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第三十一話:空っぽの玉座と最後のプレイヤー

マキナが消滅し、世界に束の間の平穏が訪れた。神の樹『春秋の天秤』は、正常な機能を取り戻し、世界中に張り巡らされた星脈から、混沌のウイルスは浄化されていった。各地で頻発していた、不可解なバグ現象も、嘘のように収束し、人々は、今度こそ本当の平和が来たと歓喜に沸いた。


アレンとレオナルドは、世界を救った二人の英雄として、ヴァーミリオン王宮に凱旋した。彼らを迎えたのは、民衆からの熱狂的な喝采と、そして宰相イゾルデや騎士団長デュークといった、仲間たちの温かい笑顔だった。


だが、その輪の中に、俺、ゼノンの姿はなかった。

マキナとの戦いで、魂の大部分を失った俺は、神の樹のコアでアレンたちと別れた後、忽然と姿を消したのだ。誰も、俺の行方を知らなかった。人々は、彼もまた、マキナと共に消滅したのだと噂した。歴史の記録から、俺という悪役王子の名は、静かに抹消され、世界を救ったのは、勇者アレンと賢王レオナルドであると、語り継がれていくはずだった。


俺は、それでいいと思っていた。

それが、俺というバグがこの世界にできる、唯一の贖罪だと考えていたからだ。


俺は、人知れず、かつて俺自身が作り出した隠れ家、王宮の時計塔の最上階で静かに息を潜めていた。俺の体は、もはや限界だった。星辰の力は完全に枯渇し、魂は風前の灯火。ただ、この世界の行く末を静かに見守り、そして消えていくだけの存在。それが俺に許された唯一の結末のはずだった。


だが、俺の魂の中に巣食うもう一人の「俺」――転生前のRTAプレイヤーとしての冷徹な人格は、それを許さなかった。この世界を「アストラル・サーガ」という、一つのゲームとしか思っていない。実際、ゲーマーはゲーム内の世界では、自由に動き回るだろう。


『無駄だゼノン。お前が感傷に浸ろうとも、この世界の根本的な問題は、何も解決していない』


俺の精神世界で、冷徹な声が響く。声の主は、俺と全く同じ姿をしていた。だが、その瞳は感情のないガラス玉のように冷たい。


『この世界は、バグだらけだ。俺たちが刻みつけたRTA時のバグの傷跡は、今もこの世界の根幹プログラムを蝕んでいる。マキナという巨大なバグは消えた。だが、小さなバグは無数に残り、いずれはシステムの完全崩壊を招く。欠陥のあるセーブデータの上で、いくら平和を築こうとそれは砂上の楼閣に過ぎない』


RTAプレイヤーの俺が言うことは正しかった。俺も、薄々気づいていた。マキナのウイルスは消えたが、俺が過去に利用したバグ技の影響は、世界の至る所にうっすらと残っている。それは、いつ時限爆弾のように爆発するか分からない、危険な状態だった。


「……だからどうしろと言うんだ」

俺は、力なく問い返す。

『決まっているだろう。このセーブデータは、もう使い物にならない。ならば、やることは一つ。すべてを消去し、完璧な状態で『ニューゲーム』を始めることだ』


世界の初期化。

かつて、管理者たちがやろうとしたことと同じ結論。RTAプレイヤーの思考は、常に合理的で、そして残酷だ。ゲーム内から見ると、管理者もプレイヤーも対して変わらないのかもしれない。


『幸い、プライマスを倒したことで、この世界のアドミン権限は、今やお前の手の中にある。お前にならできる。この、不完全な世界を、完全にフォーマットし、バグの存在しない、完璧な世界を再構築することが』

「……ふざけるな。そんなことをすれば、今、この世界で生きている人々はどうなる。アレンやレオナルド、仲間たちの想いはどうなるんだ」

『そんなものは些細な問題だ。彼らも、新しい世界のNPCとして、完璧な幸福を与えられて、生まれ変わる。悲しみも苦しみもない、理想郷。それこそが真の救済だろう』


俺は、反論できなかった。彼の言うことは一つの「正解」ではあったからだ。だが、俺の心――ゼノンとして生きた魂が、それを拒絶していた。


俺たちは、こんな結末のために、戦ってきたわけじゃない。

非効率で不完全でも、自分たちの手で未来を選ぶ自由。それこそが、俺たちが守りたかったものではなかったのか。


俺の魂の中で、二人の「俺」の戦いが始まった。

守護者ゼノンとRTAプレイヤー。

感情と論理。

その葛藤は、俺の精神をさらに蝕んでいった。


一方、王宮では祝賀ムードとは裏腹に、重い空気が漂っていた。

アレンとレオナルドは、ゼノンが姿を消したことに、言いようのない不安を感じていた。


「やはりおかしい」

アレンは、作戦司令室で世界地図に刻まれた無数のバグ発生の痕跡を、睨みながら呟いた。

「マキナは消えたはずだ。なのに、この傷跡はまるで消えていない。むしろ、静かに広がっているようにさえ見える」


レオナルドも頷く。

「兄上は、何かを知っていたのかもしれない。我々に何も告げずに姿を消したのも、それと関係が……」


その時、イゾルデが息を切らして部屋に飛び込んできた。

「レオナルド王!勇者アレン!見つけましたわ!」

彼女の手には、古びた石板があった。それは、彼女がアークライト家の禁断の書庫から発見した、神話時代の遺物だった。


「これは『世界の魂の天秤』と呼ばれる、古代の観測装置。世界の魂――つまり星脈のバランスを計測するものです。これによれば、今、世界の魂のバランスは極めて不安定な状態にあることが分かります。そして、その歪みの中心は……」


イゾルデが石板の示す一点を指差す。

その場所は、ヴァーミリオン王宮の中心。


「……玉座……?」

レオナルドが呟く。

ヴァーミリオン王国の玉座の間。そこは、単なる王の椅子がある場所ではない。神話の時代に、光の神がこの地に降り立ったとされる、最も神聖な場所であり、世界中の星脈が交わる真の「星のヘソ」だったのだ。


「世界の歪みの中心が、玉座にある……? まさか……」


アレンの脳裏に、最悪の可能性がよぎる。

ゼノン。

彼は消えたのではない。

世界の歪みを、すべて自分一人で引き受けるために、玉座の間で何かをしようとしているのではないか。


アレンとレオナルドは、顔を見合わせると同時に、玉座の間へと駆け出した。


玉座の間。

そこには誰もいなかった。静寂が支配するその部屋の中央に、豪奢な玉座だけが鎮座している。

だが、アレンとレオナルドには見えた。いや感じた。


玉座の上に、半ば透き通った姿で一人の男が座っているのを。

それはゼノンだった。

だが、その瞳はもはや星空の色ではなかった。右の瞳は守護者としての悲しみを湛えた紺色。そして左の瞳は、あの時と同じ、RTAプレイヤーとしての冷徹な無機質な白金色に輝いていた。


彼の魂は、二つに分裂しかけていた。

そして、彼は玉座に座ることで、世界の制御権限を掌握し、そのすべての「バグ」を自らの魂に吸収し、世界が崩壊するのを一身に食い止めていたのだ。


「……来たか、アレン、レオナルド」

ゼノンの唇が動く。だが、その声は二重に聞こえた。温かい守護者の声と、冷たいプレイヤーの声が不協和音となって響く。


「兄上!一体何を!」

「見ての通りだ。この世界の歪みを、俺が引き受けている。だが、それも時間の問題だ。俺の魂が崩壊すれば、この世界のバグはすべて暴走し、世界は終わる」


「そんな……!助ける方法は!?」

アレンが叫ぶ。


その問いに答えたのは、冷たい白金色の瞳を持つプレイヤーの俺だった。

『方法は一つだけある。世界の初期化だ。この不完全なデータを消去し、新しい世界を創造する。それ以外に根本的な解決法はない』


「ふざけるな!そんなことのために俺たちは戦ってきたんじゃない!」

『感傷だな勇者。その非合理な感情が、多くの悲劇を生んできた。君は、まだ分からないのか』


プレイヤーの俺が、右手をかざすと、玉座の間に無数の映像が浮かび上がった。

それは、この世界の様々な「IF」の歴史だった。

もし、俺がRTAなどせず正規のプレイヤーとしてこの世界を救っていたら。

もし、アレンが心の弱さに負けていたら。

もし、ガレスが生き残っていなかったら。


そこには、数え切れないほどのバッドエンドの可能性が映し出されていた。


『この世界は、元々不安定なのだ。我々のようなイレギュラーが存在せずとも、いつかは必ず破綻する運命にあった。私が提案しているのは、その破綻から君たちを永遠に救い出すための、唯一の道だ』


その言葉は、絶対的な説得力を持っていた。

レオナルドは、言葉を失い、アレンさえもその考えが、一つの「正しさ」を持っていることを認めざるを得なかった。


だが。

「それでも俺は嫌だ!」

アレンは叫んだ。

「どんなに苦しくても、悲しくても、俺は、この不完全な世界がいい!仲間たちと笑って、泣いて、飯を食って喧嘩して!そうやって生きていくこの現実がいいんだ!あんたの作る、完璧で退屈な楽園なんかいらない!」


アレンの魂からの叫び。

その言葉は、分裂した俺の魂のうち、守護者ゼノンの魂に強く響いた。

そうだ。それこそが俺が守りたかったものだ。


『……愚かな。最後まで感情論か』

プレイヤーの俺は、失望したように溜息をついた。

『ならば、もはや言葉は不要。君という最後のバグをここで排除し、私の手でこの世界を救済する。バグのないものこそが、至高のゲームとなるのだ』


ゼノンの体を支配したプレイヤーが立ち上がる。その手には白金色の光でできた、冷たい剣が握られていた。それは、あらゆる無駄を削ぎ落としたRTAさながらの最速・最強の剣。


終焉の最適解(オメガソリューション)


「兄上!」

レオナルドが、俺とアレンの間に立ちはだかる。

だが、プレイヤーの俺は、彼を一瞥もせずに言い放った。


『どけ。君はもう、このゲームの登場人物ではない』

その一言と共に放たれた剣圧だけで、レオナルドは吹き飛ばされ、意識を失った。


玉座の間に残されたのは、二人だけ。

この世界の運命を決定づける、最後のプレイヤー。

そしてそのプレイヤーに最後の抵抗を試みる、物語の主人公。


「来いアレン。お前の、その非効率な正義が、俺の完璧な論理に勝てるかどうか試してやる」

「望むところだゼノン!いや世界の理を弄ぶ敵よ!あんたを倒して、俺はあんたを……本当のあんたを必ず取り戻す!」


アレンの聖剣が、黄金の輝きを放つ。ガレスの魂を宿したその輝きは、以前にも増して力強く、そして温かい。


二人の英雄の戦いが今、始まろうとしていた。

それは、世界を救うための戦いでありながら、同時に、一人の男の壊れてしまった魂を救うための、悲しい戦いでもあった。

玉座の間で二つの光が激突する。その結末を観測する者はもはや神々でさえなかった。

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