第四十二話:錆びついた歯車と亡霊の囁き
囁きの森での一件から数ヶ月。俺たちのギルド『黎明の翼』の名は、裏社会で静かに、しかし確実に広まっていた。表沙汰にできない不可解な事件を、穏便に、そして完璧に解決する謎の専門家集団。そんな噂が、尾ひれをつけて一人歩きしていた。
俺とリアはその日、ヴァーミリオン王国の工業都市として名高い「歯車の街・クロックフォード」からの依頼で、この街を訪れていた。依頼内容は、「街の心臓部である巨大な時計塔が原因不明の停止を繰り返し、その度に街の機能が麻痺してしまう」というもの。一見すればただの機械故障。だが、派遣された王宮の技師たちが、誰一人として原因を特定できなかったという点で、この依頼は、明らかに「普通」ではなかった。
クロックフォードは、その名の通り、無数の歯車と蒸気機関で成り立つ、スチームパンクな雰囲気の街だ。百年前の英雄たちが神々の支配を終わらせた後、宰相イゾルデ・フォン・アークライトが主導し、かつてアルフレッドが遺した魔導科学の技術を、平和利用の形で発展させた、新時代の象徴とも言うべき都市だった。
「すごいな……。まるで、世界が違うみたいだ」
街の頭上を走る蒸気機関の鉄道マジック・レールウェイや、自律的に動く機械人形オートマタの姿に、俺は素直に感嘆の声を上げた。
「ええ。イゾルデ宰相の功績は大きいわ。彼女は、アルフレッドの狂気を憎みながらも、その才能だけは誰よりも認めていた。だからこそ、彼の技術を決して埋もれさせてはならないと考えたのね」
リアが冷静に分析する。
俺たちは、街の中心にそびえ立つ巨大な時計塔――『クロノス・ギア』へと向かった。高さは、ヴァーミリオンの王城に匹敵するほど。その内部には、この街のすべての動力を司る、超巨大な精密機械が収められているという。
時計塔の技術主任と名乗る、老齢のドワーフに話を聞く。
「おお、あんたたちが噂の『黎明の翼』か。遠路はるばるご苦労じゃった。見ての通りこのザマじゃ。数日前から、日に何度もこのクロノス・ギアが止まるようになった。原因は全く分からん。まるで、機械そのものが生きとるみたいに、時々大きく呻き声を上げるんじゃ……」
俺は、ゼノンから受け継いだ観測者の力で時計塔の内部を透視した。
無数の大小様々な歯車。複雑に絡み合ったパイプ。そして、その中心でゆっくりと、しかし確実に時を刻む、巨大な振り子。
確かに機械としては、どこにも異常は見られない。
だが、俺は感じていた。
この巨大な機械の奥底から漏れ出してくる、微かで、しかしどこまでも冷たい「意志」のようなものを。
「……行ってみよう。時計塔の最上階。動力炉の中枢へ」
俺とリアは、技術主任の案内で歯車の迷宮のような塔の内部を登っていった。
ギシギシと軋む金属音。時折、不規則に噴出する蒸気。そして、階を上がるごとに強くなっていく、あの冷たい「意志」の気配。
最上階、動力制御室。
そこにその「異物」はあった。
部屋の中央に鎮座する、巨大な魔導クリスタルの動力炉。その美しいクリスタルの表面に、まるで黒いカビのように、一つの紋様が浮かび上がっていたのだ。
その紋様を見た瞬間、リアが息を呑んだ。
「……これは……アークライト家の紋章……!? しかも、これは禁忌とされた裏の紋章……魂を物質に定着させる、禁断の錬金術の印よ!」
その時だった。
俺の頭の中に直接、声が響いた。
それは、ゼノンのゴーストの声とは全く違う、静かで理知的で、しかし、どこか歪んだ狂気を感じさせる声だった。
『――ようやく来たかね。私の存在に気づく者が。君たちが噂の『黎明の翼』か。いや、こう呼ぶべきかな。勇者アレンの魂を持つ少年と、システムの番人たる調停者よ』
声と同時に、動力炉の黒い紋様が激しく明滅し、そこから半透明の人影が現れた。
白衣をまとい、穏やかな笑みを浮かべているが、その瞳の奥には、底知れぬ探究心と、冷徹な合理性が渦巻いている。
俺は、その顔を知っていた。
かつて、ゼノンの記憶を追体験した時に見たあの男。
世界を電子の楽園に閉じ込めようとした狂気の天才。
「……アルフレッド……!」
『いかにも。もっとも、今の私はかつてのアルフレッド・マインツ本人ではない。彼の知識と記憶、そして、その歪んだ理想を受け継いだ、ただの『残響』に過ぎないがね』
アルフレッドの残響は語り始めた。
百年前、彼はゼノンに敗れ、死んだ。だが、彼の執念は死んでいなかった。彼は、自らの研究成果のすべてをバックアップとして、このクロックフォードの動力炉の設計図の中に隠していたのだ。
そして、囁きの森で、俺が世界の理を書き換える大技《箱庭の創世》を使った際、そのエネルギーの余波が、世界の星のネットワークに亀裂を生み、その亀裂を通して、彼のバックアップデータが覚醒してしまったのだという。
彼は、この時計塔のシステムを乗っ取り、百年の時をかけて、自らの意識を再構築していたのだ。
『いやはや、驚いたよ。私が眠っている間に、世界は随分と変わったものだ。管理者もマキナも消え、そして、何より私の宿敵であったゼノンもいない。実に素晴らしい。これならば、今度こそ私の理想郷――『Project: ARK』を完成させることができる』
彼の狂気は健在だった。
いや、肉体という枷を失ったことで、その思考はより純粋化し、より危険なものへと変貌していた。
「ふざけるな! お前の歪んだ理想のために、また世界を混乱させるつもりか!」
俺は、剣を抜いた。
『おっと、そう短気を起こさないでくれたまえ。今の私に君たちと戦うつもりはない。むしろ、私は君たちをスカウトしに来たのだよ』
「スカウトだと?」
『そうだ。レクス君。君のそのゼノンとアレンの二つの魂を併せ持つ、特異な才能。リア君。君のシステムの理を操る、調停者としての能力。その二つの力があれば、私の新しい『ARK』は、以前とは比較にならない完璧なものとなる。私と手を組み、新しい世界の神にならないか?』
甘美な誘惑。
だが、俺たちがそれに乗るはずがなかった。
「断る!」
「あなたの作る管理された楽園など、まっぴらごめんよ!」
俺とリアは、同時にアルフレッドの残響に襲いかかった。
だが、彼はもはや実体を持たないゴースト。俺たちの物理攻撃は、すべて彼の体をすり抜けてしまう。
『無駄だ。今の私はこの時計塔のシステムそのもの。君たちが私を倒すには、このクロノス・ギアを、完全に破壊するしかない。だが、そんなことをすれば、このクロックフォードの十万の民の命も同時に失われることになる。君たちに、それができるかな?』
卑劣な人質作戦。
俺たちは、手も足も出せなくなった。
アルフレッドは、満足げに笑う。
『さあ、ゆっくりと考えるといい。私に協力するか、それとも、この街のすべてと共に滅びるか。答えが出たら、また会いに来たまえ』
彼はそう言うと、動力炉の中へと姿を消した。
後に残されたのは、不気味に脈動を続けるアークライトの裏の紋章と、俺たちの無力感だけだった。
俺たちは、一旦地上へと戻り、対策を練ることにした。
レオナルドにも、この緊急事態を報告しなければならない。
だが、俺たちの知らないところで、アルフレッドの次の手はすでに打たれていた。
彼が覚醒した影響は、クロックフォードだけに留まらなかったのだ。
世界各地で、彼が百年前、密かにばら撒いていた「技術の種」が一斉に芽吹き始めていた。
自律的に思考し、進化する機械兵団。
人々の感情をデータ化し、操作する精神支配ネットワーク。
そして、死者さえも冒涜し、その魂をゴーレムの器に封じ込める禁断のネクロマンシー技術。
アルフレッドの亡霊は、たった一人で世界中に宣戦布告をしたのだ。
彼の目的は、もはやただのデータ化による救済ではない。
この世界を、彼が理想とする「効率的で、無駄のない機械の生態系」へと完全に作り変えること。
生命そのものを否定する究極の侵略だった。
俺たちのギルド『黎明の翼』の本当の戦いが始まろうとしていた。
それは、かつての英雄たちが倒しきれなかった、科学の亡霊との絶望的な戦い。
そして、俺はこの戦いの中で、ゼノンがなぜあれほどまでにアルフレッドを警戒し、憎んでいたのか、その本当の理由を知ることになる。
それは、二人の天才が、かつて同じ夢を見て、そして、袂を分かった悲しい過去の物語へと繋がっていくのだった。
RTAプレイヤーゼノンの、ルート選択に、唯一影響を与えた、親友の裏切り。
その、隠されたエピソードが今、明らかになろうとしていた。