深まる闇
「どうぞ皆さん、お掛けになって」
アルシオーネさんに言われて、わたし達は長ーいソファーに腰掛ける。六人が並んで座れる長椅子って凄い。残りの二人、ローザはアルシオーネさんの座るソファーの横に、フロロは出窓の縁に座り込んだ。アルシオーネさんの部屋とやらは立派な書斎で、神官の部屋というより学者の部屋といった雰囲気だ。にしてもこの広さ。目の前にいる老齢の彼女の、教会内での地位が伺える。
「長旅ご苦労様。貴方が神官候補の中じゃ一番乗りよ」
アルシオーネさんに言われ、ローザは「やっぱり?」と目を大きくした。
「フォルフ神官が相変わらずで、ある意味安心したわ」
ローザの口調はおどけたようだったが、アルシオーネさんは眉を上げただけだった。
「どんな地位にいようとも、一神官が個人の信仰を認める認めないを決めるのはいけない事だわね。……いつもそういう風に言い聞かせてるんだけど」
ふう、と大神官は溜息をつく。日頃から頭を悩ませている問題なのかもしれない。
「いつもにも増してぴりぴりした雰囲気なのね」
ローザが問うとアルシオーネさんは肩を竦める。
「認定式が近いというのもあるけど、今回はやけに空気が張り詰めてるわ。隣国からのお客様が参加する事も関係しているのかもしれないけれど」
「お客様?」
フロロの目がきらりと光った。
「あらら、モロロ族の貴方には変に隠しても意味がなさそうね。サントリナの王室からのお客様よ。現国王の一人息子さんが司祭の認定を受けにいらっしゃるから、ちょっと慌ただしいのはしょうがないわね」
アルシオーネさんの言葉にわたしとヘクターは思わず顔を見合わせる。現国王の息子って……要するに王子様?うわあ、本当に王家の人に会えるんだ。
「俺、その王子の生誕の時覚えてるよ」
サントリナ出身のヘクターが珍しくはしゃいだように身を乗り出す。
「今年12歳になられるそうよ。今の王家のストレリオス=サントリナ家は代々フロー神の信者でいらっしゃるから、皆さんこの時期になるとお見えになるの」
アルシオーネさんはにこにこと語った。成る程ね、王家の人が来るならピリピリムードもしょうがないのかな。でもそれとフォルフ神官がローザにいちゃもんつけてくるのは別問題だし。やっぱ許せん、あの親父。
「だから神殿内を見て回りたいなら今のうちよ?王家の方がいらっしゃるとどうしても制限が出来てしまうから」
アルシオーネさんはそう言うとわたし達の顔を見回した。
「じゃあ泊まらせてもらう部屋に移動するついでに、あたしが案内しようかな」
ローザが立ち上がる。合わせて立ち上がるわたし達を見届けると、アルシオーネさんはローザに何か耳打ちした。深く頷くローザ。少し気になったがあまり首を突っ込んでもしょうがない。
「南棟の方に部屋を用意させるわ」
それを聞いて一同頭を下げ、扉に向かう。
「ま、あと三日もあるんだしのんびりしましょ」
ドアノブに手を掛け言ったローザの言葉を聞いたのか、アルシオーネさんが立ち上がった。
「やだわ、連絡行ってなかったのね」
困ったような声にわたし達は同時に振り返る。
「二日程、延期になったのよ。法王がお戻りになるのが遅れることになったから。だから……五日後になるのね」
指折り数えてからにこりと笑うアルシオーネさんに、わたし達はお互いの顔を見回すしかなかった。
「どうなってるんだろーね」
わたしはベッドから足をぷらぷらさせて呟いた。
「偶然なわけないだろ」
アルフレートがふん、と鼻で笑う。
神殿の南側、案内された部屋はベッド以外は小さな棚と窓しか無い簡素な部屋だった。宛がわれたのは二部屋。色々ハプニングが多い男女混合が免れただけでも有り難い。今話しているのは先程のアルシオーネさんが言った認定式の日程についてだ。神殿内を見て回るような気分は消えてしまったのは言うまでもない。
「あの例の数字と並んだわけよね」
ローザが目を伏せたままこぼす。そう、今回の旅の始まりであったミーナの家の不気味な落書き――一日ごとに減っていくカウントダウンのような数字と、認定式の日にちが重なってしまったのだ。
「正直、合わせて考えた事は一度も無かったんだけど偶然と考えるのは無理があるわね。……問題は本当にこの二つが関わりある事だとすれば、この神殿内に犯人側の人間がいるって事よ」
わたしが言うとイルヴァが首を傾げる。
「何でですかー?」
「学園長も知らなかったような急に変わった日程を、一月以上も前から知ってたのよ?……いや、知ってたんじゃなくてこの変更を作り上げた人物がいるのよ」
断定してしまったが、そうとしか考えられない。ミーナの家に数字を刻みつけていた犯人は少なくとも50からカウントダウンを始めてる。そしてその頃から認定式が五日後にずれ込むことを知っていたのだ。学園長、アルシオーネさんといった大神官クラスが予見しなかった変更だ。意図的に作り上げた人物が確実にいる。
「現法王はどういう人物なんだ?」
アルフレートの問いにローザがぎょっとしたように顔を上げる。
「ま、まさか法王を疑ってるの?」
「疑う、というか確認だな。何しろ変更自体が法王の都合なんだ」
アルフレートが淡々というとローザはふう、と息をつき説明を始めた。
「一言で言えば行動派、ね。前の法王は神殿で構えてるって感じだったんだけど、今の法王は積極的に外遊するし異教徒との懇談にも参加することが多いわ。今神殿にいない事からもわかると思うけど」
「それに……」と言い難そうに付け加える。
「法王が神殿内で異分子になる、っていうのはあり得ない事なのよ」
「『センス・イービル』か」
アルフレートが聞くとローザは「まあね……」と口籠った。
センス・イービル、その名の通り悪の存在を感知する神聖魔法だ。今では失われつつある魔法の一つで、理由は術式がややこしい事にある。きっちり魔法陣を描いたり術者が複数必要だったり手軽ではない。一番の理由は唱えられた方がいい気分では無いから、だろう。ローザが何故言い難そうなのかというと、同じ信者同士でこういう確認が必要な事が何となく背徳感があるからかもしれない。
「本人は『善』だと信じ切ってて、それがズレてた場合は?」
フロロが尋ねるとアルフレートが首を振った。
「センス・イービルは術者の価値観が基準になる。同じ宗教ならその擦れもあったらおかしいだろ」
「なるほど、じゃあ少なくとも法王には裏切り者の可能性は無いわけか」
ヘクターが思わず口にしてからローザの刺すような視線に慌てる。
「いや、始めから考えてないよ」
ヘクターが詰め寄るローザから身を引いた時だった。ぐう、と誰かのお腹が鳴る。おや?と皆の顔を見回すとミーナが「もう!」と言いながらサイモンの頭を叩いた。サイモンは小声で「だって……」と呟いた。可愛いから許す。
「ちょうどいいや、外出ようぜ。情報集めに行きたいしな」
フロロが暗くなった窓の外を親指で示す。
「……孤児院のことね?」
わたしが聞くとフロロはにやりと笑い頷いた。盗賊の活動開始である。
「問題は何で日にちを変更したかったのか、だなあ」
アルフレートが暗くなったラグディスの町を歩きながら呟いた。向かうのはお昼を食べたレストラン。また個室を使えるだろうし丁度良い。
「何かの用意があって、それが間に合うのが五日後とかは?」
わたしは浮かんだことをそのまま言ってみるが、アルフレートは「あー……」とぼやけた返事をするだけだ。
「法王が神殿にいない期間が欲しいのかもしれない。もしくは外をぶらぶらしてる間に法王をやっちまう……」
「フロロ!」
おっかない事を平気で口にするフロロをローザが咎めた。フロロはひょい、と肩を竦める。相手は邪教徒の可能性が高いのだ。その可能性は充分あるが……。
「誰が聞いてるかわかんない所でそういう事言わないでよ……ミーナ達、着いて来てる?」
わたしが振り返るとイルヴァが両手にミーナとサイモンを連れていた。そういえばイルヴァの兄弟って同じくらいの年齢の双子がいるんだっけ。面倒みてるところが想像つかないな。
そんな事を考えている間にレストランに着いた。入り口を潜ると昼間とは違って暗めの間接照明に変わっている店内を見回す。客入りも夜の方が良いようだ。
「おう、やっぱまた来たのか。神殿じゃ坊主の作ったマズい飯しかないもんな」
からからと笑いながら奥から出て来たのは昼間も会った大きなお腹の店主。黙って上を示される。わたし達は頭を下げると階段を上っていった。個室に入り、各自が席についたところでわたしは口を開いた。
「状況を整理しましょう」
皆の顔を見回しながらわたしは自分の頭の中も整理させる。
「まずは、発端となったニッコラ邸への落書きの話しからね」
そう言うとわたしは水の入ったグラスを前に出す。グラスの周りの水滴を指につけ、テーブルに数字を描き込んだ。
「50なんて随分気の長い数字から始まったカウントダウン、これはミーナがニッコラ夫妻に引き取られた日から始まったわけだけど、本当にミーナに宛てて送られたメッセージなのかは疑問が残るわね」
「そうなの?」
ミーナが驚いたように目を丸くした。わたしは頷く。
「……こういうメッセージめいたものは『受け取る側』がいないと成立しないのよ。現にニッコラ夫妻も、マザーターニアもミーナがどう関係してるのかわからなかったでしょ?勿論、ミーナ、あなたもね」
わたしが言うとミーナは一瞬の間の後こくこくと頷いた。
「で、その後残念ながら受け取る側はきちんといた事になってしまったじゃない」
「ハンナさんの事ね」
はっとしたようにローザがこちらを見る。ミーナの手前少し迷うが、わたしは肯定する。
「始めから気が付いていたのか、それとも本当にわたし達が出発するまで気が付かなかったのかは分からないけど、あの数字と二つのメッセージの意味に気が付いたんでしょうね。ハンナさんは自ら町を出てしまった。……わたしはおそらくわたし達が出発した後に気が付いたんだと思うわ。出掛けに見た様子からの想像だけどね」
それだけハンナさんにとっても今となっては関わりが薄い、思い起こし難いものだから猶予が長かったのではないか、と思うのだ。あの二つのメッセージも言うなれば、動きの無いハンナさんへ苛立った犯人側からの『だめ押し』だったのではないか。わたしの説明を聞き終わると、
「それに、もし始めから気が付いていたとすれば、だ」
アルフレートがちらりとミーナを見る。
「娘をわざわざラグディスに送るわけがない。家の中に大事に隠しておけばいいんだ。自分だけが静かに出ればいい。……母親なんだから」
アルフレートの台詞は大変彼らしくないものだった。でも、深く頷くものでもあった。皆、俯いたミーナを見てしまったからか、しんみりとした空気になる。
「……次の話しにいきましょうか」
わたしはゆっくりと口を開くとアルフレートの顔を見た。
「あの暗号みたいな手紙は?」
その言葉にアルフレートは胸ポケットに指を入れると二枚の紙を出す。わたしはそれを受け取りテーブルに置いた。
「この二つのメッセージだけど、やっぱりサイヴァ信者が書いたものだと思うのよ」
黒ローブの集団に襲われた時に湧いた疑念を振り払うように、わたしは手を振りながら皆の顔を見る。イルヴァが早くも眠そうな顔をしているがそれは無視する。
「さっきも言ったように、これはハンナさんを行動させる為のメッセージだと思うの」
そう言うとわたしは二枚の手紙の片方を手に取った。
「『ミツバチは役目を終えて巣箱に帰る』……要するにこれは、自分達の元に帰るように伝えるものね」
「でも帰らなかった」
ローザの言葉にわたしは頷く。
「動きが無いことに相手は再びメッセージを送ってきた。それがこっちね……『食卓を囲むには一人足りない 足が欠けた蜘蛛のノロマなこと 主は高らかに笑う』、食卓、蜘蛛、わたし達でも思い付くぐらい直接的にサイヴァの事を臭わせてるわけ。前のメッセージよりも、ね。相手は自分達が何者なのかをもっと強く伝える必要があると思ったんじゃないかしら」
わたしが言い終わると、アルフレートが手紙の文面を指でなぞる。
「単純に考えれば『食卓を囲む』……これはサイヴァの集会の事だな、『一人足りない』のはハンナがいないからだ。『足が欠けた蜘蛛』、サイヴァの教団の中枢を担う神官が一人欠けた状態って事だ。ここまで言って導き出せる答えは?」
言い難い答えにわたしは黙ってしまう。皆も同じなのだろう。誰も口にしようとしない。
「……ハンナはサイヴァ教団の中心部の人間って事になるな」
アルフレートは自ら答えると、一枚目の手紙を再び指でなぞる。
「『役目を終えて』いる事にもなるな。役目、ねえ……。子供を作ることかね」
白い顔をしていたミーナの頬がさっと赤くなった。ローザが無神経だ、とアルフレートの頭を叩く。
「おいおい、おっかねえ話ししてるな」
場違いな明るい声が響いた。店主が大皿を抱えて入って来たのだ。
「休憩ね」
わたしはほっとして息を吐く。肉の焼けたような香ばしい匂いが漂って来た。唇を噛むミーナを見て思う。可哀相だが一時的にでも怒りの感情に向かったのは良かったかもしれない。このまま落ちていくばかりだと倒れてしまわないか心配だったからだ。
「ちょっと思ったんだけどさ」
ヘクターが手紙に目をやりながら口を開いた。
「前に言ってたみたいに、やっぱり別人が書いた可能性もあるんじゃない?」
「どういうこと?」
ローザが尋ねるとヘクターは頬を掻く。
「どうって……うまく説明出来ないんだけど。……勘でしかないけど、一枚目と比べて二枚目は直接的過ぎるからさ。……わざとサイヴァのことを臭わせて、ハンナさんに逃げるように伝えたかった『味方』がいるんじゃないかと思って」
ヘクターの言った事にアルフレートがにやりと笑う。
「中々面白いじゃないか」
わたしも同感だ。その方が気が楽、というのもあるが、ローザが言っていた『手紙が来た日にちが中途半端で気持ち悪い』というものが説明出来るからだ。
「ハンナさんが急にいなくなったのも気になるのよね」
ローザが皆を見回す。
「あたしも手紙の二通目が来た時点でもハンナさんは分かってなかったんだと思うの。あたしが事情を説明しに行った時に話した印象だとね。それが急に行動を起こしてる……。誰か彼女に直接接触したんじゃないかしら?」
それも考えられる。それが敵か味方かは分からないが。アントン達の話しが聞けたら何か分かることもありそうなんだけど……。わたしは彼ら6人もこの町にやってくる、そんな事態を少し期待し始めていた。