ミツバチ
お昼ご飯を終えて町に出ると、薄雲の下でひんやりする空気にぶるりと体を震わせた。
「まさかこんなに気温が下がるとはねー」
わたしの呟きにローザが振り向く。
「きちんと説明しておけば良かったわね……、神殿に帰ったらストール貸してあげるわ」
ローザちゃんのストールっていうと柄が豪華でちょっと恥ずかしいんだけど、まあしょうがない。
わたしがローザに頷いた時、ふと感じた視線に通りを振り返った。仲間の皆はすでにわたしの前を歩いているはず。なのに後ろから感じた視線。特に不信感もなく振り向いたのだが、見覚えのある顔に声を上げそうになった。灰色のローブに薄茶の整えられた頭。色の白い顔はこの日差しの少ない町にひどく溶け込んでいるように感じる。マーゴだ。
わたしが驚いたのは彼の行動に、だった。確かに目が合ったはずなのに、彼は無表情のまま通りを曲がって行ってしまう。まるで何も気付かなかったように。
気付かなかった……のではない、と思う。明らかにわたし達を見ていたもの。じゃあ何故?仲間が増えていることを不信に思って声を掛けなかったのだろうか。確かアルフレートがわたしと二人旅って説明しちゃったんだものね。でもあの無表情な顔がひどく引っかかってしまう。
「早く行くわよ」
ローザからの声にわたしは我に返ると、もう一度通りを振り返った後、皆の後を早足で追い始めた。アルフレートに追いつくと小声で今の事を話して聞かせる。
「……どうするの?明日、孤児院に行けないわよ」
「別にいいさ。始めからもう行く気はない」
アルフレートの返事にわたしは驚いて目を見開いた。
「そうなの?」
「……正攻法ではね。またあの芝居を続けた所で新しい情報なんて出て来ない」
「じゃあどうするの?」
わたしが聞くと彼は黙ってフロロを指差す。あ、なるほど。使いっ走りで悪いけど、潜入と情報収集は盗賊の仕事だもんね。
「声、聞こえてるんだけど」
フロロは眉間に皺寄せながらこちらを見てくる。
「いざって時になったらフロロにしか頼めないんだから、しょうがないじゃない。頼りにしてるってことよ」
「そんなおべっか使っても駄目だよー」
わたしとフロロが言い合っているうちに神殿前まで戻ってきた。随分と神殿周りの人の流れが増えている。いよいよ認定式に向けて人が集まってきているのだろう。
神殿内に入ると中庭方面から騒がしい声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。不穏な空気が伝染するように周りがざわつき始めた。ローザが眉を上げ、近くにいた若い僧侶を呼び止める。
「どうしたの?」
そう尋ねられ、若い僧侶はどうしたものかというように眉を下げた。
「それが……フォルフ神官とガブリエル護衛隊長が何か言い争いをしているようで……。今、アルシオーネ様を呼びに行こうかと思っていたところなんです」
「何を争ってるんだ?」
ヘクターがまた尋ねると若い僧侶は困った顔をする。
「それが……どうも神殿の護衛配備に関する事のようで」
「護衛配備?何でそんな事にフォルフ神官が口出しするのよ」
ローザは眉をひそめた。と、フロロが駆け出す。
「とりあえず首突っ込んでみよーぜ」
「あ、ちょっと待ってよ」
わたしも思わずその後を追った。
中庭に着くと中央にある噴水の脇に人だかりが見える。遠巻きに状況を見る神官達におろおろとする僧侶達。主役となっているのは真ん中にいる二つのグループだ。睨み合うガブリエル隊長とフォルフ神官、そしてそれぞれのお付き、というか部下?
「エミール殿下の護衛にあたる者はアルシオーネ大神官がお決めになったことだ!あなたがどうこう言う事ではないぞ!」
ふん!と鼻息荒くするガブリエル隊長に、フォルフ神官は馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「だからそれらを決める過程に君の助言という余計な要素があったのだろう?君は神殿内のことなど何も知らない。表でソードを振り回しているだけの分際で!」
「だからそんな事はしていないと言っているだろう!」
お互い顔を赤くしながらフガー!と鼻を鳴らしている。おっさん同士の対決だ。その様子を黙って見ていたガブリエル隊長の部下二人が顔を見合わせ、片方が口を開く。
「要するにあなたは自分が何の指示も与えられずに蚊帳の外なのが気に食わないのでしょう?」
もう一人も続けた。
「当たり前じゃないですか。貴方は法術、こと攻撃的な分野ではからきしだ。それでは……」
「ぶぶぶ無礼な!」
頭から湯気が見えそうなほど赤くなったフォルフ神官を見て、フロロが呟く。
「なんとなーく状況分かったな。単なる使えないおっさんの不平不満だったってわけだ」
「ずうずうしい奴ねー」
わたしも正直な感想を漏らした。ガブリエル隊長は昨日わたし達を助けてくれた時の事を思い出しても、随分なやり手であることだし『法術がダメ』なんて言われちゃうフォルフ神官よりよっぽど信頼はあるに違いない。その二人が言い争ってもどっちが正しいかなんて火を見るより明かじゃないか。というより何故、このおっさんはここまで偉そうに出来るのだろう。
わたしは最早呆れの境地でフォルフ神官を見ていた。ガブリエル隊長も同じ心境だったのかもしれない。今は落ち着いた顔でフォルフ神官に向き合っている。それでもいちいち話しを返してやっているのが偉いと思う。
その時、先程ローザが声を掛けた僧侶が走ってきた。
「ガブリエル隊長、アルシオーネ様が、お、お呼びです」
走ってきたからか息を切らしている。
「何?今行こう」
ガブリエル隊長はそう答えると「失礼」と人垣をかき分けていく。それをフォルフ神官は『ほらみろ』と言わんばかりの顔で見送っていた。ガブリエル隊長が注意を受けるとでも思ったんだろうか。
息を整え終わった若い僧侶がわたし達を指差す。
「あ、アズナヴールさんとお仲間達」
「ローザよ」
間を置かずローザが言い返すと僧侶は一瞬面食らったようだったが、言葉を続ける。
「あなた方も、アルシオーネ様が呼んでいらっしゃいますよ」
「あたし……も?皆も一緒に?」
ローザが驚いたようにわたし達を見回し、僧侶を見る。すると彼は大きく頷いた。わたし達は思わず顔を見合わせるが、
「あのオヤジに見つかるとまたうるさそうだから早く行こうぜ」
フロロの言葉に全員が頷く。『あのオヤジ』とは勿論フォルフ神官の事だ。しかし当の本人は満足げに胸を張りながら、部下と共に廊下を去っていっていた。
「どうぞ、お座りになって」
二回目の訪問となったアルシオーネさんの部屋、到着するとすぐにソファーを勧められる。先に着いていたガブリエル隊長はわたし達を見て少し驚いたように目を丸くした。
「やや、君らではないか」
「あら、もう顔合わせてたのね?」
アルシオーネさんが尋ねるとガブリエル隊長は顎を撫でつつ頷く。
「昨日、少し騒ぎがありまして……」
「ああ、昨日の報告の話しね。あなた達だったの」
アルシオーネさんはそう言って立派な一人掛けソファーに身を沈める。学園長といい、神官の中でも偉い人って優雅な雰囲気があるんだな。
全員が座ったのを見てアルシオーネさんが口を開く。
「リュシアンから連絡が着ましたよ」
誰だっけ、と思ったところでローザが「お父様から?」と呟いた。
「ああ、そういえば君はリュシアン・アズナヴールのお子さんだったな……、で、私が呼ばれたのは?」
ガブリエル隊長はぽりぽりと頬を掻く。アルシオーネさんはゆっくりと頷いた。
「孤児院を本格的に調べる日が来たということです」
「え……」
わたしは驚いて二人を見る。ガブリエル隊長も驚いた顔をしてアルシオーネさんを見た後、そのままの顔でわたし達も見回した。
「どういう事だ?」
そう聞かれても、こっちこそそう言いたい。
「私はリュシアンから大体の流れは聞いたわ。ガブリエルにはあなた達から話してやってくれないかしら。あなた達の旅の流れを」
ミーナが困ったように体を揺らす。わたしの迷いを見たのかアルシオーネさんはゆっくりと首を振った。
「大丈夫、ガブリエルはきっとあなた達の役に立ってくれるわ。私が保証しましょう。勿論、私もね」
この人が大丈夫と言うなら大丈夫なんだろう。学園長、ローザちゃんと懇意な人という事実に加えて、穏やかさ、力強さを兼ね備えた空気の大神官を見て、そんな気持ちになった。
「少し長くなるわよ」
ローザが言うとガブリエル隊長は窓の外を見る。
「平気だろう。ま、今の時間、部下に任せるとしたら今夜も私は寝ずの見回りになりそうだがね」
ガブリエル隊長のひょいと肩を竦める仕草の後、ローザはわたし達を見回した。そして長い語りが始まる。
「その子はミーナ、あたしの家のすぐ近くに住んでる子なの」
ローザに示され、ミーナはぺこりと頭を下げた。
「今回の旅はあたしの認定式の為にこの町まで来るっていうのが表向きの理由。でもミーナを匿うというのが一番大きな理由よ」
「匿う、とは?」
ガブリエル隊長は目を大きくしてミーナを見る。一見して普通の子だもの。どこぞの王子様のように不穏な動きの波に巻き込まれるようには見えないからだろう。
「これを」
アルフレートが懐から二枚の手紙を出した。テーブルに置かれたそれをガブリエル隊長は躊躇したように見つめた後、手に取る。
「……こりゃサイヴァ教団の『警告』じゃあないか!」
ガブリエル隊長は頬を赤くしている。見た目通り嫌悪感の表し方も激しい人だ。
「そうじゃないか、って話しをあたし達でもしてて、それであたしの予定に合わせて町を出ることにしたの」
「この『ミツバチ』がこの子の事だと?」
ガブリエル隊長の問いにローザは頷いた。アルシオーネさんが口を挟む。
「とりあえず話しを聞いてから質問しましょう。ローザ、順を追って話してちょうだい」
その言葉にガブリエル隊長は「す、すまない」と顎を撫で、ローザはもう一度大きく頷いた。
話しが終った時、窓から部屋に差し込む光は赤いものに変わってしまっていた。
「……あの獣人達が君らを道中襲撃していた連中だということだね?」
長い話しの後に広がる沈黙の中、始めに口を開いたのはガブリエル隊長だった。わたしとローザの頷きにガブリエル隊長は難しい顔をしながら腕を組む。白銀の美しい小手がかちゃりと金属音を立てた。今気付いたけど、ずっとこんな重装備で疲れないのかしら。ガブリエル隊長のフルプレートアーマーを見ながらわたしは思う。
アルシオーネさんがわたし達一人一人の顔を見ながら口を開いた。
「実はあの孤児院については私とガブリエル、それにリュシアンの三人の中でずっと話し合いを続けていたの」
えええ!学園長、そんなこと何も言ってくれなかったけど!わたしの顔を見てアルシオーネさんはくすりと笑った。
「リュシアンも何か考えがあったのでしょう。それに今までは何の動きも取れなかったのだから、話す事が無かったとも言えるわね」
アルシオーネさんはそこで区切ると一度ミーナの顔を見た。そして目を瞑ると再び話しを続ける。
「一つ、古い話しをしましょう。場所はここでは無く遠い異国の地、大帝国アルケイディア。文明や文化、人口の数にしても間違いなく一番大きな国です。その国で半世紀程前まで頻発していた事件があります」
「事件?」
わたしはすでに眠りの世界に入り込みそうなイルヴァを肘で突きながら尋ねる。
「そう、子供の連れ去り事件です」
アルシオーネさんの静かな声に全員がはっとするのが分かった。
「首謀者はサイヴァ教団の幹部。アルケイディア中に散らばった彼らはいくつもの孤児院を経営し、子供を集めていました。その時被害にあった子供達を『悪夢の子供達』なんて言い方をしていたようですが、言葉が悪いということで『夢の子供』という言い方に変わったそうです。しかし、教団の中では違う言い方をされていた」
「『ミツバチ達』」
ガブリエル隊長が静かに、だが力強い声で呟いた。わたしはぞわぞわと沸き上がる嫌な気持ちに身を縮める。
「どういう、意味です?それに何の為に?」
ヘクターの問いにローザが答える。
「信者を増やすためとかじゃない?」
しかしアルシオーネさんは首を振った。
「いいえ、混沌をばら巻く為に。詳しくは知りませんがそこで育った子供は感情に乏しく、犯罪に身を落とす者が多かったようです」
「まさか……快楽殺人狂みたいに?」
わたしが思わず口に出すとアルシオーネさんは苦笑する。
「そういう子もいたでしょうね。……でも今はもう昔の話しになっていますよ。帝国にもそんな施設は残っていないそうです」
なるほど、こんな話しを知っていたからこそあの孤児院に目をつけていたわけか……。




