青空のお家
翌日、昨日の晩の雨が濡らした道をわたしとアルフレートは孤児院に向かって歩いていた。
神殿にはローザ、ヘクター、ミーナとサイモンが残っている。サイモンはヘクターに剣術を教わるのだ、と張り切っていた。フロロとイルヴァは通信センターに行っている。学園長への報告とデイビス達からの連絡があれば聞いてくる為だ。ちょっと不安の残る二人だがしょうがない。暇なのがこの二人だったのだ。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
ブーツに跳ね返る泥を気にしつつわたしはアルフレートに尋ねる。しかし隣りから返ってきたのは「ふん」という小馬鹿にするような笑いだけだった。わたしが聞くのはどういう理由付けで孤児院に入り込むか、というものだ。ただ単に「お邪魔するよ」と言って根掘り葉掘り質問したところで収穫があるわけがない。ちょっとぐらい段取り教えなさいよ……と思いつつフロロに教えられた道を行くと、それらしき建物が見えて来る。草色の屋根をした大きな屋敷を指差し「あれじゃない?」と言おうとすると、アルフレートの足が止まっているのに気が付いた。
「どうしたの?」
「……なぜ、昨日になってあの獣人達は本気になっていたんだと思う?」
アルフレートの質問にわたしは首を捻って考える。
「いよいよのんびりしてられなくなったから?」
わたしの答えに満足いかなかったのかアルフレートはふー、と息をついた。
「では質問の仕方を変えよう。なぜこの町に着くまでは本気でこなかったのだと思う?」
角度を変えただけのような問い掛けだが、何だかとても意味のあるもののように感じる。わたしは再度脳みそを回転させた。ふと浮かんだ答えに「あ」と声が漏れる。
「奴らの本拠地がこの町にあるんじゃない?そうでしょ」
わたしは同時にローザの言っていた『ラグディスに行けば全てが見えてくるんじゃないかと思って』という言葉を思い出していた。アルフレートはそれを聞くと「正解だ」と言わんばかりににやりと笑う。そして再びゆっくりと歩き始めた。
「私が考えたのは、だ……奴らこの町に来るまではミーナが標的じゃなかったんじゃないか?」
「じゃあ誰……」
そう聞き返そうとしたところではっとする。今まさに訪ねようとした屋敷から出て来る二人組の姿。ドラゴネルの青い肌の女性と金髪の子供、ウーラとレオンだ。わたしは思わず門にかかる表札を確認する。『青空のお家』、フロロに教えられた孤児院の名前が古ぼけた木の板に描かれている。間違いない。此処が問題の孤児院だ。さして広くない門までの道をこちらに向かってくるレオンの肩が、明らかに大きく揺れる。
「……こんにちは」
青い顔をしたレオンにわたしは戸惑いつつも挨拶する。どうしてここに?という疑問はあるが彼の様子を受けて尋ねることは出来なかった。気の毒になる程焦った様子とそれを隠そうとする様子が同時に伝わってくるのだ。主人の動揺の空気にウーラも戸惑った顔をしている。わたし達とレオンの顔を見比べながら、ぺこりと頭を下げた。
「泊まる所が無かったのかね?人が集まるシーズンのことだ」
そう尋ねたアルフレートにレオンは大きく頷く。アルフレートが言った言葉は明らかにレオンに対して『逃げ道』を与えていた。
「……宿がいっぱいだったんだ。今夜は無理でも神殿に頼み込んでみようと思う」
「たぶん大丈夫だと思うわよ?わたし達は神殿に泊まらせてもらったけど、空いてる部屋もあるみたいだったもの」
わたしが言うとレオンはふー、と息をつき「そうか」と呟く。
「ではお祈りついでに行ってみるとしよう、ありがとう」
レオンは軽く手をあげ、門を出る。ウーラも後に続くともう一度わたし達に向かって頭を下げた。去って行く二人を見ながらわたしは呟く。
「何が、どうなってるのよ……」
「順調に整いつつあるんだよ」
ふふ、と笑うアルフレートはそのまま屋敷の方へと行ってしまう。わたしは慌ててそれを追いかけながら、混乱する頭を必死に振り払った。
扉をノックしてから何も反応が無いことにアルフレートと目を合わせ、再び手を上げた時だった。扉の向こうからノブを回す金属音がし、ゆっくりと開かれる。顔を覗かせたのはわたしより2、3上の青年。真面目そうな人だ。きっちりと揃えた髪に神経質そうな顔、ゆったりとした灰色のローブをただ腰紐で結わった姿は僧のようにも見える。
「どちら様でしょう?」
にっこりと微笑む顔はあまり警戒している様子は窺えない。が、瞳の奥はどうなのかわからないのだ。わたしが口を開くより早く、アルフレートが一歩前に出た。
「旅の者です。こちらの孤児院の看板を見かけてつい。急に訪ねたことをお詫びします」
普段には無い穏やかな微笑みをたたえて柔らかい口調になっているアルフレートに暫し唖然とする。青年は笑顔のまま首を振った。
「いえいえ、いかがされました?旅の方。エルフの方とは珍しいもので、つい魅入ってしまいましたよ」
「その精霊を統べる者として、私は弟子をとり、旅を続けている。……これが私の今の弟子です」
アルフレートに手で示され、慌ててわたしは頭を下げる。で、弟子……。
「精霊の真の姿を伝えるため、多くの弟子を育てたい。この孤児院にもその素質を持った人間の子供がいるようだと、騒ぐ精霊の姿を追って参りました」
「まあまあ、それは……」
青年はアルフレートの言葉に頷きながら扉を開け放った。
「里親の申し出と解釈してもよろしいでしょうか?」
「養子というには違うかもしれません。が、シャーマンとしてだけでなく幸せな境遇は与えてやるつもりです」
アルフレートがそう言うと、青年はわたしをちらりと見る。
「どうぞ、中へ。詳しい話しを聞かせてもらいたい」
わたしの姿が満足いくものだったのだろうか。青年の許可を貰い、わたし達は屋敷の中へと入る。微かなお香の匂いが鼻をかすめた。 最低限の明かりしか用意していない為か少し薄暗い。奥の方から子供の声に食器の音もする。
「今は食事の後片付けをしているところです。まずはこちらに」
そう言われて通されたのは入り口からすぐの部屋。応接間、というものだろうか。簡素な机に地味な長椅子があるだけだが、孤児院としては充分なものかもしれない。
「今、院長をお呼びします。少しお待ちくださいね」
座ったわたし達を見て青年はにこりと笑うと部屋を出て行く。その笑顔にも裏があるのではないか、とわたしはドキドキしてしまった。
「……う、うまくいきそう?」
囁くような小声で尋ねるとアルフレートはひょい、と肩を竦める。
「ある程度話しを聞いて、見学と称して中を見る。その後は行き当たりばったりだな」
むむむ、行き当たりばったりとな。準備も無しに来たんだし、まあしょうがないか。アルフレートのおかげで上手く入り込めたんだし。でも嘘がばれて捕らえられちゃったりとかしたら嫌だな。とにかくこいつからはぐれないようにしないと……。
そんなことを考えていると部屋の扉が開かれる。先程の青年と一緒に入って来たのは、同じようなローブを着た女性。飾り気がないので青年の母親の年代にも見えるが実際はよく分からない。豊かな金髪を一つに縛り、後ろに垂らしている。
「ようこそおいでなさいました。エルフの方に出会えるのは何年振りのことでしょう」
頭を下げる女性にわたし達は立ち上がる。
「アルフレートと申します」
あ、本名言っちゃうんだ。女性と握手するアルフレートに少しびっくりするが、偽名なんかを使ってわたしが変にヘマをしないようにかもしれない。
「リョージャと申します。この孤児院の院長をやっていますが、実際は子供を追いかけ回しているだけですわ。経営などは全てこちらのマーゴに任せていますの」
リョージャさんはふふふ、と笑うと青年マーゴを指差す。穏やかに笑うマーゴを見てわたしは何ともいえない気持ちになった。
どうなんだろう、特に怪しい雰囲気は感じないけど……。今現在は評判がいい、というのも納得してしまうような、そんな雰囲気。
「お座りくださいな。そちらのお話を聞かせてください」
リョージャさんに言われて再び長椅子に腰を下ろす。子供らしき足音が廊下をぱたぱたと走る音が聞こえてきた。
「私はエルフの里を出て、精霊の真の姿を人間に伝えるべく、正しいシャーマンを育てる旅を続けています。精霊は人間の目には見えません。故に誤解が多い。その為に弟子をとり正確な精霊語、召喚術といったものを身につけさせているのです。すでに何人かの弟子が独り立ちしていきました。今はこの彼女一人ですが、新たに弟子をとりたい。どうでしょう?」
ぺらぺらと嘘を話すアルフレートの姿は、前に座る二人にはどう映っているのだろう。しかしわたしから見ても今は『気高きエルフが高尚な理想を話している』かのようだ。わたしも背筋を伸ばし、修行中の弟子を気取ることにする。
「長年子供達の世話を続けてきた私には、たいへん感慨深いものがありますわ。あなたのようなエルフの方に気に入ってもらえる子供が、ここにいるかもしれないのですものね」
リョージャさんはほう、と息をついた。ちょっと理解不能かもしんない。
「ただ、いきなり子供を預けるわけにもいきません。子供は繊細です。私達大人が考えるよりもずっと……。暫くはこの町に滞在なさるのでしょうか?」
「勿論、急に現れて連れて行くのでは人さらいと変わらない」
アルフレートの台詞にわたしはどきりとする。ここが生まれ変わる前、その人さらいをやっていたかもしれないのだ。そう思うと今のは嫌味だったんだろうか。
しかし前の二人はにこにことしたまま大きく頷いている。
「どうでしょう、今日はここを見学なさって子供達と触れ合っていかれては」
青年マーゴの言葉にわたしは待ってましたと言わんばかりに頷いてしまった。がっつき過ぎる様子に不審がられやしないかと、
「そうしましょう、アルフレート様」
誤魔化そうと思ったのかもしれない。そんな台詞が無意識に飛び出していた。アルフレートはふふ、と穏やかに笑う。
「この子は一緒に旅をする仲間が出来るのを楽しみにしているもので」
「わかりますわ、お友達がたくさん欲しい年頃ですもの」
リョージャさんはそう言うと立ち上がる。わたし達もそれに合わせて立ち上がった。
「ではマーゴにお任せしてもいいかしら。私は子供達と庭に行く用事があるので」
そう言われてアルフレートが頷くのを見ると、リョージャさんは頭を下げ、先に部屋を出て行く。
そつの無い動きはマザーターニアと同じ穏やかなものだ。しかし、どこかそんな自分に酔っている空気も感じる。わたしがうがった見方をしすぎだからだろうか。
「では行きましょうか」
マーゴに促され、わたし達も部屋を出る。後ろ手に扉を閉めた時、どん、と何かが横からぶつかる。
「こらスーニャ、廊下は走っちゃ駄目だと何度も言ったろう?」
わたしとぶつかった茶色い髪の女の子は気まずそうにおでこを擦ると、ぺこりと頭を下げて廊下を去って行く。
「子供は元気なものですからね」
アルフレートはそう言って少女を目で追いかける。
「そう、いつも何かの衝動を押さえるように忙しない。止まると二度と動かなくなるのではないかという不安と戦っているようだ」
それを聞いてマーゴは苦笑した。
「寝ることを嫌がるのも子供のうちだけですからね……。何でも『二度と目覚めないのではないか』という恐怖心があるらしいです」
わたしは初めて聞く話しに興味深いと思うのと同時に、なぜそれを忘れてしまったのだろうともどかしい気もした。
「では参りましょう」
マーゴの言葉を受けてわたし達は薄暗い廊下を歩き出す。お香の匂いが消え失せているのに気が付いた。