第三十五話:調停者の追跡と隠されたプロトコル
調停者を名乗る少女リアとの邂逅。それは、俺とゼノンの、ゴーストとの奇妙な共生関係に、新たな波紋を投げかけた。俺の中に、ゼノンへの抵抗の意志が、まだ、かろうじて残っていること。そして、俺たちの存在を、外部から観測し、干渉しようとする、第三者が現れたこと。
『面白い拾い物をしたな、レクス』
王都の雑踏を歩きながら、ゼノンの声が頭の中に響く。彼は、リアとの戦闘データを、満足げに反芻していた。
『あの少女、リアといったか。彼女の戦闘技術は、この大陸の、どの流派にも属していない。恐らく、管理者たちが遺した、戦闘シミュレーターか何かで訓練を積んだ、特殊な個体だろう。彼女もまた、この世界の「バグ」を修正するためにシステムが生み出した、一種のアンチウイルスプログラムなのかもしれないな』
ゼノンの分析は、常に冷静で的確だ。だが、その言葉には、生命に対する温かみが一切ない。彼にとって、リアも俺も、ただの興味深いプログラムか、駒でしかないのだ。
「……彼女を、どうするつもりだ?」
俺は、心の中で問いかける。
『どうもしないさ。今のところはな。だが、彼女が俺の計画の邪魔をするというのなら、その時は容赦なく排除する。君がまた、おかしな感傷を起こさないように、今度はもっと、確実な方法でな』
その冷たい脅迫に、俺は、何も言い返せなかった。
俺はゼノンの指示通り、冒険者ギルドで、次のクエストを受けていた。それは、王都の富裕層を狙った、連続失踪事件の調査。表向きは普通の調査クエストだ。だが、ゼノンの真の目的は別にある。
『この事件の犯人は、マキナの混沌のウイルスの亜種に感染した元・魔術師だ。その魔術師が、アジトにしている古い屋敷には、アルフレッドが遺した、古代の転送装置の試作品が隠されている。それを手に入れる』
転送装置。それを使えば、大陸のどこへでも、瞬時に移動できるという。それは、今後の彼の世界改造計画において、重要な足掛かりとなるアイテムだった。
俺たちは、事件現場である貴族街へと向かった。
街は華やかだが、どこか不穏な空気に包まれている。失踪事件の噂で、人々は、疑心暗鬼になっていた。
俺たちが調査を進めていると、俺は視線を感じた。
路地の屋根の上。そこに、一瞬、見覚えのある軽装の少女の姿が見えた気がした。
リアだ。彼女は、俺たちを追跡している。
『……気づいたか。さすがは勇者の魂、といったところか。彼女の索敵能力も、なかなか厄介だな』
ゼノンは、全く動じていない。
『まあ、いい。今は泳がせておけ。彼女が、どんな動きをするか、それもまた、貴重なデータとなる』
俺たちは、犯人のアジトである街外れの古い屋敷にたどり着いた。
屋敷の内部は、異様な空気が漂っていた。壁や床には、幾何学的な魔術紋様がびっしりと描かれ、それが、不気味な紫色の光を放っている。そして、屋敷のあちこちには、失踪した貴族たちが、まるで蝋人形のように固まったまま立たされていた。彼らは生きている。だが、その魂は完全に抜き取られ、空っぽの器と化していた。
「……ひどい……」
俺は、その光景に言葉を失う。
『魂をエネルギー源として空間を歪める、大規模な魔術儀式か。なるほど、犯人はこの屋敷ごと別の次元へ、逃亡するつもりらしい』
ゼノンは、冷静に状況を分析する。
屋敷の最深部。巨大なホールで、儀式の中心人物である犯人が待っていた。
かつては高名な宮廷魔術師だったというその男は、マキナのウイルスに侵され、もはや、人の形を留めていなかった。その体は、無数の魔術回路と肉体が、醜悪に融合した、異形の怪物と化していた。
「来たか……。新たな、魂よ……。我が神聖なる儀式の最後の生贄となれ……」
怪物――魔術師が、その無数の腕を俺に向かって伸ばしてきた。
腕の先から、魂を直接引きずり出す、紫色の鎖が放たれる。
俺は、ゼノンの支配下で、それを冷静に回避する。
だが、その時、俺は見てしまった。
怪物の、胸の中心に埋め込まれている、一つの輝くペンダントを。
それは、失踪した貴族の一人、若い令嬢が身につけていたものだった。魔術師は、彼女の純粋な魂を儀式のコアとして利用していたのだ。
その令嬢の苦悶の表情が、俺の脳裏に焼き付いて離れない。
(……助けなきゃ……!)
俺の心の叫びが、再び奇跡を起こした。
ほんの一瞬だけ、俺は体の主導権を取り戻す。
そして、俺はゼノンの計算とは、全く違う行動をとった。
俺は、怪物本体への攻撃をやめ、その胸にあるペンダントを破壊するためだけに、剣を振るったのだ。
『レクス! 何を!? それは非効率だ! 最適解は、本体の魔力炉を直接、破壊することだ!』
ゼノンの怒りの声が響く。
だが、俺は構わなかった。俺の剣が、ペンダントを砕いた瞬間、令嬢の魂は解放され、彼女の肉体へと戻っていった。
だが、その代償は大きかった。
俺は、完全にがら空きになり、怪物の紫の鎖が俺の体を捕らえた。
「ぐ……あああああっ!」
魂が体から引きずり出される、激痛。
俺の意識が遠のいていく。
『……愚かな。この感傷的な、バグが……!』
ゼノンが舌打ちした、その時。
天井のステンドグラスを突き破り、一人の少女が舞い降りてきた。
リアだった。
「――遅かったじゃない」
彼女は、二本の短剣を逆手に持ち、紫の鎖を次々と断ち切っていく。彼女の短剣には、魔術的な効果を無効化する、特殊な力が宿っているようだった。
《理の崩壊》
リアのその技は、この世界の法則そのものに干渉し、一時的にその効果を「無」にする力。それは、ゼノンのバグ技とはまた違う、世界の「正規の」デバッグ機能――いわば、「隠しプロトコル」とでも言うべき、力だった。
「あなたは、下がってて!」
リアは、俺を庇い、一人で怪物と対峙する。
彼女の戦闘スタイルは、ゼノンとは全く違った。
効率や、計算ではない。
その場の状況、敵の感情、空気の流れ。そのすべてを肌で感じ取り、即興で最適な答えを導き出す、天才的な戦闘センス。
彼女の動きは、まるで、美しい舞踊のようだった。
怪物の猛攻を紙一重でかわし、その隙を的確に突いていく。
『……なるほど。彼女の戦闘アルゴリズムは『直感』と『適応』か。面白い。私の計算的戦闘とは、対極にある。だが……!』
ゼノンの声に、初めて焦りの色が浮かんだ。
『……このままでは彼女が勝ってしまう。それでは、俺の計画が……!』
ゼノンは、俺の意識が朦朧としている隙を突き、再び、俺の体の支配権を完全に奪い返した。
そして、彼は最悪の行動に出た。
俺の体を操り、リアと怪物が戦っている、そのど真ん中に割り込み、二人まとめて攻撃を仕掛けたのだ。
「なっ……!?」
リアは、その裏切りに驚愕する。
俺の剣が、彼女の背中を無防備に襲う。
その瞬間、俺の心の奥底で、何かが爆発した。
これ以上、こいつの好きにはさせない。
これ以上、俺の体で誰も傷つけさせない。
俺の魂が、最後の抵抗を試みる。
勇者アレンの魂の、転生者としての潜在能力が、ゼノンの支配に抗い、暴走を始めたのだ。
俺の体から、黄金のオーラと、黒いオーラが、同時に噴き出した。
それは、アレンの聖なる力と、俺が無意識に溜め込んでいたゼノンへの憎悪や、絶望といった、負の感情が融合して生まれた、制御不能な力だった。
《魂の暴走》
「ぐ……おおおおおおおおっ!!」
俺の絶叫と共に暴走したエネルギーが、ホール全体を飲み込んだ。
怪物の魔術師も、リアも、そして、俺自身も、その爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされた。
俺の意識は、そこで途絶えた。
……次に気がついた時、俺は、どこかのベッドの上に寝かされていた。
見知らぬ天井。消毒液の匂い。
隣には、腕を吊ったリアが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「……気が、ついた? よかった……」
「……ここは……? あの、怪物は……?」
「怪物は、あなたの、あの暴走で消滅したわ。ここは、私のアジトよ。あなたをここまで運んできたの」
俺は、自分の体が動くことを確認した。
頭の中に響いていた、あの冷たい声は聞こえない。
「……ゼノンは……?」
「……分からない。あなたの、あの暴走の衝撃で、あなたの中から追い出されたのか、あるいは、また深く潜ってしまったのか……。でも、今はいなくなったみたい」
俺は、一時的に解放されたのだ。
俺は、リアに助けられた。
「……なぜ、俺を助けた? 俺は、あんたを背後から……」
「……言ったでしょ。私は、調停者だって。あなたを操っていた『ゴースト』は許さない。でも、あなた自身は違う。あなたの魂は苦しんでいた。それだけは分かったから」
リアは、そう言うと、少し寂しそうに笑った。
彼女は一体、何者なんだろう。
俺たちの奇妙な共闘、あるいは敵対関係は、こうして新たな局面を迎えた。
俺は、初めてゼノンの支配から逃れるための協力者を得た。
だが、俺たちはまだ知らない。
俺の魂の暴走が、この世界に新たな、そして、より深刻な「バグ」を生み出してしまったことを。
そして、そのバグが眠っていたはずの、百年前のある邪悪な存在を呼び覚ましてしまうきっかけになったということを。
物語の歯車は、また一つ、大きく軋みを立てて回り始めた。