血濡れの灰狼
王国直属護衛部隊。
王都アルティミアを中心とする王国全土の防衛を主とした、選りすぐりの精鋭たちによって構成される戦闘部隊。
国中の志願者のうちから過酷な試験をくぐり抜けて集められるのは、皆、人並外れた実力者。武力はもちろんのこと、思考力、知識、判断力、国における法の全てに、鋼のごとき精神まで持ち合わせる。
何においても百人力、そう評される彼らは、おおよそ一組4~5人程度の部隊に分けられ、少数精鋭として任務にあたる。
ここ、王国直属護衛部ヴァナディース七番隊作戦室。
舞う埃を斜陽が照らすこの部屋には、俺と彼女だけ。
部隊長を含むほか三名は、今は任務で出払っている。
残された俺たちは、昨年度の経費に関する報告書の作成。
数時間のにわたる秒針と筆記の音だけの静寂を破ったのは
「先輩、逃げちゃいません? 」
突拍子もない、そんな彼女の一言だった。
「冗談だろう。配属4日で逃げ出すのなら、初めから試験なんて受けなければ」
「1年と、4日です」
書類に目を落としながら返した返事に、食い気味に彼女が答えた。
「地方で一年間の研修なんてやりたくないことやらされて、やっと直属護衛らしい仕事できると思ったら、書類作成に掃除にお茶くみって、ずーっとお部屋に軟禁状態。私たち騙されたんじゃないですか? 」
はあぁ、とため息をついてから、書類の束を前にうんと伸びをする。
正面から見る彼女はまだ若いのに、老体にムチを打つようなそんな素振り。
彼女だって、国家試験通過のために過酷な勉強と鍛錬を超えてきたはずの人間だ。たったそこらの座り作業で本当に疲れているわけが無い。
とはいえ作戦室とは名ばかりの、本も地図も置かれていない味気ない部屋に長時間。
気が滅入ったというのが正解だろう。
「事務だって王国を動かす立派な仕事だよ」
とは、口で言いつつも、俺も心からは仕事に身は入っていない。
彼女からあんな提案を持ちかけられたのは、そんな心情を見抜かれたからなのだろうか。
「緊急警報とか鳴らないですかね。そしたら下っ端だって駆り出されるのに」
「国を守るはずの直属護衛が不幸を願ってどうする。縁起でもないな」
「だって、外出たいじゃないですか。私は槍でズパパーってするために色々諸々頑張ったんです。お部屋の肥やしになりたいわけじゃない」
「ズパパーなら訓練所に申し出ればいいよ。業務の合間なら使い放題、どうせなら一緒にいくか」
「嫌ですよ。休み潰してまで汗なんてかきたくないです。ベタベタするんだもん、いいですよね先輩は」
「何が」
俺が聞き返すと彼女は、長い髪を耳にかけながらニヤッと笑った。
「なんか、いい汗かきそうじゃないですか」
彼女は座っていた椅子ごと、こっちにずりずり寄ってくる。
道中にあった他人の机からお菓子入りの缶をくすねては、業務中にもかかわらずむさぼる。
「先輩も食べます? 」
「いいよ、共犯になるつもりは無い」
「いいじゃないですか。空き缶を隠せば2、3日はバレませんって」
そうしてまた、口にほおりこむ。
ボリボリと音を鳴らす固めのクッキー、意匠も凝ったデザイン性のあるそれは、誰かへの手土産だったんじゃないのかと。
「それに、いざとなったら逃げればいいですし」
「逃げるって……。そんなに嫌なのかここ」
確かに、まだ面白みの無いことばかりだ。
イメージしていたような仕事はほとんどない、軟禁という表現もうなずける。
だけど、それを加味しても、努力の成果をそう易々と捨てる気には、俺はなれない。
「嫌ってわけじゃないですけど、居たいってわけでもないんですよね……」
「ホントにいらないんです? 」と尋ねたあと、彼女は最後の1枚まで、余すことなく、そのクッキーを平らげてしまう。
「志望動機は」
「なんとなくです」
「なんとなくって……」
そんな薄い理由で乗り切れるほど、試験は生易しいものでは無かったはず。
「よく途中で折れなかったな。あれか、俗に言う天才って奴か」
「なんです? それ」
「大抵の事を他人より容易くできる奴のことらしい。あまりにも並外れてるから、神様からの授かりもの以外考えられないって」
「大袈裟ですね、先輩」
「あっ」
ながらで受け答えする俺の手から、素早くペンを抜き取った彼女。
どうやら、そう簡単には返してくれなさそうだ。
「なにか授けてくれてるんなら、15の時には受かってますよ。それに自分で言うのもなんですけど、いっぱい頑張ったんで。投げやりな評価はあんまりだなぁ」
くるくるとペンを回しながら、少し頬を膨らませる。
全く、器用なことをするものだ。
「私の家、親が変に厳しかったんです。ことある事に口うるさくて、鬱陶しくて。あのまま居たらお見合いとか組まされてただろうし。でまあ、とりあえず逃げたくて、王国に仕えるってなったら、さすがに文句も言われなくなるかなーって、そんなとこです」
「すごいな」
「何がです? 」
「それで頑張りきれたのも、それをなんとなくって言えちゃうことも」
「やっぱり大袈裟ですね」
彼女は少し微笑んだ後、指先出回ってるペンをそのままひょいと飛ばす。
空中に弧を描いてから、そのペンは俺の机上に着地して、その後、余った勢いで少し回る。止まったペン先は、俺に向いていた。
「次、先輩の番ですよ」
「俺……? 」
「志望理由、私をすごいって言うくらいだから、どれだけ大層なものが出てくるのかなって」
ニヤニヤと意地悪な顔をして、からかう気しかないのだろうな。
「期待させてしまって悪いけど、そう面白いものは無いよ。田舎で生まれたから、一番稼げる仕事って言って知ってる選択肢がこれくらいしか無かったんだ」
「……なんか、私より理由になって無くないですか」
まあ、そうだろう。
彼女に語らせておいて、この程度の情報で誤魔化しきるなんてできるはずもない。
「まあ、期待されてた部分もあるよ。村一の秀才だってもてはやされて、自分の可能性を確かめたくなって。自信もあったし、少なくとも賢くはあったからな」
「自分で言います? 賢かったなんて」
「事実だったからな」
「ふーん。それなら、なんで先輩は2つ下の私と”同期”なんです? 」
隙を見つけたようで、顔が満更でも無さそうだ。
何も言い返せないであろう俺を眺めて、またニヤニヤと。
どうやら、あまり褒められた性格じゃないらしい。
「だからすごいって言ったんだよ」
「年下に負けて、悔しくはないんです? 」
「無いよ、平均23歳で受かる試験に18で合格、恥じるほどの結果じゃないだろう」
「まあ、そうですねー」
彼女はどこか煮え切らない様子で目線を下げた。
こういうタイプは、張り合うだけ無駄だ。
俺より2つも下でくぐってる。普通にすごいと賞賛してあげるべきだろう。
「全部受けたんです? 」
「試験の話か。いや、むやみやたらにやってもしょうがないからな、自信がある時だけにしたよ。第84回、85回、87回、そして受かった89回。そういえば、試験会場で見かけなかったな」
「私は88と89の2回だけなんで。っていうか87回受けたんですね、落ちたのは筆記ですか」
「落ちたのは、って嫌な質問だな。実技の方だよ」
「なら、実質3回じゃないですか」
「どうして」
聞き返すと、彼女は何故かギョッとした目を向けた。
受けた側の俺が質問するのはどこかおかしい気もしたけれど、実質3回になる理由は分からない。
「だって87回の実技って、あれ、ですよね……」
俯きながら言葉を濁した彼女。
さすがの俺でも、内容をぼかす理由くらいなら分かる。
それは、何も知らされず行われた一週間のサバイバル。
片手ほどのナイフと瀕死のバディを想定した小型犬だけを渡され、広大な山中へと置き去りにされる。
水と食料すら自給自足の中、唯一知らされていたのは、一週間で迎えが来ることと、迎えが来たその時点で生存した状態の犬を連れていなければ即失格であるということ。
100名ほどの志願者たちは、ほとんどないルールの中、様々考えを巡らせた。
自分一人生き残ることすらやっとな中で、まだなつきもし無い犬を連れどう動くか、どう次へ進むか、思考に思考を重ねたはずだ。
初めに言おう、死者は出た。
国を守護する立場の選定試験なのだから、私利私欲のための殺生なんてもってのほか。
ましてや、自分一人を除いて他全員を殺せば繰り上げ合格になる制度なんてものも無い。
そんな中で他者を殺める理由は何か。
犬だ。
極限状態は思考を鈍らせ、理性をぼかす。
曖昧になった線引きは、染めてはならぬ行為にすら手を伸ばさせる。
何らかの理由で犬を連れていない者は、生き残ったとて即失格。
命懸けで参加した以上、それは絶対に回避したいはずだ。
苦渋の決断だったのだろう。
死者2名、死因は高所からの転落。
事故死として片付けられたが、参加した俺は知っている。
サバイバル中に、他の志願者の犬を狙う者がいた事を。
その者がどうなったのか、行方までは俺は知らない。
なぜなら、俺はサバイバル後の最終試験で落ちたからだ。
最終試験、課題は一つ。
犬を連れ帰った志願者たちに告げられたのは、ただ一つの命令。
支給されたナイフを使い、自身の犬を殺めろ、と。
「あんなものは小説の中だけだと思ってたけど、まさかほんとにやるなんてな」
「あの回は、国王自ら指揮したって。きっと面白がってやったんですよ。あれは、落ちたってしょうがないじゃないですか」
「しょうがない、のか」
確かに、俺はあの試験中に出来なかった。だけど、それで不合格になった事を、理不尽だとは思わなかった。
落ちてから引き取ったそいつを何度も眺めたが、しようなんて思えることは無く、それが理由で88回は辞退した。
「受かってから確信しましたけど、こんな仕事に、あんな厳しすぎる試験、必要ないです」
「厳しいのは同意するけど、どうしてそこまで言いきれるんだ」
「だって必要になってます? その書類に試験ほど頭使うような内容、書いてないですよ。百歩譲って、勉強は良しとしても、子犬を殺めさせるなんて……」
「ここ数年じゃ、いちばん優秀な成績を出してるのがその87期の奴ららしい。一概には言えないけど、そういう人材を求めているから、国も試験を課したんじゃないか」
彼女はまた煮え切らぬ顔で、目線を下げた。
「それに、その実技の話をきいた上で88回を受けたってことは、それなりの覚悟はしたんだろう」
「まあ、そうでしたけど……」
「もし同じ試験だったら、自分はしたか」
「……多分。実際にそうなってたわけじゃないので、わかんないですけど」
「なら、試験は必要だったんだろう。そういう心持ちのやつを欲してるんだ。俺は今の1度も思えてない。俺が受かったのは、多分まぐれだよ」
話が一段落した時には、自然と部屋全体の空気が重くなっていた。
「なあ、その缶他にはなかったか」
「その缶って、これです? 見つけたのはこれ一個だけなんで。先輩がさっきいらないって言うから全部食べちゃいましたよ」
彼女は膝に抱えてたそれを手に持って言う。
さっきのペンのように回したいらしいが、形状、大きさ的に、そう簡単にはいかないようだ。
「そっか、それは残念。って、そういえばなんで先輩呼びなんだ。自分でも言ってたけど、俺たち同期だろ」
「だって、先輩で統一すれば、名前、覚える必要ないじゃないですか。ほら、部隊移動とかあるらしいし、いちいち覚えてられないかなって」
「大分ぶっちゃけるな」
「そういう先輩だって、私の事、名前で呼んでくれないじゃないですか」
「ああ、まあ。呼んでないわけじゃないけど……」
「なんでです? はばかられるようなことでも? 」
心の内を見透かすようなそんな指摘に、思わず言葉を詰まらす。
どう言ったものかと悩んでいると、目の前でガシャン!っと音が鳴る。
「なかなか上手くいかないな」
「先輩ほどじゃないですよ」
どういう意味だと聞き返したかったが、そのまま彼女は言葉を続けた。
「名前呼ばないの、本当は、私も同じだからなんです」
確か、言ったことは無かったはず。
だけど、その言葉には嘘らしい歪さは無かった。
それ以上何も聞かず「……そうか」とだけ返して、俺はペンを持って作業に戻ろうとした。
ガラガラッ
勢いよく部屋のドアが開いた。
「ようグズ共、ちゃんとお仕事していたか……って」
帰ってきたのは、部屋を出払っていた部隊長たち。
「……あっ」
そして、彼らの目に真っ先に入ったのは、クッキーが入っていた缶を持った彼女の姿。
お早いお帰りだったが故に、罰から逃れる術はもう、逃げる以外にないだろう。
「どういう事か、言い訳だけは聞いてやるよ」
大柄でいつも横柄な態度の彼だが、今回ばかりは彼が正しい。
けど、それじゃ俺が困るんだ。
「……あの」
押し黙ったままの彼女を置いて、口を開く俺を、一同、奇妙な目で見つめる。
ここまで来たらすることはひとつ。
数分前まで、同じ心持ちだったんだ。
それなら、俺も共犯だろう。
「それなら、俺がさっき食べました」
――――――――――――――――――――――――
知らせを聞いて頭を一番に過ったのは、彼女たちの墓をどうするかだった。
研修場所に到着した2日後、俺の故郷のある地方 アウストリアに月の魔物の出没。それを事前に聞いていたからだろうか、心情にゆらぎはほとんど無かった。
「そう、ですか。ありがとうございました、大事に保管します」
知らせを伝えに来た王都直属護衛部隊の隊員、形式的には俺の先輩に当たるであろうその人から手渡しで遺品を受け取る。
母のブローチ、妹の歯、それと幼なじみのエレンの物だろう指輪。ああ、そうだ。幼い頃にペアリングとしてプレゼントしたんだったか。どれも煤けたばかりで確証こそ持てないが、骨ばかり積み上げられた中から彼女らが生きた証として残るのはこの程度の物なのだ。
最も、それすら残らぬ者もいれば、残ったとて、誰の手にも渡ることなく朽ちていくだけの者もいる。
俺の場合は、運が良かったんだ。
燃え残りの中から、俺とエレンと家族が写った写真が見つかり、引き受け先として見当がついた。
不幸中の幸いという言葉が、俺の周りでは流行っているらしい。
目の前の男からもそう言われた。
研修が始まり2ヶ月と数日、慣れてきた寮の部屋に戻ると真っ先に求めたのは酒と床の上だった。
柄にもなく四肢を投げ出し、普段なら手をつけることがなかったであろう高濃度のアルコールを口に含む。
苦くて、不味い。ただ、次が欲しくなる。
舌は時期にバカになるからこの苦味は今だけの辛抱、むしろ意識が苦味にむく分、この場合に限っては好都合かもしれん。
さて一向に酔いがまわる気配がこない、やはり一人だからか。
酒の場は苦手だ。下衆な話題と品のない行為で溢れ、同席していたと知られれば他人に幻滅されかねん。
だが、それなりに楽しいのはまた事実。
気づけばグラスも空き、食が進む。気晴らしにはちょうどいい。社交場と名乗れるだけの会食ならば、評価に響くこともなかろうしこぞって参加したいのだが、金はあれど機会が無い。
予定をこじ開けることすら難しいのが今の俺の職と立場。
前もってなどと言うのは、絵空事に等しい。
下っ端でこれだと言うのだ、接待こそあれ階級が上がるにつれ自由時間は摩耗していくだろうし、この先俺が誰かと飲む機会など数える程度になるだろうな。
まだ頭は十分に回る。
物心着く前に亡くなった父親は、かなりの酒好きだったそうだ。
その血を強く引いてかは分からないが、この身体も酔うまでには相当に酒を欲する。
酷く家計を圧迫する酒代に相当困らされたらしい、"酒なんて飲むな乳を吸え"と言うのが、育児による気狂い手前の母の口癖になるほど。
そんな品のない言葉を吐くような人にはとても思えないのだが、昔を聞くと決まってそう言っていたと聞かされるから、事実ではあったのだろう。
酒によって暴かれる本性というのは、どうも本人だけではなく周囲の人間のも浮き出てしまうらしい。
であるならば、俺も飲みの場に行けば自分の本性が浮き出てくるのだろうか。
何杯飲んでも酔えず、現れぬ俺の本性というものが自覚できるほどに。
結局、その晩は満足のいく快楽が得られなかった。
この身体は、より強い刺激による屈服させられるほどの狂的な堕落を求めているらしい。
巷では、幻魔草の根粉なる、ひと吸いで女と交合う程の快楽を得られる薬品が流行っているそうだ。
かなり高価ではあるが、捨てるほどある銭の使い道ができたと思えばいい。
問題は時間だ。
果たして合間は縫えるだろうか。
それから、墓の事もあった。
散乱するこの部屋のこともいずれはどうにかせねばならない。
ああ、全て面倒だ。
思考が身体を覆い尽くす前に、俺は酒を浴びる。
これで今晩は出歩けまい。
お前は今、この部屋の床に倒れ込むことだけに専念しろ。
全身から発する酒の匂いで鼻が曲がりそうになる。
銀の髪から垂れる雫は、濁りに濁ったアルコール。
夜が更けるまでまだ時間がある。
ああいっそのことこのまま燃えようか、それか、女を見つけてしまおうか。
――――――――――――――――――――――――
毎秒と頭が破裂している。
殴られた箇所を始点として、鈍い痛みが全身を駆け巡る。
熱を帯び始めたそこはまるで、第三の心臓と言わんばかり。
身体を動かすための第一とは反対に、その歩みを止めさせるため、脚骨の髄に滲みこむまで幾度と強く嘆き続ける。
……と言うかなんだこれは、痛いどころの騒ぎじゃ無い!
吐く、吐くって、マジで。
なんだこの感覚、痛覚が直接弄られてるとしか思えん。
医務はなんで俺を解放したんだ。今すぐにでもベッドに縛り付けてありったけの鎮痛剤を瓶ごと口に流し込むべきでは無いのか。阿呆なのか、見てくれがもう重症だろうが。
歩いているだけで目眩がするし、左目にいたっては開いてるだけでなんにも見えちゃいない。生き物の目は均整がとれて初めて目になれるのだと今は嫌でもわかるし、それを生きたまま理解できるように人の均整ぎりぎりを調整してぶん殴ったあの人は何者なんだよ……!
「元気そうですねぇ、先輩」
動く視界の真横から顔だけ覗かせてくすくすと笑う彼女。
頭から血が垂れた男の隣を歩いているというのに、手を貸したりも、心配する素振りをしたりもせず、本当にただただ、付き添ってるだけ。常人の神経では無い。
傍から見て、本当に心配されるべきはどちらになるんだろうか。
「これのどこがだ」
「だってさっきから歩く度にうっ、とかくわっ、とか変な声出してるし、それにかっこいいお顔の半分に、カワイイメイクまでしちゃってるじゃないですか」
「可愛い、メイクだと……?」
「ええっー、医務室で鏡見てたじゃないですか」
そうやって、口角上げてニヤニヤと。
加虐癖があるんだろうが、人前では最低限抑えるべきだし、そもそもそんな感情はけが人に向けるものでは無い。第一、俺はお前に殴られたんじゃない。
「カワイイと思うんだけどなぁ。似合ってますよ赤いの」
「冗談じゃない、血が似合ってしかる人間なんて居ていいはずが無いだろう。化粧の類に用いることもあるか」
「全然アリだと思いますけどねぇ、お目目の剥製とかアクセサリー代わりにつけたら不気味な感じと混ざってかわいくなると思うんだけど」
「……あんまり分からないけど、その、カワイイって、何でもかんでも言える言葉じゃないだろう」
「カワイイから言ってるんですよ、カワイイって。みんな言ってますよ、カワイイ」
「いや、内包しすぎだろうが……くっ」
だめだ、訳の分からない戯言に思考を割こうとすると、余計に頭痛が激しくなる。
「大丈夫です? カワイイにやられちゃいました? 」
何を言ってるんだこいつは。
一単語の許容量を超えてるだろうが。
ああクソっ、痛みのせいでこんな些細なものにまで怒りが。
「安心してください、怒ってる先輩もカワイイですよ 」
「バカにするのも程々にしろ……!」
「バカになんてとんでも、先輩も使えば分かりますよ。カワイイければ、何に使ってもいいんですから」
カワイイを万能みたいに言うのは、やめろ。
「ほらっ先輩も」
「そんな言葉、流行らせて……たまるか」
「なんでそんなにムキになるんです?」
「カワイイに親を殺されてるからな……」
「えぇ……そんな見え透いた嘘をつくほどなの」
年下相手の顔を引きつらせてまで断固と口にしないとは、どうも俺の中のカワイイへの怒りは大袈裟では無かったらしい。
「先輩そんなに嫌いなんだぁ。覇権とると思うんだけどなぁ、カワイイ」
後ろに腕組みしながら、不貞腐れた子供のように歩く彼女。
「そんな日が来たら、その国の言語は崩壊したも同然だ、賭けてもいい」
「へぇ、じゃあ私の勝ちだ」
と思ったら、直ぐにいつもの調子を取り戻す。
「何貰っちゃおうかなぁ」
「どこにあるんだそんな国」
「えっ、そんなのどこか遠くの、多分別世界とかじゃないです? きっとカワイイで外交したり国のトップがカワイイ仮装してみたりするようなそんな国」
2秒で浮かれ気分になれるのも才能だろう。
能天気と言えばいいか、深く考え混むことはせず自分勝手に右往左往。
頭はそれなりに回るようだけど、それを他人のために使う事なんておそらく無い。
ただ、それでいて世渡りを上手くいく奴だ。
俺には、ずるいとすら思えてしまう。
「……見たことは」
「もちろん、無いですけど? 」
アホらしい。
なんでこんな奴のために俺は濡れ衣を被ったんだ。
自分はつくづく世渡りが下手だ。
全く、俺はこいつを見習わなきゃいけないのか。
この世界の神たるアルティミア様はどこまでも理不尽だ。
一向に痛みが引かないまま、俺たちはやっと、もしくはとうとう、俺の寮のある別棟まで来た。
いつもなら5分とかからない道のりなのに、満身創痍を絵に描いたこの身体ではその倍以上。
体力的な疲れは知らずも、精神がすり減っていく感覚を徐々に強くなる痛みによって実感できる。
たったの移動だとしても"やっと"と、つい使いたくなる。それだけの苦労だ。
そして、もうひとつの苦労。
「で、どこまで付いてくるんだ」
「えっ、先輩の付き添いなんでもちろんお部屋まで行きますよ」
この女は、"とうとう"ここまで着いてきたのだ。
「そうか、ありがとう。ここでもう十分だよ」
「何を言ってるんです? 」
「この扉の奥が俺の部屋だ。君の役目はここまで、ご苦労さま」
「だから、何を言ってるんですか?」
……嫌な予感しかしない。
「ここが先輩の部屋なのはとっくに知ってますって」
「……なんで知ってるのか分からないけど、だとしても君がすべきことは変わらないはずだ」
「ええ、だから早く解錠してください」
「まさかとは思うが」
その予感は、人差し指を立てた彼女の口から出た言葉によって現実になる。
「当然、私も泊まるに決まってるじゃないですか」
何が当然なんだ。
「……いや、帰ってくれ」
「どうしてです? 」
可愛らしく首を傾げても、見た目ごときに騙されはしない。
「裏があるだろう」
「裏ってなんですか、人の善意をそんな言い方しないでください」
「ごもっともだ。でも帰ってくれ、信用ならない」
「ひどっ!?」
この際少しくらい嫌われようが構わない。
というかこちら側は若干、苦手に思いはじめているくらいだが。
ともかく、なんとしてでも彼女をここから帰らせなければならない。
面倒、疲弊、近隣トラブル、食料、寝床、服の用意、貸しと借り、迷惑、迷惑、迷惑。
思いつくだけでごまんとあるが、それに加えて別件がひとつ。
善人たる彼女を毒づくだけの理由が俺にはある。
一通り、着替えや寝床等の問題を上げてみたが、
「あー、まあ、1日くらいならなんてことないんで」
と、のらりくらり躱される。
見た目の割にガサツな女だと判明したところで、どうやらその時間が来てしまったようだ。
「……遅いから来ちゃったけど」
彼女の背後に、もう一人、かきあげた髪の派手な女性。
服装は平民のそれだが何より身なりに気を使い、平常の日では無いことがみてとれるほど。
「ルフローヴ、よね。どうしたのその頭」
「上司にぶたれたんだ。おかげで頭痛が酷い。悪いが今日の予定はキャンセルでもいいか」
「そういう事。埋め合わせはしてくれるってことでいいのかしら」
すると、除け者になってた彼女が口を開いた。
「あのあの、どちら様です? 彼女さん? 」
「彼女、ね……。そういう事でいいのかしら」
確認するように、問う方向を俺向きへ変える。
さて、どう答えたらいいのだろうか。
ここは正直に言うべきかと、諦めて口を開きかけた途端。
「遊ばれてるのよ私たち」
「私、たち? 」
その女性の方が先に声にした。
「そう、私含めて今のところ4人かしら。この人の遊び相手、空き時間に呼ばれて食事して一緒に寝るの。あってるわよね」
「……ああ」
「そう、増えてなくて安心した」
安堵、とは呼べない裏に煮詰めた感情を隠した平穏な顔で、彼女は笑う。
その手前には、平穏などとは無縁そうにニマニマという表現が似合う気味の悪い笑みの彼女。
こんなにも予想のできた展開は無い。
だからこいつをここに長居させるのは嫌だったんだ。
「へぇ……先輩、いいんですかぁ? 入館許可証は、親族またはそれに近しい間柄に限るって。それに4人もですかぁ随分とお盛んなようで」
「……そう、だな」
部隊室の時とは違う、非はこちら側、全面的に俺が悪い。
部隊違反、非人道的行為、オマケに彼女から口にさせる情けない面まで。
この女には同情という人間らしい要素が毛ほどもない。
これだけの隙を晒せば一生、少なくとも同じ部隊の間はからかわれ続け、信頼は地に落ちるだろう。
「どうして先輩……ルフローヴさんにしたんです? 相手なんていくらでもいると思いますけど」
「そうね、端的に言えば街で声をかけられたからだけど、続いている理由は私にも分からないわ。だって、いつ切られたっておかしくないもの。顔は良くて、将来有望、性格もそんなに悪くはない。私なんかが相手にされてるのが不思議なくらいよ」
「あらま、こんなにお綺麗な方にこんなに言わせるなんて、先輩はよっぽどのエスコートをなさってるみたいですね」
「……もういいだろうこれ以上は」
「そうね、今日のところはお暇させてもらうわ」
「待ってください」
「なんでお前が」と言いかけて手を伸ばした瞬間、耳に入ってきた彼女の次の言葉の威力に俺は気圧されまたもや口を閉じてしまった。
「もう二度と来ないでくださいね」
よそ向きの笑顔で何を言い出すのか。
女性に向かってそう言い放つ彼女は、続けざまに、嘘でも恐ろしくなる言葉を出した。
「私、先輩の本命なので」
盤面が凍りつく中、彼女だけがその中を動き、俺の真横まで駆け寄ってから耳打ちする。
「賭けの景品か、庇ってくれたお礼。名目は、どっちにします? 」
咄嗟の提案はもちろん、俺をからかうためだ。
だけど、この状況は……。
もしかすれば、ちょうどいいかもしれん。
「……あれは成立してないから後者だ」
「じゃあ、先輩の有責ですね」
散々といいように遊ばれたんだ、ここらで反撃のひとつ加えて然るべきだろう。
それに、ずるずると続いた彼女たちとの関係にもこれで一区切り着くはず。
目の前の女性に、あえてニマニマと笑う彼女。
この性格の悪さ、嘘だとしてもやっぱりやめておくべきだったか。
ただ、今からこれをひっくり返せるとはもう思えん。
俺は一体、この口で何を助けてしまったんだろう。
――――――――――――――――――――――――
俺の傷が癒えてから数日、俺たちヴァナディース七番隊は、定期訓練のために屋外の訓練場にいた。
「次、先輩の番ですよ」
心地よさそうに少しばかり息を切らしながら、彼女は言う。
訓練用の槍と、それに付けられた魔導具を用いた模擬戦。
よくあると聞いたこの訓練は、普段の事務に比べれば退屈は無い。
「そうか、今向かう」
「先輩なら、楽勝なんですか? 」
「さあな。相手が誰かにもよるだろう。第一、この模擬戦は勝敗を求める物じゃなく、自身の腕を磨くためのもので――」
「そういう理屈っぽいのはいいです。私はただ、先輩に勝って欲しいだけなんで」
「勝つ……? なぜ」
疑問を漏らすと、彼女は答える。
「だって、勝った方がかっこいいじゃないですか」
汗ばむ彼女に、俺は少しため息をつく。
その様子を見て、彼女は微笑む。
「彼氏にはかっこよくあって欲しい、普通の事じゃないです? 」
普通の事、か……。
俺にはもう何が普通か分からないから、その言葉には何も返せない。
「じゃあ私見守ってるので」
「そうか」
彼女の手から槍を受け取ると、
「あっそうだ」
最後去り際に耳打ちをする。
「今晩、楽しみにしてますね」
俺は振り返らずに槍を構えて前へ進む。
そして行われた模擬戦は、3対0を三度重ねた。
「ねぇ、先輩」
布団にくるまり、彼女は反対を向きながら俺に声をかける。
「先輩の故郷って、アウストリアの方、なんですよね」
「それが」
「いいえ、何となくです」
この時間は、話題が飛ぶ。
飛躍した論理も、素では話せない内容も、全てが有りになるおかしな時間。
人間とはおかしな生き物だ。
何が変わる訳でもないのに、行為ひとつ終えただけで全てを許した気になってしまう。
たかがその程度の行為で、一足飛びに語り合った以上の関係に昇格する。
突き動かされるように、衝動に駆られて、本能の求めるがまま。
そんなの、心などあってないようなものだ。
俺は家族を、エレンを大事にしていたはすだ。
それなのに今は、こんな簡単な快楽を許容している。
一年かかってやっとわかった。
結局、俺の本性は獣か。
さっきまで彼女が寝ていた胸板の上には、抜け落ちた桃色の髪が一つ。
まだ温もりが残るそこを俺は手で払う。
上半身を起こす俺と、対照的に布団にくるまったままの彼女。
無意味な思考が俺を覆い尽くす前に、俺は酒を求めてベッドを降りた。
グラスの中に注がれていく、度数だけが特徴の酒。
「先輩、ほんとお酒好きですね。私も一口飲もうかな、そうすれば先輩に近づけるのかな」
やはり、言ってる意味がわからない。
「美味いもんじゃないぞ」
「でも、近づけるなら。例えどんな苦味でも受け止めますよ」
「さっきから近づくって。これ以上は無いだろう」
「無いなら、作りましょうよ」
表情が見えない中、彼女は一歩も動かず俺に迫る。
「先輩、やっぱり逃げましょうよ」
「逃げるって、何から」
「全部」
まるで希望を話すように、彼女の声には喜が混じる。
「きっと複雑になりすぎたんですよ、何もかも。だから全部やめて、逃げちゃうんです。先輩とならそれが出来ます」
「逃げて、どうする」
「逃げたら、逃げ続けるだけでいい。他にすることなんてないんです。ただ、先輩と二人、もしくは三人で」
カランと鳴る氷の音。
「本気か」
「私はいつだって」
俺たちの間を遮るのは一枚の布と月明かりだけだった。
「セナ」
ポツリ呟く彼女の名。
今、初めて呼んだ気がした。
そんなはずは無いのに、だ。
「なんですか先輩」
全てから逃げるという荒唐無稽な行為を、共にする、共犯者。
彼女なら何かを変えてくれそうな、根拠の無い可能性。
俺は賭けてみたくなってしまった。
彼女を助けた理由も、今ならわかる。
俺と彼女は、同じだったんだ。
何かに囚われる今に疲れ、安息を求めただけの者。
きっとこんな未来をどこかに夢見ていたからだろう。
「俺と――」
全てを捨てて、逃げ出す決意。
心には決まっていたはずだが、いざ声に出そうとすると勇気がいる。
酒を飲んでもなお消えぬ躊躇いに終止符を打とうと、俺は声を出す。
その時だ
警報が鳴った。
「緊急警報……」
夜更けにも関わらず、耳をつんざくその鐘の音は、何かの襲来を俺たちに告げる。
その音に動揺を隠せぬ俺の前で、一糸まとわぬ状態の彼女は、すかさず脱ぎ捨てていた衣服に袖を通す。
「先輩……! 早く! 」
「……えっ? 」
一瞬、何が起こっているのか分からなかった。
直前まで全てから逃げようとしていた彼女が、今は急いで衣服に袖を通す。
どうして、そんな事をしているんだ。
後から思い返せば、彼女の判断は正しかったのだろう。
いずれこの部屋には、ヴァナディース七番隊の隊員が俺を迎えに来る。
緊急警報だ、いくら下っ端の俺たちとはいえ現場に駆り出されるはず。
隊員がこの部屋に来た時、裸のままでいるなど滑稽がすぎる。
けど、当時の俺にはそんな事思いつく余裕もなかった。
酒のせいか、直前までの行為のせいか。
いいや、どれも違う。
俺は、もう。
「先輩っ!!! 」
いつになく真剣な目で見る彼女に促されるまま、俺は服を着た。
いつか支給された、部隊の制服。
これを着たら、俺たちはヴァナディース七番隊員として使命をまっとうしなければならない。
直前まで思い描いていた逃避とは、真逆の選択。
隊の制服に身を包んだ俺たちは、扉を開いた。
慌ただしく廊下を駆ける隊員たち。
彼らの向かう方向は、大作戦室のある北だ。
今ならまだ、間に合うのか。
彼女の手を取って彼らとは逆に走れば、思い描いた未来があるのか。
「なあ、セナ」
俺の呼び掛けに、彼女は足を止めた。
「俺と、逃げないか」
「本気、ですか……? 」
本気か、今一度問われるのは状況が違うからだ。
俺たちの間を遮るものは、もう月光だけでは無い。
「私たちが行かなきゃ大勢人が死にますよ」
何が理由の警報か、理由こそ分からないが今この瞬間にも犠牲者が出ていることは確かだろう。
決断を遅らせることは、新たな死者を産むということ。
「それでも逃げるって言うんですか」
他者を犠牲にしてまで俺は逃避を選ぶというのか。
他者を殺して、自分だけでも生きながらえる。
そんなことをしてまで、俺は彼女と逃げるべきなんだろうか。
「俺は――」
脳裏に浮かぶは家族の、エレンの顔。
彼女達がいない世界で、俺は何を求めて生きればいいのか分からなかった。
何度も酒や快楽に身を任せ、己を騙して生きてきた。
俺は自身を獣だと言った。
だが、獣なりに心があった。
それに気づかせてくれたのは、紛れもない彼女。
いつの間にかこんなにも大きなものになっていたのか。
俺は、彼女の手を取った。
今すぐにでも逆へ向かおうと、その手を引こうとした。
「先、輩……? 」
その時、彼女の顔が強ばった。
俺は、強烈な後悔を覚えた。
俺は臆した、躊躇した。
俺の握る手に、次第に力が入らなくなる。
ああ、俺は、やっと差しこんだ光に見放されることを、こんなにも恐れているんだ。
「行かないと」
彼女が手を握り返してくれることはなく、その手は抜けて行った。
彼女は、流れの一部となって駆けていった。
俺は彼女の後を追った。
その様子は、親鳥を追う雛のようだっただろう。
彼女という名の救いを求め、無我夢中で追いかけた。
ああ、やはり何もかも面倒だ。
全てを投げ出して、逃げ出してしまいたい。
犠牲者の事など、俺の頭には無かった。
第二第三の犠牲が生まれようと、もう俺の知ることでは無い。
どれだけ救おうとも、家族もエレンも帰ってこない。
彼らを助けた末に残る感情など嫉妬だけ。
なぜお前らが助かって俺の家族もエレンも帰って来ないんだと、ただただ醜い本音がそこに残るだけ。
ならば、全てから逃げて彼女と逃げ続けるだけの人生に身を任せしまいたいと思うのは、おかしいだろうか。
おかしなことなのだろうか。
いよいよ到着した、大作戦室。
先に中へ入った彼女を追って、俺もその扉をくぐろうとする。
「部隊長……」
だが、その先で俺を待っていたのは、
「待機……ですか」
もう逃げられぬ現実だった。
――――――――――――――――――――――――
観測史上、18回目。
奴がこの地に現れた。
クラス分類不能。
実在確認不明。
名称 月の魔物。
別名、三厄災の一・ムーンファントム。
人を喰らい、殺戮の限りを尽くす奴は、決まって日蝕の日に現れる。
見る者によって姿形を変えてしまう化け物は、独立部隊の精鋭を持ってしても確実な討伐は不可能。
奴を攻略する手立ては、現状の直属護衛隊では確立されていない。
そのため、奴が現れた際には被害を最小限に留めるための作戦が取られる。
その作戦の名は、ラストリゾート。
唯一、王によってのみ発動が可能な作戦であり、停止には直属護衛独立部隊長以上の権限を必要とする、言葉通りの最終手段。
作戦の内容は、単純明快。
討伐対象を町や村の中心に引き付け、その集落諸共焼き討ちにする。ただそれだけの作戦。
討伐方法が分からない以上、確実を期す必要がある。
例え、街ひとつと相打ちになろうとも。
作戦時、住民の避難は行わない。
理由は二つ、そんなものを待っている時間が無いのと、逃げる住民を追って討伐対象が他の街などに逃げるのを阻止するため。
住民も、引き付けた部隊員たちをも犠牲とした、最も非効率的で、唯一討伐を確約された方法。
それが、ラストリゾート。
そんな作戦を実行するのは、もちろん王国直属護衛隊。
対象を相手取り引きつけるのも、
全てを焼き払うのも。
「私、子供を撃った」
作戦から帰ってきた彼女は、頬をどこかに落としたかのような表情で語る。
「逃げ惑う子供を、作戦遂行の為に撃った。私の魔法で人が死んだ。何の罪もない子供が、私の手で」
ラストリゾートが起こってしまえば、そこに住む者は、灰になるまで焼かれることになる。
そこに性別も年齢も関係ない。
あるのは、ただ灰になる未来のみ。
「みんなみんな、私が撃った。私の魔法で子供が、子供が……」
誰のせいでもないと、自分のせいじゃないと、俺は彼女に何度も告げた。
誰かがやらなければならなかったことだ。
それをたまたま君がやっただけ。
君に罪は無い、背負うべき罪があるとするならそれは人類全員で背負うべきものなんだ、と。
「分かってる、分かってるよ……? でも事実だけは消えない」
事実、ただ一つあるのは……。
「私は子供を撃ったの」
ああ、クソっ。
なんでだってこんなことに。
あの時無理やり手を引いていれば、あの時俺が躊躇わなければ。
こんな残酷な世界を抜けて、俺と彼女だけは逃げてしまえば。
他人なんかどうだっていい。
誰かが犠牲になろうと、俺と彼女だけが無事なら、それで良かったのに。
「なあ、俺と――」
「もう、逃げていいはずなんかない」
現場で何を見てきたのか、何を得てしまったのか。
待機を言い渡された俺には分からない。
今ならあの夜の彼女の気持ちが分かる。
例えどんな痛みだとしても近づきたい、君に、セナに。
それが叶わぬと知りながらも。
――――――――――――――――――――――――
結局、俺は逃げ出した。
ただ一人、闇から逃げた。
組織の犬になっていく彼女を、俺は見てはいられなかった。
彼女がゆっくりと壊れていく様を間近で見届けるなど耐えられなかった。
彼女を連れて、二人で逃げようと何度も思った。
だが、彼女はもう二度と逃げようなどとは口にしなかった。
全てが、遅かった。
俺は王国直属護衛隊を抜けた。
あれだけ苦労して手に入れた地位だが、手放す時は一瞬だった。
後悔はない。
俺にはそもそも向いてなどいなかったのだ。
王都直属護衛隊には、退職時に職の斡旋がある。
国が運営するものから、民間まで、その数は多種多様。
人気商売以外なら、大抵の就きたいものには就ける。
俺は小さな頃の夢を叶えることにした。
冒険者だ。
誰でも就ける職だが、誰にでもなれるものでは無い。
強大な異種族や魔物に、腕っ節だけで立ち向かう男気に、幼少の頃の俺は憧れた。
自分で言うが、実力は全くのゼロでは無い。
が、冒険者としてはまだ半人前もいいところだ。
せいぜい食いっぱぐれない程度に稼げれば、俺はそれでいい。
逃げ続けられるなら、俺はそれで。
斡旋により、俺のクラスはAからとなった。
新人のクラスとジョブは、簡単な自己紹介と共に冒険者ギルドの隅にある募集掲示板にて強制で周知させられることになっていた。
例に漏れず俺も掲示板行きになった。
掲示板には過去の経歴までは晒されないため、いきなりA級の正体不明の大型新人という余計な泊が付いてしまった。
そのせいか、俺の元には多くの先輩冒険者が訪れた。
内容のほとんどが、自分のパーティーに入ってくれといういわば勧誘のようなものだった。
簡単な狩りから始まり、未踏破のダンジョン、強大なボスモンスター、果ては天を舞う碧き瞳の青竜。
色んなパーティーを転々として様々な戦いを繰り広げた。
仲間にも恵まれ、犠牲もなるべく出さぬよう努めた。
その時の一年は、毎日が刺激的で楽しかった。
手に汗を握る興奮は、直属護衛に居た時には味わえなかったものだ。
誰かのためではない、自分自身のために生きているという実感を得ることが出来た。
人生とはこんなにも明るく眩しいものなのだと、つかの間の幸せを全身で感じていたんだ。
そう、あの日が来るまでは。
パーティーメンバーのうち一人が亡くなった。
若くしてリーダーを務める女戦士だった。
彼女とは三ヶ月の間一緒だったから、無意識ながらに情も芽生えていた。
共に武具屋をめぐり、カタナという珍しい形の剣を紹介してもらった思い出もある。
俺の落ち度もなかったわけではない。
あの時、俺が無理にでも彼女を庇っていれば、おそらく致命傷は避けられたはずだ。
俺と彼女で傷を分け合えば、二人とも重症くらいで助かったはず。
だが、いくらたらればを言っても彼女は帰っては来ない。
何を言ったとて、何を思ったとて、その時に動けていなければ全て結果論に過ぎない。
俺は知っている、後悔などなんの意味も持たないことを。
弔いを済ませ、また別のパーティーを探そうとしていた時、俺の耳に知らせが入る。
「ヴァナディース部隊が壊滅したらしいぞ」
「部隊長だけが逃げ帰ってきて、部下は全滅だとさ」
「なんでも、レアドロップに殺られたらしいぜ……」
ヴァナディース部隊、この街に住んでいる以上、耳にはすることくらいはあるだろう。
気にもとめずに俺はその場から去ろうとした。
「人員が抜けた七番隊じゃ、荷が重かったんだろうよ」
七……番隊。
感情を極めて殺し、俺はそいつから話を聞いた。
ヴァナディース七番隊は、確かに壊滅したらしい。
部隊長以外は全員死んだ、レアドロップという流行りの異宗教信仰者に殺された。
犯人は投獄されたそうだが、そんなことはどうでもいい。
部隊長。
いつか俺の頭をぶん殴ったアイツは、なぜのうのうと生きて帰ってきてやがる。
沸点などとうに通り越していた俺は、その足で基地へ向かった。
俺はもう関係者ではない。
入口に立っていた門番たちを殴り倒し、俺は七番隊の作戦室へ。
殴り倒した門番も、すぐ起き上がったのだろう。
敷地内に侵入者が入ったことを告げる、ラストリゾート時よりレベルの低い警報の鐘の音が、俺の耳をつんざく。
鍵のかかってない扉を開けると、部屋中央奥に座っていたのは、あのデカブツ。部隊長だ。
「……お前か、侵入者は」
闇夜の中、明かりもつけずに何をしていたのか。
分からないが、探す手間が省けて好都合だ。
「分かっているなら、大声でも出して通報したらどうだ」
「……ルフローヴ。お前は今更何をしに来たんだ」
「何をって、お前に会いに来たんだよ」
表情が見えない暗闇を、お互い灯すことすらせずに話を続ける。
「なあ、部隊長さんよ。作戦遂行の為に、一体、何人部下が死んだんだ」
「何人か、数えてみるか? ひいふうみぃっと……ほら、3人だ」
「そうか。亡くなった部下に、捧ぐ言葉は」
「ふははっ。あったとて、なぜお前に言わなけりゃならん」
何故って、そんなの。
「知りたい以外の理由がいるのか。お前が、どんな気持ちでどんな思いで奴らを冥府に送ったのか興味があるんだよ」
「興味か。そんなお前の欲求を満たすがために、墓を暴かれる奴らの気持ちになってみろ」
「死人の気持ちなんて、なったこともないから分からないな。仮に推測するんだとしても、誰も参りに来ないよか暴きに来る方が幾分かマシだろ」
奴は、気づいていないみたいだ。
月光に光る刀身を、鋭く伸びる刃を。
一太刀浴びせてしまえば、お前は終わりだ。
「なぁ、ルフローヴ。お前、何故隊を抜けた」
「一身上の都合と、届けにはそう書いただろう。お前も目を通しているはずだが」
「一身上、か。まあいいさ。どんな理由であれ、ろくなもんじゃないんだろうからな」
「そうだな。ろくな理由じゃない。例えばまともな理由なら、お前は喜んだのか? 」
「ふふははっ!!! 」
警報よりも大声で笑う。
そんな奴を見て、刀を握る手に力が入る。
こいつ、この期に及んでまだ……。
エーテル器官を傷つけてやるだけにしておいてやるつもりだったが気が変わった。
こいつは、俺が……。
「ああ。大層まともな理由なら、大いにな」
間抜けな野郎は、未だ俺の握る刀に気づかない。
死人が出ているというのにバカ笑いを繰りかえす、そんな野郎、
死んじまっても構わないだろう。
俺は刀を振った。
「だって大義の為に息子は死んだと、そう言えるだろう」
だが奴の喉元で、刃が止まる。
「なぁ、ルフローヴ。お前がいれば息子は、ピンサは助かったんじゃないのか……? 」
ピンサ、確かに部隊にそんな名前のやつはいた。
それがこいつの息子だと……。
「……お前が隊を抜けていなければ、ピンサは無事だったんじゃないのか」
奴の呼吸が荒くなる。
「なあ、お前のせいだろ? お前のせいで、ピンサは、ピンサは!!! 」
声を荒らげて初めて気づいた。
奴は、泣いていたのだ。
赤子のように泣きじゃくり、俺を責めたてる。
その様はあまりに酷く、醜い。
だが、俺には奴の涙が分かった。
お門違いな俺を責めるのも、俺には分かった。
全部、救えなかった自分への怒りだ。
「くっ……ああああああああぁぁぁ!!! 」
俺は、奴の泣き声を止めた。
刃によって、全てを止めた。
感情の全てを乗せた一撃は、威力の分だけ赤を返した。
冷たくなった奴の身体から刀を抜くと、俺は部屋から出ようと振り返った。
「なぜ……」
そこには人がいた。
月光を背に浴びる、一人の女がいた。
亡霊……か。
その女は、ただ俺を見ていた。
血を浴びた俺を、これまでと変わらずの眼で。
俺は、訳も分からないままにその女に語り掛けていた。
「なあ。今の俺、かっこいいか」
――――――――――――――――――――――――
エピローグ
数日前も思ったが、久々だとしても外の空気は美味い不味いを評価するほどのものじゃないな。
迎えに来ていた馬車に乗ると、馬車はそのままスクルドに向かって動く。
車内で色々俺はお義父さんから話を聞かされるが、いきなり過ぎてあまり内容が入ってこない。
今日から貴族の長男……と言われてもだな……。
俺は、今日からモンタギュー家の長男になる、そうだ。
モンタギュー家、スクルドにある代々受け継がれてきた伝統あるその家名は、今日から俺が継ぐことに。
家族構成は両親と義妹が一人、そこに俺が加わると。
特に義妹ちゃんとは早くに仲良くなれるといいのだが、まあ、人殺しの義兄など好くものでも無いか。
あの晩、俺はもちろん取り押さえられた。
多数の部隊員に囲まれ、抵抗もせず捕まった俺は牢の中へぶち込まれた。
不法侵入、暴行、そして殺人。
全てを加味すれば、まあ死刑が妥当だろう。
そう思い執行の日を待っていたら、ある日突然釈放された。
何が理由か話を聞くと、俺が殺した部隊長は、どうやら多額の不正金を懐にしまい込んでいたらしい。
奴の死後、身元整理が行われた時にそれが発覚したと。
俺はそれを突き止めた際に揉み合いになって奴を殺したと、そういう筋書きが知らぬ間に出来上がっていた。
牢を出た俺は、一躍ヒーローへ。
街の掲示板には、俺の顔と名前、そして二つ名が。
街を歩けばその名で呼ばれ、赤面する日々をしばらく送った。
そんなある日、活躍を聞いた地方都市の貴族が、俺を息子にしたいと申し出てくれた。
そんなわけで俺はモンタギュー家の一員となったわけだ。
馬車の中、今思うことはなんだろう。
運が良かったとか、殺しを悔いるとか、そんなことを思えば正解だろうか。
分からない、分からないな。
この人生、何が正解で何が間違いかなど、論ずる方が誤ちだ。
ただあるのは事実のみ。
失ったものと、俺がした行為。
それだけが俺をつくるんだ。
さて、そろそろこの二つ名も訂正しないとならないな。
ダサくてあまり好きではない。
誰が附けたんだろうか。俺に、
血濡れの灰狼と。
読了、お疲れ様でした。
よろしければ、作品評価等していただけると作者のモチベーションにつながります!
また、この作品は私の長編、異世界転移に終止符を の番外過去編になっております。
主人公こそ変わりますが、ルフローヴの活躍も当然ございます。
彼がこの先どんな人生を送るのか、気になりましたら閲覧していただけると幸いです。