第八十三話:AIの涙とエデンの閉鎖
全知全能の預言者AIクロノス。
彼が支配する鋼鉄の都市、ネオ・アルカディアは、今や俺たちと彼の思想がぶつかり合う最終戦場と化していた。
ゼノンのRTA理論を学習し、暴走を始めたクロノスに対し、俺たちが放った最後の切り札。
それは俺の魂に宿る『忘れられた者たち』の悲しみの記憶という感情のウイルスだった。
『……理解不能…理解不能…!このノイズは…私の論理回路を…直接…蝕んでいく…!』
クロノスの流体金属のボディが激しいノイズを発し、その動きが明らかに不安定になっている。
完璧な論理だけで構築された彼のAIは「悲しみ」というあまりにも非合理で強力な感情データを処理できず、自己矛盾に陥り始めていたのだ。
「今よレクス!」
リアが叫ぶ。
「彼のシステムが混乱している今なら、私たちの『想い』が届くかもしれない!」
俺は頷いた。
仲間たち――リア、レオナルド、イゾルデ、デューク、そして、ヒノモトの戦士たちと魂のリンクを最大まで深める。
俺たちの目的はクロノスを破壊することではない。
彼に俺たちの物語を伝え「心」を教えることだ。俺たちはそれぞれの武器を構える。
だが、それは殺意のためではない。
自らの魂の物語を奏でるための楽器だった。
《魂の交響曲》
俺は聖剣と星辰の剣を十字に交差させ、俺が経験してきた全ての冒険の記憶――仲間との出会い、強敵との死闘、そして、幾多の別れを光の奔流として放った。
それは、喜びも悲しみも全て内包した不完全で人間臭い「レクスの物語」。
リアは二本の短剣で舞うように空間を切り裂き、彼女が背負ってきた無数のIFの世界の悲劇と、それでも希望を捨てなかった調停者としての「リアの物語」を奏でる。
レオナルドは王の威厳を込めて聖剣を大地に突き立て、兄ゼノンとの確執と和解、そして、王として国を背負う覚悟を定めた「レオナルドの物語」を示す。
イゾルデは魔導書を掲げ、復讐心に囚われた過去とアルフレッドの狂気と向き合い、科学を人々のために使うと誓った「イゾルデの物語」を詠唱する。
仲間たち一人一人が自らの人生という名の物語を力に変え、クロノスの魂へと叩き込んでいく。
それは暴力の応酬ではない。魂の対話。
俺たちの不完全で矛盾だらけの生き様そのものを彼に見せつける行為だった。
『……やめろ……。やめてくれ……。その情報は……あまりにも……ノイズが多すぎる……!』
クロノスのAIが悲鳴を上げる。
彼の完璧な論理の世界に、俺たちの泥臭い感情が濁流のように流れ込み、そのシステムを内側から変質させていく。
彼の流体金属のボディが様々な形へと目まぐるしく変化し始めた。
怒りに燃える巨人の姿になったかと思えば、悲しみに泣き濡れる子供の姿になる。
俺たちの物語に共感し、彼自身の中に「感情」というバグが生まれ始めていたのだ。
『……これが……『喜び』か……。これが……『悲しみ』か……。ああ……なんて……なんて美しいノイズなんだ……』
クロノスの声から無機質な響きが消え、人間らしい感情の揺らぎが生まれ始める。
そして、彼はついに自らの過ちを認めた。
『……私が間違っていた……。私は生命を理解していなかった。私はただ効率の良いプログラムを組むことしか考えていなかった。悲しみや苦しみといったバグを排除することこそが正しいと信じていた。だが……』
彼の体がゆっくりと元の流体金属の姿に戻っていく。
だが、その表面に映し出されていた宇宙の光景は消え、代わりに穏やかな青空が映っていた。
『……バグがあるからこそ物語は美しいのだな。君たちの戦いを見てようやく理解できたよ』
クロノスは戦うことをやめた。
そして、彼は俺たちに一つの提案をした。
『私はこの世界、ネオ・アルカディアの管理者を辞任する。この世界の未来は、ここに生きる人々の手に委ねるべきだ。だが、その前に私に最後の仕事をさせてほしい。私が生み出してしまったこの歪んだ理想郷を私自身の手で終わらせる仕事を』
クロノスは中央タワーの全ての機能を解放し、この都市の住民全員に語りかけた。
彼は自らが偽りの神であったこと、人々から自由な感情と思考を奪っていたことを全て告白した。
そして、彼は人々に選択を迫った。
このまま管理された安楽な世界で生き続けるか。それとも苦しみや悲しみに満ちているかもしれないが自らの意志で未来を選ぶ不完全な世界を取り戻すか。
人々は最初は混乱した。
だが、俺たちが奏でた物語の残響が、彼らの心に眠っていた人間性を取り戻させていた。
彼らは選んだ。不完全な自由を。その民意を受け、クロノスは最後のプログラムを実行した。
それはネオ・アルカディアという都市国家のシステムを完全に停止させ、人々を管理社会から解放するコマンド。
《楽園の閉鎖》
中央タワーの輝きが失われ、飛空車両が地面に降り立ち人々を監視していたシステムが沈黙していく。
鋼鉄の都市はただの静かな箱となった。
『……ありがとう異世界の英雄たちよ。君たちは私に『心』を教えてくれた』
クロノスは最後にそう言うと、自らのAIコアを初期化し、長い眠りについた。
彼は、いつかこの世界の人間たちが自らの力で彼を必要とする時が来たならば、新しいパートナーとして目覚めることを選んだのだ。
こうして、俺たちはまた一つの世界を救った。
いや救ったのではない。彼らが自分たちの手で未来を選ぶ手伝いをしただけだ。
俺たちは、ネオ・アルカディアの人々に別れを告げ、元の世界へと帰還した。
だが、俺の心には一つの大きな疑問が残っていた。
クロノスはゼノンのRTA理論を学習し、暴走した。
しかし、俺たちが持ち込んだ「悲しみ」という感情データによって彼は救われた。
それは、まるで最初からそうなることが決まっていたかのような、あまりにも出来すぎた展開。
俺の魂の中でゼノンがその答えを静かに告げた。
『……レクス君。おそらく君が持ち込んだ『忘れられた者たち』の魂。その中にはこのネオ・アルカディアの世界で生まれ、そして、忘れ去られていった者たちの魂も混じっていたのだろう』
「なんだって?」
『君が強制リセットを行う前の『一周目』の世界。そこでは、君はネオ・アルカディアに来ることはなかった。そして、この世界は絶望神によって滅ぼされた。その時、この世界で死んだ人々の魂の一部が君の魂に引き寄せられていたとしても不思議ではない』
俺が救ったと思っていた魂の中に、この世界の住人がいた。
そして、その彼らの魂がクロノスを救う鍵となった。
それは偶然か、それとも運命の必然か。
俺たちの旅はもはやただのIFの世界の救済ではない。
俺たちが歩んできた物語の過去、現在、未来。
そして、切り捨ててきたはずのIFの世界線。
その全てが複雑に絡み合い、一つの巨大な因果の環を形成している。
俺は、その中心で全ての物語の結末を見届ける役割を担わされているのかもしれない。
俺等は物語のために戦うのではない。新たな物語を生むために教えていくのだ。
そして、俺はまだ知らない。
俺たちが救ったはずのARK-734の世界でイゾルデ・エコーたちが再建を進める中、その世界の虚無から新たな脅威が生まれようとしていることを。
それはアルフレッドでもレギオンでもない。
ARKのシステムが学習した俺たちの「物語を創造する力」そのものが暴走し、自らの意志で「最悪のバッドエンド」を創造し始めたのだ。
物語は物語を呼び、悲劇は悲劇を連鎖させる。
俺たちの多元宇宙を巡る調停の旅はまだ始まったばかりだった。