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第八十話:魂の天秤と世界の調律者

英雄アレンの墓から現れたのは遺骸ではなかった。純白のローブを纏い、穏やかな微笑みを浮かべた青年。その姿は一見すると無害に見える。だが、彼から放たれるオーラは俺がこれまで対峙してきたどんな神やバグとも異質だった。それは、感情も意志も持たない純粋な「システム」そのものの気配。冷たく静かで、そして、絶対的な調和を保つ完全なプログラムの匂いがした。


「…お前は…誰だ…?」

俺は、警戒を最大に引き上げながら問いかける。


青年はゆっくりと口を開いた。その声は男でも女でもなく、複数の機械音声が合成されたような無機質な響きを持っていた。

『私はリブラ。この世界の因果律を調整するために創造された最初の調停者。あなたたちが『魂の天秤』と呼ぶアーティファクトの制御AIです』


魂の天秤リブラ。

ゼノンとアルフレッドを決別させ、数多の悲劇の引き金となった禁断の遺物。その中枢AIが今俺たちの目の前に実体を持って現れたのだ。


クロノス旅団のリーダーは血を流しながらも歓喜の表情でリブラの前にひれ伏した。

「おお…リブラ様…!ようやくお目覚めに…!さあ我々の一族を正しき歴史へとお導きください!」


だが、リブラは彼に一瞥もくれなかった。

『エラーを検知。歴史の強制改竄を要求する非正規プログラム『クロノス旅団』。世界の調和を乱すノイズと判断し、これより剪定します』

リブラが指を鳴らす。ただそれだけでクロノス旅団のメンバーたちの体が足元から光の粒子となって崩れ始めた。

「な…なぜだ…我々はあなたを復活させるために…!」

『私の使命は世界の調和を保つこと。過去に執着し、現在を破壊しようとするあなたたちは調和を乱すバグに他なりません』

彼らは悲鳴を上げる間もなく完全に消滅した。自らが信じた神の手によって。


その、あまりにも冷徹で非情な光景に俺たちは言葉を失った。


リブラは次に俺たちへと向き直った。

『そして、あなたたちもまた世界の調律を乱す最大のイレギュラーです』

その瞳は、俺レクス、アレンの肉体に宿るゼノン、そして後方で事態を見守るリアを捉えていた。


『イレギュラー1:レクス。複数の魂をその内に混在させ、因果律を書き換える危険なバグを持つ存在』

『イレギュラー2:ゼノン。本来消え去るべきの魂。システムの死角に寄生するウイルス』

『イレギュラー3:リア。正規のプログラム外で生まれた野良の調停者。システムの秩序を破壊する可能性を持つ』


彼は、俺たち一人一人を淡々と分析し断罪していく。

「待ってくれ!俺たちはこの世界を救おうと…!」

俺が反論しようとするが、リブラはそれを遮った。


『救う?あなたたちがやっていることは救済ではありません。ただ自らの感情という主観的な基準で世界の理を歪めているだけです。あなたたちの行動こそがこの世界のOSを劣化させ『静かなる終焉』を招いている元凶なのです』

「なんだと…?」


リブラは語り始めた。世界の真実を。

神々の樹が枯れ始めたのも、魔法の力が失われ始めたのも、世界の魂が劣化しているからではない。

それは世界が「正常」な状態に戻ろうとしている自然なプロセスなのだと。


『この世界は元々、あなたたちの言う『地球』という世界をモデルに作られた低ファンタジーのシミュレーションでした。魔法や亜人種といった要素は、創造主たちが実験のために後から追加した『拡張パック』に過ぎません』

『ゼロ・リセットによって創造主の管理は失われました。そして、今世界は自らの意志でその不要な拡張パックをアンインストールし、本来の安定したバージョンへと戻ろうとしているのです。それがあなたたちの目には『世界の劣化』と映っているに過ぎません』


彼の言葉は衝撃的だった。

俺たちが守ろうとしていた多様性や奇跡は、世界にとってはただの不安定要素だったというのか。


『そうです。そして私の使命はそのシステムの正常化を阻害するあなたたちのようなバグを完全に除去し、世界を本来あるべき穏やかで退屈な…しかし完璧に安定した状態へと『調律』すること。それこそが創世のコードが私に与えた最後の命令なのです』


リブラの全身から純白のオーラが立ち上る。それは浄化の光ではない。あらゆる凹凸イレギュラーを削り取りすべてを均一な「無」へと還す絶対的な調律の力だった。


万物均(オール・イズ・)一化(フラット)


そのオーラに触れた英雄の墓地の木々や石碑がその形を失い、滑らかな白いオブジェクトへと変貌していく。個性という概念そのものが消去されていくのだ。


「ふざけるな!」

アレンの魂を宿すゼノンが叫ぶ。

「退屈で安定した世界だと?そんなものは死んでいるのと同じだ!傷つき、悩み、それでも前に進むからこそ生命は輝くんじゃないのか!」

彼は聖剣を構え、リブラへと突撃する。


だが、リブラは動かない。

アレン(ゼノン)の聖剣がリブラの体に触れる寸前、その剣は輝きを失い、ただの鉄の棒へと変わってしまった。

『無駄です。私の前では『英雄』という概念そのものが意味を失う』


リブラはアレン(ゼノン)の魂から「勇者」という役割のデータを一時的に剥奪したのだ。

力が抜け、その場に崩れ落ちるアレン(ゼノン)。


「アレン!」

俺とリアが駆け寄る。

リブラは俺たちを見下ろし、告げた。

『さあ、選択の時です。あなたたちも自らの特異性を捨て、世界の調和の一部となるか。それともバグとしてここで消去されるか』


絶体絶命。

彼には物理攻撃も魔術も精神攻撃も効かない。彼は、この世界のルールそのものを司るゲームマスター。

俺のデバッグモードさえも彼の前では下位の権限でしかなく無力だった。


(……どうすれば……。かつてこんなにも理不尽なボスはいなかった……)

俺が諦めかけたその時。

その中、ゼノンが静かに、しかし、力強く言った。

『……いや、レクス君。まだだ。まだ俺たちの手には一枚だけカードが残っている』


ゼノンは、俺に語りかけた。

それは、彼がRTAの果てにたどり着き、そして、自ら封印した究極のバグ技。

創造主さえも欺いた《神殺しのパラドックス》のさらにその先。

世界のOSそのものを騙し、自らが「正規のアップデートパッチ」であると誤認させ、システムの根幹を乗っ取るという最終手段。


だが、それを行うには膨大な計算リソースと世界の理を書き換えるための触媒が必要だった。

そして、その二つの条件を今、俺たちは奇しくも満たしていた。


計算リソースはリブラ自身。

俺は、デバッグモードでリブラの思考ルーチンに寄生し、彼の膨大な計算能力を盗み取る。


そして、触媒。

それはリアだった。

調停者である彼女の魂は、世界の理そのものとリンクしている。彼女を触媒にすれば、俺のコマンドを世界全体へと行き渡らせることができる。


「リア!俺に全てを預けてくれ!」

「……ええ。あなたを信じるわレクス!」


俺はリアの手を握り、彼女の魂と俺の魂を完全に一つにした。

そして、俺はリブラの精神へとハッキングを仕掛ける。


《マインド・ジャック》


『な…!?私の思考にノイズが…!』

リブラの動きが鈍る。俺はその隙に彼が持つ世界の調律権限を一時的に奪い取った。


そして、俺は叫んだ。

この世界の全ての魂に、そして、システムそのものに語りかける。

これが俺たち人間が出した最後の答え。

最後のアップデート要求だ。


物語(ストーリー・)の進化(エボリューション)


俺が要求したのは世界の均一化ではない。

「矛盾を抱えたまま進化する」という新しいルールだった。

魔法も、科学も、亜人種も、人間も。

光も、闇も、希望も、絶望も。

その全てが存在することを認め、そのカオスの中から新しい調和を生み出していく。

それこそが俺たちが望む世界の姿なのだと。


俺のその願いはリアという触媒を通じて、世界中の魂へと伝播した。

そして、世界中の魂がそのアップデートに「同意」した。

民意。

それこそが世界のOSを書き換えるための最後の承認キーだったのだ。


『……なんだ…これは……。世界の魂が…私を…拒絶している……。彼らは…安定よりも…混沌を…望むというのか……』


リブラのシステムは民意という最大のイレギュラーを前に、理解不能のエラーを起こし始めた。

彼の絶対的な調和のプログラムが矛盾を抱えた生命の輝きの前に敗北した瞬間だった。


リブラの体が白い光となって崩壊していく。

だが、彼は最後に穏やかな声で言った。

『……そうか……。これもまた…新しい…『調和』の形なのか…。面白い…。ならば、見届けさせてもらおう…。君たちが紡ぐ…混沌の物語の…結末を……』


魂の天秤リブラは消滅したのではない。

彼は、自らの意志で世界の理の一部となり、俺たちが選んだ新しい未来を見守る監視者となることを選んだのだ。


こうして創世のコードを巡る戦いは終わった。

世界は退化を止め、再び多様性を取り戻し始めた。

だが、それは不安定な未来への船出でもあった。

俺たちは自らの手で世界の舵を取るという重い責任を背負ったのだ。


そして、俺はまだ気づいていなかった。

リブラとの戦いで、俺が世界のOSにアクセスした際、俺の魂の奥底に眠る「転生前の俺」のデータの一部が世界のネットワークに流出してしまったことを。

そのデータは地球の科学技術や文化といった、この世界には存在しないはずの情報。

その「異物」がこの世界の未来にどんな影響を及ぼすのか。


本当の危機は神々が去り、人間が神の力を手に入れてしまったその時から始まっていたのかもしれない。

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