第六十九話:原典の世界と神話の侵略者
『魂の天秤』の暴走。それはこの世界『アストラル・サーガ』と、その物語の元ネタとなった『神話宇宙』とを繋ぐ禁断の扉を開いてしまった。ファクトリー・ゼロのドームの天井には、巨大な次元の裂け目が口を開け、その向こう側には俺たちの知るどの世界とも違う、荘厳で、しかし圧倒的な威圧感を放つ異世界が広がっていた。
『偽物どもよ、神々の怒りを知れ』
裂け目から響き渡る声は、純粋な力と威厳に満ちていた。それは管理者や創造主のようなシステム的な存在ではない。遥か古の時代から自らの物語を紡いできた、本物の「神」の声だった。
俺達が"神"だと思っていた管理者や創造主は、本当の"神"を目覚めさせるためのシステムにすぎなかったのだ。
そして声と共に、神話宇宙からの侵略者たちが降臨を始めた。
最初に現れたのは、天空を覆い尽くすほどの巨大な竜だった。その鱗は虹色に輝き、翼の一羽ばたきは次元そのものを震わせる。
「原初の竜王『バーン』…!神話では世界を創造した七体の竜王の一柱…!」
王宮から通信で戦況を見守っていたイゾルデが、戦慄の声を上げる。
続いて現れたのは、漆黒の鎧を纏い、六本の腕にそれぞれ異なる魔剣を握った魔神。
「魔神王『アスモデウス』…!地獄の七つの軍団を率いると言われる、嫉妬の王…!」
そして最後に、光り輝く戦車に乗り、雷の槍を携えた威厳ある老神が姿を現した。
「全能神『ゼウス』…!神々の頂点に立つと言われる天空の神…!」
竜王、魔神王、全能神。
それぞれが、一つの物語のラスボスとして君臨できるほどの規格外の存在。彼らは、俺たちの世界を自分たちの神話を無断で剽窃した「偽りの物語」と断じ、その存在を抹消するためにやってきたのだ。
しかし、この世界に本来の"神"が降臨できたということは、この世界はもうただのシミュレーションゲームではないことを意味していた。
「…とんでもないことになっちまったな」
俺の隣で永い眠りから目覚めたばかりのアレンが、聖剣を構えながら苦笑する。彼の魂は完全に復活し、その瞳にはかつての太陽のような輝きと、全てを受け入れた者だけが持つ静かな覚悟が宿っていた。
「ああ。だが、ここで逃げるわけにはいかない。これは、俺たちの物語の、存在価値を賭けた戦いだ。同じシミュレーション世界ではないといっても勇者が二人もいるんだぜ?前代未聞で最高の物語じゃないか」
俺とアレン。二人の英雄が並び立つ。
俺の魂の中では、ゼノンが最後のナビゲートを始めていた。
『…レクス君、アレン君。彼らは我々が知る「データ」上の存在ではない。彼らは、彼ら自身の絶対的な「理」を持つ本物の神話だ。我々の世界の常識は一切通用しないと思え』
ゼウスが天に雷の槍を掲げる。
「まずは、この偽りの空を浄化してくれる」
彼が槍を振り下ろすと、空から無数の雷が降り注ぎ、ファクトリー・ゼロのドームをガラスのように砕き、クロックフォードの街へと降り注ごうとした。
「させない!」
リアが叫び、調停者としての全能力を解放する。
《絶対理の盾》
彼女は、この世界の「雷は高いところに落ちる」「金属は電気を通す」といった物理法則を極端に増幅させ、街に落ちるはずだった雷を全て巨大な時計塔『クロノス・ギア』へと誘導した。時計塔は過負荷で黒焦げになるが、街への被害は免れた。
「ほう、この世界にも理を弄る者がいるか。面白い」
ゼウスは感心したように言うが、その表情は変わらない。
「だが、我の雷はただの電気ではないぞ」
彼が再び指を鳴らすと、時計塔に落ちたはずの雷が、意志を持った蛇のようにうねり出し、リアへと襲いかかった。それは、物理法則を超えた「神の権能」だった。
リアは咄嗟に回避するが、その頬を掠め、火傷を負う。
その隙に、魔神王アスモデウスが動いた。
「若き英雄よ、嫉妬の炎に焼かれるがいい」
彼の六本の魔剣がアレンへと襲いかかる。それぞれの剣が異なる呪いを宿していた。友情を裏切りに変える剣、希望を絶望に変える剣、愛を憎しみに変える剣。
《六大煩悩剣》
「アレン!」
俺はアレンを庇おうとするが、竜王バーンの巨大な尻尾に薙ぎ払われ、吹き飛ばされてしまう。
アレンは一人、六つの呪いの剣と対峙する。
だが、彼は揺るがなかった。
「俺の心は、もうどんな絶望にも揺らがない。気持ちの呪いに屈することはもうやめだ」
彼は聖剣を構え、目を閉じた。そして、自らの魂の奥底にある仲間たちとの絆、ゼノンから受け継いだ想い、その全てを光のオーラとして解き放った。
《不動心の極み・絆ーハート・オブ・ゴールド》
アスモデウスの呪いの剣は、アレンのその、あまりにも純粋で温かい光のオーラに触れた瞬間、その呪いの力を失い、ただの鉄の剣となって砕け散った。
「なに…!?我が嫉妬の呪いが通じぬだと…!?」
「あんたの嫉妬は、孤独で生まれる力だ。だが、俺の心には仲間がいる。あんたの入る隙間なんてどこにもないんだよ。世界は模倣かもしれないが、俺達は俺達の道を歩んでいるんだ!」
アレンの言葉にアスモデウスは激昂し、自らの拳で殴りかかってきた。
その頃、俺は竜王バーンと対峙していた。
「小僧、貴様の魂、面白い匂いがするな。いくつかの物語が混じり合った混沌の匂いだ」
「あんたこそ、ただのトカゲじゃないみたいだな」
俺は軽口を叩きながらも、その圧倒的な存在感に冷や汗を流していた。
バーンは口から、虹色のブレスを吐き出した。
それは、炎でも氷でもない。
触れたものの「存在確率」をゼロにするという、究極の消滅のブレスだった。
《ゼロ・ストリーム》
俺は、ゼノンのRTA理論を応用し、回避を試みる。
未来予測でブレスの軌道を読み、フレーム単位でのギリギリの回避。
だが、ブレスはまるで、ホーミングミサイルのように俺を追尾してくる。
『ダメだ、レクス君!こいつは、未来を予測しているのではない!未来そのものを「確定」させているんだ!「お前に当たる」という未来を!』
ゼノンの悲痛な声が響く。
絶体絶命。
俺の存在が消え去ろうとした、その瞬間。
俺の魂の中で、ある記憶が蘇った。
それは、かつて俺が創造主を倒したあの技。
そうだ、こいつが未来を確定させるなら、俺はその「結末」そのものを書き換えてやればいい。
俺は、もはや逃げることをやめた。
そして、ブレスに向かって両手を広げた。
俺は、自らの魂をこの世界の全ての「物語」と同化させる。
俺という個の存在を放棄し、俺は世界そのものになる。
《物語との同化》
「喰らえよ竜王。この世界の全部をな」
俺の体へと吸い込まれていくゼロ・ストリーム。
だが、それは俺という「個」を消滅させることはできなかった。
なぜなら、その時の俺は、もはやレクスという個人ではなく、この世界に存在する全ての英雄、悪役、村人に至るまでの、全ての物語の集合体と化していたからだ。
一つのキャラクターを消去する力では、図書館そのものを消すことはできない。
「ぐ……おおおおおっ!?」
逆に、竜王バーンの方が俺という無限の物語の奔流に飲み込まれ、その精神が飽和状態に陥った。
「な…なんだ、この情報の奔流は…!我が創造した世界よりも、遥かに豊かで、混沌としていて…!美しい……!我の世界にはなかったものまで……!単なる模倣ではないのか……」
竜王は戦意を喪失し、その場に膝をついた。
こうして、俺とアレンは、それぞれ神話の侵略者たちを一時的にとめることができた。
だが、残るは最後の一柱。
神々の王であり、神話宇宙においても重要人物である、ゼウス。
彼は、俺たちの戦いを腕を組んで、静かに見守っていた。
そして、俺たちが勝利を収めると、ゆっくりと拍手を送ってきた。
「見事だ、偽りの世界の英雄たちよ。貴様らの物語、確かに我々の原典にはない輝きを持っている。認めよう」
彼の言葉に、俺たちは警戒を解かなかった。
「だが」と彼は続けた。
「それ故に、貴様らは危険だ。その予測不能な物語の力はいずれ、我々の神話宇宙さえも脅かす脅威となるだろう。故に、ここで消えてもらう」
ゼウスの全身から、神々しい雷のオーラが立ち上る。
それは、これまでの二柱とは比較にならない、本物の神の威光だった。
「さあ、最後のページを始めようか。神話の終わりか、お前たちの物語の終わりか。決着をつけようではないか」
俺とアレンは満身創痍だった。
だが、その瞳には絶望の色はない。
最強の敵を前に、二人の英雄の魂は、最後の、そして、最高の輝きを放とうとしていた。
この世界はもはや一つのシミュレーション世界ではない。並行世界、現実世界、IFの物語からなる、ありとあらゆる世界の残響を宿しているのだ。
そんな世界と世界の大勝負、今、戦闘の火蓋が切られた。