第三十八話:三つ巴の終焉と希望の選択
アレンが放つ黄金の光《英雄の創世》。それは、世界の終わりラグナロクさえも押し返すほどの、凄まじい「希望」のエネルギーだった。その光は、メビウスが書き換えたグロテスクな街並みを浄化し、元の美しい姿へと戻していく。そして、俺の体を支配し、世界をリセットしようとしていたゼノンのRTAプレイヤーとしての魂にも抗いがたい力で干渉し、その支配力を弱めていった。
『……なんだこの力は……!非合理的だ!非効率だ!ただの感情エネルギーが、なぜこれほどの奇跡を起こす!?私の計算が……私の理論が……!』
俺の頭の中で、ゼノンのゴーストが混乱と苦悩の声を上げる。彼の、完璧だったはずの世界攻略のシナリオは、アレンという最大のイレギュラーによって完全に崩壊したのだ。
だが、一方世界のもう一人の破壊者である、観測神メビウスは歓喜に打ち震えていた。
『素晴らしい!これだ!これこそ私が見たかった生命の輝き!予測不能な進化!計算を超えた奇跡!ああ勇者アレン君!君は最高のサンプルだよ!君の、その魂を解剖すれば私は神を超える存在になれる!』
メビウスの、巨大な眼球が血走り狂気の光を爛々と輝かせる。彼は、ラグナロクが止められたことなど意にも介さず、その全ての興味をアレンへと集中させた。彼の背中から生えた、無数の機械のアームが獲物を捕らえるかのように、一斉にアレンへと襲いかかる。アームの先端には、魂を切り刻むメスや記憶を抜き取る探針といった、おぞましい手術器具が備わっていた。
「させない!」
俺の隣でリアが叫ぶ。彼女は短剣を構え、アレンを援護しようと飛び出した。彼女の《理の崩壊》の力は、メビウスの機械アームの動きを僅かに鈍らせることができる。
「レオナルド王!全軍で勇者を援護せよ!」
地上のデュークも最後の力を振り絞り、騎士団に号令をかける。
人類の全ての戦力が、アレンという一点の希望を守るために集結した。
だが、メビウスの力はあまりにも強大すぎた。
『おっと、君たち脇役は少し黙っていてくれたまえ。今、私は主役と大事な話をしているんだ』
メビウスは、億劫そうに片腕を振るった。ただそれだけで、凄まじい衝撃波がリアたちを吹き飛ばす。それは、物理的な衝撃ではない。彼らの存在定義そのものを揺さぶる、概念的な攻撃だった。リアたちは意識を保つのがやっとで、戦線に復帰できない。
戦場には、再び三人のみが残された。
狂気の神メビウス。
希望の光となったアレン。
そして、その間で揺れ動く俺――ゼノンのゴーストに支配されながらも、アレンの光によってわずかな自我を取り戻しかけているレクス。
「アレン!逃げろ!」
俺は心の中で叫ぶ。今のメビウスは、アレンの希望の力に触発され、最も危険な状態にある。まともに戦っては勝ち目がない。
だが、アレンは逃げなかった。彼は聖剣を構え、まっすぐにメビウスを睨み据える。
「俺は、もう何も失わない。誰も見捨てない。あんたの歪んだ好奇心のためにこの世界をめちゃくちゃにされてたまるか!」
アレンは再び《英雄の創世》の光を解放する。だが、今度の光は攻撃的なものではなかった。その光は、優しく戦場全体を包み込み、傷ついた仲間たちを癒やし、メビウスによって書き換えられた世界の法則をゆっくりと修復していく。それは「破壊」に対する「再生」の力。
『……ほう。私に戦いを挑むのではなく、世界そのものを治癒することを選ぶかい?面白い、面白いじゃないか!ならば、私も趣向を変えよう!』
メビウスは、アレンの意図を理解し、その巨大な眼球から無数の光の糸を放出した。その糸は世界中に張り巡らされた星脈へと接続していく。
『この世界のシステムに、私も直接アクセスさせてもらおう。そして、君の『再生』と私の『改変』、どちらが速いか競争しようじゃないか!』
世界の支配権を巡る神と英雄のハッキング合戦が始まった。アレンが、世界を正常な状態に戻そうとすると、メビウスがそれを上回る速度で、さらに悪質なバグを仕込んでいく。美しい花が咲いたかと思えば、次の瞬間には毒の触手へと変わり、傷が癒えた兵士が突然仲間を攻撃し始める。希望と絶望が目まぐるしく入れ替わる、悪夢のような光景。
アレンの額に大粒の汗が浮かぶ。世界のすべてを一人で背負うその負荷は、彼の精神を限界まで追い詰めていた。
その時だった。
俺の頭の中で、ゼノンのゴーストが静かに呟いた。
『……そうか。そういうことか……。これが……この非効率なまでの自己犠牲こそが……このゲームの真の攻略法だったというのか……』
彼は、アレンの戦いを見て、ついに理解したのだ。RTAの最適化理論では決して導き出せない答えを。この世界の本当のクリア条件は、効率的にボスを倒すことではない。仲間を信じ、世界を愛し、そして何があっても諦めない「心」。その魂の輝度を、最大まで高めることこそが真のエンディングへの道だったのだと。
『……間違っていたのは私だった……。私はプレイヤーでありながら、このゲームを全く理解していなかった……』
ゼノンのゴーストの声から冷たさが消え、代わりに深い後悔と、そして、ゼノン本来の温かさが戻ってきていた。RTAプレイヤーの人格はアレンの光によって完全に浄化され、守護者ゼノンの魂と再び一つになろうとしていた。
「ゼノン……!」
俺は、彼の心の変化を感じ取った。
『レクス君。そしてアレン君。聞こえるか。私に最後のチャンスをくれ。この罪深いプレイヤーに、最後の仕事をさせてほしい』
ゼノンは、俺の体の主導権を完全に俺に返してくれた。そして、彼の魂は光の粒子となって俺の背中に集まり、かつてプライマスとの戦いで見せたような星空の翼を形成した。彼は、自らの魂を俺の力として捧げることを選んだのだ。
『私は、観測者としてメビウスのシステム改変のアルゴリズムを解析し、その弱点を突く。アレン君は、私のナビゲートを信じ、その一点だけを攻撃してくれ。そしてレクス君、君の役目はアレン君の剣をそこまで届かせるための道を切り開くことだ』
最後の共同作戦。
俺とアレン、そして、ゼノンの魂。三位一体の攻撃が今、始まろうとしていた。
「分かった!信じるぜゼノン!」
アレンが叫ぶ。
俺もまた、覚醒した勇者の魂を燃え上がらせる。ガレスの魂を宿した聖剣を握りしめ、俺はアレンの前を走る。
「道は俺が開ける!行けアレン!」
《開闢の勇者道》
俺が走った後には虹色の光の道ができる。その道は、メビウスが生み出すあらゆるバグや汚染を浄化し、アレンのための安全なルートを作り出していく。
『解析完了!敵のシステムの脆弱性を発見!奴は、世界のあらゆる法則を書き換えられるが、唯一書き換えられないものがある!それは『観測者である自分自身』という存在定義だ!そこが奴の唯一の弱点!』
ゼノンの声が響く。
『アレン君!奴の巨大な眼球その中心にある瞳孔!そこが奴の概念の核だ!』
「見えた!」
俺が切り開いた道を駆け抜けたアレンは、メビウスの懐深くに飛び込んでいた。そして、彼は仲間たちの想い、俺の覚悟、そしてゼノンの罪と贖罪、そのすべてを込めた最後の光を聖剣に宿した。
その光は、もはや黄金でも虹色でもない。
ただひたすらに、純粋な透明な輝き。
それは、この世界の始まりの色であり、あらゆる可能性を秘めた「ゼロ」の色だった。
《始まりの剣》
アレンの剣が、メビウスの瞳孔へと吸い込まれていく。
その瞬間、メビウスの巨大な眼球に初めて「恐怖」の色が浮かんだ。
『……やめ……よせ……!私という存在が……観測できなくなる……私が……私でなくなってしまう……!』
狂科学の神は、自らが消滅することよりも、自らが「観測」できなくなるという矛盾に耐えられなかった。
彼の存在そのものが、巨大なパラドックスに陥り内部から崩壊を始める。
『ああ……これが……生命の……最後の進化か……!素晴らしい……実に……素晴らしい……!』
メビウスは、断末魔の叫びと共に、満足げな笑みを浮かべそして光の中へと消滅していった。
後に残されたのは、静寂と、そして、朝日が昇り始める美しい世界だった。
すべての戦いが終わった。
ゼノンのゴーストもまた、その役目を終え、俺の背中にあった翼から光の粒子となって天へと昇っていく。
『……ありがとうレクス。アレン君。最後に君たちのような素晴らしいプレイヤーと共に、このゲームをクリアできて……本当に……楽しかった……』
彼の最後の言葉は、安らかな響きを持っていた。
俺は、空を見上げ静かに呟いた。
「ああ。最高のクソゲーだったぜ。ゼノン」
こうして、長きに渡る戦いは本当に終わりを告げた。
バグも神もプレイヤーもいない。
ただ、人間たちが生きる不完全で愛おしい世界だけが残された。
俺たちの新しい物語が、今、本当の意味で始まろうとしていた。