第六話:エルドラドの再会と二つの憎悪
セレスティーヌとの遭遇から五日後。俺はエルドラド辺境伯領を見下ろす、岩山の頂にいた。眼下に広がるのは、俺自身が数週間前に戦火で焼いた土地。その傷跡はまだ生々しく、復興には程遠い。だが、その荒野の中に、確かな生命の息吹があった。
エルドラドの山中に潜伏する、ガレス・アードラー率いる反乱軍の残党。そして、今まさにそのアジトへ向かっている、孤独な少年、アレン。
俺の魔力糸、《支配者の劇場》は、もはやこの一帯を完全に掌握している。二つの魂が、運命に引き寄せられるように接近していくのを、俺は神の視点で観測していた。これは、俺が演出した舞台だ。だが、役者がどんな演技を見せるのかは、彼ら自身に委ねられている。
(さあ、始めようか。勇者と最初の仲間の出会いを)
森の中、アレンは疲労困憊の様子で歩いていた。クロスロードからここまで、飲まず食わずで歩き通したのだろう。賞金稼ぎの追手は振り切ったようだが、彼の精神は限界に近いはずだ。故郷を失い、唯一の肉親であった妹を亡くした(と彼は思っている)絶望。そして、その元凶である俺、ゼノンへの燃えるような憎しみ。その二つだけが、彼の足を前に進ませていた。
俺が地図に記した「印」――ガレスたちのアジトである洞窟の入り口が、彼の視界に入った。だが、それは罠でもあった。
「――止まれ!」
アレンが洞窟に近づいた瞬間、周囲の木々や茂みから、十数人の武装した男たちが姿を現し、彼を取り囲んだ。ガレスの部下たちだ。彼らの目は、アレンを侵入者とみなし、鋭い敵意を放っている。
「お前、何者だ! ここを嗅ぎ回るスパイか!?」
「……違う」
アレンはか細い声で答える。だが、その声には強い意志が宿っていた。彼は懐から、俺が投げ与えた地図を取り出した。
「これを……これを頼りに来た。ここに、ヴァーミリオンに抵抗する者たちがいると聞いて」
男たちは顔を見合わせる。その地図が、自分たちの仇敵であるゼノン王子から与えられたものだとは、夢にも思っていないだろう。
そこへ、洞窟の奥から、一人の大男が姿を現した。傷だらけの顔、鍛え上げられた肉体。ガレス・アードラーだ。彼は以前よりも、さらに精悍で、瞳の奥に宿る憎悪の炎も深くなっているように見えた。
「その地図、どこで手に入れた」
ガレスの低い声が、森に響く。
アレンは、ガレスの圧倒的な存在感に一瞬怯むが、すぐに顔を上げ、はっきりと答えた。
「ゼノンに……ヴァーミリオンの王子、ゼノンに。あいつは、俺の故郷を滅ぼした。そして、これをくれて、犬のように逃げ回るがいいと言ったんだ!」
アレンの言葉に、ガレスの部下たちがどよめく。「ゼノンの差し金か!」「罠だ!」「殺せ!」という声が上がる。当然の反応だ。
だが、ガレスは彼らを制し、アレンの目をじっと見据えた。二人の視線が交錯する。片や、圧政に抵抗し、仲間を殺された男。片や、理不尽に故郷を焼かれ、家族を奪われた少年。彼らを繋ぐのは、ゼノン・フォン・ヴァーミリオンという、共通の敵に対する、同じ色の憎しみだった。
「……お前、名は」
「アレン……」
「そうか、アレンか。俺はガレスだ。お前の言う通り、俺たちも、奴にすべてを奪われた」
ガレスの声には、意外にも敵意はなかった。むしろ、同じ痛みを持つ者への、共感のような響きがあった。
(そうだ、ガレス。それでいい)
俺は岩山の上で、静かに頷いた。ガレスは単なる脳筋ではない。人の痛みを知る男だ。だからこそ、アレンの最初の仲間として相応しい。
だが、試練はこれで終わりではない。彼らの憎しみが、本物の「絆」に変わるためには、もう一押し必要だ。そして、その「押し」を演出するのも、俺の役目だった。
俺は指先を軽く弾いた。
それは、遠く離れた場所に待機させていた、影蜘蛛への合図。
ガレスがアレンをアジトへ迎え入れようとした、その瞬間。
森を揺るがすような、地響きが起こった。
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
混乱するガレスたち。だが、これは自然現象ではない。
地響きと共に、彼らのアジトの周囲の地面が次々と陥没し、巨大な土壁が隆起していく。あっという間に、洞窟の周辺は、高さ数十メートルの巨大な土のコロシアムのような空間へと変貌した。
「囲まれた!」「罠だ!」
ガレスの部下たちがパニックに陥る。これは、俺が事前に影蜘蛛の土遁使いに命じて準備させておいた、大規模な土遁魔術。名付けて、《悪役の舞台装置》。
「落ち着け! 敵の姿は見えない! 周囲を警戒しろ!」
ガレスが的確な指示を飛ばす。さすが、リーダーの器だ。だが、彼らの本当の敵は、外ではなく、内にいる。
コロシアムと化した空間に、無数の魔物が召喚陣から湧き出てきた。ゴブリン、オーク、そして、より強力なオーガまで混じっている。これも、影蜘蛛の召喚術師の仕業だ。
「魔物だと!? なぜこんな場所に!」
「罠だと言ったんだ! あのガキが、魔物を連れてきたんだ!」
疑いの目が、再びアレンに向けられる。無理もない。あまりにもタイミングが良すぎるからだ。アレンは顔を青くして首を横に振るが、誰も信じようとしない。
「違う! 俺じゃない!」
「うるさい! この裏切り者が!」
ガレスの部下の一人が、怒りに任せてアレンに斬りかかろうとする。
それを、ガレスの剛腕が止めた。
「待て。こいつの目を見ろ。嘘をついている目じゃない。それに、こいつがこれだけの魔術や召喚術を使えるなら、とっくに俺たちを皆殺しにできているはずだ」
ガレスは冷静に状況を分析し、アレンを庇った。そして、周囲の部下たちに檄を飛ばす。
「いいか、てめえら! 目の前の敵を見ろ! 俺たちの敵は、このガキじゃない! このクソみたいな状況を作り出した、誰かだ! そして、その背後には、必ず奴がいる……ゼノンがな!」
ガレスの言葉で、男たちは我に返り、武器を構え直す。彼らの敵意は、アレンから、目の前の魔物の群れへと切り替わった。
(それでこそだ、ガレス)
俺は満足げに頷きながら、ショーの第二幕を始める。
俺は魔力糸を操り、魔物の群れに介入する。
《狂騒の指揮者》。不可視の糸で魔物たちを操り、その動きを統率し、より狡猾で組織的な集団へと変える技だ。
ただの烏合の衆だった魔物の群れが、まるで熟練の軍隊のように、陣形を組んでガレスたちに襲いかかった。前衛に硬い皮膚を持つオークを配置し、後方からゴブリンが弓矢で援護し、側面をオーガの突撃で崩す。素人集団である反乱軍では、到底太刀打ちできないほどの連携攻撃だ。
「くそっ! こいつら、動きが違いすぎる!」
「ぐあっ!」
次々と倒れていくガレスの部下たち。ガレス自身も、オーガの猛攻に苦戦を強いられている。
その中で、アレンはただ立ち尽くしていた。戦う力はある。だが、彼はまだ、自分のためにしか戦えない。他人のために剣を振るう覚悟が、彼にはまだないのだ。
(立て、アレン! お前が英雄になるためには、それを超えなければならない!)
俺は心の中で叫びながら、最も残忍な一手を打つ。
一体のオーガを魔力糸で操り、負傷して倒れている、年の若い反乱兵に狙いを定めさせた。その若者は、先ほどアレンを「裏切り者」と罵った一人だった。
「ひっ……! 助けて……!」
若者が悲鳴を上げる。ガレスは別の魔物に阻まれ、助けに行けない。絶体絶命。
その光景を見たアレンの脳裏に、故郷で魔物に襲われた妹の姿がフラッシュバックした。
――助けて、お兄ちゃん!
幻聴が聞こえる。アレンの体が、意志よりも先に動いた。
「うおおおおおおお!!」
彼は絶叫と共に大地を蹴り、若者とオーガの間に滑り込んだ。そして、振り下ろされるオーガの巨大な棍棒を、その細腕で握る小さな剣で受け止めた。
ミシリ、と骨が軋む音がする。だが、アレンは耐えた。彼の手にした「勇者の原石」が、彼の覚悟に応えるように、これまでで最も強く輝きを放った。
「お前の相手は……この俺だ!!」
アレンの全身から、黄金のオーラが立ち上る。聖なる力が、彼の肉体を強化し、剣に宿る。
《聖光解放》
アレンはオーガの棍棒を弾き返すと、流れるような動きで反撃に転じた。その剣筋は、もはや素人のそれではない。彼の血に刻まれた、勇者としての戦闘技術が、覚醒を始めたのだ。
《連撃剣・光の舞》
無数の光の斬撃が、オーガの巨体を切り刻んでいく。それはまるで、光が舞い踊っているかのような、美しくも苛烈な剣技だった。オーガは悲鳴を上げる間もなく、光の粒子となって消滅した。
「す……げえ……」
助けられた若者が、呆然と呟く。他の者たちも、アレンの戦いぶりに目を見張っていた。
だが、アレンの覚醒は、俺の《狂騒の指揮者》による魔物の連携を崩すには至らない。戦局は依然として、ガレスたちにとって不利なままだった。
「アレン! 無茶だ! 一人ではどうにもならん!」
ガレスが叫ぶ。その通りだ。勇者は、一人では世界を救えない。仲間との絆こそが、彼の力を何倍にも増幅させる。
アレンもそれに気づき始めていた。彼は息を切らしながら、ガレスに叫び返す。
「どうすればいい! こいつら、ただの魔物じゃない!」
「分かってる! だが、必ず突破口はあるはずだ!」
二人が言葉を交わした、その瞬間。
俺は、この試練の「答え」を、彼らに提示してやることにした。
俺は一体のゴブリンを操り、わざとらしく、コロシアムの壁の一点を攻撃させた。ゴブリンの貧弱な攻撃では、土壁に傷一つ付かない。だが、その行動は、ガレスに一つの可能性を気づかせた。
「……そうか! 壁だ!」
ガレスが叫ぶ。
「こいつら魔物は、召喚された存在だ! そして、この壁は、術者が魔力を供給し続けているはず! 壁を破壊すれば、術者は動揺し、魔物の統率も乱れるかもしれない!」
名推理だ、ガレス。だが、少し違う。
正解は、壁を「作った」術者と、魔物を「召喚し、操っている」術者は、別だということ。そして、後者の術者――つまり、俺の魔力糸の支配を断ち切るには、より強力な「ノイズ」が必要だということ。
アレンが、ガレスの言葉に反応した。
「壁を壊せばいいのか!?」
「ああ! だが、並大抵の攻撃じゃびくともしねえ! お前、さっきの光の力、もう一度使えるか!?」
「分からない……でも、やるしかない!」
アレンはガレスの言葉を信じ、再び剣を構えた。だが、彼の魔力は先ほどのオーガとの戦いで消耗している。このままでは、壁を破壊するほどの一撃は放てない。
そこで、ガレスが動いた。
彼は生き残った部下たちに叫んだ。
「いいか、てめえら! アレンに続け! 俺たちの力を、あいつに集めるんだ!」
ガレスはアレンの背後に立つと、その肩に手を置いた。そして、自らの闘気を、アレンへと注ぎ込み始めた。彼の部下たちも、次々とそれに倣う。彼らの憎しみ、怒り、そして、生き残りたいという願い。それらが一つの巨大なエネルギーの奔流となって、アレンの体へと流れ込んでいく。
これは、原作にはなかった展開だ。
仲間を信じ、力を託す。その絆が、奇跡を起こす。
「みんなの力が……俺の中に……!」
アレンの体が、黄金の光に包まれる。それは、彼一人の力ではない。仲間たちの想いを束ねた、新たな力の発現だった。
「いけええええええ!! アレェェェェン!!」
ガレスの絶叫を背に、アレンは剣を天に掲げた。
その剣先に、巨大な光の奔流が収束していく。それはもはや、ただの剣技ではない。仲間との絆が生み出した、合体技だ。
《絆の聖剣》
アレンが振り下ろした剣から放たれた極太の光のビームが、コロシアムの壁の一点に直撃した。凄まじい轟音と共に、俺が作り出した土の壁は、いとも容易く粉砕され、巨大な風穴が空いた。
それと同時に、俺が魔物を操っていた魔力糸が、絆の力という強烈な「ノイズ」によって、強制的に断ち切られる。統率を失った魔物たちは、再び烏合の衆に戻り、混乱し始めた。
「今だ! ここから脱出するぞ!」
ガレスの号令で、生き残った者たちは、アレンが開けた穴から一斉に脱出していく。
俺は岩山の上で、静かにその光景を見下ろしていた。
顔は、笑っていただろうか。それとも、泣いていただろうか。
俺の計画通り、二つの憎悪は出会い、試練を経て、本物の「絆」へと昇華した。
勇者アレンは、最初の仲間を得た。物語は、正しいレールの上を、力強く走り始めた。
だが、代償はあった。
俺がこの大規模な魔術を行使したことで、世界の歪みはさらに大きくなったはずだ。そして、セレスティーヌというイレギュラーが、この一件をどう分析し、次の一手を打ってくるか、分からない。
俺は、崩壊したコロシアムから立ち上る土煙を見つめながら、呟いた。
「よくやった、アレン、ガレス。だが、これは序章に過ぎない。お前たちの前には、さらに過酷な運命が待ち受けている。そして、その運命を用意するのも……俺の役目だ」
孤独なチェスゲームは続く。俺は、世界を救うために、悪という名の駒を、さらに深く、暗いマスへと進めていく。