「山に帰れない熊」 第1話(朝)「お金がないんだ」
「おはようございます!」
ミナの声が——診察室に——響いた。
「おはよう」
サクラギ先生は——コーヒーを——置きながら——穏やかに——返した。
今日の——朝は——少し——違った。
扉が——開く前から——音がしていた。
ズ——ズ——ズ——
何かが——引きずるような——音だった。
扉が——ゆっくりと——開いた。
大きな影が——入ってきた。
熊だった。
大きな——体だった。
でも——右の前足を——引きずっていた。
毛が——所々——汚れていた。
目が——疲れていた。
「あ——」
ミナが——思わず——後ずさった。
でも——すぐに——止まった。
熊が——ミナを——見た。
怖くなかった。
ただ——疲れた目だった。
「こんにちは」
先生が——穏やかに——言った。
熊が——先生を——見た。
「……こんにちは」
低くて——大きな——声だった。
でも——小さかった。
声が——小さかった。
「足が——痛いですか」
「……痛い」
「いつからですか」
「……山で——岩に——挟まって」
「山から——下りてきたんですか」
熊が——少し——間を——置いた。
「……下りてきた」
「なぜですか」
「……足が——痛くて——動けなくて」
「山では——誰も——助けてくれなくて」
「だから——下りてきた」
先生が——静かに——聞いた。
「ここが——分かりましたか」
「……匂いで——分かった」
「匂い——ですか」
「……ここは——動物を——助けてくれる匂いがした」
先生が——穏やかに——頷いた。
「診せてもらいますよ」
熊が——少し——固まった。
「……お金が——ない」
先生が——止まった。
「お金——ですか」
「……動物は——お金が——ない」
「人間は——お金を——払えるけど」
「……俺は——払えない」
「だから——来ては——いけなかったかもしれないけど」
「足が——痛くて——来てしまった」
ミナが——先生を——見た。
先生が——穏やかに——言った。
「払えなくて——いいですよ」
熊が——顔を——上げた。
「……いいですか」
「いいですよ」
「……本当に——いいですか」
「本当ですよ」
熊が——また——少し——固まった。
「……なぜですか」
「足が——痛いんでしょう」
「……痛い」
「だったら——診ますよ」
熊が——低く——うなった。
泣いているのかもしれなかった。
ミナが——先生に——小声で——聞いた。
「お金の話は——本当に——いいんですか」
先生が——穏やかに——言った。
「いいですよ」
「でも——」
「動物は——お金を——持っていないですから」
ミナが——少し——黙った。
「……そうですよね」
「当たり前のことに——気づかなかったです」
「そうですね」
「人間は——お金を——払えるけど——動物は——払えない」
「そうですよ」
「でも——動物も——来ていいんですよね」
「来ていいですよ」
ミナが——また——熊を——見た。
大きな体が——診察台の前に——あった。
足を——引きずっていた。
山から——下りてきた——熊。
お金が——ないから——来ては——いけないと——思っていた——熊。
でも——来た。
「先生——この子——山に——帰れますか」
先生が——足を——診ながら——言った。
「今すぐは——難しいですよ」
「しばらく——かかりますか」
「そうですよ」
「その間——どこに——いるんですか」
先生が——穏やかに——言った。
「いい場所が——ありますよ」
「いい場所——ですか」
「案内します」
ミナが——熊を——見た。
「先生——私も——一緒に——行っていいですか」
「いいですよ」
先生が——熊に——言った。
「一緒に——来てもらえますか」
熊が——また——少し——固まった。
「……どこへですか」
「安心できる——場所ですよ」
「……動物が——いる場所ですか」
「そうですよ」
「……俺みたいな——でかい動物も——いていいですか」
「いていいですよ」
熊が——ゆっくりと——立ち上がった。
足を——引きずりながら——でも——立ち上がった。
「……行きます」
「よかったですよ」
三人が——歩き出した。
先生が——前に。
熊が——真ん中に。
ミナが——後ろに。
ビルの——階段を——上がった。
屋上への——通路を——歩いた。
扉が——見えてきた。
「この先ですよ」
先生が——扉を——開けた。
光が——差し込んだ。
広い——空間が——広がった。
空が——近かった。
太陽が——当たっていた。
風が——柔らかかった。
亀が——日向ぼっこを——していた。
うさぎが——草の上に——いた。
タヌキが——木の根元から——顔を——出していた。
鳥が——翼を——動かしていた。
熊が——止まった。
「……ここは」
「動物の楽園ですよ」
「……俺が——いていい場所ですか」
先生が——穏やかに——言った。
「いていいですよ」
亀が——ゆっくりと——熊を——見た。
「こんにちは」
熊が——少し——驚いた顔をした。
「……こんにちは」
「大きいですね」
「……大きい」
「でも——ここは——大きくても——小さくても——いていいですよ」
熊が——また——低く——うなった。
今度は——さっきより——少しだけ——違う声だった。
ミナが——楽園を——見回した。
いろんな動物が——いた。
みんな——お金を——持っていなかった。
でも——みんな——ここにいた。
「先生——楽園の動物たちは——みんな——お金なしで——来てるんですよね」
「そうですよ」
「でも——診察室には——人間も——来ますよね」
「そうですよ」
「人間は——お金を——払えるけど——動物は——払えない」
「そうですよ」
「でも——どっちも——来ていい」
「来ていいですよ」
ミナが——また——熊を——見た。
足を——引きずりながら——でも——楽園の——真ん中に——立っていた。
空を——見上げていた。
「先生——熊さんは——山に——帰れますかね」
「いつか——帰れますよ」
「でも——今は——ここにいていいですか」
「いていいですよ」
ミナが——小さく——言った。
「ここにいていいですよ」
熊が——ミナを——見た。
大きな目だった。
疲れた目だった。
でも——少しだけ——柔らかくなった気がした。




