第三十二話:主人公とプレイヤーの最終対決
玉座の間。そこは、世界の調律を行う聖域であると同時に、今や、二人の英雄の最後の決闘場と化していた。一人は世界の全てを救うため、不完全な現実の初期化を決断したRTAプレイヤーとしての俺。もう一人は、その非情な論理に「心」の力で抗おうとする、物語の主人公、勇者アレン。
『無駄だアレン。君の行動は、すべて予測計算済みだ。君が繰り出す剣技、そのパターンは342通り。そのすべてに対応する、カウンタープログラムはすでに構築されている』
俺の体を支配するプレイヤーが、感情のない声で告げる。その白金色の瞳は、アレンを生き物としてではなく、解析すべきデータオブジェクトとして捉えていた。彼は、白金の光の剣《終焉の最適解》を構える。その構えは、どんな攻撃にも即座に最適解を返せるよう、設計された完璧な戦闘アルゴリズムの体現だった。
「やってみなくちゃ分からないだろ!」
アレンは叫び、大地を蹴った。彼の動きは、ヒノモトで学んだ気の流れと勇者の神速が融合し、もはや目で追うことはできない。彼は、瞬時に俺の懐へと潜り込み、仲間たちの想いを乗せた黄金の聖剣を繰り出した。
《絆の連撃》
それは、ガレスの重さ、カエデの速さ、ゲンジの鋭さ、そのすべてを体現したような怒涛の連続攻撃。だが、プレイヤーの俺は、それを完璧に見切っていた。
『予測通り。パターン27。カウンターを実行する』
俺の白金の剣が、アレンの連撃の僅かな隙間を縫うようにして、正確無比な軌道を描く。カキンカキンと甲高い金属音が響き渡り、アレンの攻撃はすべていなされ、弾かれ、受け流される。まるで、精密機械と生身の人間が戦っているかのようだった。アレンの熱い感情の剣は、俺の冷たい論理の壁に阻まれ、全く届かない。
「くっ……!」
アレンは、一旦距離を取る。彼の額には、汗が滲んでいた。尋常ではない。目の前の男は、かつて自分が知るゼノンとは全くの別物。その剣には、迷いもなければ感情もない。ただ純粋に、相手を「処理」するためだけの、冷たい殺意だけが宿っていた。
『次の攻撃に移りたまえ。君に残された攻撃パターンはあと、341通りだ』
俺は、アレンを挑発する。だが、それは感情的なものではない。相手を焦らせ、ミスを誘うという極めて合理的な戦術だった。
「まだだ!俺の剣は仲間たちの想いだけじゃない!この世界で生きてきた人々の願いも背負ってるんだ!」
アレンは、再び聖剣に力を込める。今度は、ヴァーミリオンの民、レオナルドの正義、イゾルデの覚悟、デュークの忠誠。彼が出会ってきたすべての善意の光が、黄金のオーラとなって彼の剣に集束していく。
《万民の祈り》
聖剣から放たれたのは、純粋な破壊力を持つ光の奔流。それは、玉座の間全体を飲み込み、あらゆる悪を浄化するかのようだった。
『……ふむ。予測外のエネルギー量だ。だが、本質は変わらない』
プレイヤーの俺は、その光の奔流に対し、剣を振るうことはしなかった。ただ、静かに左手をかざす。そして、玉座の間に満ちる世界の歪み――バグのエネルギーを、その左手に吸収し凝縮させた。
《バグ・イーター》
俺の左手から放たれたのは、光ではない。あらゆる法則を捻じ曲げ、無に還す「エラー」そのものだった。光とエラーが衝突し、凄まじいエネルギーの拮抗を生む。玉座の間が崩壊しかねないほどの衝撃に耐えきれず、アレンは吹き飛ばされた。
「ぐはっ……!」
アレンの体はボロボロだった。どんなに強い想いを込めようとも、どんなに奇跡的な力を発現させようとも、目の前の「神」のような存在には届かない。彼の心に、初めて絶対的な敗北の予感がよぎった。
『理解したかね、勇者アレン。君の「心」や「想い」といった不確定要素は私の「論理」と「計算」の前では無力だ。それが、この世界の真実だ』
俺は、倒れたアレンにゆっくりと歩み寄り、その喉元に白金の剣を突きつけた。
『これで終わりだ。君の魂は、新しい世界の礎として、有効活用させてもらおう』
アレンは目を閉じた。死を覚悟したのだ。
だが、その時、彼の脳裏に懐かしい声が響いた。
――諦めるなアレン。
それは、ガレスの声だった。継承した魂が、彼に語りかける。
――お前は一人じゃない。俺たちがついてる。
そして……
――そうだ。俺の力を使え。俺の憎しみも、怒りも、すべてお前の力に変えろ。
声の主は、意外な人物だった。それは、俺の魂の奥底に眠っていた、守護者ゼノンとしての意識の最後の欠片。俺は、プレイヤーとしての自分を倒すため、残された最後の力をアレンに託そうとしていた。
「……ゼノン……?」
アレンの閉じた瞼から一筋の涙がこぼれる。彼は、理解した。目の前の怪物を倒すことが、ゼノンという一人の苦悩する魂を救う、唯一の道なのだと。
アレンは、再び目を開いた。その瞳には、もはや迷いはなかった。そこにあったのは、すべてを受け入れ、それでもなお前に進もうとする、英雄の覚悟だった。
「……分かったよゼノン。あんたの想い、確かに受け取った」
アレンの体が静かな光に包まれる。それは、黄金の聖なる光ではない。ガレスの不屈の魂、そして俺の星辰の力が融合して生まれた、全く新しい蒼い炎のようなオーラだった。
「これが俺の最後の剣だ。ゼノン」
アレンは、聖剣を構え直す。その構えは、彼が今まで見せたことのないものだった。ヒノモトの剣術でもなく、王家の剣術でもない。ただ、目の前の敵を倒すためだけに最適化された究極の構え。
『……なんだその構えは。私のデータにない……!』
プレイヤーの俺が初めて狼狽する。アレンの存在そのものが、俺の計算を超えた未知の変数へと変貌していた。
アレンが放った最後の技。それは、もはや技名などという矮小なものではなかった。
それはただ純粋な一閃。
彼のこれまでの人生、出会った人々、喜び、悲しみ、そのすべてを込めた一撃。
そして、俺の孤独な戦いで犯したその罪と罰、そのすべてを断ち切るための一撃だった。
その剣は、速さを超え、理を超え、俺の完璧なカウンタープログラムの思考の隙間を突き抜けてきた。
それは、もはや「攻撃」ではない。
壊れたプログラムを修正するための、たった一本の「問い」だった。
『お前は本当にそれでいいのか』と。
俺の白金の剣が砕け散る。
そして、アレンの蒼い炎の剣が俺の胸を貫いた。
だが、その剣は俺の肉体を破壊しなかった。
その剣は、俺の魂の中に巣食っていたRTAプレイヤーとしての人格そのものを貫き、その冷たい論理の呪縛から、俺の魂を解放したのだ。
「ぐ……ああああああ……」
俺の左の瞳から白金色の光が消え、再び穏やかな星空の色が戻ってきた。俺の魂を支配していた冷たい声が遠のいていく。
『……馬鹿な……。この私が……。非合理な……感情に……負けるとは……。このゲームの……エンディングは……一体……』
プレイヤーとしての俺の意識は、最後にそんな言葉を残して完全に消滅した。
俺の体は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
アレンが慌てて俺を抱きかかえる。
「……ゼノン!しっかりしろ!」
「……アア……。アレン……か……」
俺の視界はぼやけていた。だが、俺を見下ろすアレンの顔が、安堵と悲しみに濡れているのだけは分かった。
「……俺は……また……お前に……救われたな……」
「当たり前だろ!俺は勇者で……あんたは……あんたは俺の……」
アレンは、言葉を詰まらせた。仇なのか、恩人なのか、仲間なのか。どんな言葉も当てはまらない。俺たちの関係は、それほど複雑に捻じれていた。
「……もう……いいんだ……アレン……」
俺は、彼の頬にそっと手を伸ばした。
「俺の……罪は……俺自身で……清算する……」
俺は、最後の力を振り絞り、玉座に宿る世界の制御権限を掌握した。そして、この世界に刻みつけられた最後の、そして、最大のバグ――俺自身という存在のデータを完全に消去するコマンドを実行した。
《自己抹消》
「ゼノン!?やめろ!」
アレンの絶叫も虚しく、俺の体は、足元から光の粒子となってゆっくりと消え始めた。
「……レオナルドに……伝えてくれ……。最高の……弟だったと……」
「イゾルデに……。最後まで……仕えてくれて……感謝していると……」
「そして……アレン……」
俺は、最後に、彼に笑いかけた。
それは、悪役でも、守護者でも、プレイヤーでもない。
ただの一人の人間としてのゼノンの、最後の笑顔だった。
「……お前の……物語が……最高の……ハッピーエンドを……迎えられるように……。俺は……最後の……観客として……見守っている……」
その言葉を最後に、俺の体は、完全に光となり、玉座の間に吸収されるようにして消滅した。
後に残されたのは、静寂と、そして呆然と立ち尽くす一人の勇者だけだった。
俺という最大のバグが消えたことで、世界の歪みは完全に修復された。
だが、そのために支払われた代償は、あまりにも大きかった。
アレンは、救った世界の広さと、失った存在の大きさとの間で、ただ、声を上げて泣くことしかできなかった。
彼の英雄譚は、世界を救い、ハッピーエンドを迎えた……?
だがその物語の最後のページに孤独な道化の名前が記されることは永遠になかった。