神殿の住人
「うわあ……」
神殿を見上げるミーナが感嘆の声を漏らす。隣で同じように上を見上げるサイモンも口が開きっ放しだ。
「そっちは後でね。まずは通信センター行くわよ」
なるべく神殿行きを後にしたいらしいローザが子供達二人の腕を突く。
神殿の東にあるという通信センターに足を向けながら、わたしも目の前にそびえるフロー神の総本山を仰ぎ見た。神殿というもの自体、初めて見るわたしも内心圧倒されていたりする。まずデカイ。本殿からにょきにょきと鉛筆のように生えた塔は、真ん中にある一番高いものだと首が痛くなる程上を向かないと視界に入らない。広さももしかしたらグラウンドも含めた学園よりあるのかもしれない。それに一番圧倒されるのは荘厳さというのか、レリーフの一つ一つに歴史を感じて感動してしまうのだ。大地母神だからか植物を象った紋様が多い。クリームのように滑らかに見える彫刻は、古い時代からの信仰者達の作り上げてきた歩みを見るようだ。隣を歩くヘクターも目を細め、深く息をつく。
「こういうのって信者じゃなくても感動するもんだね。そういう効果も考えて作ってるものなんだろうけど」
「中はもっと凄いんだろうね。帰る頃には皆、フローにお祈りするようになってるかもよ?」
わたしが言うとヘクターの後ろにいるアルフレートとフロロが「無い無い」と手を振った。可愛くない奴らだ。
しばらく歩くと、お馴染みの紫色の建物が見えてくる。サイモンが、
「フェンズリーのと一緒だ」
と嬉しそうに指差すと、
「中に入ると凄いのよ!」
ミーナが自慢するように胸を張る。サイモンが一緒になったことで、ミーナがミーナに戻った気がした。
通信センターに入るとローザがテキパキと手続きを済ませる。
「一階、一番奥へどうぞ」
人形のような笑みの受付嬢に促され、ぞろぞろと建物内を歩いていく。どこからともなく聞こえる人々の会話。この町でもここは盛況のようだ。係のおじさんの指示に従い小部屋で待つこと暫し、部屋の中央にヴィジョンが現れ始めた。
「……あれー?学園長」
わたしが間抜けな声を上げると学園長はにっこりと微笑む。
『やあ、リジア。旅は順調かい?』
「はい、今のところは」
答えるわたしの後ろからローザが映像に問い掛ける。
「デイビス達は?」
学園長の顔は口は笑みを作ったまま、瞳は真剣なものに変わる。
『……実は彼らも町を発つことになった』
「何故です?」
直ぐに問い返すローザ。学園長のゆったりとローブの裾を直す仕草の後、よく通る声が返ってくる。
『ハンナさんの行方が掴めたんでね。その後を追って貰った。……目撃者が本人に口止めされていたらしくて分かるのに時間が掛かってしまったんだ』
一瞬沈黙が訪れる。わたしは学園長の言葉が飲み込めず、目をぱちぱちさせた。目撃者?本人が、って……、え?
「……自分から出て行ったというわけだな?」
アルフレートが静かに尋ねると、
『そういうことだ』
学園長はゆっくりと頷く。
「え?え?何で?」
ローザがアルフレートと学園長の顔を交互に見るが、
「知るか」
黒髪のエルフは呆れたように舌打ちした。
「何処へ……行ったんです?」
半分程しか状況を飲み込めないわたしは、半ば無意識にヴィジョンへと質問をしていた。
『首都レイグーン、乗り合いバスに乗り込もうとするところを顔なじみの店主が見掛けていた。家庭持ちの女性が一人だからね、珍しい光景に店主が声を掛けたらしい。そうしたら口止めを懇願されたということだ』
「じゃあデイビス達は首都へ?」
ローザが聞くと学園長は頷いた。
『とりあえず、というところかな。首都に行ったとなると最終的な行き先は読むのが難しい。あの町からローラス中どころか隣国まで行ける。もちろん、……ラグディスにもね』
学園長の言う意味が今度は分かる。想像でしかないがこちらに向かっているのではないか、と臭わせているのだ。
「そういえば伝えてなかったんだけど……」
ローザが学園長にミーナの生い立ちについて伝える。マザーターニアがラグディスから連れてきた子供だということを言うと学園長はちょっと驚いたようだった。
「認定式まで日があるので、この孤児院についても調べようかと思ってます」
強い意思を込めたような口調で言ったローザと、何か考えるような学園長が暫し見つめ合う。
『……余り無茶な動きはしないように。その孤児院に関しては私も噂には聞いたことがある。ただ神殿の中には良い顔しない人間もいるだろうしね』
「どういう意味です?」
思わずわたしは聞き返していた。ローザが余りよく思われていない事とはまた別の話しのようだ。
『彼等はラグディスが自分達の町であると誇りに思っている。そして自分達には神の加護があり、潔癖であると信じている』
淡々と言う学園長は他人事のようだ。なるほど、完璧な町であるはずのラグディスに黒い影など存在するはずが無く、よそ者が引っ掻き回すのも彼等にとっては『善くない事』というわけか。アルフレートが一歩前に出る。
「ニッコラ氏はどうしている?」
『大分疲労が溜まっているようだったからね、仕事を休ませて自宅に寝かしつけている』
学園長はふう、と息をついた。
「彼に聞いておいて欲しい事がある。妻の生い立ちについてだ。彼女も孤児だということは知っている。問題はウェリスペルトに来る前の話しだ。こう言えば分かるだろう」
アルフレートの抑揚の無い声に学園長は『聞ける状態になったらね』と苦笑する。こんな言い方ということはユハナさんは大分精神的疲労が酷いのだろうか。
「あの落書きはどうなった?」
フロロが例の数字について尋ねた。
『ああ、あれね。こちらの動きが分かったのかニッコラ邸には無くなったみたいだな』
「ニッコラ邸、には?」
ローザが眉をしかめる。
『どうしても主張したい事があるらしくてね、我が家にターゲットが移っていたよ。今朝『5』の文字が届いた。主張したいのは君達へなのか、私含めてなのか知らないがね』
学園長の手に一枚のカードがある。藍色の固い文字がひどく醜い物に見えた。 「……じゃあ、また何かあったら連絡します」
ローザが言うと学園長は頷いた後、
『きちんと神殿に挨拶に行くように』
という言葉を残し、映像がぼやけていった。無意識に皆の目線がローザに集まる。
「い、行けば良いんでしょ!はいはい、お待ちかねの神殿に行くわよ!」
頬を赤くしながらローザが怒鳴った。
「まだ行ってないってよく分かりましたねー」
イルヴァが感心するように言うと、ローザはぷりぷりとしたまま小部屋を出ていく。ふとミーナが固い表情をしているのに気が付き、声を掛けようとした。が、サイモンの手を強く握り締めているのが目に入った。サイモンも何も言わない。考えてみればわたしと出会ってからよりも、ずっとずっと長い年数をこの二人は重ねてきているのだ。心の支えになれるのは、まだ小さな背中の彼の方なのだ。
わたしは差し出そうとした手を黙って引っ込めることにした。
のろのろと町を歩きながら神殿へとやって来たわたし達。ローザの深呼吸を聞いてから石作りの階段を上がる。周りには思っていた以上に参拝者が多くいるが、何か違和感を感じてわたしは首を捻った。そしてすぐにその違和感の原因がわかる。話し声が少ないのだ。普段経験している人混みは、必ず人々の話し声が溢れている。それに気が付いてから、わたしは何だか緊張してきてしまった。はしゃいではいけない、なんて事に気を取られるのは学園の入学式以来かも。
結構な段数を上り終えると神殿の入り口が現れる。入り口、と言っても扉など無い。大理石らしき柱が並び、隙間なく描かれた宗教画の天井に心を奪われる。
「すごい……」
わたしの漏らした感想にローザがふふ、と笑った。
「でしょう?普通の町の教会とは『別物』だからね」
確かに今まで目にしてきた教会とは規模が違う。ウェリスペルトのフロー神の教会なんて大きい方だと思うのだが、『別物』というか『別格』という言葉がぴったりだ。歩き出す皆の後ろを着いていきながら、広い神殿内を見てわたしは一人呟く。
「……こういう広いところ駄目なんだよなあ」
「なんで?」
後ろから聞こえた不思議そうな声はヘクターだ。少し驚きつつわたしは答える。
「いや、何か分かんないんだけど昔からなんだよね。不安になるっていうか、お腹がすーすーするっていうか」
まさか聞かれていたとは思わなかったので、もごもごとへたくそな説明をする。でも自分でもよく分からない事だからこれしか説明のしようがない。広い建物が苦手なのだ。山から見下ろした景色だとかは平気なんだけどな。ヘクターは不思議そうに首をひねるものの、何だか楽しそうにも見える。
「行こう」
そう言うとわたしの手を取り引っ張る。やだ、何か催促したみたいじゃなかった?わたしは赤くなった顔を片手でぱたぱたと扇ぎながら繋がれた手を見ていた。
皆の所まで追いつくと、何だか視線を感じる。辺りを見ると通り過ぎる人の中で露骨にではないが、わたし達をちらちらと見る動きがある。一瞬、教徒には見えないわたしなどを好奇の目で見ているのかと勘違いしそうになったが、すぐにローザの言葉を思い出した。
『もう一個の戦いが始まるわ』
そう、ローザを見ているのだ。明らかに嫌悪感を見せる人はいないが、逆にそれが不気味だった。無関心を装う嫌悪……まではいかないが、こちらに意識を向けているのは間違いない。無意識に手に力が入っていたのだと思う。ヘクターの握り返してくる感触にわたしはほっと息をついた。
今日から暫くここにいることになるのか……。そんな憂鬱さを感じた時、柱だけが続いていた景色が変わる。半円を描く天井の梁が虹のように美しい。巨大なフローを象る石像に、前に鎮座する祭壇。普通の教会ならその後ろに牧師が立っているはずだが、少し離れた両サイドにテンプルナイトと思われる甲冑姿の人間が身動きせずにいるだけだ。
「お祈り済ませてくるから、ちょっと待ってて」
そう言って振り向いたローザの顔は何時になく凛々しいではないか。こっそり心配していたこちらの気持ちを吹き飛ばすような姿は、やっぱり学園長によく似ている。
「あの顔は戦闘モードってわけね」
わたしは誰に言う訳でもなく呟いていた。
祭壇の前に跪くローザを遠巻きに見ていると、一人の男性がそこへやって来るのに気が付く。歩く度に揺れるお腹と赤茶の髪が、美しい金の刺繍入りローブと大分ミスマッチ。歳は50超えといったところか。
「これはこれは、アズナヴールの長男様が到着していたとは」
妙に芝居掛かった声は周りに聞かせるつもりなのかやたら大きい。その言い様にも引っかかるが、祈祷中に話しかけるっていうのはどうなの?信者では無いわたしにだってそれが失礼なことぐらい分かる。すっと優雅に立ち上がるローザ。周囲の目が二人に注がれているのがここからでも窺える。
「……こんにちは、フォルフ神官。神殿の中心部にいるあなたがこんな不躾だなんて、とっても残念だわ」
一瞬の間の後、ローザの言葉に頭まで赤くなる男性は、言い返される事自体が予想外だったように見える。
「よくそんな言葉を!私から言わせれば君がここに来ること自体が不躾だ!大体、私は君より目上の人間だぞ!」
「神との対話中よ?フローよりも偉くなったとでも言いたいの?」
静かに言い返すローザの目は冷たい。周りもこの言い争いに流石にざわついてきた。
「いつまでも父親の地位を笠に着る態度はいかがなものかと思うぞ!アズナヴール!」
フォルフ神官とやらがそう吠えた時だった。
「お止めなさい」
力強い老齢の女性の声はわたし達の後ろから発せられたものだった。振り向くと小柄ながら威圧感を纏った女性が厳しい目でローザとフォルフ神官を見ている。頭まで覆う白のローブには控えめな金の刺繍。歳はマザーターニアと同じくらいだろうか。ゆっくりと歩きわたしの横を通り過ぎる。
「二人ともフローに礼を」
この見た目からは想像出来ない力強い声は、本当にこの女性の物なのか。わたしはまじまじと見てしまった。ローザが祭壇に向かって跪く。フォルフ神官は弁解するように手を振った。
「ですがアルシオーネ大神官……」
「ひざまずきなさい。フローに礼を」
女性の声は怒鳴るわけではないが大変厳しい。慌てて身を沈めるフォルフ神官を見てから、女性は立ち上がるローザに声を掛ける。
「私の部屋へ、アズナヴール。……お仲間も御一緒に」
その言葉にわたし達は顔を見合わせる。黙って女性の後を歩き出したローザに従って、着いていくことにした。祭壇のあった大広間を抜けて暗い廊下に入ると女性、アルシオーネ大神官が顔だけ振り返る。
「お久しぶりね、元気にしていた?『ローザ』」
「……推薦ありがとう、アルシオーネ」
えっと、今の二人の会話からしてアルシオーネさんはローザをローザとして容認していて、今回の神官に上がる事もこの人の推薦ということか。
窓が現れたことで明るさが戻ってくる。日が沈む前のオレンジ色の光に染まった中庭が見えた。
「リュシアンは変わらず?こんな立派なお仲間を連れて来るぐらいだもの、彼の学園長としての仕事も上手くいっているようね」
アルシオーネさんはわたし達を見て微笑んだ。リュシアンは学園長の事か。リュシアン……、名前からしてキラキラしてるな。
「父様はしょっちゅうこちらには来てるんじゃないの?」
ローザが尋ねるとアルシオーネさんは首を振る。
「らしいけど、中々顔を合わせる機会も無くて。あの子ったら来たと思ったら用事済ませば帰ってしまうんだもの。……フォルフ神官の言うことは気にしちゃ駄目よ、ローザ。彼は同い年のリュシアンと張り合いたいだけなんだから」
ぐぶふっ!わたし含め何人かが吹き出す、のを堪えた奇妙な音が廊下に響く。
お、同い年だとお!!どう見ても親子に近い年齢差がある二人じゃないの!い、いや学園長が化け物みたいな見た目なんだから、フォルフ神官の方が正常、もしくは少々老け気味といったところか。
にしてもアルシオーネさんは何者なんだろうか。大神官と呼ばれる位なのは分かったが、ローザ達一家とも懇意にしている様子だし。わたしは彼女の床を引き摺る立派なローブを見ながら考えていた。