第五十四話:プランZと神々のサーバー室
ゼノン・プロトタイプとの死闘の果てに俺の魂に流れ込んできた最後のRTAルート『プランZ』。それは、創造主を倒すためのあまりにも荒唐無稽で、しかし唯一の活路だった。このシミュレーション世界の「外」へ出て、神々のいる高次元世界からこのゲームのサーバーの電源を物理的に断つ。もはやそれは攻略ではなく、ゲーム盤そのものをひっくり返すに等しい暴挙だ。
『……正気かレクス君。プランZは理論上の可能性に過ぎん。俺自身も実行したことのない、まさに紙の上の計画だ。成功する保証などどこにもない』
俺の魂の中でゼノンのゴーストが警告する。だが、彼の声にはどこか興奮の色が滲んでいた。RTAプレイヤーとして、この前代未聞のルートに挑戦できることに魂が奮えているのだ。
「他に道はないんだろ。だったらやるしかない」
俺は覚悟を決めた。教会の上空では、次元の亀裂から創造主の本体――不定形の肉塊のような混沌の化身が、その巨体をゆっくりとこの世界に押し出してきている。世界がその存在の重みに耐えきれず、悲鳴を上げているのが分かる。残された時間は少ない。
俺はデバッグモードを通じて、魂をリンクさせた仲間たちにプランZを共有した。
「……世界の、外へ?」
レオナルドが絶句する。
「サーバーの電源を引っこ抜く…?レクス殿、それは一体どういう…」
デュークもまた、その常軌を逸した作戦に困惑を隠せない。
だが、リアだけは違った。
「……なるほど。そういうことだったのね」
彼女は何かを理解したように頷いた。
「私が生まれた、切り捨てられたセーブデータの記憶の断片。その中に似たような記述があったわ。この世界のシステムには、緊急時に外部のメンテナンスルームへと繋がる隠された『バックドア』が存在する、と」
リアの持つ調停者としての知識が、ゼノンのRTA理論の裏付けとなった。
プランZはただの妄想ではなかったのだ。
「でも、そのバックドアを開くには膨大なエネルギーと特殊な『鍵』が必要になる。その鍵とは…」
リアは俺の目をまっすぐに見て言った。
「……『世界の物語の全ての可能性を内包した魂』。つまり、今のあなたよ、レクス」
俺の魂には、勇者アレンの正規ルートの記憶、守護者ゼノンのIFルートの記憶、そして、転生前の純粋にこの世界を愛するゲーマーとしての記憶、その全てが融合している。俺自身が、この世界の全ての物語を内包した、マスターキーそのものだったのだ。
「よし、作戦は決まった」
俺は仲間たちを見回した。
「俺とリアでバックドアを開き、創造主のいる高次元世界へと突入する。レオナルド、アークライト、デューク、そして皆は俺たちが戻るまでこの世界を守ってくれ。創造主の本体が完全に降臨するのを、少しでも食い止めてほしい!」
「……無茶だ!兄上の二の舞になるぞ!」
レオナルドが反対する。だが、俺は首を振った。
「俺はもう一人じゃない。それに、あんたたちも、もうただ守られるだけの存在じゃないだろ?」
俺の言葉にレオナルドは唇を噛んだ。そうだ、彼らもまたこの世界の運命を背負う当事者なのだ。
「……分かった。必ず、生きて帰ってこい。兄上…いや、ゼノンが守りたかったこの世界と、未来の全てを、お前たちだけに背負わせはしない」
俺たちは固い握手を交わした。
俺とリアは、再び次元の亀裂が渦巻く空の中心へと飛翔した。
「リア、準備はいいか?」
「ええ。いつでも」
俺たちは互いの手を握り、それぞれの魂の力を共鳴させ始めた。
俺の黎明のオーラと、リアの調停者としての理の光。二つの力が一つに溶け合い、空間に一つの巨大な「鍵穴」を描き出していく。
そして、俺は自らの魂そのものをその鍵穴へと差し込んだ。
《ラストキー・アンロック》
凄まじい衝撃と共に、俺たちの目の前の空間が扉のように開いた。
扉の向こう側は光も闇も存在しない、純粋な「無」の空間。そして、その遙か先に一点の輝く星のようなものが見える。
『……あれが高次元世界。俺たちのいた地球とはまた別の、神々の住まう領域だ』
ゼノンの声が俺のガイドとなる。
『急げ!扉を開いていられる時間は長くない!』
俺とリアは顔を見合わせ、頷くと、躊躇なくその扉の向こう側へと飛び込んだ。
俺たちがたどり着いた場所。
そこは、言葉では表現できない超現実的な空間だった。
床も壁も天井もなく、ただ無数の光の回路が神経網のように宇宙空間を駆け巡っている。時折、俺たちの理解を超えた、高次元の生命体らしきものが、影のようにその回路を移動していく。
そして、その空間の中心にそれはあった。
太陽よりも巨大な、黒い立方体。
それこそが俺たちの世界『アストラル・サーガ』を管理運営している、超巨大な量子コンピュータ――『神々のサーバー』だった。
サーバーの表面には無数のケーブルが接続され、その先には、巨大な赤いスイッチのようなレバーがあった。
『……あれだ。あれがメインパワーだ。あれをオフにすれば、すべてが終わる』
だが、事はそう簡単ではなかった。
俺たちがサーバーに近づこうとした、その瞬間、サーバー本体から無数の防衛プログラムが実体化して、俺たちに襲いかかってきた。
その姿は、俺たちがこれまで戦ってきたどんな敵とも似ていなかった。それは、純粋な、数学的な概念そのものが形をとったような抽象的な存在だった。
素数を具現化した槍。
虚数のバリア。
無限級数の触手。
「くっ……!攻撃が、理解できない!」
リアの理を砕く短剣さえも、彼らの数学的な法則の前では無力だった。
俺もまた、デバッグモードで彼らのソースコードを解析しようとするが、そのあまりの複雑さと、高次元の論理構造に、俺の魂が焼き切れそうになる。
『ダメだ、レクス君!こいつらは俺たちの世界の理で動いていない!こいつらとまともに戦ってはダメだ!』
ゼノンのRTAプレイヤーとしての思考が活路を見出す。
『戦うな!駆け抜けろ!目的はただ一つ、あのメインスイッチだけだ!』
俺たちは戦うことをやめた。
そして、ただひたすらにメインスイッチへと向かって走り始めた。
背後から無数の概念攻撃が襲いかかる。
リアが、その天才的な戦闘センスで、攻撃の僅かな隙間を縫うようにして、道を切り開く。
俺は、ゼノンの未来予測と、アレンから受け継がれた超人的な身体能力で、その道を突き進む。
《ポイントブランクラン》
それは、まさにRTAの最終ステージ。
全ての敵を無視し、ただひたすらにゴールへと向かう、究極のランニングプレイだった。
そして、ついに俺たちは赤いメインスイッチの目前までたどり着いた。
だが、その前には最後の番人が立ちはだかっていた。
その番人は、特定の姿を持たなかった。
それは、鏡のように俺たちの姿を映し出していた。
俺が見れば俺の姿に。
リアが見ればリアの姿に。
『……アイデンティティか。最後のセキュリティは自分自身、というわけか』
番人は、俺たちと全く同じ声で言った。
『――お前は、誰だ?』
それは、哲学的な問いだった。
この問いに正しく答えられない者は、自分という存在を見失い、消滅する。
リアが一瞬怯んだ。
彼女は、切り捨てられたセーブデータの集合体。確固たる「自分」という存在が曖昧だ。
だが、俺は迷わなかった。
俺は、胸を張り鏡の自分に答えた。
「俺は、レクスだ。勇者アレンの魂を受け継ぎ、守護者ゼノンの罪を背負い、そして、ただのゲーマーだった俺自身の物語を生きる男だ。俺は不完全で、矛盾だらけで、だからこそ俺なんだ!」
俺のその答えに、鏡の番人は満足げに頷いた。
そして、その姿を消し、俺たちの前に道を開けた。
「……すごいわ、レクス。あなた、本当に強くなったのね」
リアが尊敬の眼差しで俺を見る。
俺たちは、ついに赤い巨大なメインスイッチに手をかけた。
これを引けばすべてが終わる。
俺たちのいた世界は、神々の支配から完全に解放される。
だが同時に、本来の俺が愛した「ゲーム」としての世界も終わるのだ。
俺は一瞬、躊躇した。
俺の魂の中で、ゼノンが静かに言った。
『……いいんだ、レクス君。引いてくれ。俺の長すぎたRTAも、ようやく終わりだ。最高のエンディングをありがとう』
俺は頷いた。
そして、リアと共にありったけの力を込めて、そのスイッチを引き下げた。
ゴゴゴゴゴ……という巨大な音と共に、神々のサーバーの輝きが失われていく。
高次元世界そのものが揺れている。
だが、その時だった。
俺たちの背後で声がした。
『――ようやく、追いついたぞ。バグめ』
振り返ると、そこには創造主の本体が立っていた。
俺が仕掛けた《神殺しのパラドックス》を俺たちがサーバー室にいる間に、自らの力で破壊し、脱出してきたのだ。
「創造主……!」
『サーバーの電源を落とすとはな。面白いことをしてくれる。だが、残念だったな。このサーバーは予備電源で、あと数分は動く。その間にお前たちというバグを完全に削除し、システムを再起動させれば問題ない』
創造主の不定形の肉体から無数の触手が伸び、俺たちを捕らえようとする。
俺たちの力は、もう残っていない。
ここまで来て終わりなのか。
絶望が俺の心を覆い尽くそうとしたその瞬間。
俺たちのいた現実世界と、この高次元世界を繋いでいたバックドアから、眩いばかりの光が溢れ出した。
その光の中から現れたのは、レオナルド、デューク、イゾルデ、そして、全ての人類と亜人種の「祈り」の想念だった。
彼らは、俺たちが戦っている間、ただ待っていたのではなかった。
彼らは自分たちにできる唯一のこと――俺たちの勝利を信じ、祈り続けてくれていたのだ。
その膨大な想念のエネルギーが、俺とリアに流れ込んでくる。
「みんな……!」
俺たちの枯渇していた魂に、再び力が満ちる。
それは、もはや俺たち個人の力ではない。
一つの「世界」そのものの力だった。
俺とリアは、再び手を取り合った。
そして、創造主という絶対的な作者に、最後の戦いを挑む。
「あんたがこの世界の作者かもしれない。でもな!」
俺は叫んだ。
「物語の結末を決めるのは作者じゃない! それを読み、愛し、生きていく俺たち登場人物なんだよ!」
世界と神。
物語と作者。
その究極の対決が、今、始まろうとしていた。