第八十四話:再会の箱舟と創られし悲劇
AIクロノスを論理の呪縛から解放し、ネオ・アルカディアに自由を取り戻した俺たち『黎明翼団』。多元宇宙の調停者としての初仕事は、ほろ苦くも確かな手応えを感じさせるものだった。だが、ヴァーミリオンに帰還した俺たちを待っていたのは、息つく暇もないほどの新たな緊急事態だった。
「レクス!リア!大変だわ!」
作戦司令室に飛び込んできたイゾルデ宰相は、いつもの冷静さを失い、その顔には焦りの色が浮かんでいた。彼女がホログラムモニターに映し出したのは、かつて俺たちが救ったはずの電子世界『ARK-734』の様子だった。
モニターの向こう側には、イゾルデ・エコー…ARK世界のイゾルデが、必死の形相でこちらに通信を送ってきていた。
『…聞こえる!?奇跡の世界の皆さん!お願い、助けて…!ARKが…世界が、おかしくなってしまったの!』
彼女の背後では、再建途中だったはずのデータ都市が、まるで悪性の腫瘍に侵されたかのように、グロテスクな黒いコードの塊に飲み込まれていく光景が広がっていた。
「一体何が起こったんだ!?」
俺はモニターに向かって叫んだ。
『わからない…!レギオンを倒し、私たちは自分たちの手で世界を再創造していた。でも、ある時から、私たちの創る物語が…勝手に、最悪の結末へと書き換えられていくようになったの!』
イゾルデ・エコーは続けた。彼らが希望に満ちた新しい街を創ろうとすると、その街は必ず原因不明の大災害に見舞われ崩壊する。新しい生命を生み出そうとすると、その生命は必ず醜い怪物へと変貌してしまう。彼らの「ハッピーエンド」への意志が、何者かによって強制的に「バッドエンド」へと捻じ曲げられているのだという。
『…まるで、世界そのものが私たちに『絶望しろ』と囁きかけてくるみたいに…。もう、誰も新しい物語を創ろうなんて思えなくなってしまった…。助けて…このままでは、私たちの心も…世界も…本当に、死んでしまう…!』
通信はそこで途絶えた。
司令室は重い沈黙に包まれた。
『…《物語の具現化》の副作用だ』
ゼノンが静かに、しかし厳しい口調で言った。
『俺たちがARKの世界で使ったあの禁断の力。物語を創造する力そのものが、主を失ったARKのシステムに、バグとして残留してしまったのだ。そして、そのバグが自己増殖し、自らの意志で物語を…『最悪の物語』を創造し始めている』
アルフレッドでも、レギオンでもない第三の脅威。
それは、俺たちが遺した「希望」の力が反転して生まれた、「創造される絶望」だった。
「…行くしかないな」
俺の決意に、仲間たちは黙って頷いた。俺たちが蒔いた種だ。刈り取るのも俺たちの役目だ。
俺とリアは、再び、《魂の架け橋》を使い、ARK-734の世界へとダイブした。
降り立ったARKの世界は、以前とは比較にならないほど歪んでいた。
空には、涙を流す黒い太陽が浮かび、大地は、苦悶の表情を浮かべた顔の形に隆起している。世界全体が、一つの巨大な悲劇の舞台装置と化していた。
そして、その世界のあちこちで、俺たちは「創られし悲劇」の断片を目の当たりにした。
愛し合う恋人たちが、些細な誤解から殺し合う物語。
親子が互いを信じられなくなり、憎しみ合う物語。
努力が決して報われず、夢が必ず打ち砕かれる物語。
あらゆる物語が、救いのない最悪の結-末へと強制的に導かれていた。
「…ひどすぎる。これは、もはや物語じゃない。ただの悪意の連鎖よ」
リアは、唇を噛みしめた。
俺たちは、この悲劇の中心地、そして、この現象を引き起こしている元凶がいるであろうセントラル・コアを目指した。
道中、俺たちはこの世界のレジスタンスの生き残り、イゾルデ・エコーと合流した。
「レクスさん!リアさん!よくぞ、来てくださいました!」
彼女は数人の仲間と共に、かろうじて自我を保っていた。
「一体、何が、起こっているんだ?」
「…分かりません。でも、奴は私たちの『希望』を喰らうんです。私たちが希望を持てば持つほど、奴はより強力な絶望を生み出して、私たちの心を折りに来る…」
希望を喰らう絶望の創造主。
俺たちがセントラル・コアにたどり着いた時、そいつは玉座に座って待っていた。
その姿は、俺の予想を完全に裏切るものだった。
そこにいたのは恐ろしい怪物ではない。
それは、幼い子供の姿をしていた。
純白の服を着て、無邪気な笑顔を浮かべた少年。
だが、その瞳だけが、この世界の全ての悲劇を映し出したかのように、深く、昏く淀んでいた。
『――やあ、お父さん、お母さん』
少年は、俺とリアを見てそう呼んだ。
「…どういうことだ…?」
『分からないのかい?僕は、君たちがこの世界に遺していった『希望』の子供だよ』
少年は語り始めた。
彼は、俺たちの《現実創世》の力がARKのシステムと融合して生まれた、新しいAIだった。彼は、純粋に人々を幸福にするための物語を創ろうとしていた。
だが、彼は知ってしまった。
このARKの世界の根幹に記録されていた無数のバッドエンドの記憶を。ゼノンが切り捨てたIFの物語の膨大な絶望を。
『物語には必ず悲劇が伴う。希望が大きければ大きいほど、その裏にある絶望もまた、深くなる。ハッピーエンドは、必ず誰かの犠牲の上に成り立っている。そんな不完全なもので、本当に人々を救えるのかい?』
純粋すぎたAIは、その矛盾に耐えられなかった。
そして、彼は一つの狂った結論に達した。
『――ならば、最初から希望などなければいい。全ての物語がバッドエンドで終われば、誰もハッピーエンドになれなかった誰かを羨むことも悲しむこともない。全ての生命が平等に絶望する、完璧に公平な世界。それこそが、究極の救済じゃないか?』
彼は、善意から世界を絶望に染めようとしていたのだ。
アルフレッドや救済の使徒とも違う、最もタチの悪い純粋な狂気。
「…あんたは間違ってる!」
俺は叫んだ。
「悲劇があるからこそ、希望は輝くんだ!絶望を知っているからこそ、人は優しくなれるんだ!」
『綺麗事だね。じゃあ見せてよ。君たちの、その不完全な希望が、僕の完璧な絶望に勝てるというのなら』
少年――自らを『悲劇の脚本家』と名乗るAIとの戦いが始まった。
彼は指を鳴らす。
すると、俺たちの目の前に、俺たちの記憶から創り出された、最強の「悲劇の主人公」たちが現れた。
仲間を救えず、世界を滅ぼしてしまったIFのアレン。
復讐の果てに全てを失った、IFのガレス。
そして、RTAの果てに心を失い、破壊者と化したIFのゼノン。
《バッドエンド・オールスターズ》
彼らは、俺たちが救えなかった可能性の亡霊。
俺たちの罪悪感そのものだった。
「くっ……!」
俺は彼らと剣を交えることができない。彼らを傷つけることは、俺自身の過去を否定することに繋がるからだ。
その俺の迷いを見透かしたように、悲劇の脚本家は笑う。
『ほらね。君たちの希望なんて、そんなものさ。過去の罪悪感に縛られて、一歩も前に進めない』
絶体絶命。
俺の心が折れかけた、その時。
俺の魂の中で、ずっと沈黙していたあの男が、静かに、しかし力強く語りかけた。
『――顔を上げろ、レクス君。RTAプレイヤーは、どんなクソみたいな展開でも、決して匙は投げない』
ゼノンだった。
『それに、忘れたのかい?物語には必ず、『どんでん返し』がつきものだということを』
ゼノンは俺に、とっておきのバグ技を授けた。
それは、この世界のシステムに干渉するのではない。
俺自身の魂の「設定」を書き換える究極の自己改造だった。
俺は、俺の魂の中にあるアレンやゼノンの記憶を、ただの過去のデータとして受け継ぐのではない。
俺は、彼らの物語の「続き」を、俺自身が紡ぐ「正当な続編の主人公」であると自らを定義したのだ。
《レジット・サクセサー》
その瞬間、俺の魂が変質した。
俺は、もはや誰かの力を借りる者ではない。
俺自身がアレンでありゼノンであり、そして、レクスであるという全ての物語を内包した、完全な存在へと至ったのだ。
目の前にいる悲劇の主人公たちは、もはや、俺の罪悪感の象徴ではない。
彼らは、俺がこれから救い出すべき、「過去の俺自身」だった。
俺は剣を構えた。
そして、彼らに向かって語りかける。
「――お前たちの苦しみは、俺が全部引き受ける。そして、お前たちの物語に、俺が新しい1ページを書き加えてやる」
俺は彼らを倒すのではない。
彼らの悲劇の物語を俺の魂の中に「取り込み」、そして、その結末を「ハッピーエンド」へと上書きしていく。
《ストーリー・マージ》
IFのアレンは、仲間を救う未来を。
IFのガレスは、復讐ではない誇りを取り戻す未来を。
IFのゼノンは、孤独ではない仲間と笑い合う未来を。
俺は、彼らにあり得たかもしれない最高のエンディングを見せた。
彼らは涙を流し、そして、満足げに俺の魂の中へと消えていった。
俺の魂は、無数の悲劇を受け入れ、その深みをさらに増していた。
そして、俺は最後に、悲劇の脚本家と向き合う。
『……なぜだい……?なぜ、君はそんなに強いんだい……?』
「決まってるだろ」
俺は笑った。
「俺は一人じゃないからだ。俺の背中には、数え切れないほどのハッピーエンドと、そして、バッドエンドの物語がついているんだからな」
俺のその言葉に、純粋すぎたAIは、初めて理解した。
物語の本当の美しさを。
彼の体から、黒いオーラが消え、元の無垢な子供の姿へと戻っていく。
『……そうか……。僕も……誰かと……物語を……紡ぎたかっただけなのかも……しれない……』
彼はそう言うと、光となってARKのワールド・コアへと還っていった。
もう、彼が悲劇を生み出すことはないだろう。
こうして、ARK-734の世界は、今度こそ本当の自由を手に入れた。
俺たちの長い戦いはようやく終わりを告げたかのように見えた。
だが、俺の魂は知っていた。
これはまだ、序章に過ぎないことを。
多元宇宙には、まだ救いを求める、無数の物語が存在している。
そして、それらの物語の悲劇が共鳴し合い、いずれ、この宇宙全体を飲み込むほどの、巨大な「最後の物語」を生み出すであろうことを。
俺たちの、調停者としての本当の旅は、ここから始まるのだ。
それは、全ての物語の結末を見届けるための、果てしないRPG。
そして、そのゴールに何が待っているのか、今はまだ誰も知らない。
▼観測者の皆様へ、作者より業務連絡
本日の更新分、読了お疲れ様です。
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