ボン氏、再び
お昼休憩の為に立ち止まった小高い丘の上、むしゃむしゃと草を食べる馬二頭をぼんやり見ていると、
「ほら、リジアも手伝って!」
ローザに注意される。見とれる程てきぱきと準備する彼女に、手を出す方が邪魔になるかなー、と思ったのに。わたしの一瞬出た嫌な顔を見たのか、
「じゃあフローラの餌取ってきてよ」
と睨まれる。
「えーっ」
未だにフローラの中に移動するのは若干の不安があるわたし。しかしこれ以上目の前の『お母さん』を怒らせる勇気もない。わたしは大人しくフローラを肩に乗せたミーナの方へ向かった。
赤いスイッチに触れると一瞬の目の眩みの後、薄暗い室内に飛ばされる。まだ乗り物として本格的な使用は部屋の広さ的に無理なので家具も無く、皆の着替えなどの荷物が乱雑に転がっている。もちろんイルヴァの荷物が一番多いが、フロロやアルフレートの『それ要るの?』と聞きたくなる荷物も多い。わたしはその中をうろうろすると、目的のコマツナの入った袋を見つけた。拾い上げ、顔を上げた所ではっとする。
……誰かいる!
ローザの衣服が入った大きなトランク、その後ろから人型の影が伸びているのだ。鼓動が一気に早くなり、嫌な汗が吹き出る。「気付かない振りを続けて、そーっと外へ出よう」と考えたが、確認の為にもう一度影に目をやったところで改めて気が付いた。自分の物と比べて影が小さい。しゃがんでいるらしきシルエットだが、それにしても小さい気がする。ということは子供?大変!孤児院の子供が紛れ込んじゃった!?そう考えてわたしは再び背中に嫌な汗が噴き出す。思わず駆け寄ってトランクに手を伸ばす。びびったらしく後ろにいた影が面白い程盛大に飛び上がった。
「さ、サイモン!?」
腰を抜かしたようにひっくり返る少年はわたしのよく知った顔。銀髪に翡翠色の目は青白い光が何処からとも無く発光されているこの中だと不思議な色合いに見える。
「ななな、何やって……」
「ごめんなさい!」
あぐあぐと口を動かすわたしにサイモンは土下座する。いや、謝られても……。と思ったところでわたしは嫌な予感に顔をしかめた。
「謝るってことは、事故じゃなく、着いてきたってことね?」
わたしが少しきつめの口調になるとサイモンは眉を下げる。
「ごめんなさい……、僕どうしても来たくて」
「ど、どうしてもって言われても」
ううう、そんな子犬みたいな目で見られると弱い、弱いのよ。ましてやあなたの顔はあの人そっくりなんだから。分かっててやってんじゃないだろうな、とわたしは頬を掻く。はあ、と大きく溜息をするとサイモンの前に座り込んだ。
「これがあなたの『自分で動いた』結果なの!?」
わたしが言うと、サイモンの頭にも昨夜のヘクターの言葉が思い返されたらしい。しゅん、と頭を下げる。思わず許しそうになるが、今は大いに反省してもらうことにしよう。しかし現在地を考えると、今から一人でフェンズリーに戻ってもらうというわけにもいかない。サイモンの『作戦』は成功したともいえる。わたしは痛い頭を抱えた。
「とりあえず、このまま此処にいるわけにいかないでしょう?さ、外に行きましょう」
わたしが立ち上がり彼の腕を取るとサイモンは眉を下げたまま呟く。
「……帰れって言われないかな」
「帰って欲しくても、もう無理よ。もうフェンズリーの町から大分進んじゃってるんだから。自分の口から皆に説明して、きちんと謝りなさい」
こくん、と頷く彼を見て思う。今回やけに子供に振り回されてるな。まあ大人から見ればわたしも同じ『子供』なのかもしれないけれど。
サイモンと一緒に表に戻ると、そこは無人の馬車の中だった。座席にちょこんとフローラちゃんが乗っている。皆が動き回るので危ないから移動させられたのだろうか。わたしはサイモンに待っているように告げると馬車を出る。レジャーシートがひかれた芝生の上に、マルコムの屋敷のメイドさんが持たせてくれたお弁当が並んでいた。既にそれを囲んでいる皆がわたしの方を見る。
「遅かったじゃない。見つかり難かった?」
ローザの問い掛けにわたしは曖昧な笑顔で答えると、輪の中に半分身を乗り出す。
「ちょっと困ったというか、面倒な事になったというか」
声を潜めるわたしに皆「は?」というような顔になった。
「えー、実はあの中にサイモンがいるわ」
「え?サイモンって……」
ぽかんとするローザの隣でヘクターがこめかみを押さえている。怒ったというよりは「あちゃー」という顔だ。
「何で?」
フロロがストレートな疑問を口にする。昨夜の事などを知らないメンバーには当然の疑問だろう。
「本人から説明させるわ。……サイモン、出ておいで」
わたしの呼びかけに恐る恐るといった様子で、サイモンが馬車から顔を出した。
「フローラの中にいたって事か」
アルフレートの言い方は感心するようだったが、興味があるのか無いのか分からない。自分には関係無いかな、という色を強く感じた。
そろそろとこちらに近付くサイモンが、ぺこりと頭を下げ、顔を上げた時だった。ばちん!と景気の良い音が響く。いつの間に立ち上がっていたミーナがサイモンの頬をひっぱたいたのだ。音からして相当痛そう。始めは呆気に取られていたサイモンの目に見る見るうちに涙が溜まっていく。予想外の展開に固まっていたわたしだったが、馬車の方へと走っていくサイモンに慌てて声を掛ける。
「ちょっ……サイモン!」
「俺が行く」
ヘクターが立ち上がった。わたしは伸ばしていた手を引っ込める。
「あっ、ちょっとミーナ!」
今度はローザが声を上げた。見ると草原を明後日の方向に駆け出すミーナの姿。あーもう!
「あっちはわたしが行くわ」
わたしは急いで立ち上がると、ミーナの背中を追い掛けた。
「待ちなさい!」
わたしはもう少しで手が届くミーナに向かって声を張り上げる。流石に10歳の子に駆けっこで負ける気はしない。直ぐに追い付くとわたしはミーナの腕を取った。振り返るミーナの顔には涙がいっぱいに溜まっていた。逃げていたはずが今度はしがみついてくる。よしよし、と頭を撫でると上から声を掛けた。
「サイモンを怒るのは分かるけど、わたし達にそんなに負い目を感じないで?」
わたしの言葉がどんぴしゃだったのか、ミーナの体がびくりと震える。
「不満とか不安なら聞いてあげるから、勝手に何処か行かないでちょうだい」
わたしは落ち着かせるように背中を撫でた。ミーナはこくこくと頷いている。
「……こっちには依頼人に逃げられるっていうトラウマがあるんだから」
「へ?」
わたしの呟きにミーナが顔を上げるが、わたしは「何でもない」と首を振った。
「信じられないわ」
ひらべったい石の上に腰掛けたミーナが眉間に皺寄せ、爪を噛む。
「まあ、ミーナが心配だったんだろうから……」
わたしは精一杯のフォローを口にする。正直、わたしも呆れしかなかったが、ここで「サイモンが来ても何の役にも立たないのにね」と同調したところで、ミーナが余計に責任を感じるだけだろう。
「……昨日、大人達が話し合ってるのをサイモンと一緒に聞いちゃったの」
「あー……」
ミーナも一緒だったわけか。ん?ってことは……。
「マルコムさんの家でケーキご馳走になった時に、サイモンが自分も冒険者に成りたいって言い出して、じゃあリジア達に話し聞きに行こうかって言って二人で抜け出して……」
ミーナは沈んだ顔で下を見る。
「私の話ししてたでしょう?思わず盗み聞きしちゃったの。そしたらサイモンが『僕も行く』とか言い出して。私、馬鹿な事言わないで、って怒ったんだけど」
「……サイモンは、あなたの事が大事なのよ。何か出来るかもしれない、って思うこと自体は良い事だと思う。でもちょっと今回はごり押しだったわね」
わたしの言葉にミーナは少し笑った。しかし直ぐに難しい顔になってしまうミーナの頭をわたしは撫でる。猫耳のカチューシャが取れそうになり、わたしは慌てて付け直そうと両手を伸ばした。
「……リジア、私ラグディスに行きたくない」
思ってもみなかった言葉にわたしは固まってしまう。
「え、えっ!ちょっとミーナ……」
慌てるわたしの目に入ったのはポロポロと涙を零すミーナの姿。ど、どうしよう。わたしは大きく息を吸うとミーナの背中を摩る。
「とりあえず落ち着いて、ね?」
わたしが言うとミーナは再びしがみついてきた。思わずひっくり返りそうになったがなんとか堪える。
「私、本当は何処から来たの?」
か細い声にどきりとする。ミーナの震える声に胸が痛い。この子は予想した以上に深いところまで考えてしまっていたのだ。わたしには答える言葉が見付からない。
「ずっと本当のお父さんお母さんはもういないって思ってたのに!ラグディスになんて行きたくない!怖いよ!今更、本当のお父さんお母さんになんて逢いたくない!」
悲鳴混じりの台詞にわたしまで泣きそうになってくる。わたし達ですら浮かんだ疑問。『ミーナの両親は実は生きてたりする?』というもの。本人が考えないはずがないじゃないか。
普通の家庭に生まれて育ったわたしが何か言って良いものなのかすら分からない。わたしは泣くミーナの背中を撫で続けるしかなかった。声を掛けられないのはきっと、背負う自信が無いから。ミーナの不安を分かってあげられる自信がない。駄目だ、やっぱりわたしは子供のままだ。
「どうしたんです?」
不意にした声にわたしもミーナも驚きに体が跳ねる。茂みから顔を覗かせる人物に、わたしは息を飲んだ。
「あ……あ、ああー!」
わたしの大声にミーナ、そしてその人物もたじろぐ。伸びた髭に大きなお腹、黒いローブ姿に見覚えがある。何よりこののんびりした空気!この前の冒険で廃炭坑に潜った時、出会ってイルヴァのスケッチ描いたおっさんだ。ええーっと何だっけ、生物学者っていうのは覚えてるんだけど、名前が出て来ない。
「おや、この前も会ったお嬢さんじゃないか」
「そ、そうですそうです!」
頷くわたしに満足そうにお腹を擦ると、肩から下げた麻の大きな鞄をごそごそし出す。
「はい、お嬢ちゃん、泣いてちゃ前に進めないよ。このバッヂをあげるからね」
「え、あ、ありがとうございます……」
ミーナは呆気に取られたまま渡されたピンバッヂを眺める。
「今回は何です?ええっと、ボンさん」
漸く思い起こされた名前を出してわたしが尋ねると生物学者ボン氏は、
「オーガーだよ、かっこいいだろう」
そういって「えへん」と胸を張った。手作りだって言ってたけど、何でこうも可愛くない物ばかり作るんだろう。微妙な顔をするミーナを眺め、わたしも首を傾げた。
「こんな所で何してるんです?」
わたしの質問にボン氏はゆっくりと東の方向を指差す。
「サントリナの方へ向かってるんだ」
「えっ」
わたしとミーナは顔を見合わせた。
「わたし達もそうなんです。国境の町ラグディスまでですけど。馬車で移動してるんで、どうです?」
何となくこの不思議な人物に惹かれ始めていたわたしは帯同を申し出てみるが、ボン氏はふるふると首を振った。顎周りのお肉がぷるぷると揺れる。
「ずっと徒歩で移動してるんだ。その方が色々な生物に出会えるからね。なに、また会えますよ」
そう言うとボン氏はこちらの返事も聞かずにすたすたと行ってしまう。かさかさと草を踏み分ける音が遠ざかって行く。
「……行っちゃった」
ミーナがぽつりと呟いた。丘の向こう側へと消えていくボン氏は、やっぱり普通の人にしては歩く速度が早過ぎる気がする。見た目はのんびりとした歩き方だったというのに。前回といい今回といい、不思議な人だ。まあ妖精の類だとしたら見た目がちょっとアレだけど。
「戻ろっか?」
わたしが聞くとミーナは少し嫌そうに鼻を掻いた後、こくりと頷いた。