おかしな二人
食事を終え、バルコニーでお茶を飲んでいると鼻歌が聞こえてくる。
「何なんだ、あいつは。気持ち悪いな」
アルフレートが舌打ちした。窓が開きっ放しなのか、ローザの入浴の音が丸聞こえなのだ。
「まあまあ、わたし達のスポンサーなんだから気持ち良く過ごさせてあげましょ」
わたしはそう言うとバルコニーの柵から周りの景色を眺める。下に通りが見える他は真っ暗で、眺めが良いとは言えない。昼間なら少しは違ったのかも知れないが、それでもこの辺りの景色は寂しいものだった。話しに聞いていたが半信半疑だったわたしは少し驚いていた。ローラスの何処へ行っても青々とした緑が広がっているのに、この辺りは土色に染まっている。明日から足を踏み入れるメイヨーク山も茶と灰色に包まれた寂しい山だった。
「サントリナもこんな感じなの?」
わたしは隣で通りを見下ろすヘクターに尋ねる。
「いや、こんな寂しくは無いよ。もう少し暑いけど大体ローラスと変わらないんじゃないかな」
「へー、じゃあやっぱりこの辺だけなんだ。なんでこんなに緑が無くなっちゃったんだろう」
「メイヨーク山にはサイヴァの心臓が眠っているんだな、これが」
面白そうに不気味な事を言うのはアルフレート。
「何それ?心臓だけ?心臓が無いのにどうやって生きてるの?」
神に対して生き死にというのか分からないが、わたしは聞き返す。
「知るか。単なる伝説だよ」
アルフレートからの返事は素っ気ないが、なかなか面白い話しだ。
「あ、それでフロー神の神殿を建てたとかなんじゃない?封印みたいなやつ」
我ながら良い閃きじゃないか。わたしは自分で満足しながら柵に身を預ける。その時、ふと目に入った姿にギクリとしてしまった。わたしはヘクターの腕を突く。こちらを見る彼に目で合図すると、揃って下を見る。
「……ウーラだ」
隣で呟く声にわたしは頷く。宿の前の通りを歩く女性は見間違うことは無い目立つ姿。直ぐにふわふわとした金髪頭も現れた。また何か気に食わない事があったのか、レオンが何か騒ぎながらウーラの頭を叩いている。身長差的にジャンプしながらなのだが器用なものだ。
「うわあ、同じ宿みたいね」
思わず顔をしかめてしまう。二人が建物に入る姿を見ているとヘクターがこちらを向いた。
「思ったんだけどさ、逆にあの二人にこっちから近づいてみたらどうかな?」
「良いかもしれんな」
アルフレートが戸惑うわたしの代わりに答える。
「こっちの事情に関わりがあるのか、無いのか、どっちにしても何か聞けるかもしれないぞ」
まあ確かにあの二人と距離取ったところで襲撃にはあってしまったわけだから、今更避ける理由も無いのか。素直に話してくれるとは思えないけど、あの二人がどういう旅をしているのか、何と対立しているのかも気になる。
「お前ら二人で行ってこい」
「アルフレートは?」
何と無く使われている感じにわたしは眉根を寄せた。アルフレートは少し考えるような素振りの後、首を振る。
「私が行くと腹の探り合いになるだけだな。ドラゴネルはエルフのような種族に警戒心が強い。人間寄りなんだよな」
へえ……、勝手なイメージだと人間とその他の種族、って括りに考えてたけどそうでも無いんだ。
「とりあえず行ってみる?」
ヘクターからの問い掛けにわたしは頷いた。あんまりぞろぞろ行ってもまた怪しいしね。
バルコニーから部屋の中に入るとフロロ達が備え付けのボードゲームで盛り上がっている。ミーナとサイモンも一緒になってはしゃいでいた。フロロってやっぱりこういうの上手いな、と思う。
イルヴァがこちらを見て手を挙げた。
「あ、リジア、お風呂入っちゃっていいですか?」
「いいよー、入っちゃってて」
わたしはそう答えると部屋を出る。ヘクターが扉を閉めるのを見ると二人で顔を見合わせた。
「……張り切って出て来たはいいけど、あんまり自信無いんだよね」
ヘクターがぽつりと呟いた。
「えーっとそれは任せる、と言いたいのかしら?」
わたしの問いにヘクターの目が天井を泳ぐ。
「その方が良いかな、って」
こういう仕草まで可愛いんだから困る。思わず「オッケー!!」と答えそうになるじゃないか。
「しょ、しょうがないなあ」
緩む頬を隠すようにわたしは廊下を歩き始めた。が、直ぐに足が止まる。
「……何か聞こえない?」
ヘクターにも聞こえていたようで廊下の先、階段方向を見ている。
「泣き声、に聞こえる気が……」
彼の言う通り、ぐずぐずと鼻を啜るような音がしているのだ。何と無く足音に気を使いながらゆっくり階段に向かう。ワイン色のカーペットが敷き詰められた廊下から階段の下を覗き込むと、わたしは息を飲んだ。広い階段の踊り場部分、備え付けられた細長い腰掛けに座り込み鼻を啜っていたのはウーラだったのだ。
暫くの間、メソメソと乙女チックに泣くウーラを眺めてしまったが、ヘクターと顔を見合わせる。
「……行ってみる?」
わたしは小声で階段の下を指差した。イメージに合わない光景に面食らったものの、考えようによっては話し掛ける良い理由付けになったではないか。そろそろと階段を下りると相変わらず鼻を啜っているウーラに声を掛ける。
「あのー……」
わたしの声にびくりと肩が震えた。
「えっと、大丈夫ですか?」
あくまでも偶然見掛けたように尋ねると、ウーラはこちらを驚いたように眺めた後、恥ずかしそうに目を伏せる。
「貴方達でしたか。すいません、恥ずかしいところをお見せして」
「あ、いえいえ、……えーっと、どうかされました?」
わたしの問いにウーラは首を振る。
「いえ、少し疲れてしまっただけなんです」
「あー、何だか大変そうですもんねー、あのお坊ちゃんの機嫌取るのもー」
怒られるかどうか少し賭けだったが、わたしは冗談っぽく軽い調子で聞いてみた。ウーラは暫し沈黙する。何を思っているのか読み辛い赤い瞳にドキマギしたが、そのうちふっと苦笑した。
「……傭兵業を引退して、雇われの護衛に就いたもののこんなに大変だなんて」
「あ、そうなんですか」
キツイ仕事を辞めて、もうちょっとのんびりした職場に転職よっ、と思ったら上司が問題ある人でした、みたいな感じだろうか。
「向いてなかったのかも知れません。剣を振るうだけで生きてきたわたしが誰かの元につくなんて」
「いやいや、そんな……」
思ったよりヘビーな内容になってきてしまい、わたしはヘクターの顔を見る。
「護衛に一番必要なのも『力』でしょう?無ければ大事な人も守れない」
ヘクターがそう言うとウーラは一瞬顔を上げた。が、直ぐに下を向いてしまう。
「でも、私にはレオン様が何を考えているのかさっぱり分からないんです。お肉が食べたいと言われたからステーキ屋に入れば魚を頼むし、温かいお茶が飲みたいと言ったのに渡せば『こんなに暑いのに』と言われるし」
小姑かよ……。わあ!と泣き出すウーラにわたしは微妙な気持ちに包まれる。単なる反抗期みたいないちゃもんに、いちいち気にしてる方がどうかと思うけど……、と思うのは他人事だからか。
「『レオン様』って呼ばれるんですね。どこかのお偉いさんの御子息か何かなんですか?」
わたしは思い切って少し踏み込んでみた。ウーラは涙を拭きながら答える。
「ええ、シェイルノースの一族で……」
「ウーラ」
階段の下から聞こえた少年の声に三人ともぎくりとする。慌てて下を見ると、階段の手摺りに寄り掛かり、こちらを睨んでいるレオンの姿。
「湯が出ないぞ!早く準備しろ」
「は、はい」
ウーラが慌てて立ち上がった。こちらに少し振り返ると軽く頭を下げ、下に行ってしまう。お風呂の準備も出来ないわけ?とわたしは顔をしかめたが、レオンがこちらを睨んでいるのに気が付きどきりとした。なんか、探ろうとしたのがバレてる?しかしそれも一瞬の事で、二人は揃って廊下の奥に消えていく。
「まずは失敗ってところかしらね。……シェイルノースの名前しか聞けなかったわ」
わたしはウェリスペルトの北にある町の名前を口にすると、はあ、と息を吐いた。
「シェイルノースの一族、ねえ……」
ローザが濡れた髪をタオルで叩きながら呟く。
「何か知らない?一族なんて言い方するぐらいだから、それなりの家だと思うんだけど」
わたしが言うとローザはうーんと唸った。
「あたしだってローラス中の名家を知ってるわけじゃないしねえ。ほら、只でさえ北の方の人とはお父様も交流少ないわけだから」
シェイルノースはわたし達の住むウェリスペルトの北に位置する。距離的には近いが、アルフォレント山脈が間を分断しているので北の方の町はなじみが薄かったりする。南側にウェリスペルトや首都レイグーンが固まっているのもあって北に足を伸ばす人自体が少ない。
「命を狙われる金持ちの坊ちゃんか。血縁関係のいざこざかね」
アルフレートはそう言うとオットマンに足を伸ばした。お風呂の方からフロロとサイモンがはしゃぐ声が聞こえる。こりゃ入る前にお湯足さなきゃ駄目そうだな。
「それにしては護衛が一人っていうのも変な話しね。ウーラはやり手みたいだけど、話し聞く限りじゃずっとレオンに付いてた専属のナイトってわけじゃないんだし。認定式に行くのが確定だとして、行かざるを得ない理由で旅することになった時に傭兵上がりの戦士一人に任せちゃうっていうのが、ねえ」
ローザの疑問は言われてみればおかしな気もしてしまう。
「お忍び、ってことじゃないの?」
ヘクターが静かに言った。わたしとローザは思わず顔を見合わせる。
「確かにそういう雰囲気はあったかな」
わたしはレオンのこちらを睨みつけていた顔を思い出す。まさかわたし達のような子供の集団を『追っ手』とは思っていないだろうが、強い警戒感、そんなものがあった。お風呂上がりにバケツアイスを独り占めするイルヴァがスプーンを口に運ぶ手を止め、きょとんとしている。
「認定式ってそんなに絶対行かなきゃいけないんですか?」
「そう言われると……『そんなことはない』って感じかしらね」
自身もすっぽかした経験のあるローザが頬を掻いた。
「行かなきゃ役職は上がらないし責任も増えないけど、宗派の中で位が上がったからって使える魔法が増えるわけでもないし。あたしが言うのもなんだけど、信仰なんて結局本人の気持ちが一番なんだし」
「マザーターニアも言ってたわ。お祈りの言葉をいっぱい暗記するより、少しでも多く神に感謝しなさいって」
そう言うミーナは少し遠い目をしている。孤児院での生活を思い出したのかもしれない。
「はー、良いお湯でございました」
真っ赤な顔をしたフロロとサイモンが部屋に戻ってきた。
「随分騒いでたみたいだけど、お湯を楽しむ余裕があったの?」
わたしが呆れた顔をすると二人とも顔を見合わせてにやっと笑う。
「あんな広い風呂みたら泳ぎたくなるのが普通だろ」
中身は良い大人なはずのフロロが悪びれる様子も無く言い放った。いや、腰に手当てて威張ってもかっこ良くないからね。
「ほら、リジアも早く入っちゃいなさい。今日はさっさと寝るのよ」
オカマのお母さんに促され、わたしは立ち上がりながら「はーい」と返事した。




