こわいひとがいる
「ではこの町以外の孤児院も見て来たわけですね?」
マーゴの問いにアルフレートは頷く。
「ここの前はフェンズリーの孤児院を。フローの教会にあるだけあって、子供は皆、泥だらけになって遊んでいましたよ」
「大地母神ですからね」
マーゴはふふ、と笑った。彼について回った部屋は食堂、大部屋、子供達の寝室や遊具の並ぶ遊戯室なんてものもあった。廊下から見えるのはリョージャさんと子供達が庭の掃除をする姿。大多数はそちらに行っているらしいが、回った部屋に残っている子供も何人か見かけることが出来た。どの子も大人しい気はするが驚いたような顔をしたり恥ずかしそうな顔を見せたり、躾が厳しいならこんなものかも、という範囲ではあった。
部屋を見て回りながらマーゴに聞かれエルフ様の旅の話しをしていたアルフレートだったが、改めて感心するほどぺらぺらと喋り続けていた。あまりの流暢さに自分が本当に弟子になって、そんな旅をしてきたような錯覚まで覚えたほどだ。
「ここが最後になります」
マーゴがそう言って開けた部屋はとても落ち着く匂いがする。中を見てその理由がわかった。読書室なのだ。腰ぐらいの高さの本棚が壁にそってずらりと並んでいる。中に入りその一つを見ると絵本が多い。当たり前だが絵本以外でもわたしが幼少時読んだ懐かしい児童書ばかりだ。
「ナタリア、ジョナサン、挨拶は?」
マーゴがそう問いかけるのは部屋にいた二人の子供。まだ4、5歳といったところだろうか。もじもじしていたがか細い声で「こんにちは」と答える。
「こんにちは」
わたしとアルフレートが返すと再びもじもじとしてしまう。
「すいません、中々人が訪れることもないものですから」
マーゴのすまなそうな顔にアルフレートは「いいえ」と首を振った。
「君達もお庭の掃除を手伝っておいで」
マーゴにそう言われると二人の子供は軽く頷き、部屋を出て行く。
「これだけの本が揃っているのは良いことですね」
アルフレートが本棚から一冊を取り出しぱらぱらと眺めているのを見て、わたしも何となく先程の子供が残していったらしきテーブルに残る絵本を手に取る。『パンプキン王と宝石』、有名な絵本だ。でも結末が悲しくてわたしはあんまり好きじゃなかったな、そんなことを思いながら懐かしい絵を捲っていった。宝石に囲まれる王様が満面の笑みを作っているイラストに思わず笑みがこぼれる。子供の頃は妙に不気味な顔に見えて凝視出来なかったっけ。今見ると滑稽な顔に、大人が無理矢理込めた『教訓』が透けて見える絵だ。
絵本の中の王様が家来に命令をしているページでわたしの手は止まる。あれ?という小さな疑問がじわじわと黒いものに変わって大きくなっていく。黒いミミズののたくったような跡。ここにあってはならない物だと、頭に警報が鳴る。
『わるいひとがいる』
クレヨンで書かれた子供の字。ぞわぞわとする妙な不安感に襲われた。なに、これ?始めから絵本に描かれたものではない。わたしだって持ってる絵本だもの。
思わずマーゴさんの姿を目で確認する。彼は庭を眺めていた。わたしとアルフレートが本に集中していると思ったのだろう。それを確認するとそーっとアルフレートの腕を突く。ぱっとこちらを見るアルフレートに無言で今見ていたページを目で示すと、一瞬眉を動かした。素早い動きで音も無くページを破ると、何食わぬ顔で胸ポケットに仕舞ってしまった。
「……そろそろ町へ戻ろうかと思います」
アルフレートが声をかけるとマーゴさんははっとしたようにこちらを向いた。
「そうですか、いかがでした?」
「なかなかの素質を窺える子が何人かいますね。また明日も来ようかと。とにかく私に馴れてもらわないと話しもしずらい」
ふふ、と笑うアルフレートにマーゴさんは頭を下げる。
「みんな人見知りが激しくて……、すいません」
「いえ、見慣れれば変わってくると思いますよ」
二人の会話を聞きながら、ざわつく気持ちを何とか押さえつけているとふと思う。マーゴさんは、何を見ていたのかしら。
孤児院からの帰り道、無言で歩き続けていると、
「ちょっと止まれ」
アルフレートが手招きしている。孤児院から大分離れたとはいえ、いまだどきどきとする心臓を宥めながら辺りを窺ってしまった。
「……何?」
話しなら神殿に帰ってからにしてくれよ、と思いつつ返事をするとアルフレートはわたしの顔をじい、っと見つめてくる。眼球の裏側でも透視してるんじゃないかと思う程、わたしの目を見た後、
「お前は本当に逞しいな」
となぜか呆れ顔になった。な、何だよ、失礼な奴め。言い返そうとするわたしを手で制すと鼻を鳴らす。
「……屋敷に入った時、甘ったるい匂いがしただろう?あれは媚薬の一種だ」
「ええ!?」
思いもよらぬ自分の大声に慌てて周りの見回した後、アルフレートに詰め寄った。
「な、何それ?何されちゃったの、わたし?」
媚薬っていうとチャームの魔法みたいに誰かの虜になっちゃったりするんだろうか!?でも特に何も異変はない、と思う。
「だから大丈夫だと言ってるだろう。媚薬といっても強力な鎮静剤みたいなもんだ」
「無気力になる、ってこと……?」
「まあそういうことだな」
アルフレートはそう言うとにやりと笑う。
「これで予想通り、単なる孤児院じゃないことは確定されたわけだ」
「で、でもそうなるとレオン達は何してたわけ?やっぱり敵なの?」
わたしは自分で言ってからはっとする。何だか馴染みのある顔になってしまったあの二人だけど、やっぱり心の何処かで疑っていたんだろうか。
「さあな、案外、彼らもあの孤児院を調査目的で訪ねていたのかもしれない」
アルフレートの言い方は『そうではない』と暗に言っているようなものだった。それはわたしにだって分かることだ。だって、明らかにおかしかったもの。レオンの様子が。
「まずはあの坊主どもの巣窟に帰ろうじゃないか。お祈りでもしてればフローが何か助言してくれたりするかもな」
ふふ、と面白そうに笑うアルフレートにわたしは眉をひそめる。なんでこうも楽しそうに出来るのかしら。
「フロロ達も戻ってるでしょうし、まずはそうした方が良いわね」
わたしはそう言ってからふう、と溜息をついた。あの二人、勝手に遊び回ってなきゃいいけど。
「『良いでしょうね、アルフレート様』、だろう?」
ニヤニヤとするアルフレートのことは一切無視することに決めた。
神殿に戻り、南側の部屋に帰ると案の定、フロロとイルヴァは戻っていなかった。一人、部屋で本を読んでいるミーナに驚くと、皆の行方を尋ねた。
「ローザちゃんはアルシオーネさんの所に行ったわ。何かお話があるんですって」
あー、そういえば昨日何か耳打ちされたりしてたもんな。今回の事とは関係無く、色々あるのかもしれない。
「ほー、がんばってるじゃないか」
窓から中庭を覗いたアルフレートが感心気に呟いた。わたしも窓から顔を覗かせる。
下から聞こえるのはカツン、カツン、という乾いた音。ヘクターとサイモンだ。木刀のようなものを使って手合わせしているらしい。手合わせ、といってもサイモンはただ木刀に振り回されているように見える。子供からしたら長くて重そうだもの。必死で木刀を振り回すサイモンを避ける事無く打ち返しているヘクターを見て、思わずにやけてしまう。正直に言ってかっこいい。
「へえ~、やっぱりこんだけ違うものなんだね。腕の差って」
わたしが素直な感想を漏らすとアルフレートが顔をしかめる。
「お前、ある意味あのお兄さんの五年間を否定してるような発言だぞ?」
「そ、そっか」
確かにまともにやり合える方がおかしいもんね。学園に入る前の子供とだったら。
「あらー、戻ってたのね」
部屋の入り口からしたオカマボイスに振り返る。
「どうだったの?」
ローザの詰め寄りにわたしは溜息で返した。
「とりあえず……あったことそのまんま話すから、正直な感想聞かせてちょうだい」
「媚薬……って、多分マイナスの感情を押さえるタイプのものじゃないかしら」
わたしとアルフレートの話しを聞いたローザが眉を寄せながら呟いた。
「そんなようなものだろうな。外から来た人間を余計な疑いの目から逸らすことも出来るし、中にいる人間が逃げ出すことも無い」
疑いの感情には『暴いてやろう』という攻撃的要素が、逃げ出そうという感情には恐怖というマイナス感情がそれぞれある。それを抑えてしまうわけか。アルフレートの言葉にぞっとすると共に、一つ疑問が湧く。
「なんでわたし達は平気だったの?」
わたしが聞くとアルフレートは横目でわたしの顔を見た。
「精神的抵抗力が勝ったんだろ?だから逞しいと褒めてやったんだ」
へえ……、でも何だか複雑な気持ちになるのは何故なんだ?図太いと言われているようだからだろうか。
「それよりさっき言ってた絵本の文字、ちょっと見せてよ」
ローザに言われ、わたしはアルフレートの腕を突いた。彼の胸元からさっと取り出された絵本の一ページにミーナが「あ、臆病な王様の話しね」と指差す。本を読む子なら誰でも知っているような絵本の王道だ。ベッドに置かれたそれをローザが汚いものを触るように摘まみ上げる。そーっと開くと、勢いよくこちらに投げ返してきた。
「……ちょっとお」
頭に乗った絵本のページを取ると、ローザを睨む。
「何ソレ!怖いじゃないのお!!」
ローザの悲鳴の通り、確かに不気味なんだよね。子供の字だと思われるが、下手な文字がまた味を出しているというか……。
「誰か助けて欲しい子がいるんじゃない?」
ミーナが心配そうに眉を下げるが、わたしは首を振った。
「この絵本ってかなり昔からあるものだし、この本自体年代ものっぽいし……。これを書いた子が今もあそこにいるかどうか」
いない場合はどうなったのか、それは考えたくないけど、何しろいつ頃書かれたものなのかが分からない。
「レオン達は何で孤児院から出て来たのよ」
ローザがそう言った時、部屋の扉が開かれる。
「おーい!面白いもんが見れるぞー!」
そう叫びながら部屋に駆け込んで来たのはフロロ。部屋を飛び回る彼をローザが捕まえた。
「面白いって何よ。大体今まで何やってたの!?まさか遊んできたんじゃないでしょうね」
「ちょっと観光してきただけですよー」
イルヴァも部屋に入って来る。観光って……。『ちょっと』だけなら良いと思ってるところがもう、何とも……。
「んな事はどうでもいいだろ?良いから来てみなって」
誤魔化すようにフロロは扉に張り付くと、こちらを手招きする。文句の一つも言ってやりたいが、何に騒いでいるのかも気になる。わたしは素直に立ち上がった。
「大した事じゃなかったら、分かってるでしょうね?」
ローザがフロロとイルヴァを睨むと二人は顔を見合わせてにやーっと笑う。なんだなんだ、と揃って部屋を出ると、どこか空気がぴんとしている気がした。
「『部屋に戻れ』なんて怒られるといけないから騒ぐなよ?」
お前が言うか?という台詞を吐きつつ、廊下を行くフロロに着いて行く。階段を下り、中心部の方向に向かっていると何やら人々の話し声と人だかりが見えてきた。
「何?何かあったの?」
人だかりの中心にあるものが見えずにわたしは背伸びしつつフロロに尋ねる。
「昨日聞いたサントリナの王子様が到着したんだよ」
フロロが意味ありげに口角を上げると、ローザが「え!」と口元を押さえる。ローザちゃんはでかいから良いけど、わたしは見えないんですけど。頬を膨らませていたが、次第に人の波が退いていった。どうやら移動するらしい。
「下がりなさい」
アルシオーネさんの声がする。こちら側に向かってくるようだ。人々が廊下の端に寄っていき、その間をやってくる集団。先頭にアルシオーネさんがいて、その背後に子供の姿が見える。あれがたぶん王子様だわ。わたしは初めて見る王族にわくわくすると同時に緊張してしまった。
近付くにつれ、全身が見えて来る。今回は目的が認定式だからか白いローブに身を包んでいるが「やっぱオーラが違うわ」と思ってしまうのは雰囲気に飲まれ過ぎだろうか。お供の人もいっぱいいるんだなー、と列を眺めているとそのうちわたし達の前まで静々とやって来た。
「レオンじゃない」
隣りのミーナが呟く。わたしは通る列を前に固まってしまっていた。