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第三十話:最後のバグと英雄の選択

「俺ごとやれ」


俺の、魂からの絶叫が浄化された神の樹のコアに響き渡る。マキナの混沌の意識に、半ば乗っ取られた俺の体からは、星辰の紺色のオーラと、混沌の黒い邪気が交互に火花のように迸っていた。その姿は、まるで壊れかけの神。その瞳は、右が星空の色、左が絶望の蒼に染まり、俺という存在が、今まさに二つの巨大な力によって引き裂かれようとしていることを示していた。


「そんなこと……できるわけないだろ!」


アレンが叫ぶ。彼の顔は、苦悩に歪んでいた。憎むべき仇敵。しかし、同時に自らの心の闇を照らし、命を救ってくれた恩人。そして、何より共に神々と戦い、この世界を守ってきた戦友。そんな存在をどうして自分の手で討つことなどできようか。


「アレン殿の言う通りだ!兄上を見殺しになどできるものか!」


レオナルドもまた、聖剣を握りしめながらも、その切っ先を俺に向けることができない。彼にとって俺は、唯一残された血の繋がった家族。過ちを犯した過去はあれど、その根底には常に国と民を想う心があったことを彼はもう知っている。愛する兄を、その手で殺すなど彼の正義が許さなかった。


『ククク……そうだそれでいい!悩め!苦しめ!愛と正義のために、目の前の救世主を殺せない!その甘っちょろい感傷こそが、人間という生き物の限界であり、俺にとっては最高のエンターテイメントだ!』


俺の口を使って、マキナが嘲笑う。彼の意識は、徐々に俺の魂の支配権を奪いつつあった。仲間たちの想いが作り出した光の防壁も、混沌の侵食速度をわずかに遅らせているに過ぎない。


「どうした勇者!英雄!王様!お前たちの綺麗事でこの状況が覆せるのか?このままでは、ゼノンの魂は完全に俺のものとなり、俺はこの世界で最も厄介だった守護者の肉体を手に入れ、完全復活を遂げる!そしてお前たちは、仲間一人救えず、絶望の中で俺が作り変えたバグだらけの世界で、永遠に苦しみ続けるのだ!」


マキナの言葉は、悪魔の囁きのように彼らの心を絶望へと突き落とす。アレンも、レオナルドも、ただ唇を噛みしめることしかできない。


その絶望的な膠着状態を破ったのは、戦場にいる誰でもない、遠くヴァーミリオン王宮に残っていた一人の女性の声だった。


『――いいえ、まだ手はありますわ』


イゾルデの声が、俺が密かに身につけていた通信用の魔道具から響き渡った。彼女は戦いのすべてをリアルタイムで観測し、この最悪の状況を打開するための、ただ一つの可能性を導き出していた。


『ゼノン様の魂とマキナの魂は今融合しかけています。それは極めて危険な状態であると同時に、二つの魂が、最も無防備になっている状態でもあります』

「……何が言いたいイゾルデ」


俺は、かろうじて残った自分の意識で問いかける。


『勇者アレンの聖なる力。それは魂を浄化する力。ですが、それだけではマキナの混沌を完全に消し去ることはできません。ですが、もしそこに全く別の概念の力を加えたら?』

イゾルデは続ける。

『レオナルド王の持つ王家の聖剣。その本質は「断罪」と「分離」。かつて、光の神が闇の神と戦った際に、その二つを世界から切り離し、封印したという伝説の剣。その力を使えば、ゼノン様の魂からマキナの魂だけを綺麗に「切り離す」ことができるかもしれません』


「浄化」と「分離」。

二つの聖剣の力を、同時に叩き込む。それは、まさに神話の再現。だが、成功する保証などどこにもない。失敗すれば、俺の魂もろともマキナの混沌に飲み込まれるか、あるいは完全に消滅するかのどちらかだ。


『しかし、それを行うには二人の剣士の魂が完全に同調し、寸分の狂いもなく、同時に同じ一点を突く必要があります。少しでもタイミングや心がずれれば、力は暴走しすべてが無に帰しますわ』


イゾルデの言葉に、アレンとレオナルドは顔を見合わせた。憎しみの対象であった男と、敬愛する兄。全く異なる感情を抱く二人が、心を一つにすることなど果たして可能なのか。


『時間がないぞ人間ども!俺の魂は、もうすぐこの器と完全に同化する!』


マキナが焦ったように叫ぶ。俺の体から迸る黒い邪気が、星辰のオーラを圧倒し始めていた。


「……やるしかない」


最初に決断したのはアレンだった。彼は、聖剣を構え直し、その瞳でまっすぐにレオナルドを見据えた。

「レオナルドさん。俺はまだ、あの人を許したわけじゃない。でも、あの人がいなければこの世界はとっくに終わってた。ガレスさんや仲間たちの想いも、ガレスさんを失った俺の悲しみも、あの人は全部受け止めてくれた。だから、今度は俺たちが彼を救う番だ」


「アレン殿……」

「俺は、あの人を信じる。貴方も、自分の兄を信じてください」


アレンの純粋な言葉が、レオナルドの心を打った。そうだ。兄は、いつも一人ですべてを背負ってきた。今こそ、自分が兄を支える時なのだと。


「……ああ、分かっている。行こうアレン殿。我々の手で、兄上をあの悪夢から解放するのだ」


二人の英雄の心が、一つになった。

彼らは、それぞれの聖剣を構え、俺を挟んで対峙する。アレンの体からは、浄化の黄金のオーラが、レオナルドの体からは、断罪の白銀のオーラが立ち上り、二つの光が共鳴し始めた。


『馬鹿な真似を!そんな付け焼き刃の連携でこの俺を倒せるものか!』


マキナが俺の体を操り、二人を迎え撃とうとする。俺の腕が勝手に動き、星辰の力と混沌の力が融合した禍々しいエネルギー波を放った。


崩星の混沌(カオス・ノヴァ)


だが、アレンとレオナルドは、もはや怯まなかった。

「「うおおおおおおお!!」」


二人は、雄叫びと共に大地を蹴った。彼らの動きは、奇跡のように、完全にシンクロしていた。彼らは、ただ俺の胸の中心、ただ一点だけを見据えていた。


アレンの剣には、仲間たちと、そして、世界中の人々の「明日を信じる願い」が宿る。


究極聖剣(アルティマ・ブレード)・希望(・ホープ)


レオナルドの剣には、ヴァーミリオン王家に代々受け継がれてきた「国と民を守るという誓い」が宿る。


絶対王剣(インペリアル・エッジ)秩序(・オーダー)


二つの聖剣が、俺の放った《崩星の混沌》を両断し、その切っ先が寸分の狂いもなく俺の胸の中心――マキナの混沌が宿る、魂の核へと突き刺さった。


その瞬間。

破壊は、起こらなかった。

代わりに、俺の体から眩いばかりの光が溢れ出した。


アレンの「浄化」の力が、俺の魂を蝕む混沌のウイルスを洗い流していく。

レオナルドの「分離」の力が、俺の魂とマキナの魂の繋がりを断ち切っていく。


『ぐ……ぎ……あああああああああっ!?』


マキナの、断末魔の叫びが響き渡る。彼の魂は、俺という最高の隠れ家から強制的に引き剥がされ、行き場を失った混沌のエネルギーとなって霧散し始めた。


『……認めん……この俺が……!こんな……こんな人間どもの……綺麗事の力に……!』


マキナの意識が完全に消滅する寸前、俺は、彼の魂の最も深い場所にあるコアに触れた。そして俺は見てしまった。彼の混沌の根源にあったものを。


それは「無」であった。

彼は、光の神と闇の神の戦いで生まれた世界の「歪み」。誰からも望まれず、ただ存在するだけの意味のない存在。彼は、ただ寂しかったのだ。誰かに自分という存在を認めてほしかった。だから世界を壊し、人々を苦しめることでしか、自分の存在を証明できなかった悲しい道化だったのだ。


(……お前もまた孤独だったのかマキナ……)


俺は、彼の魂に最後に語りかけた。

(もういい。もう苦しまなくていいんだ。ゆっくりと眠れ)


俺の想いが伝わったのか、マキナの魂は抵抗をやめ、静かに光の中へと溶けて消えていった。

こうして、世界を最後の脅威に晒した、混沌の化身は完全に消滅した。


後に残されたのは、力を使い果たし、その場に崩れ落ちるアレンとレオナルド。

そして、魂の大部分を失いながらも、かろうじて人の形を保っている俺だった。


俺の瞳から蒼い狂気の色は消え、再び穏やかな星空の色だけが戻っていた。

「……ありがとうアレン、レオナルド」

俺は、二人に心からの感謝を告げた。


だが、戦いはまだ終わってはいなかった。

マキナは消えた。だが彼が世界中にばら撒いた「バグ」は、まだ完全には消えていない。そして俺の魂には、もう一つの大きな「借り」が残っていた。


それは、俺自身がこの世界に刻みつけたRTAとして動いた「罪」。

魂を再度消耗したことによって、俺の魂の奥底で、RTAプレイヤーとしての冷徹な人格が再び、囁きかける。


『……茶番は終わったか。感傷に浸っている場合ではない。マキナというノイズは消えた。これで、あとは管理者さえいなければ、このゲームはクリアしたも同然。だがこの世界は、バグだらけのままでは完全なクリアとは言えない。最後の仕上げが必要だ。この世界の完全な『初期化』という仕上げがな……』


俺の、本当の最後の戦いが始まろうとしていた。

それは、世界を救った英雄たちとの戦い。

そして、俺自身の魂の中にいる、もう一人の自分との戦いだった。

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