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第三十七話:狂科学の神と世界の解剖

『……ようやく……目覚めの時が……来たか……』


空間の黒い歪みの奥から響くその声は、粘つくような愉悦に満ちていた。それは、永い眠りからの覚め目の前に広がる、新しいおもちゃの山を見つけた子供のような、純粋で、無邪気な狂気の色をしていた。


俺とリア、そしてレオナルドたちは、その声の主が放つ、圧倒的なプレッシャーの前に身動き一つ取れずにいた。万象喰らいを倒した安堵感など、一瞬で吹き飛んでいた。今、目の前に現れようとしている存在は、管理者やマキナとは比較にならないほど異質で、根源的な「悪意」の塊であることを、魂が理解していたからだ。


『まずいまずいまずい!これは完全に想定外だ!』


俺の頭の中で、ゼノンのゴーストが珍しく本気で狼狽していた。

『なぜだ!なぜ『観測神メビウス』の封印が今解ける!俺のRTAのルートでは、奴は登場しないはずだった!どのフラグを立てればこの隠しボスが出現するんだ!?』


観測神メビウス。

ゼノンの口から出たその名に俺は聞き覚えがなかった。だが、彼の慌てぶりからそれがどれほど規格外の存在であるかは嫌でも伝わってきた。


黒い歪みがさらに広がり、そこから、ゆっくりと一体の「神」が姿を現した。

その姿は異様だった。人間のようでありながら、その体は無数の手術痕跡のような継ぎ接ぎで覆われ、背中からは、機械のアームやメスのようなものが何本も生えている。そして、何より異様なのは、その顔だった。本来顔があるべき場所には、巨大な一つの「眼球」だけがギョロリと浮かんでいるのだ。その眼球は、俺たちを生物としてではなく、観察すべき「実験材料」として値踏みするように舐め回していた。


『やあやあこんにちは。我が愛しきモルモットたち。久しぶりだねぇこの世界は。光の女神アウローラと闇の神の退屈な聖戦ごっこが終わって、随分と様変わりしたようだ』


観測神メビウスは、まるでおどけるような口調で話しかけてくる。だが、その言葉の端々からは生命に対する冒涜的な侮りが滲み出ていた。


「貴様……何者だ!」

レオナルドが、王としての威厳を保ちながらも震える声で問いかける。


『私かい?私はメビウス。かつて、この世界という実験場で生命のあらゆる可能性を「観測」し、その進化を「編集」していたただの科学者だよ。光だの闇だのといった、下らないイデオロギーには興味がなくてね。ただ、純粋に生命がどうやって壊れ、どうやって生まれ変わるのか、その美しいプロセスが見たいだけなのさ』


彼は、神話の時代、光と闇の二大神とは別に、独自の立場で生命の創造と改造を繰り返していた第三の神だったのだ。だが、その実験は、あまりにも過激で残酷すぎたため、最終的に光と闇の両陣営から危険視され、共同で封印されたのだという。


『いやーしかし驚いた。私を封じていた幾重もの概念封印を破壊するとはね。君たちの魂の輝きは、私の計算を遥かに超えていた。特に君』


メビウスの巨大な眼球が俺――レクスを捉える。

『君は面白いねぇ。勇者アレンの魂を受け継ぎながら、その中には異世界のプレイヤーのゴーストが寄生している。光と闇、聖と邪、秩序と混沌。あらゆるものが混濁した、最高に興味深いハイブリッドサンプルだ。ぜひ、君を解剖してその魂の構造をじっくりと観察してみたいものだよ』


ゾクリと背筋が凍る。彼の視線は、俺の魂の奥底ゼノンのゴーストの存在までも見抜いている。


「ふざけるな!誰がお前の実験材料になんてなるか!」

俺は、虹色のオーラを再び纏い、聖剣を構える。


『おっとそういきり立たないでくれたまえ。君たちをすぐに解剖するつもりはないよ。それでは面白くない。まずは、この百年で君たちが築き上げたこの文明社会というおもちゃが、どこまで私の実験に耐えられるか試させてもらおうじゃないか』


メビウスは、そう言うとパチンと指を鳴らした。

その瞬間、世界が悲鳴を上げた。

王都の美しい街並みが、まるで粘土細工のようにぐにゃりと歪み始める。石畳の道は沸騰した血液のように脈打ち、建物は肉の塊のようなグロテスクな姿へと変貌していく。


世界の(ワールド・)再定義(リコンストラクション)


メビウスの力は、管理者やマキナとは根本的に違った。彼は、世界を破壊するのでもバグらせるのでもない。世界の物理法則や、存在定義そのものを自らの意のままに「書き換えて」いるのだ。まるでゲームの設定ファイルを直接いじるように。


「な……なんだこれは!?」

「街が……街が生きている!?」


兵士たちがパニックに陥る。変貌した建物から肉の触手が伸び、兵士たちを捕らえ、その体へと吸収していく。


『素晴らしい!絶望に染まった魂はなんて美しい音色を奏でるんだろう!』

メビウスは、恍惚とした表情でその地獄絵図を観察している。


「やめろ!」


リアが飛び出した。彼女の短剣が理を砕き、変貌した建物の一部を元の石材へと戻す。だが、それは焼け石に水だった。修復する速度よりも、メビウスが世界を汚染していく速度の方が圧倒的に速い。


『ほう、君がこの時代の『調停者』か。なるほど、システムの自浄作用というわけだね。だがその力、あまりにも非力だ。君の仕事はバグを直すこと。だが、私はルールそのものを変更している。前提が違うのだよ』


メビウスは、リアをあしらうように機械のアームを伸ばす。アームの先端についた巨大な注射器が、リアに突き刺されようとしたその時。


『――させるか!』


ゼノンのゴーストが、再び俺の体の主導権を握った。彼は俺の体を操り、リアを庇うようにメビウスのアームの前に立ちはだかる。


「ゼノン!?」

『黙って見ていろレクス!こいつは俺の理論で倒せる相手じゃない!だが、俺たちプレイヤーにはこういう規格外の隠しボスに対する『最終手段』がある!』


ゼノンは、俺の腕を操り天に掲げた。そして叫ぶ。

『――システムコール!プロトコル『ラグナロク』を強制実行!』


システムコール。

それは、プレイヤーがゲームの運営者に対して、直接コマンドを要求する裏技中の裏技。そして『ラグナロク』とはこのシミュレーション世界が万一制御不能に陥った場合に発動されるよう設定された、最後の自爆プログラム。世界そのものを道連れに、不正な存在を消去するという最終安全装置だった。


ゼノンは、メビウスを倒すために世界ごと自爆することを選んだのだ。


「まてゼノン!そんなことをしたら!」

俺は、必死に抵抗する。だが彼の覚悟は固かった。


『これが最も合理的な選択だ。多少の犠牲は仕方ない。新しいゲームはまた最初から始めればいい』


空が赤く染まり、大地が震える。世界の終わりを告げる、終末のプログラムが起動し始めた。

それは同時に、この世界はどこまでいっても所詮“ゲーム”であることを意味していた。


『……ラグナロクだと?ははは面白い!面白いじゃないか!私という存在を消すために、世界そのものを破壊するかい!最高だ!その発想こそ、私が求めていた生命の輝きだよ!』


メビウスは、世界の終わりを前にしても全く動じず、むしろ歓喜の声を上げる。彼の狂気は、ゼノンの合理主義さえも凌駕していた。


だが、その時。

「――それはさせない」


静かで、しかし、強い意志を持った声が響いた。

声の主はアレンだった。彼は、虹色のオーラを纏ったまま静かにメビウスと、そして、俺の前に立つ。


「世界を終わらせるのも、作り変えるのも、俺はどっちもごめんだ。この不完全で、面倒で、どうしようもない世界を、俺は守りたい。そこに生きる人々と一緒に、明日を生きたいんだ」


アレンは聖剣を構える。その切っ先は、メビウスだけでなく世界の自爆を目論む俺にも向けられていた。


「だから二人ともまとめて俺が止める。神の狂気も、プレイヤーの傲慢も、俺のこの剣で断ち切ってみせる!」


アレンの魂が、かつてないほどに輝きを放つ。それは、ガレスから受け継いだ不屈の魂。レオナルドの王としての覚悟。イゾルデの知性。仲間たちのすべての想い。そしてゼノンという存在と向き合い、乗り越えた彼の成長の証。


その輝きは、ラグナロクの赤い光さえも圧倒し始めた。


『……なんだ……?この輝きは……?私の計算にない……。主人公のパラメータが……指数関数的に……上昇している……?バグか?いや違う……これは……!』


ゼノンのゴーストが、初めて理解不能な現象を前に動揺する。

それは、効率主義では決して説明できないもの。

物語の主人公だけが、最後に起こせる奇跡。

「心の力」という最大のイレギュラー。


アレンの全身から放たれる黄金の光が、ラグナロクの赤い光を押し返し、メビウスの汚染を浄化していく。

彼は、もはやただの勇者ではない。

この世界の「希望」という概念そのものと化していた。この世界においての希望が潰えた故、勇者アレンが復活したのだろう。


英雄の創世(ヒーローズジェネシス)


「さあ決着をつけよう。この世界の運命は、神でもプレイヤーでもない。俺たち人間が決める!」


アレンの宣戦布告が響き渡る。

狂科学の神、メビウス。

世界の破壊を目論むプレイヤー、ゼノン。

そして、世界の希望となった勇者アレン。


三つの意志が、今、最後の戦場で激突する。

それは、世界の終わりを賭けた戦いであり、同時に新しい世界の始まりを告げる産声でもあった。

物語は、誰も予測できなかった局面へと突入する。

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