第六十四話:外部監査役と世界の最終評価
絶望の勇者が遺した最後の悪夢『歴史改竄』。それを乗り越えた俺たちに安息の時は訪れなかった。ゼノンのゴーストが告げた戦慄の事実。このシミュレーション世界の『外部監査役』なる存在が俺たちの世界を『不良資産』とみなし、完全なサーバー削除を決定した。それは、もはや世界の危機というレベルではない。世界の『死』そのものが確定したということだ。
「外部監査役……?創造主よりもさらに上位の存在だと……?」
ヴァーミリオン王宮の作戦司令室は、かつてないほどの緊張に包まれていた。リアもレオナルドもイゾルデも、その存在のスケールが大きすぎて具体的な対策を立てることすらできないでいた。
『彼らはこの宇宙そのものを運営する真の神々だ』
俺の魂の中でゼノンが解説する。
『我々の世界は、彼らが気まぐれで作った無数の実験場の一つに過ぎない。そして、我々はその中でルールを破りすぎた。異世界プレイヤーの介入、バグの増殖、神々の反乱、そして歴史改竄。監査役の視点から見れば、我々の世界はもはや手に負えない失敗作なのだ。削除されるのは当然の判断だろう』
その口調は、どこか諦観しているようだった。
その時、王宮の巨大な窓の外の景色がぐにゃりと歪んだ。空の色が抜け落ち、まるで色褪せた古い写真のようになっていく。世界の彩度が失われていく。サーバー削除のプロセスが既に始まっているのだ。
「そんな……!何もできないまま終わるっていうのか!」
アレンの魂を受け継いだ俺の心が叫ぶ。
だが、ゼノンの魂は冷静だった。
『……いや、手はまだある。決して諦めるな。どんなクソゲーにも必ずバックドアは用意されているものだ』
ゼノンは、俺に一つの可能性を示した。
それはこの世界のシステムに残された最後の隠しプロトコル。
『ファイナル・ジャッジメント』と呼ばれるプログラム。
『それは、監査役が世界を削除する前にその世界の存在価値を最後に問うための、いわば『最終弁論』の機会だ。その世界の代表者が監査役の出す試練を乗り越え、この世界が存続するに値する『価値ある物語』であることを証明できれば、サーバー削除は免れるかもしれない』
「世界の代表者……。それはつまり…」
『ああ、レクス君。君だ。アレンと俺、二つの物語の結末をその身に宿した君こそが、この世界の物語を代表する資格を持つ』
俺にこの世界の運命の全てが託された。
俺はゴクリと唾を飲んだ。そして、仲間たちの顔を見る。彼らの目には不安と、そして俺への絶対的な信頼が宿っていた。
「……分かった。やってやる」
俺は玉座の間に一人向かった。そこが最終評価の舞台となる場所だからだ。
俺が玉座の前に立つと、その空間が歪み始め、意識が別の場所へと飛ばされた。
そこは、白く無限に広がる法廷のような空間だった。
俺の目の前には巨大な天秤が置かれている。
そして、その天秤を見下ろすように三体の影が浮かんでいた。彼らが外部監査役。特定の姿はなく、ただ純粋な『法』と『秩序』の概念が人の形をとったかのような荘厳な存在だった。
『――来たか、世界の代表者よ』
三体の影が一つの声となって響き渡る。
『これより最終評価を開始する。お前の世界の存在価値を我々に示せ。お前に与えられる試練は三つ。一つでも失敗すればその時点でお前の世界は削除される』
最初の監査役が一歩前に出る。
『第一の試練は『力の証明』。お前たちが築き上げた力が我々の秩序を乱すだけの暴力ではないことを示せ』
監査役が指を鳴らすと、俺の目の前に一体の怪物が召喚された。
それは、俺が今まで戦ってきたどんな敵よりも巨大で、強力な存在だった。それは『世界の矛盾』そのものが具現化したかのように、理解しがたい姿をしていた。希望と絶望、光と闇、創造と破壊。あらゆる相反する概念が混濁した混沌の竜。
その名は、《矛盾竜・パラドックスドラゴン》
「こいつを倒せと……?」
『そうだ。だが、ただ倒すだけでは不合格だ。お前が持つその混沌とした力を『調和』させ、新たな『秩序』を生み出すことができるか。それを見せてもらおう』
俺は剣を構えた。矛盾竜が咆哮し、世界そのものを揺るがすほどの破壊のブレスを放ってくる。
俺はアレンの聖なる力で光の盾を作り、それを防ぐ。だが、盾は竜の闇の力によって侵食されていく。
次に俺はゼノンの星辰の力《支配者の劇場》で竜の動きを予測し、攻撃を仕掛ける。だが、俺の攻撃は竜の創造の力によって無効化されてしまう。
力と力がぶつかり合うだけではダメだ。
監査役の言う通りこの矛盾した力を調和させなければ。
俺は戦い方を変えた。
攻撃するのではない。竜と「対話」するのだ。
俺は《魂の同調器》の力を解放し、俺の魂と矛盾竜の魂をリンクさせた。
《矛盾の調和》
俺の魂に、竜の持つ全ての矛盾が流れ込んでくる。
希望と絶望の痛み。光と闇の葛藤。
俺はそれを拒絶しない。全てを受け入れた。
そして俺は竜に語りかけた。俺自身の物語を。
悪役と勇者。
RTAと正規ルート。
俺の魂もまた、矛盾そのものだった。
だが、俺はその矛盾を受け入れることで新しい存在へと進化できた。
矛盾は破壊を生むだけではない。新しい創造の母にもなるのだと。
俺の想いが竜に伝わる。
竜の荒れ狂っていた力が徐々に静まっていく。
そして、希望と絶望の力が一つになり、光と闇の力が溶け合い、竜の体は純粋なエネルギーの結晶体へと姿を変えた。
『……見事だ。力を支配するのではなく受け入れ、新たな価値を創造したか。第一の試練、合格としよう』
監査役の声が響き、結晶体は消え去った。
次に、二番目の監査役が前に出る。
『第二の試練は『知恵の証明』。お前たちが手に入れた知識が世界を破滅に導く傲慢なものではないことを示せ』
俺の目の前に無限に分岐する道の迷宮が現れた。
それぞれの道には一つの選択肢が提示されている。
「世界を救うために一人の罪なき子供を犠牲にするか?」
「永遠の平和のために全ての自由を放棄するか?」
究極の選択。RTAプレイヤーだったゼノンなら迷わず、最も効率的な答えを選んだろう。だが、今の俺は違う。
俺はどの道も選ばなかった。
俺はその場に座り込みただひたすらに「待った」。
『……何をしている?選択を放棄することは死を意味するぞ』
『いいや』と俺は答えた。『これが俺の答えだ。世の中には簡単に答えの出ない問いもある。そんな時、俺たち人間は悩み、苦しみ、そして仲間と対話し、時間をかけてより良い答えを探していく。即決することだけが知恵じゃない。結論を保留し、熟考する勇気。それもまた俺たちのかけがえのない知恵なんだ』
俺のその答えに監査役はしばらく沈黙した。
そして迷宮が消え去った。
『……なるほど。効率だけが全てではないか。我々の思考にはない概念だ。第二の試練、合格としよう』
そして、ついに最後の監査役が前に出る。
その姿は他の二体とは違い、どこか人間的な温かみを持っているように見えた。
『最後の試練は『愛の証明』。お前たちの物語が、本当に存続する価値があるのか、その根源となる『愛』を示せ』
最後の試練は戦闘でも問いでもなかった。
監査役は俺の目の前に、一枚の真っ白なキャンバスと一本の筆を置いた。
『お前の物語を描け。お前が愛し、守りたいと願うものの全てを』
俺は筆を取った。
そして、俺は描き始めた。
最初に描いたのはリアの笑顔だった。
次にレオナルドの苦悩する横顔。
イゾルデの真剣な眼差し。
デュークの皺くちゃの笑顔。
ガレス、カエデ、ゲンジ。
そして、アレンとゼノン。
俺たちが出会ってきた全ての人々。
彼らが笑い、泣き、怒り、共に生きてきた何でもない日常の風景。
俺の絵は決して上手くはなかった。
だが、そこには俺の魂が込められていた。
この不完全で、面倒で、それでも愛おしい世界への感謝と愛情の全てが。
描き終えた俺の絵を見て最後の監査役は静かに頷いた。
『……美しい物語だ。完璧ではない。矛盾だらけだ。だが、それ故に美しい。我々が失ってしまった輝きがそこにはある』
三体の監査役が俺の前に降り立つ。
『最終評価を終了する。結論:シミュレーション世界No.734のサーバー削除を棄却。対象世界を独立した現実宇宙として承認する』
その宣告と共に法廷の世界が消え、俺の意識は玉座の間へと戻ってきた。
窓の外では色褪せていた世界が、再び鮮やかな色彩を取り戻していた。
「……終わった……のか?」
俺はその場にへたり込んだ。
だが、その時監査役の最後の声が俺の脳内にだけ響いてきた。
『――勘違いするなよ若き魂よ。我々がお前の世界を承認したのは、お前が試練を乗り越えたからだけではない』
「……どういうことだ?」
『お前が描いた絵の中にお前は『我々』の姿を描き加えた。世界の登場人物としてな』
俺は無意識のうちに監査役たちさえも俺の物語の一部として受け入れていたのだ。
『我々もまた、自らが作った秩序に縛られた孤独な存在だった。だが、お前は我々に新しい役割を与えてくれた。世界を裁く者ではなく、見守る者という役割を。我々も、お前の物語の続きが見たくなった。ただそれだけのことだ』
その声は、驚くほど優しかった。
こうして、俺たちの世界は名実ともに神々の手を離れ完全な独立を果たした。
長きに渡る世界存続の戦いは本当に終わった。
だが、俺たちの物語が終わるわけではない。
魂の奥底でゼノンの声が囁く。
『……見事なクリアだったレクス君。最高のトゥルーエンドだ。だが忘れるな。どんなゲームにもDLCや続編はつきものだぜ?』
その言葉の意味を俺が知るのはまた別の物語。
今はただ、仲間たちの元へ帰り、この勝利を分かち合おう。
観測者のいない世界で始まる俺たち自身の物語。
その最初のページが今、まさに開かれようとしていた。