第四十七話:セーブデータの残響と忘れられた約束
絶望の勇者が遺した言葉「物語は一つではない」。そして。リアが明かした衝撃の真実。彼女はゼノンがRTAの過程で切り捨てた無数の「セーブデータ」の記憶から生まれた存在。俺たちのこの平和な世界は、犠牲になった無数の「IFの物語」の上に成り立つ、か細い奇跡だったのだ。
世界融和会議は中断され、王宮は厳戒態勢が敷かれた。レオナルドやイゾルデは、パラレルワールドからの侵略者という前代未聞の事態に対応するため、奔走している。だが、有効な対策など立てられるはずもなかった。敵はいつ、どこから現れるか分からない「可能性」そのものなのだから。
俺は、リアと共に彼女のアジトである教会の地下聖堂に戻っていた。重い沈黙が二人を支配する。
「……なんで今まで黙っていたんだ?あんたがそんな重要な存在だってことを」
俺がようやく口を開いた。
リアは壁に掛けられた古い星図を見つめながら、静かに答える。
「……言えなかった。言う必要もなかったから。私の役目は、あくまで世界の調律。私の過去なんて物語の本筋には関係ないもの。それに……」
彼女は、一瞬言葉を詰まらせた。
「……私自身が、私のことをどう認識すればいいのか分からなかったから。私は無数の『もしも』の寄せ集め。確固たる『私』なんてどこにもいないのかもしれない」
その横顔は、今まで見たことがないほど儚く揺れていた。彼女もまた、自分の存在意義に悩み苦しんでいたのだ。
俺は、彼女に何と声をかければいいのか分からなかった。
その時だった。
俺の魂の中で、ゼノンのゴーストが静かに語りかけてきた。
『……思い出せ、レクス。俺がRTAで何を目指していたのかを』
「……誰も死なないハッピーエンド……だろ?」
『そうだ。だが、それは結果に過ぎん。その過程で俺が何をしていたか。俺は、無数のセーブとロードを繰り返した。最良の選択肢を選ぶため、最適なルートを探すため。その過程で無数の失敗した世界線が生まれた。リア君は恐らく、その失敗の記憶の集合体なのだろう』
ゼノンの声には、深い悔恨の念が滲んでいた。
『俺は、タイムを縮めるため、効率を求めるあまりその失敗した世界にいた人々の『想い』を切り捨ててきた。彼らの悲しみも、絶望も、すべてを「なかったこと」にしてきた。絶望の勇者が生まれたのも、俺のその傲慢さが原因だ。俺が、彼の世界の失敗をきちんと受け止めていれば、彼はあそこまで歪むことはなかったのかもしれない』
「……ゼノン……」
『だからレクス。君にしかできないことがある。君は、アレンの魂と俺の魂を併せ持つ。君ならできるはずだ。切り捨てられた物語の想いを救い出すことが』
ゼノンの言葉は、俺に一つの道を示してくれた。
俺たちの次の敵は、絶望の勇者だけではない。彼のように切り捨てられ、忘れ去られた無数の物語そのものだ。彼らの怒りや悲しみを鎮めない限り、この世界に本当の平和は訪れない。
「リア」
俺は、彼女の肩にそっと手を置いた。
「あんたは寄せ集めなんかじゃない。あんたは忘れられた物語たちの『希望』なんだ。彼らが確かに存在したという証なんだ。だから顔を上げてくれ。俺も一緒に背負うから」
俺の言葉にリアの瞳が潤む。彼女は、初めて俺の前で弱い部分を見せた。
俺たちが新たな覚悟を決めたその時。
地下聖堂の床に描かれた転送用の魔法陣が独りでに輝き始めた。そして、そこから一人の人物が転がり出てきた。
ボロボロのローブを纏い、息も絶え絶えのその人物を見て俺たちは再び驚愕した。
その顔は、イゾルデ・フォン・アークライトと瓜二つだったのだ。
だが、その雰囲気は俺たちが知る冷静沈着な宰相とは程遠い。その瞳には、深い疲労と、そして、何かから逃げてきたような恐怖の色が浮かんでいた。
「はぁ……はぁ……!間に合った……!ようやく……別の世界線に……!」
彼女は、俺たちを見ると安堵の表情を浮かべ、そしてそのまま意識を失った。
彼女が気を失う直前に、その手からこぼれ落ちたのは一つの古びた研究日誌だった。
俺たちが彼女をベッドに運び、介抱した後、リアがその日誌を恐る恐る開いた。
そこに書かれていたのは信じられない内容だった。
このイゾルデはアルフレッドが勝利した世界の生存者だったのだ。
彼女の世界では、ゼノンもアレンもアルフレッドに敗れ、世界は彼の理想郷『Project: ARK』によって電子の楽園へと作り変えられていた。人々は、魂をデータ化され、苦しみのない永遠の夢を見せられている。
だが、それは偽りの救済だった。
アルフレッドのARKは完璧ではなかったのだ。彼のシステムは、人々の魂から負の感情を完全に消去することができなかった。消去されたはずの憎しみや悲しみはARKのシステムの深層部に「ゴミデータ」として蓄積されていった。
そして、そのゴミデータは長い時を経て意志を持ち始めた。それは純粋な破壊衝動を持つ電子の亡霊。ARKが生み出した第二のマキナだった。
このイゾルデの世界は、その亡霊によって内側から崩壊を始めていた。アルフレッド自身も自らが作り出したバグを制御できず、亡霊に魂を喰われてしまったという。
彼女は、ARKに残された最後の抵抗勢力として戦い続けた。そして、アルフレッドが遺した次元転移の理論を解析し、最後の希望を託して俺たちの世界へと逃げてきたのだ。
「……なんてことだ……。アルフレッドの物語にも別の結末が……」
俺は、日誌を読み終え絶句した。
『……当然だ』
とゼノンが呟く。
『RTAとは無数の可能性を試す行為だ。俺が勝つルートがあれば、負けるルートもある。アルフレッドが勝つルートもあれば、マキナが勝つルートさえ存在するだろう。今、俺たちの世界はそれら全てのIFの世界線と繋がり始めているのだ』
俺たちの世界は、無数のパラレルワールドの中心にあるハブ空港のような状態になっていた。そして、それぞれの世界で問題を抱えた者たちが、救いを求めて、あるいは世界を奪うためにこの場所に集まってくる。
意識を取り戻したIF世界のイゾルデ――彼女は自らを「イゾルデ・エコー」と名乗った。彼女は俺たちに懇願した。
「お願い……!私たちの世界を救って……!ARKを破壊し、電子の亡霊を止めて……!」
だが、それは簡単なことではなかった。
「あんたの世界に行く方法はあるのか?」
俺の問いに、イゾルデ・エコーは首を振った。
「私が使ったのは片道だけの不安定な転移。もう、戻ることはできないわ。でも……」
彼女は、一つの可能性を示した。
「……百年前、ゼノンとアルフレッドが発見したという『魂の天秤』。あれを使えば、魂をデータ化し、ARKの世界へダイブできるかもしれない。あれは、私たちの世界ではアルフレッドが完成させてしまったけれど、この世界では破壊されたと聞いているわ。その残骸でもあれば……」
魂の天秤。
ゼノンの記憶の中で、忌まわしい記憶として残っている禁断の遺物。
俺は、レオナルドに連絡を取り、王家の禁書庫を探してもらった。その結果、ゼノンが破壊したはずの魂の天秤の「設計図」だけがかろうじて残っていることが判明した。
「……これを使えば彼女の世界を救えるかもしれない。でも、下手をすれば俺たちの魂もARKに取り込まれてしまう……」
危険な賭けだった。
俺が迷っているとリアが俺の手を握った。
「行きましょうレクス。見捨てるなんてできない。忘れられた物語の痛みが分かる私たちだからこそ、救える世界があるはずよ」
彼女の言葉に俺は覚悟を決めた。
俺たちは、イゾルデ・エコーと俺たちの世界のアークライト家の協力を得て、魂の天秤の復元――いや、魂を安全に転送するための新しい装置の開発に取り掛かった。
俺は、ゼノンの観測者としての知識と、RTAプレイヤーとしてのシステムの穴を突く発想を提供する。
リアは、調停者として世界の理を書き換えることなく安全に次元の壁を越えるための理論を構築する。
イゾルデ・エコーとアークライト家は、それぞれの世界の魔導科学の知識を融合させ、理論を形にしていく。
数週間後。
俺たちの叡智の結晶ともいえる新しい装置が完成した。
それは、天秤の形ではなく二つの世界を繋ぐ虹色の「橋」のようなゲートだった。
《魂の架け橋》
「これを使えば、最大で三人の魂を限定的な時間だけARKの世界へ送ることができる。でも、活動限界は一時間。それまでに電子の亡霊を倒し、ARKのメインサーバーをシャットダウンさせないとあなたたちの魂も戻れなくなるわ」
イゾルデ・エコーが警告する。
俺とリア、そして、アレンから受け継いだ勇者の魂。三つの魂が、この絶望的なミッションに挑むことになった。
俺は、ゲートを潜る直前、イゾルデ・エコーに問いかけた。
「……あんたの世界のアルフレッドはどんな最期だったんだ?」
彼女は、少し寂しそうに答えた。
「……彼は最後まで自分の過ちを認めなかった。でも、亡霊に喰われる最後の瞬間、彼はたった一言だけ呟いたの。『ゼノン……君が正しかった』と……」
その言葉を聞いて、俺の魂の中のゼノンが静かに震えた気がした。
「……行ってくる。あんたの物語も必ずハッピーエンドにしてみせる」
俺は、リアと共に虹色の光の橋へと足を踏み入れた。
俺たちの意識が光のデータとなり、全く違う法則で成り立つ電子の世界へとダイブしていく。
そこは、無限に広がるデータの海とバグによって生まれた醜悪な怪物たちが支配する、サイバーパンクな地獄だった。
そして、その世界の中心で俺たちは待っていた。
アルフレッドの絶望が生み出した電子の亡霊。
そして、彼が遺した最後の「約束」の相手と。
俺たちの物語は、ついに世界線を超え、過去の清算と未来の救済が交差する新たな章へと突入した。