第七十六話:クリア後の世界と開かれた扉
外部監査役による『最終評価』という名の最後の試練。それを乗り越えた俺たちの"こっちの世界"も、ついに全ての束縛から解放された。創造主も、監査役もこの世界の物語に干渉することはない。俺たちは、神々のシミュレーションゲームを「クリア」し、完全な独立を果たしたのだ。
世界は、本当の平和を手に入れた。
俺が未来のビジョンで見たような魂の輝きを失った退屈なユートピアではない。魔法や亜人種といった多様性を取り戻し、時に過ちを犯しながらも、人々が自らの意志で未来を紡いでいく活気に満ちた世界。まさしく、俺たちが望んだハッピーエンドだった。
俺レクスは、再びただの青年に戻った。魂に宿っていた英雄たちの残響もその役目を終え、静かな眠りについている。俺はリアと共に王都の喧騒を離れ、かつて暮らしたあの小さな村で穏やかな日々を送っていた……
この話は以前も同じようなことがあったが……今度こそ平和に暮らせると良いのだが…
もう戦う必要はない。
もう世界の運命を背負う必要もない。
ただ愛する人の隣で一日一日を大切に生きていく。
クリア後のご褒美のような平和な時間。
誰もがこの平和が永遠に続くと信じていた。
俺を除いて。
RTAプレイヤーだったゼノンの魂が宿っている故、その奥底で知っていたのかもしれない。
どんなゲームにも「クリア後のやりこみ要素」や「隠しダンジョン」が存在するということを。
異変は俺たちが世界を救ってからちょうど十年が経った、記念すべき日に起こった。
その日、世界中で同時に空に巨大な『扉』が出現したのだ。
それは、かつて神話宇宙の侵略者たちが現れた次元の裂け目とは違う。もっと穏やかで、しかし抗いがたい力でこちらを「招いている」かのような、不思議な扉だった。
扉の出現に、世界は再び緊張に包まれた。
レオナルド王が、緊急で世界連合の会議を招集し、俺とリアもヴァーミリオンへと呼び戻された。
「……一体、何が起こっているんだ?」
作戦司令室のモニターに映し出される世界各地の扉の映像を見て、レオナルドが呻く。
イゾルデがあらゆる魔術的、科学的な分析を行うが扉の正体は全く掴めない。
その時、俺の脳裏に直接声が響いた。
それは、ゼノンの声ではない。もっと古く、荘厳なあの声。
かつて、俺たちの物語を認め、去っていったはずの外部監査役の声だった。
『――恐れることはない、若き魂たちよ。それは我々からの『招待状』だ』
「招待状……?」
『そうだ。君たちの物語は、我々の想像を遥かに超え、素晴らしい結末を迎えた。君たちの世界は、我々が管理する数多のシミュレーション世界の中で、初めて『卒業』を果たした特別な世界となった。故に、我々は、君たちに新しい役割を与えることを決定した』
監査役は告げた。
俺たちが戦い、救ってきたこの世界は、無数に存在するパラレルワールドの中心――全ての物語が交差する『ハブ世界』としての役割を担うことになったのだと。
そして、空に出現した『扉』は、様々な問題を抱える別の物語の世界へと繋がるゲートなのだという。
『君たちには『多元宇宙の調停者』として、他の不完全な物語を救済する手伝いをしてもらいたい。もちろん、これは強制ではない。君たちが自分たちの平和だけを望むのなら、扉を閉ざし、このまま穏やかな余生を送ることも許そう。選択は、君たちに委ねられている』
あまりにも壮大すぎる提案。
俺たちは、自分たちの世界を救った。その結果、今度は他の無数の世界を救うという、無限の責任を背負うことになったのだ。
会議は紛糾した。
「我々は、ようやく平和を手に入れたのだ!これ以上、他の世界の争いに巻き込まれるのはごめんだ!」
という意見が大勢を占めた。
それも当然の反応だった。
俺も、リアも、そして、レオナルドたちも答えを出せずにいた。
愛するこの世界の平和を守りたい。だが、助けを求めている他の物語を見捨てることもできない。
その膠着状態を破ったのは、一本の通信だった。
開かれた扉の一つから、初めて発信された救難信号。
その信号を解析したイゾルデが、血相を変えて叫んだ。
「……嘘でしょ……。この信号の発信源は……!」
モニターに映し出されたのは、俺たちにとって最も忘れられない、そして、最も悲しいIFの世界。
アルフレッドが勝利し『Project: ARK』が完成してしまった、あの電子の世界だった。
イゾルデ・エコーが命懸けで逃げてきた、あの絶望の世界。
通信の主は、イゾルデ・エコーのレジスタンスの仲間だった。
『……聞こえるか……奇跡の世界の者たちよ……。我々の世界は、もう、限界だ……。ARKを支配した電子の亡霊は、今や我々の魂だけでなく、この世界のすべての情報を喰らい尽くし、絶対的な『無』になろうとしている……。イゾルデ・エコーが遺した希望も、もはや風前の灯火……。だが、最後に伝えたい……。我々は決して諦めなかった……。我々の物語も……確かに、ここに……』
通信はそこで途切れた。
俺は、拳を強く握りしめた。
見捨てることなど、できるはずがない。
彼らの物語もまた、俺たちが救うべき世界の一部なのだから。
「……俺は行く」
俺のその一言に、会議室は静まり返った。
「これは、俺たちが始めた物語だ。なら、その結末まで見届ける責任があるはずだ。誰かが悲しんでいる物語があるのに、俺たちだけが幸せになるなんて、そんなの、真のハッピーエンドじゃない」
俺の覚悟に呼応するように、仲間たちが次々と立ち上がった。
「私も行くわ。それが調停者としての、私の役目だから」と、リア。
「兄上が遺した理想のためにも、見過ごすわけにはいかん」と、レオナルド。
「もう一人の私を救い出すために」と、イゾルデ。
俺たちの意見は一つにまとまった。
俺たちは、扉の向こう側へ行く。
多元宇宙の調停者として、新しい戦いを始めるのだ。
俺たちは、最高のメンバーを選抜した。
俺、リア、レオナルド、イゾルデ、デューク。
そして、百年の時を経て円熟した強さを手に入れたヒノモト国のサムライ、ゲンジやくノ一、カエデたち。
さらに、AIとして独自の進化を遂げたイヴも情報支援として同行する。
俺たちは再び『魂の同調器』を装着した。
一度は失ったはずの英雄たちの力が、仲間たちとの絆を通して、再び俺の魂に宿る。
それは、かつてのような神の力ではない。
仲間を信じ、想いを束ねることで初めて発動する、新しい力。
《絆の顕現》
俺たちは、扉の一つ――ARKの世界へと繋がるゲートへと向かった。
ゲートの向こう側に広がるのは、データの嵐が吹き荒れる、サイバーパンクな地獄。
だが、俺たちの瞳にはもう迷いはない。
「さあ、行こうか。俺たちの『クリア後のやりこみ要素』を始めに」
俺のその言葉を合図に、新生『黎明の翼』は未知なる物語の世界へと、その一歩を踏み出した。
これは、一つの世界を救った英雄たちの後日談ではない。
無数の物語を救うための、新しい英雄譚の始まり。
そして、その旅の果てに、俺たちがどんな結末を見つけるのか。
それは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ言えることは、俺たちのRTAはまだまだ終わらない、ということだけだ。