第六十三話:再現された悪夢と改竄された歴史
時の揺り籠の最深部でアルフレッドの最後の残響を解放した俺たち。だが、それは絶望の勇者が仕掛けた壮大な儀式の最終フェイズの始まりに過ぎなかった。世界中に打ち込まれた絶望の楔が共鳴し、過去と現在を強制的に融合させる禁断の魔術が発動したのだ。
俺とリアが立っていた砂漠の遺跡は、瞬く間にその姿を変え、百年前のヴァーミリオン王宮玉座の間へと変貌した。だが、その光景は俺が知る歴史とは決定的に異なっていた。玉座の前には、傷つき、倒れた若き勇者アレン。そして、その胸に冷たい刃を突き立てているのは、RTAプレイヤーとしての、効率だけを考えた悪逆無道な人格に魂を完全に乗っ取られた悪鬼の如きゼノン。
「……これは……」
俺は、息を呑んだ。
これは、絶望の勇者が経験したバッドエンドの世界線。彼が最も望み、そして、最も憎んだ歴史の分岐点。彼は、この悪夢を俺たちのこの世界に上書きし、現実として定着させようとしていたのだ。
『ようこそ、我が魂の原風景へ』
玉座の影から絶望の勇者が姿を現した。アルフレッドの残響たちから吸収した膨大なエネルギーと、世界中から集めた絶望のオーラによって、彼の存在は以前とは比較にならないほど強大になっている。もはや、彼は単なるIFの世界の亡霊ではない。歴史そのものを改竄する力を持った一つの「理」と化していた。
「なんてことを……!歴史を書き換えるなんて!」
リアが戦慄の声を上げる。
『これが俺の復讐だ。俺が味わった絶望を、お前たちのこの甘っちょろいハッピーエンドの世界にも味あわせてやる。お前たちが築き上げた全てを俺の悪夢で塗り潰してくれるわ』
絶望の勇者が指を鳴らすと、改竄された歴史が俺たちの現実世界へと侵食を始めた。
ヴァーミリオンの平和な街並みが、百年前の戦火に焼かれた廃墟へと変わっていく。人々の笑顔が悲鳴へと変わっていく。俺たちが守ってきたものが目の前で次々と壊されていく。
「やめろ!」
俺は叫び、時空を超越した《超越者》の力で歴史の改竄を止めようとする。だが、絶望の勇者の力は俺のそれを上回っていた。
《悪夢の確定》
彼の力は、単なる時間操作ではない。人々の記憶そのものに干渉し「これが正しい歴史なのだ」と誤認させる精神攻撃でもあった。レオナルドやイゾルデといった仲間たちでさえも、徐々に書き換えられた歴史に適応し始め、俺たちのことを「歴史に存在しないイレギュラー」として認識し始めている。
『無駄だ。物語の結末はすでに確定している。お前たちというバグはここで消去される運命なのだ』
俺たちは完全に孤立した。
世界そのものが俺たちの敵となったのだ。
『……レクス君。これは、RTAにおける「詰み」の状態だ』
俺の魂の中で、ゼノンが冷静に告げる。
『だが、RTAプレイヤーは決して諦めない。どんなに絶望的な状況でも、必ずどこかに「バグ」や「仕様の穴」は存在する。それを見つけ出すんだ』
そうだ、諦めるわけにはいかない。
俺は、デバッグモードの視界を最大まで広げ、この改竄された世界のソースコードの中に存在するはずの「矛盾」を探し始めた。
そして、俺は見つけた。
たった一つの、小さな、しかし致命的な矛盾点を。
この世界は絶望の勇者の記憶を元に再現されている。だが、彼の記憶は完璧ではなかった。彼は、ゼノンが悪役を演じていた「理由」を知らない。彼が孤独の中で世界を救おうとしていた「真実」を知らないのだ。
その「知られざる真実」こそが、この偽りの歴史における唯一のバグだった。
「リア!手伝ってくれ!」
俺は、リアに作戦を伝える。
俺は、デバッグモードでこの世界のバグ――ゼノンの真実を暴き出す。リアは調停者としての力で、その真実を増幅させ、この偽りの世界全体へと「放送」するのだ。
俺は魂を集中させ、百年前のゼノンの記憶を解放した。
それは、彼が悪役を演じながらも、陰でアレンの成長を助け、イレギュラーを排除し、世界を救おうと戦っていた孤独な日々の記録。
RTAプレイヤーでありながら、いつしかこの世界の登場人物たちに感情移入し「誰も死なないハッピーエンド」という非合理な夢を追い求めてしまった悲しい道化の物語。
《真実の暴露》
俺の魂から放たれた真実の光景が、この偽りの玉座の間に、プロジェクターのように映し出される。
そして、リアはその映像を彼女の力で世界中にブロードキャストした。
《世界の共感》
書き換えられた歴史の中で生きていた人々の脳内に、ゼノンの真実の物語が流れ込んでいく。
彼らは知った。自分たちの平和が、ただのハッピーエンドではなく、一人の男の壮絶な自己犠牲の上に成り立っていたことを。
人々の心に生まれた「感謝」と「敬意」。
そのポジティブな感情が、絶望の勇者が作り出した「憎しみ」と「絶望」の法則を上書きし始めた。
偽りの歴史に亀裂が走り始める。
『な……なんだこれは……!?俺の知らない物語……!ゼノンが……!?馬鹿な!奴はただの卑劣な悪役だったはずだ!』
絶望の勇者が激しく動揺する。彼の信じていた世界の前提が根底から覆されたのだ。
「あんたが知っているのは物語の表面だけで、あんたはこっちの世界について何も知らない」
俺は彼に告げた。
「どんな人間にも光と影がある。どんな物語にも語られていない裏側がある。あんたは、それを見ようとせず、ただ自分の絶望に閉じこもっていただけなんだ」
俺は、最後の仕上げにかかった。
俺は、ゼノンとアレンの魂、そして俺自身の魂を完全に一つにし、この世界の全ての因果が集まるこの玉座の間で究極の技を放つ。
それは、歴史を元に戻すのでも書き換えるのでもない。
「過去」と「現在」、そして、あり得たかもしれない全ての「IF」の物語を全て同時にこの場所に「召喚」し、互いを認め合わせ、調和させるという神の領域の秘術だった。
《全史の召喚》
玉座の間に無数の扉が出現する。
扉の向こうから現れるのは、様々な世界の英雄たち。
アルフレッドに勝利したゼノン。
マキナを浄化したアレン。
そして、俺たちが救ってきた数多の物語の登場人物たち。
彼らは皆、それぞれの正義と悲しみを背負っていた。
その光景を前にして、絶望の勇者はついに、その膝をついた。
彼の孤独な魂は、無数の物語の輝きの前に完全に圧倒されたのだ。
「……そうか……。俺は……一人じゃなかったのか……」
彼の体から黒いオーラが消え、元の若き勇者アレンの姿へと戻っていく。その瞳には、もう絶望の色はなかった。ただ静かな涙だけが流れていた。
俺は、彼に手を差し伸べた。
「帰ろう。あんたの物語の続きを紡ぎに」
彼は、黙ってその手を取った。
俺は、彼を、彼の本来いるべき虚無の次元へと送り返した。もう彼は一人ではない。俺たちとの絆、そして自らの過ちを受け入れた彼は、きっと新しい物語を始められるだろう。
改竄された歴史が完全に修復され、世界は元の姿を取り戻した。
長きに渡るアルフレッドと絶望の勇者の因果はついに断ち切られた。
だが、俺は知っていた。
今回の事件で、俺たちはあまりにも多くの禁断の力に触れすぎた。
歴史の改竄。IFの世界との接触。
俺たちが開けてしまったパンドラの箱は、もはや俺たちの手には負えないほどの厄災を解き放ってしまったのかもしれない。
俺の魂の中で、ゼノンのゴーストが呟いた。
『……レクス君。聞こえるか。創造主よりもさらに上位の存在が我々の存在を感知した……。彼らは、このシミュレーション世界の『外部監査役』。彼らは、我々の世界を、ルールを破りすぎた『不良資産』とみなし完全な『サーバー削除』を決定したようだ……言うなれば、「アストラル・サーガ」を作り出したのが『創造主』、その運営会社が『外部監査役』といったところだ』
俺たちのこれからの敵。
それは、もはやこの世界の登場人物ではない。
このゲーム盤そのものを消し去ろうとする運営者たちだった。
物語は、再び世界の壁を超え、メタ的な領域へと突入する。
俺たちの戦いは、この世界という物語が「存在する意味」そのものを証明する戦いとなるだろう。