼の顔を睨みつける。
「本人がやる気になってるんじゃ止めようがないだろう?良い事じゃないか、敵に本格的に接触できるチャンスと思った方が良い。それより何処に行けばいいんだ?」
アルフレートはそう言うとわたしの手から手紙を取り、隅に書かれた記号の集合体のようなものを指差した。
「これは地図だろうな」
その言葉にローザも手紙を覗き込む。
「コレは古代地図の東西南北を示す記号ね。じゃあこれはこの神殿のことだわ」
三つの丸が並ぶ記号はフロー神のシンボルだ。繁栄を表しているらしい。わたしもその図を見て指差す。
「あ、ここの事じゃない?コレってサイヴァの紋章よね」
わたしが言うのはその図の端にある黒丸に十字の入った記号のことだ。ローザも頷いている。
「町の外れみたいね……。こんな所に孤児院とは別に拠点でも作ってたのかしら」
ローザの渋い顔にガブリエル隊長も手紙を覗き込み、発言する。
「……これは、昔の騎士団が使っていた宿営地かもしれんな。この方角に岩場の隙間が雨風を避けるのに丁度良い場所があるのだ」
「特に建物があるとかそういうものでは無い、ってことですか?」
ヘクターの問いにアルシオーネさんが頷いた。
「この辺りは荒野が広がるだけで、町の中以外は建物らしい建物は無いんじゃないかしら」
「決まりみたいだな」
アルフレートはそう言うと改めてにやり、と笑った。