冷酷なウサギ
わたしとイルヴァが中庭に着いてまず目に入ってきたのは、サイモンが派手に転がる姿だった。
木刀は明後日の方向に飛んでいっているし、痛かったらしく唸り声を上げて立てなくなっているが、ヘクターは黙ってその姿を見守っている。
「楽しそうじゃないですかー」
イルヴァの第一声はちょっと理解出来ないものだった。わたし達が近付いていくとサイモンががばっと顔を上げる。
「……ミーナには言わないで」
「言わない言わない。良いからちょっと休憩すれば?」
泥だらけの顔から出てきたよく分からないサイモンの見栄にわたしが手を振り答えると、サイモンは首を振った。
「もうちょっと頑張る」
「じゃあ今度はイルヴァがお相手しましょう」
イルヴァはそう言うとパウンドケーキの一辺を口に放り込み、ヘクターから木刀を受け取る。それをひゅんひゅんと音を立てて華麗に振り回す姿は流石、見事なものだ。
「どっからでもかかってきなさい、です」
びし!と決めポーズで木刀を構えるイルヴァにサイモンは慌てて自分の木刀を拾いに行く。
「ちゃんと手加減して『修行』にしてよ?」
わたしは心配になり思わず声を掛けるが、こちらに寄ってきたヘクターが笑いながら首を振った。
「大丈夫だよ」
「そうかな……」
こういう事に関していまいちイルヴァを信用する、ってことが出来ないんだけど、同じファイタークラスだとそういう信頼は感じ取れるものなんだろうか?
「あ、これどうぞ」
中庭にある噴水の淵に並んで腰掛けた後、ヘクターにパウンドケーキが乗った大皿を差し出すと、
「随分もらってきたんだね」
と少し目を丸くした。
「ありがとう」
「いやあ」
お礼を言われて妙に照れるわたし。お前が作ったんじゃないだろ、という突っ込みはしないでもらいたい。でもこういう場合でもキチンとお礼を言うヘクターに一々きゅんとしてしまう。
こういうお菓子をあげる、なんて状況も密かに憧れていたりする。でもわたし達の場合はスイーツ手作り大好きローザちゃんがいるし、作ったとしても大食い女王イルヴァがいるし。それに二人っきりであげるなんて考えただけで鼻血出そうで無理だわ。
「いた、いた!いたい!いたい!」
「よそ見は厳禁ですよー」
声に驚いてイルヴァ達の方を見ると、サイモンがぽかぽかと木刀で頭を叩かれている。なるほど、あの様子だと手加減しているようだ。
「随分厳しい先生だね」
二人を見てヘクターが笑う。ふと気になった事を聞いてみることにした。
「サイモンは筋が良い?」
わたしの質問に一瞬つまった様子を見せた後、ヘクターは首を傾げる。
「まだ『ごっこ遊び』みたいなもんだからね。でもやる気はあるんだから……」
「……学園に通って欲しいね」
言い淀んだ言葉をわたしが補うとヘクターは深く頷いた。二人で顔を見合わせて笑った時、
「威勢が良いですね」
横から掛けられた澄んだ声に驚いて皿を落としそうになる。慌ててヘクターがそれを受け取り、声のした方向を見て頭を下げた。
「あ、どうも」
中庭を歩いてくるのは金髪の少年と異種族の姿。レオンとウーラではない。少年の方は顔は似ているが凜としたオーラはレオンとは異なるものだ。付き添いの異種族もあの青い肌の女性ではなく、大きな耳と他には見ないラベンダー色の髪が特徴的な男性。にっこりと微笑む王子の顔は凄く大人びて見えた。
うわー、王子様と目が合っちゃったよ!
経験の無い出来事に心の中では盛り上がっているものの、多分、緊張感でいっぱいな顔をしていたのだと思う。わたしの隣りに座ると王子の方から話しをしてくれた。
「旅人の方ですか?」
「は、はい、冒険者を目指す学生です」
わたしの答えに王子はにこりと笑う。
「ローラスの方ならプラティニ学園ですね?」
「そうですそうです!」
王子もうちの学園を知ってるんだ。こんなちょっとの事でも嬉しくなってしまった。
「私の名前はエミール、サントリナ王国から来ました」
思わず「知ってるよ!」と返しそうになる。が、王子のにこにことした顔を見て分かった。この人、一個人になった事が嬉しくて楽しんでるんだ。それでこんな紹介の仕方なんだろうな。
「こちらはブルーノ、私のお付きです」
王子の紹介に半歩後ろにいるウサギ耳の男が頭を下げる。つられてわたしとヘクターもお辞儀した。暗い、というわけではないが随分と物憂げな空気の人だ。和やかな雰囲気の王子とは対照的でこちらに警戒を解いていない様子が分かる。戸惑いつつも自己紹介を返す。
「あ、わたしはリジアです。リジア・ファウラー」
「ヘクター・ブラックモアです」
わたし達の紹介を笑顔で聞き、握手する王子様。すごく気さくな人だ。しかしどう育ったらここまで隙が無く上品になれるんだろう。
「同年代の方とお話出来ることが余り無いのでこういう雰囲気は良いものですね」
王子の言葉に少し驚いた後、わたしはどう答えるか迷ってしまった。王子一人なら『じゃあ一緒にちゃんばらごっこします?』なんて言いたいけど、ブルーノさんに怒られそうだし。
「認定式にはもっと友達が出来ますよ」
ヘクターがにこにこと答えるのを横で見ていて思う。何でこういう無難な返しが咄嗟に出来るんだろうか。生きてきた経験値が違うのだろうか。王子もにこにこと「そうですね!」と答える。きっと楽しみにしてきたんだろうな。
しかし、それを打ち破ったのはやはりブルーノさんだった。
「殿下、冷えて参りました。そろそろ参りましょう」
その沈み込むような低音に王子は顔を曇らせる。が、すぐに笑顔に戻るとわたしに「また明日お会い出来ると良いですね」と言い、立ち上がる。何とも優雅な振る舞いで去っていく二人を暫し眺めた後、ヘクターが口を開いた。
「誰かと思ったけど、やっぱり雰囲気が普通の人間とは違うもんだね」
その言葉に首を傾げそうになったが、ああそうか、ヘクターとサイモンは王子が到着した時いなかったんだっけ、と思い直す。
「名前出されてびっくりした?」
「いや、その前に何となく分かった」
ふふ、と笑うヘクターの肩越しにイルヴァとサイモンが見える。サイモンがいい加減疲れたのか、イルヴァに降参を示すようなポーズをしていた。
イルヴァが手を差し伸べサイモンを立ち上がらせ、こちらに戻ってくる。
「俺達もそろそろ休まないとな」
ヘクターの言葉に頷きつつ、わたしは去り際のブルーノさんの視線が気になっていた。一瞬、ほんの一瞬ではあるけどサイモンの方を見ていたと思う。サイモンを覚えていて、早々と切り上げたのもその為じゃないか……?そんな疑問が頭に回っていた。
「……ちょっと確かめたい事があるんだけど」
そう言ってわたしはイルヴァとサイモンを呼び寄せる。
「今から王子達を追いかけて、サイモンにあの付き人を確認してもらえないかしら。すぐ行けばまだいると思うから」
きょとんとする二人の横でヘクターが「あ」と呟いた。
「フェンズリーの孤児院に訪ねてきてた異種族の話しか」
「そう、ウサギ耳の男の人って言ってたわよね?」
わたしが聞くとサイモンは少し戸惑った様子を見せた後、頷く。
ミーナが孤児院を離れてからの変化、という問いにサイモンが答えた謎の異種族の訪問。それが「うさぎの耳の男性」だったのだ。たった一度の事だったらしいけど、何か引っかかる。
「何となくだけど、サイモンと顔を合わせるのを避けてた気がするのよ……。静かに追いかけましょう」
わたしが中庭の入り口を指差すとヘクターが首を振った。
「もし見つかって変に慌てるより、普通に追いかけた方がいいんじゃないかな。やましいことは無いんだし」
まあそうか、同じ建物で寝食を共にする仲……とまではいかないがばったり会ったところで変ではない。わたしはそれに頷くと「行きましょう」とサイモンの肩を叩いた。
「もしかしてあの部屋?」
わたし達の部屋がある南塔の一つ上の階、見慣れない紋章が入ったブレストプレートを、着込んだ兵士が立ちはだかる扉にわたしは溜息をついた。
「サントリナ王家の紋章だ。……追いつけなかったみたいだね」
ヘクターが剣に絡み付く水竜の紋章を見て呟く。そう、結局二人には追いつけずにもう部屋に入ってしまった後らしい。やましいことはない、といっても訪ねていくまでの理由はない。諦めるしかなさそうだ。
「王子にもケーキあげるって押し掛けるのはどうですかねー」
イルヴァが唇に指を当て提案するが、わたしとヘクターは首を振る。流石に馴れ馴れしいと怒られるだろ……。
「明日、僕がんばってその男の人見てみるよ」
サイモンの言葉に全員が頷き、部屋に戻ろうか、ということになった。
「残念、なんで孤児院に来たのかぐらい聞けたらいいんだけどねー」
階段を降りながらわたしが呟いた時だった。狭い踊り場を曲がった先に、急に現れた影に小さく悲鳴をあげてしまった。ヘクターがわたしの腕を取る。それを黙ってみる目の前の男性はブルーノだった。
美しいラベンダー色の髪の下、深い海底のような目がわたしを見下ろしている。すごく、怖い。何も言われなくても怒られているような感覚になる。
「あ、えっと……」
刺すような視線に冷や汗が出る。やましいことはない、無いのよ、と思っても頭に浮かぶのは「どう誤魔化そう」なんて事だ。しかしなんでこっちの方向から現れるのよ……。もしかして逆に見張られてた?と考えた時、後ろからサイモンが声をあげる。
「あ、この人、この人だよ!」
わたしの緊張とは真逆の明るい声に『余計なことを……』という言葉を飲み込む。さらにイルヴァののんびりした声が続いた。
「このうさぎさんですかー。なんでフェンズリーに来たんですかー?」
固まるわたしとヘクター。ブルーノは少しだけ口角を上げる。どうやら微笑んだらしい。が、次の瞬間には無表情に戻ってしまった。そして大きな声でもないのに妙に耳に響く声でわたし達に言い放つ。
「私は『あの方』に危害を加える者は許さない。例え君らのような子供であってもね」
冷たい瞳と声色にビビりまくってしまうが、勇気を持って問い返してみた。
「あ、あの方って……エミール王子?」
「そうだ」
そう答えるとブルーノはわたし達の横を通り抜け、上に行ってしまった。
な、何よ何よ何よ、意味分かんないし、質問の答えになってないじゃない!
本人がいなくなったことで緊張が溶けたのか、代わりに悔しさで頭がかっかとしてくる。
「なんで怒っちゃったんだろうね」
サイモンが尤もなことを言い、肩をすくませた。