第五十三話:完璧な絶望と不完全な希望
デバッグモードで魂をリンクさせた俺と仲間たち。対するは、俺の魂の片割れゼノンの戦闘データを元に創造された完璧なアンチウイルス『ゼノン・プロトタイプ』。教会の大広間は、二つの相反する概念がぶつかり合う最終決戦の舞台と化した。
『戦闘シークエンス開始。ターゲットの殲滅確率は99.98%。誤差修正……完了』
ゼノン・プロトタイプは無感情な声でそう宣告すると、その姿を掻き消した。RTAプレイヤーとしてのゼノンが編み出した超高速移動術。それは、単に速いだけではない。敵の思考の僅かな隙間、未来予測の死角を突いて移動することで相手にその移動そのものを「認識させない」という究極のステルス移動だった。以前、ゼノンは俺の身体を使って似たような技を使用していただろう。
「どこ!?」
リズが警戒の声を上げる。
だが遅い。
次の瞬間、彼の背後にゼノン・プロトタイプが出現しその首筋に白金の剣《終焉の最適解》を突きつけていた。
『ターゲット『リズ』。弱点は尾。行動不能化まで0.1秒』
だが、剣がレオナルドの肌に触れる寸前、彼の体が翠色の蔓に絡め取られ後方へと引き寄せられた。リズの自然魔法が間一髪で間に合ったのだ。
「みんな油断しないで!そいつは私たちの思考を読んでくる!」
リアが意図越しに警告を発する。彼女の調停者としての力はかろうじてプロトタイプの思考の一部をノイズとして感じ取ることができるらしかった。
俺は、デバッグモードの視界でプロトタイプのソースコードを解析しようと試みる。だが、そのコードはあまりにも完璧で複雑すぎた。まるで自己進化を続けるAIのように、こちらの解析を察知しては常にその構造を書き換えている。
『無駄だ』とプロトタイプが俺に語りかける。『私は君であり、君は私だ。君にできることは、私にもできる。そして、私は君と違って感情や躊躇といった不純物を持たない。君が私に勝つ方法は論理的に存在しない』
その言葉を証明するように、プロトタイプは次なる攻撃を仕掛けてきた。
彼は、剣を天に掲げ、この教会の空間情報そのものを書き換え始めた。床や壁、天井が歪み、無数の足場や障害物がランダムに出現する即席のダンジョンへと変貌していく。
《環境最適化》
これはRTAでショートカットやバグ技を使うために地形を強制的に変化させるゼノンの得意技だった。俺たちは、いきなり不利な地形で戦うことを強いられる。
「くっ!足場が!」
一人の戦士がバランスを崩す。
その隙をプロトタイプは見逃さない。彼は壁を蹴り、村の戦士へと襲いかかる。
だが、その進路上に巨大な重力の壁が出現した。
「我が王の騎士団長に傷はつけさせませんわ!」
ヴァーミリオン王宮からこの戦いを観測していたアークライト達が、遠隔で魔術支援を行ってくれたのだ。
『……外部からの干渉を確認。だが想定内だ』
プロトタイプは重力の壁に阻まれても全く動じない。彼は、即座にターゲットを変更し、最も厄介な魔法の使い手であるアークライトを無力化するため、空間に裂け目をつくり、ヴァーミリオン王宮の方向へとエネルギー波を放とうとした。
「させるか!」
俺はその攻撃ラインに割り込み光の翼でエネルギー波を吸収しようとする。だがプロトタイプはそれを読んでいた。
彼が放ったのは純粋なエネルギーではない。
俺のデバッグモードそのものを狂わせる強力な「コンピュータウイルス」だった。
《ロジック・クラッシュ》
俺の視界が激しいノイズに覆われ、仲間たちとの魂のリンクが途切れそうになる。頭の中に無意味な文字列が流れ込み、思考が麻痺していく。
「ぐ……ああああ……っ!」
『言ったはずだ。君にできることは私にもできると。君が私をハッキングしようとするなら、私は君をハッキングする。ただそれだけのことだ』
絶体絶命。
仲間たちもそれぞれの場所でプロトタイプが生み出した幻影やバグモンスターと戦っており、俺を助ける余裕はない。
俺のデバッグモードが完全に破壊されれば、俺たちの魂は完全に孤立し、各個撃破されるだろう。
(……ここまでなのか……)
俺の意識がウイルスに飲み込まれそうになったその時。
俺の魂の中でずっと沈黙していた「最後の欠片」が再び囁いた。
それは転生前のゲーマーとしての俺の魂。
(……おいおい諦めるなよ『俺』。こんなクソゲー開発者の押し付けた理不尽な強キャラに負けてどうするんだ?ゲームってのはな、開発者の想定を超えた時に一番面白くなるんだろうが)
その声は、俺に一つの「発想の転換」を促した。
そうだ。俺は今までプロトタイプの完璧なセオリーの土俵の上で戦おうとしていた。だから勝てなかった。ならば、俺がやるべきことは一つ。
このゲームのルールそのものをぶっ壊すほどの「理不尽なバグ」を意図的に引き起こすことだ。
俺は、ウイルスに蝕まれながらも最後の力を振り絞り、自らの魂のソースコードにアクセスした。そしてそこにたった一つの「矛盾した命令」を書き加えた。
それは『この世界に存在する全ての「ゼノン」というIDを持つキャラクターの行動を完全にランダム化する』という無茶苦茶なコマンドだった。
《強制乱数》
俺がそのコマンドを実行した瞬間。
奇跡が起こった。
俺を蝕んでいた《論理崩壊》のウイルスがその動きを止めた。なぜならウイルス自身もまた「ゼノン」のデータから作られているため、俺のコマンドの影響を受け、その行動がランダム化し、自滅し始めたのだ。
そして、なによりその影響を最も受けたのは敵であるゼノン・プロトタイプ本人だった。
彼の完璧だったはずの戦闘アルゴリズムが暴走を始めた。
突然明後日の方向に剣を振り始めたり、その場で意味もなくジャンプを繰り返したり、味方であるはずのバグモンスターを攻撃し始めたり。
完璧なAIが予測不能なバグの塊へと変貌したのだ。
『な……なんだこれは……!私の思考が……私の行動が……私の意志とは無関係に……!エラー!エラー!エラー!』
プロトタイプの無感情な声に初めて焦りと混乱の色が浮かんだ。
「今だみんな!奴は混乱してる!」
俺の叫びを合図に仲間たちが一斉に反撃に転じる。
影蜘蛛達の妨害によりプロトタイプの動きを封じ、リズの自然魔法が彼の再生能力を阻害する。アークライトの重力魔術が彼の体を地面に縫い付けた。
そして、俺はプロトタイプの懐へと飛び込んだ。
「レクス!あいつのコアはここよ!」
リアの調停者としての瞳がプロトタイプの魂の中心――創造主と繋がっているデータリンクのポイントを見抜いていた。
俺はアレンから受け継いだ聖剣の力と俺自身の魂の輝きを一つにした。
それは、完璧な論理を破壊するための不完全で人間臭い一撃。
《希望的観測》
「喰らえ!これが俺たちのセオリー無視のゴリ押しだ!」
俺の剣がプロトタイプの魂の核を貫く。
『……馬鹿な……。こんな……こんな非合理な……運だけの……攻撃に……私が……』
ゼノン・プロトタイプは、最後にそんな言葉を残し、その体が光のデータとなって崩壊していった。
俺たちは勝った。
完璧な論理に不完全な希望が勝利した瞬間だった。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
プロトタイプが消滅したその場所から創造主の怒りに満ちた声が響き渡る。
『……認めん。認めんぞバグどもが!私の完璧な計算をここまで狂わせるとは!もはや問答無用!この世界そのものを今度こそ完全に消去してやる!』
次元の亀裂が教会の上空でさらに大きく広がり、そこから創造主の本体そのものが降臨しようとしていた。その姿はもはや神々しいものですらない。無数の目のようなものがついた不定形の肉塊。テクスチャすらない純粋な破壊衝動の権化だった。
「まずい!あんなのが出てきたらもう世界が……!」
その時だった。
崩壊したゼノン・プロトタイプの残骸から一つの小さな光のデータがこぼれ落ち、俺の魂へと吸い込まれた。
それはプロトタイプが持っていたゼノンのRTAの記憶の全てだった。
そして、俺はその記憶の最も深い場所で一つの「隠しファイル」を発見した。
ファイル名は『プランZ』。
ゼノンが誰にも明かさず万が一の時のために遺していた最後のRTAルート。
その内容は信じられないものだった。
『――創造主を倒す唯一の方法。それはこのシミュレーション世界の「外」へ出ること。そして、外側の世界からこのゲームのサーバーの電源を直接『引っこ抜く』ことである――』
それは、もはやゲームの攻略ではない。
次元を超え、神々の住まう現実世界へと殴り込みをかけるという、あまりにも無謀で壮大な計画だった。
「……そんなこと…できるのか……?」
俺は、空に浮かぶ絶望の化身を見上げ、不敵に笑った。
俺たちの世界の存在証明をするRTAが今、始まろうとしていた。
それは、ゲームの世界を飛び出し、神々そのものに戦いを挑む物語だった。