天下御免の向こう傷令嬢は辞退する
貴族の令嬢の顔に傷がある、という状況をどう思うだろう?
文字通りの傷物。
嫁の行き先がなければ政略の駒としての価値がない、と親は考えるかもしれない。
通常なら当人は絶望に苛まれるものではないだろうか?
ところがダーナ・アーキン男爵令嬢の場合は少々事情が異なっていた。
「天下御免の向こう傷、ダーナ・アーキンでございます」
そう、額の稲妻型の傷をトレードマークにしているのだ。
自己紹介の口上に使っていた。
ダーナ自身がこの傷を誇りとしていたから。
この傷はかつて見世物の魔物が逃げ出し第一王子ユリシーズを襲わんとした際、魔物の前に立ちふさがって負ったものだった。
大変に勇気があり、かつ献身的で忠義の証であるとして大評判になった。
この功により、ダーナはアーキン男爵家という低い家格の令嬢でありながら、ユリシーズの婚約者候補に加えられた。
王家はユリシーズの命を救ったために負ったダーナの傷を、名誉にかけて治そうとした。
しかしそれは不可能だった。
回復魔法の効果が薄かったのだ。
宮廷魔道士長が自らの見解を語った。
「ダーナ嬢の額の傷は魔力回路と直結しております。既に魔力の出口として機能しているため、塞ぐことができないのです」
「そ、そうであったか……。我が息子の命を救ってくれたがために。ダーナ嬢には申し訳ないことであった。アーキン男爵家には十分な補償をせねばならんな」
「逆に言えば、並の人間には扱えぬ大きな魔法を使えるかもしれないということですぞ」
「ふむ?」
「ダーナ嬢は魔法に関する大変な才能を後天的に得たということです。ぜひとも我らに訓練をお任せ下され!」
宮廷魔道士長は熱弁した。
魔法は特殊で習得が困難な技術だ。
回復魔法は先天的に使える者がいるが、それ以外の魔法は天才達が生涯をかけて研究するもの。
いかに才能があるとは言え、年端も行かない少女を訓練するものではなかった。
王は消極的だったが、ダーナ自身が前向きだった。
「わたしはやります! がんばります!」
ダーナは普通ではできない体験と教育を喜んだ。
そしてこう付け加える。
「まほうをおぼえれば、ユリシーズでんかをもっとまもれるとおもいます」
ダーナの言い分は微笑ましいもので、王や宮廷魔道士長は笑った。
しかしそれは後に完全な事実となる。
ダーナの魔法教育が進んだある年、『神の気まぐれな試練』と呼ばれた災害が王都を襲った。
竜巻と雹のダブルパンチだ。
ユリシーズもまた近衛兵を指揮して市民の救出に当たっていたが、建物の倒壊に巻き込まれた。
しかしダーナが現着するとすぐさま重力魔法でユリシーズと近衛兵を助け出し、さらに回復魔法でケガを癒した。
「だ、ダーナ嬢」
「ユリシーズ様、遅くなりまして申し訳ありません。わたしも市民の救出に加わらせてください」
「ダーナ嬢も? 癒し手が足りなくならないかい?」
「教会の癒し手だけでなく、回復魔法のボランティア登録者がいるから大丈夫ですよ」
災害時に備え、癒し手並びに回復魔法使用可能者を効率的に配置し、連絡により手の足りていない地区に人員を急派する仕組みを考えついたのはダーナだった。
ダーナのアイデアは宮廷魔道士と憲兵の意見を取り入れてマニュアル化されたため、各地で人員の過不足は起こらなかった。
結果としてダーナ自身の魔法は直接救出作業に用いることができたのだ。
後の試算だが、対策がなかった場合に比べ死者を二〇〇名以上少なくできたのではと言われている。
イングリッド・ラテラスクアーク公爵令嬢はこう語った。
「わたくしがユリシーズ殿下の婚約者候補ナンバーワンと見られていることは存じております。でもわたくしは降りますわ。わたくしよりも実際の能力で優れた方がいますから。ダーナ様の額の傷は醜くなんかありませんわ。光り輝いているのですわ。わたくしとラテラスクアーク公爵家はダーナ様を支持いたします」
知名度、人気、知性、実行力、献身性において、ダーナを超える令嬢はいなかった。
またこの時点で既にダーナの実践魔法技術と魔力容量は、おそらく世界一であろうと評価されていた。
家柄と美貌、淑女性で唯一ダーナに対抗し得るだろうと思われていたイングリッド・ラテラスクアーク公爵令嬢が白旗を上げたため、残りの候補者も全員降りた。
ユリシーズ第一王子の婚約者はダーナ・アーキン男爵令嬢に決定した。
◇
――――――――――王宮にてお茶会。ユリシーズ第一王子視点。
あの時僕は六歳だったか七歳だったか。
市民の混乱を抑えるため護衛騎士が離れた一瞬のタイミングだった。
壊れた檻から解き放たれた魔獣が襲ってきたのは。
僕は足がすくんでしまって、全然動けなかった。
どんと突き飛ばされ、魔獣に立ちふさがったのは僕と同い年くらいの令嬢だった。
『でんかのごぜんである! さがれ!』
血まみれになりながら魔獣にそう言い放ち、魔獣は気圧されたように後ずさった。
すごい気合いだった。
そうして僕は危機を脱した。
「もう、また殿下はぼうっとして」
「すまんすまん。ちょっと昔のことを思い出していてね」
今日は婚約者になったダーナと初めてのお茶会だ。
二人だとちょっと緊張しそうだったので、イングリッドにも参加してもらった。
公爵令嬢のイングリッドとは幼馴染でこれまでも関わりが多かったから、割と気安く誘えるの。
そういうところが殿下の腰抜けなところよね、とバカにしたように言われた。
イングリッドは淑女って言われているけど、それはウソだ。
「何を思い出していたの?」
「魔物に襲われた時のことさ。ダーナがいなかったら僕の命はなかったよ」
全く誇張ではない。
今でもはっきり覚えてるけど、魔獣は牙剥いて完全に僕をエサ扱いしてたもん。
あれを目にして飛び込んできて、さらに威圧するって、ダーナはどれだけすごいんだろうと思った。
「恐れ多いです。わたしは臣でありますれば当然です」
「全然当然じゃないわよ」
「同感。あの時ダーナは僕のヒーローだと思ったね」
「あら、ヒロインでなくて?」
「どっちかというとヒロインは僕の方」
アハハオホホと笑い合う。
いや、あながち冗談でもなくて。
「僕はダーナが婚約者になってくれて嬉しいんだ」
「ダーナ様はユリシーズ殿下の婚約者に相応しいですわ。わたくしが保証いたしますわ」
「……しかしわたしは顔に醜い傷を負っていますので」
「「えっ?」」
ダーナは額の傷を気にしていたのか?
そんな様子はなかったじゃないか。
勲章だくらいの考えでいるのかと思っていた。
「ダーナ様の業績も実力も、傷なんか全然関係のないことでしょう? ダーナ様御自身が天下御免の向こう傷と仰っているくらいではないですか」
「いえ、わたし自身この傷を恥と思っているわけではありません。むしろ誇りに思っております」
「だよね」
「ですがユリシーズ様の隣に立つ者としてはよろしくないのではと」
「そんなことありませんってば!」
ダーナは凛々しいと思ってたけど、やっぱり女の子なんだなあ。
傷を気にしていたとは。
僕はもちろん気にならないし、逆に愛おしいとさえ思う。
だって僕を庇って負ったケガなのだもの。
イングリッドが刺すような視線を向けてくる。
何か格好いいこと言ってダーナを安心させろって?
わかってるけど、下手なこと言うとわざとらしくなりそう。
どう言えば……。
「わたしは男爵家の娘に過ぎないということもあります」
「いや、それは承知の上で僕の婚約者候補に加えられたのだし」
「ユリシーズ様の護衛ならば喜んでつかまつります。しかしやはり婚約の件は辞退させていただきたく。美しき公爵令嬢であるイングリッド様の方が、よほど向いていると思います」
言い分はわからなくもないけど!
確かに直前まで、貴族層を中心にイングリッドが僕の婚約者になるって見方が優勢だったのは事実だけど!
おいこら、イングリッドのリタイアが中途半端な時期だったから、ダーナが消極的になってるじゃないか。
説得手伝ってよ!
「……確認しますけれど、ダーナ様は殿下のことをどう思っていらっしゃるのかしら? へっぽこ王子は嫌いということはないのですよね?」
おいこら、イングリッド!
へっぽこ王子は自認してるよ!
傷をえぐらないでよ!
「まさか。昔からお慕い申しております。魔獣事件の時も花のように可愛らしい王子様だなあと見とれていたので、いち早く異変に気付いたのです」
「そうだったの?」
「はい」
顔を赤らめるダーナこそ可愛らしいよ。
「ダーナ様ごめんなさい。わたくしがズルズルとお妃教育を引っ張ってしまいましたね。でもずっと以前から、殿下の婚約者はダーナ様しかいないと考えていたのは本当ですのよ」
「じゃあどうしてギリギリまで妃教育を受けてたんだよ!」
「いいじゃないの。そんなの勝手でしょ」
「やはりお二人は仲がよろしいのですね。忌憚なく話せる関係で。お似合いだと思います。今日のお茶会にイングリッド様が参加すると知った時点で、わたしは遠慮するべきでした」
「「違うから!」」
あああ、どんどん泥沼に!
「……お妃教育が半端になるのが嫌だったの。ダーナ様ならその気持ちがおわかりになると思いますけど」
「わかります。途中で投げ出すのは負けた気になりますよね」
「でしょう? ついキリのいいところまでと思っていたら、本格的にユリシーズ殿下の婚約者が取り沙汰される時期になってしまって」
いいぞイングリッド!
ダーナが頷いている。
もう少しお願い!
「だから本当にわたくしがユリシーズ殿下に未練があるなんてことはないの。それは新聞のウソなのよ」
「御丁寧にありがとうございます。では今日のお茶会にイングリッド様がいらっしゃるのは何故なのです?」
「……考えてみればおかしいですわよね。殿下のお茶会には時々呼ばれますから、あまり考えずに参加してしてしまいましたわ」
イングリッドとダーナがこっちを見てくる。
地味に僕ピンチ!
「……実は僕、イングリッドのいないお茶会というのは経験がなくて」
「そうでしたの? いや、そうかもしれませんね」
「ダーナと婚約してから初めてのお茶会なので失敗したくなくて。ついイングリッドに頼ってしまった」
「もう、殿下はヘタレなのですから。ダーナ様が勘違いしてしまったのもやむなしですわ」
ぐっ。
一言もないです。
「ダーナごめんね。他意はなかったんだ」
「いえ、ユリシーズ様とイングリッド様の正直な気持ちが聞けたので、結果としてよかったです」
ダーナの微笑は美しいな。
あ……。
「ダーナ様、額が光っておりますわ」
「本当だ」
「魔力で傷が光ることがあるようなのです。自分ではよくわからないのですが」
「とても奇麗だ」
ダーナの瞳が大きく見開かれている。
僕今何て言った?
ファインプレイだった?
イングリッドがもう一声押せって顔してる。
了解。
「ダーナ。僕は君が好きなんだ」
「……はい」
「君に救われたとか、魔法の実力が優れているとか、実績があるとか。そんなのは周りを納得させるためのものでしかなくて。僕は格好いい君に惹かれていたんだ」
「……はい」
「ダーナが婚約者になってくれて嬉しいんだ。さっき言った時は薄っぺらく聞こえたかもしれないけど、これは紛れもなく本心で」
「……はい」
「これからも僕とともに。末永くよろしくお願いします」
「はい!」
ダーナの額の光が強くなった。
感情に左右されるのかもしれないな。
とっても神々しい。
ん?
ダーナをハグしろ?
何で僕はイングリッドの考えだとアイコンタクトでわかるんだろうな。
「ダーナ」
「あ……」
「君のことをもっと知りたい」
腕の中のダーナは小さな可愛らしい令嬢だ。
実際は誰よりも強いのにな。
二面性にキュンと来る。
イングリッドが親指を立ててグッジョブって顔してる。
今日は助かったよ。
ダーナとは愛情で、イングリッドとは友情で繋がっているんだなあと感じた。
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