第七十話:神話の終焉と物語の独立記念日
神々の王ゼウス。その存在は絶対的だった。竜王バーンのように存在確率を操るのでもなく、魔神王アスモデウスのように精神を蝕むのでもない。彼が操るのはただ純粋な「力」。宇宙の根源たる雷そのもの。あらゆる小細工理屈を超越した絶対的な破壊の権化だった。
「さあ、始めようか最後のページを」
ゼウスが右手に持つ雷の槍『ケラウノス』を掲げると、クロックフォード上空の次元の裂け目がさらに広がり、神話宇宙の星々が覗き始めた。彼は、この偽りの世界と、彼の本拠地である神の山オリュンポスを接続し、自らの力を無限に引き出せるフィールドを作り上げたのだ。
「レクス!アレン!」
地上からリアの悲痛な声が響く。彼女の調停者としての力も神話、宇宙そのものと繋がったゼウスの前では無力だった。世界の理が上書きされていく。
俺とアレンは満身創痍だった。だが退くという選択肢はない。俺たちの背後には俺たちが愛するこの世界がある。
「…やるぞ、アレン」
「ああ。」
俺たちは最後の力を振り絞り、再び二つの魂を共鳴させる。
俺の魂の中のゼノンが最後のRTA理論を導き出す。
『…レクス君。彼の力は絶対的だ。だが絶対的であるが故にただ一つの弱点がある。それは彼が『物語の登場人物』であるということだ』
「どういうことだ?」
『どんな物語を辿った神もその物語の『ルール』には逆らえない。彼の神話において、彼を打ち破った存在がいるはずだ。彼の息子…あるいは彼自身を超える運命を持つ者…!』
ゼノンの言葉に俺はハッとした。そうだ、神話にはしばしば神殺しのエピソードが存在する。
俺はゼノンの魂が途絶える前にデバッグモードの視界を使い、ゼウスという存在を構成する膨大な神話のデータの中からその「弱点」となる物語を探し始めた。
一方、アレンは別の方法でゼウスに挑もうとしていた。
彼は聖剣を構え、自らの魂の全てをその刃に注ぎ込む。それは、もはや聖なる力ではない。彼がこの世界で出会い、共に戦い、そして失ってきた全ての仲間たちへの「想い」そのものだった。
《追憶の聖剣》
「ゼウス!あんたは神かもしれない!でもあんたは独りだ!あんたには仲間を想うこの心の強さが分かるか!」
アレンの剣から放たれたのは無数の光の魂だった。ガレス、セレスティーヌ、そして名もなき兵士たち。彼らの魂がアレンの想いに応え、ゼウスへと襲いかかる。
「フン。亡霊の戯れか」
ゼウスはケラウノスを一振りするだけでその魂の軍勢を薙ぎ払ってしまう。だが、アレンの攻撃は無駄ではなかった。彼はゼウスの注意を自分一人に引きつけ、俺が彼の弱点を探すための時間を稼いでくれていたのだ。
そして、俺はついに見つけた。
ゼウスの神話データの中に存在するほんの僅かな記述の矛盾。それは、彼が自らの父であるクロノスを倒して王座を奪ったという物語といつか自らもまた自分の子に討たれるという「予言」の物語。彼は「支配者」でありながら、同時に「打倒される者」という宿命を背負っていた。
その予言こそが彼の絶対的な力にかけられた唯一の「枷」。
「見つけたぞゼウス!お前の終わりの物語を!」
俺は観測者としての全能力を解放し、ゼウスにその「運命」を見せつけた。
それは、彼がアレンのような若き英雄に敗れ去るというIFの未来。
俺は《物語の具現化》の力でその偽りの未来をこの場に「現実」として召喚したのだ。
《運命の上書き》
『な…!?なんだこれは…!?我が…敗北するだと…!?ありえん!』
ゼウスの絶対的な自信が初めて揺らぐ。彼の脳裏に焼き付いた敗北のイメージが彼の力の源である神としての威厳を僅かに蝕み始めた。
その一瞬の隙。
アレンはそれを見逃さなかった。
「今だ!レクス!」
俺とアレンの魂が最後のシンクロを果たす。
俺は、ゼウスの「敗北する運命」を固定し、彼の絶対領域に亀裂を入れる。
アレンはその亀裂に向かって彼の全てを込めた最後の一撃を放つ。
それはもはや剣技ではない。
この偽りの世界が本物の神話に叩きつけた挑戦状。
「俺たちの物語は俺たちが決める」という独立宣言だった。
《創世記・最終章》
アレンと俺の力が融合した光の槍がゼウスの神の鎧を貫き、その心臓を捉えた。
『……見事だ……人の子らよ……。我が神話にも……こんな……結末があったとはな……』
ゼウスは怒りではなくどこか満足げな表情を浮かべ、そしてその巨体を光の粒子へと変えて消滅していった。
竜王バーンと魔神王アスモデウスもまた主を失い、すごすごと次元の裂け目の向こう側へと帰っていく。
裂け目がゆっくりと閉じていく。
長きに渡る神話との戦いは終わった。
俺とアレンはその場に崩れ落ちた。もう指一本動かす力も残っていない。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
俺たちの魂の中で最後の仕事が残っていた。
俺の魂に寄生していたゼノンのゴースト。彼をこの世界から解放し、本当の安らぎを与えなければならない。
俺の精神世界。
俺はゼノンと向き合っていた。
「……ありがとうゼノン。あんたがいたから俺はここまで来れた」
『礼を言うのは俺の方だ、レクス君。君のおかげで俺は最後に本当のハッピーエンドを見ることができた。もう俺に悔いはない』
彼は穏や顔で笑っていた。
だが俺は首を振った。
「あんたは消えるべきじゃない。あんたもこの世界の英雄の一人だ。俺と一緒にこの世界の未来を見届けるべきだ。アレンのように魂が存在していれば可能性はある」
俺は、ゼノンの魂に手を差し伸べた。
「もうプレイヤーじゃない。アストラル。サーガの悪役王子ゼノンとして俺の仲間になってくれ」
それは彼にとって予想外の提案だった。
彼はしばらく戸惑っていたがやがてゆっくりと頷いた。
『……君は本当に面白いプレイヤーだ。分かった。君という物語の続きをもう少しだけ観測させてもらうとしよう。特等席でな。あと俺は悪役王子はごめんだ、守護者として生きていくさ』
ゼノンの魂は消滅するのではなく、俺の魂の一部として完全に融合し、俺の内に眠る知識と記憶の守護者となることを選んだ。
こうして俺の魂は、レクスであり、アレン(今いる世界の方)であり、そしてゼノンでもあるという完全な三位一体の存在へと昇華を遂げた。
数年後。
世界は真の平和を謳歌していた。
異次元からの侵略の脅威は完全に去り、人類は様々な種族と手を取り合い、緩やかだが、確かな歩みで新しい歴史を築いていた。
俺はリアと共に『黎明の翼』の活動を続けていた。だが、その内容はもはや世界の危機を救うようなものではない。街の小さな揉め事を解決したり、子供たちに昔話を語って聞かせたり。そんな穏やかな日々。
ある日、俺たちはレオナルド王からの依頼で百年前の英雄アレンの功績を称える記念碑の除幕式に参加していた。
式典が終わり、夕暮れの丘の上で、俺は一人、記念碑を見上げていた。
そこへリアがやってくる。
「何を考えてるの?」
「いや…俺たちの物語もようやくハッピーエンドを迎えたんだなって」
「そうね」とリアは微笑んだ。「でも物語はエンディングの後も続くのよ。私たち自身の物語がね」
彼女はそっと俺の手に自分の手を重ねた。
俺たちの未来は白紙のままだ。
これからどんな困難が待ち受けているか分からない。
もしかしたらまた別の世界の扉が開いてしまうかもしれない。
だが、もう俺は何も恐れない。
俺の魂には最強の英雄と最高の観測者がいる。
そして、何より俺の隣にはかけがえのないパートナーがいてくれる。
俺は、リアの手を強く握り返した。
空には一番星が輝き始めていた。
それは、まるで俺たちの新しい旅立ちを祝福してくれているかのようだった。
だが俺たちの物語はまだ始まったばかり。
この広大な世界というゲーム盤で俺たちはこれからも自分たちだけの最高の物語を紡いでいくのだ。
クリアタイムなど気にしないゆっくりとした最高のRTAを……