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第三十六話:束の間の平穏と覚醒の兆し

リアのアジトでの目覚め。それは、俺にとって生まれて初めて、自分の意志で迎える朝のような感覚だった。頭の中に響いていたゼノンの冷たい声はない。手足が勝手に動く恐怖もない。ただ俺、レクスとしての意識だけがそこにあった。


「……気分はどう?」


ベッドの脇で、リアが簡素なスープを差し出してくれた。彼女の隠れ家は、王都の裏通りにある寂れた教会の地下聖堂を改造したものだった。壁には古い星図や、解読不能な魔術紋様が描かれたタペストリーがかけられ、彼女がただの冒険者ではないことを物語っている。


「……ああ。体がこんなに軽いのは初めてだ」

俺は正直な感想を述べた。ゼノンのゴーストは、俺の体を最適化していた。それは、強大な力を与えてくれたが、同時に、常に魂に重い枷をはめられているような息苦しさがあったのだ。


「あなたの魂に寄生していたゴースト。あれは一時的に追い出されただけよ。あなたの魂が暴走した時のエネルギーは、彼の精神体にも大きなダメージを与えた。でも、彼はまた必ずあなたの魂に戻ろうとするはず。彼は、あなたを最高の『器』だと思っているから」


リアは、スープを啜りながら淡々と告げる。彼女は、俺の魂の暴走ソウル・スタンピードのことも、ゼノンのゴーストの存在も、すべて見抜いていた。


「あんたは一体何者なんだ?調停者って言ってたけど……」

「言った通りよ。この世界をあるべき姿に戻すのが私の役目。そのために神々が遺した『隠しプロトコル』に従って行動しているだけ」


隠しプロトコル。

彼女の口から出る言葉は、俺の知らない概念ばかりだった。


「この世界は、元々壮大なシミュレーションゲームだった。そして、あなたを操っていたゼノンというゴーストは、その元凶であるRTAプレイヤー。彼は、効率を求めるあまり、この世界に無数のバグという傷跡を残した。そして、その最大のバグが混沌の化身マキナだった」


リアは、俺が断片的にしか知らなかった世界の真実を語り始めた。彼女の情報源は、神話の時代から調停者の一族に受け継がれてきた、世界のシステムログのようなものらしい。


「百年前、勇者アレンと守護者ゼノンは、神々の王プライマスを倒し、世界を解放した。でも、それは物語の表面上のエンディング。ゼノンが遺したバグの根本的な解決にはなっていなかった。だから、システムは、自衛のために私たち調停者を生み出したの。バグを検知し、それを修正するデバッガーとしてね」


彼女の瞳は、まっすぐに俺を見据える。

「そしてレクス。あなたは、その中でも最も重要なキーパーソン。勇者アレンの魂を受け継ぐ者であると同時に、最悪のバグの発生源である、ゼノンのゴーストに寄生されている存在。あなたの魂の動向一つで、この世界は救われもするし、滅びもする」


俺は、自分の背負った運命の重さに言葉を失った。ただの村人だったはずの俺が、世界の存亡を左右する存在だなんて。


「……俺は……どうすればいいんだ……」

「強くなることよ」

と、リアは即答した。

「ゼノンのゴーストに二度と支配されないくらいに、あなた自身の魂を強くするの。勇者アレンの魂は、あなたの奥深くで眠っているだけ。それを完全に目覚めさせ、あなた自身の力として使いこなせるようになること。それができれば、あなたはゼノンの支配を完全に断ち切れるはず」


「俺自身の力……」

「そう。そのための手伝いはするわ。それが、私の任務でもあるから」


こうして、俺とリアの奇妙な共同生活と、訓練の日々が始まった。

リアは、俺に戦闘技術の基礎から叩き込んだ。ゼノンが俺にインストールした、RTA用の最適化戦闘は確かに強い。だが、それは状況が限定された上での話だ。予測不能な事態や、相手の感情といった「非合理な変数」に対応できないという、致命的な弱点があった。


リアの戦闘スタイルは、その逆だった。

《オール・ポッシブル》

彼女は、それをそう呼んだ。定まった型はない。その場の状況相手の動き、風の流れ。そのすべてを感じ取り、最も効果的な一手を即興で編み出す。それは、まるで流れる水のような剣技だった。


俺は、リアとの模擬戦を通じて、ゼノンの動きをトレースするだけの機械から、自分の頭で考え、戦う本物の戦士へと生まれ変わりつつあった。


同時に、俺は彼女からこの世界の「理」についても学んだ。

魔術の詠唱が、なぜ特定の言葉でなければならないのか。それは、世界の根幹プログラムに設定された「コマンド」だから。

モンスターが、なぜ特定のアイテムをドロップするのか。それは、彼らが倒された際に設定された「報酬テーブル」に従ってデータを放出しているから。


この世界のすべては、ゲームのシステムに基づいていた。そのことを理解することで、俺はゼノンがなぜあれほど効率的に戦えたのかを理論的に理解できるようになった。そして、それに対抗するための方法も見え始めてきた。


そんな穏やかで充実した日々が数週間続いた、ある日のこと。

異変は、再び唐突に訪れた。


王都の空が突如として暗転し、巨大な魔法陣が浮かび上がった。そして、その魔法陣から一体の怪物が召喚された。

その姿は、百足のようでありながらその体は黒い水晶で構成され、無数の瞳からは、絶望を振りまく負のエネルギーが放たれていた。


「なんだあれは……!?三大魔獣よりも邪悪な気配……!」

俺とリアは教会の屋根からその光景を見て戦慄した。


すぐにレオナルド王が率いる王国軍が出撃する。だが、彼らの攻撃は黒水晶の百足には全く通用しない。それどころか、攻撃のエネルギーを吸収しさらに巨大化していく。


「まずいわ……あれはただのバグじゃない。マキナの混沌の残滓が、アルフレッドの錬金術の知識と融合して生まれた最悪の突然変異体よ。あれは『概念』を喰らう怪物だわ」


概念を喰らう。リアの言葉の意味が、俺には理解できなかった。


怪物は、王都の防衛システムである魔法障壁をいとも容易く喰らい尽くし、王宮へと進撃を始める。その進路上にあった建物や人々は存在そのものが「消去」されていく。


「止めなきゃ……!」


俺とリアは、顔を見合わせ頷くと同時に戦場へと駆け出した。

俺たちが現場に到着すると、そこはすでに地獄絵図だった。レオナルド四世やデューク(の子孫にあたる人物)たちが奮戦しているが決定打を与えられずにいる。


「レクス君!リア殿!」

レオナルドが俺たちの姿を見て希望の声を上げる。


「あれの弱点はどこだ!?」

俺が叫ぶ。

「分からない!物理も魔術も効かない!奴には実体がないのかもしれない!」


その時、俺の頭の中にあの声が響いた。

『……久しいなレクス。少しはマシな顔つきになったじゃないか』

ゼノンのゴースト。俺の魂の暴走以来、沈黙していた彼が再び接触してきたのだ。


「ゼノン!?」

『騒ぐな。今は一時休戦だ。あの化け物は、俺にとっても想定外のバグだ。あれを放置すれば俺の計画も台無しになる。一時的に君に協力してやる』


彼の声は相変わらず冷たい。だがその言葉には嘘はないようだった。


『あの怪物の名は《万象喰らい(オール・デリーター)》。奴は、物質やエネルギーではない。存在を定義する『情報』そのものを喰らう。奴を倒すには、奴の核となっている概念を破壊するしかない』

「概念を破壊する……?そんなことどうやって……」


『君に眠る勇者の力。その本質は『聖別』だ。あらゆる事象からその本来あるべき『聖なる意味』だけを切り出し、顕現させる力。その力を使えば、万象喰らいの核となっている『無に還る』という負の概念を打ち消す『存在する』という正の概念を叩き込むことができるはずだ』


ゼノンの解説は、的確だった。だが、今の俺にそこまでの力が……。


『案ずるな。俺が補助する。俺の観測者としての力で奴の概念の核の座標を特定する。君は、その一点だけを狙え。ただし、チャンスは一度きりだ。今の君の魂ではこの一撃が限界だろう』


俺は迷った。再び彼の力を借りるのか。だが、迷っている時間はなかった。万象喰らいの破壊は王宮の中枢へと迫っていた。


「……分かった。信じるぞゼノン」


俺は、覚悟を決めた。リアも俺の決意を察し頷く。

「援護は任せて。あなたが力を溜めるまでの時間は私が稼ぐ!」


リアは二本の短剣を構え、万象喰らいへと突撃した。彼女は怪物を攻撃するのではない。その周囲の空間の理を《理の崩壊》で次々と破壊していく。その結果、万象喰らいの動きは鈍り、その進撃をわずかに食い止めることに成功した。


俺は、その隙に精神を集中させる。頭の中にゼノンの声が響き、膨大な情報が流れ込んでくる。

『……敵の概念核を発見。座標を君の魂にダイレクトリンクする。誤差修正……完了。いけるぞレクス!』


俺の魂の奥底で眠っていた、勇者の力が完全に覚醒する。

ガレスの魂が、俺に不屈の力を。

そして俺自身の魂が、ゼノンへの抵抗ではなく彼との「共鳴」を選択する。


俺の体から黄金と蒼、そしてゼノンの魂の欠片である星屑の光が融合した、虹色のオーラが立ち上った。


聖魂解放・(ホーリーソウル・)(レインボー)


俺は、聖剣を天に掲げる。その剣先にこの世界のすべての「存在する」という肯定の概念が収束していく。

人々の笑顔、仲間との絆美しい風景。そのすべてが光のエネルギーとなって俺の剣に宿る。


「喰らえ!これが俺たちの世界の『答え』だ!」


俺は、虹色の光の奔流となった剣を万象喰らいの概念核――ゼノンが示した一点――に向かって放った。


存在証明(イグジスタンス・ゼロ)


それは、もはや剣技ではない。

世界そのものの「生きたい」という意志の力だった。


虹色の光が、万象喰らいの黒い体を貫く。

断末魔の叫びと共に、怪物はその存在を維持できなくなり、情報がほどけるようにして霧散していった。


後に残されたのは、静寂と、そして、力を使い果たし膝をつく俺の姿だった。


「……やった……のか……」


だが、勝利を喜んだのも束の間。

俺は気づいてしまった。


万象喰らいが消滅したその空間の中心に、小さな黒い「歪み」が残っていることに。

それはマキナの混沌でもなく、バグでもない。

もっと異質で古い……神話の時代の……


『……まずいな』

ゼノンの声が焦りを帯びる。

『レクス。君が使った力はあまりに強すぎた。世界の理を大きく揺さぶってしまった。その結果……』


黒い歪みがゆっくりと広がり始める。

そして、その歪みの奥から声が聞こえてきた。


『……ようやく……目覚めの時が……来たか……』


その声は、老人のようでありながら底知れぬ邪悪さを感じさせた。

それは、光の神でも、闇の神でもない。

神話の時代に、二大神によって封印されたはずの第三の神。

あらゆる生命を弄び、自らの実験材料とすることを喜びとした、最悪の「狂科学の神」の声だった。


俺の魂の暴走と、今回の世界の理の書き換え。

それが、何重もの封印を破壊し、最悪の存在を現代に呼び覚ましてしまったのだ。


RTAプレイヤーであるゼノンの計算さえも超えた、最悪の隠しボス。

世界の本当の危機は、今、まさに始まろうとしていた。

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