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第二十八話:バグの世界とデバッガーの覚悟

ガレスの魂を、その意志を、俺とアレンが《魂の継承》によって受け継いだあの日から数ヶ月。世界は、マキナが仕掛けた「バグ」によって、日に日にその姿を歪なものへと変えていった。


空には、テクスチャの剥がれた灰色のポリゴンのような雲が浮かび、海は、時折真っ赤なエラーコードの文字列で埋め尽くされる。街を歩く人々も、突然壁に向かって歩き続けたり、同じセリフを延々と繰り返したりといった、NPCのバグのような奇行が目立つようになった。


この世界は、ゆっくりと、しかし確実に、マキナが望む「バグだらけのクソゲー」へと変貌しつつあった。

人々は、その理不尽で理解不能な現象に怯え、絶望し、そして、次第に生きる気力さえも失っていった。管理者という、分かりやすい「悪」がいた頃の方が、まだマシだったとさえ言う者もいた。


「……これが、あいつの狙いか」


ヴァーミリオン王宮の作戦司令室。俺は、世界地図に、次々と打ち込まれていくバグの発生報告を、苦々しい表情で見つめていた。

マキナは、直接的な破壊活動は行わない。彼は、ただ世界の「理」を少しずつ壊していく。人々の日常を、常識を奪い、精神的に、じわじわと追い詰めていく。それは、どんな武力による侵略よりも悪質で、残忍なやり方だった。


「ゼノン、何か手掛かりは見つかったのか? あいつが、どこに隠れているのか……」


隣で、アレンが焦燥に満ちた声で問いかける。

ガレスを失ってから、彼は以前にも増して、必死に強さを求め、修行に明け暮れていた。その剣の腕は、もはや人間業を超えている。だが、相手は姿の見えない「現象」そのもの。剣を振るうことさえできない。


俺は、静かに首を振った。

「……ダメだ。マキナはもはや、特定の個体としては存在していない。奴は、自らを無数の混沌のウイルスとして、この世界のネットワーク――星々の力の流れ、いわば『星脈』とでも言うべきラインに潜伏させている。そのすべてを特定し、駆除するのは不可能に近い」


「そんな……! じゃあ俺たちは、このまま世界が壊れていくのを、黙って見ていることしかできないのか……!」

アレンが、拳を壁に叩きつける。


その時、部屋の扉が静かに開いた。

入ってきたのは、宰相となったイゾルデだった。

彼女の顔は、ここ数ヶ月の過労でやつれてはいたが、その瞳には、かつての復讐心とは違う、知的な探求の光が宿っていた。


「……いいえ、勇者アレン。一つだけ方法があります」


彼女はそう言うと、一枚の古い星図を、テーブルの上に広げた。

それは、神話の時代に、彼女の祖先である、アークライト家が遺した、世界の設計図とも言うべきものだった。


「世界中に張り巡らされた星脈には、いくつかの巨大なエネルギーが集まる結節点――『星のヘソ』とでも呼ぶべきポイントが存在します。マキナの、混沌のウイルスがこれだけ広範囲に影響を及ぼしている以上、彼もまた、この結節点を、自らのサーバーとして利用している可能性が高い」


彼女が指し示したのは、世界に三ヶ所存在する、巨大なパワースポットだった。

北の、万年氷に閉ざされた大氷河『冬の揺り籠』。

南の、灼熱の溶岩が渦巻く大火山『夏の心臓』。

そして、世界の中心に浮かぶ、巨大な神の樹『春秋の天秤』。


「……なるほど。マキナの本体、あるいは、それに近い中枢プログラムが、この三ヶ所のいずれかに、あるいは、三つに分散して存在している、と」

俺は、イゾルデの推察に頷いた。


「はい。そして、もしこの三ヶ所の結節点の機能を同時に停止させることができれば……」

「……世界中の星脈の流れが、一時的にリセットされる。その際に、ネットワークに寄生していたマキナのウイルスも、強制的に洗い流せるかもしれない、と。そういうことか」


それは、あまりにも荒唐無稽で、危険な賭けだった。

星のヘソは、世界そのものの心臓部。その機能を停止させるなど、一歩間違えれば、世界そのものを崩壊させかねない諸刃の剣。


だが、もはや俺たちに残された選択肢はなかった。


「……決まりだな」

アレンが言った。その目には、迷いはなかった。

「俺とガレスさんの剣を継いだ仲間たちで、北の『冬の揺り籠』と南の『夏の心臓』を同時に攻略する。そして、ゼノン。あんたには、最も重要で、最も危険な世界の中心、『春秋の天秤』を任せたい。あんたにしかできないはずだ」


アレンは、俺を信じると言ったのだ。

かつて憎んだ仇敵である俺に、今、この世界の命運を託すと。


俺は、静かに頷いた。

「……分かった。だが、アレン。これは、ただの破壊作戦ではない。俺たちは、いわばこのバグった世界の『デバッガー』となる」


俺は、彼らに俺が新たに考案した作戦を告げた。

それは、星のヘソを破壊するのではない。その機能の中枢に乗り込み、マキナのウイルスに汚染された部分だけを、正常な状態に「デバッグ」するという、極めて精密な作業だった。


そのためには、物理的な強さだけではなく、その場所の(プログラム)を理解し、それに介入する力が必要となる。


俺は、アレンに、かつて俺がアルフレッドの鎧の破片を解析するために使ったあの技術――《真実の共鳴》の簡易版を教えた。

それは、対象の構造や、情報の流れを、自らの五感で感じ取るための集中法。

ヒノモトで「気」を学んだ彼ならば、すぐに習得できるはずだ。


そして、俺はイゾルデに、一つの小さな箱を渡した。

「イゾルデ。これは、俺がARKの残骸から作り出した、対ウイルス用のワクチンプログラムだ。これを、お前が改良し、各地の星のヘソの構造に合わせた、三つの『修正パッチ』を作り上げてくれ。お前の魔導知識が必要だ」


星のワクチン(アストラル・ワクチン)


それは、マキナの混沌のウイルスを中和し、無力化する唯一の対抗手段だった。


こうして、俺たちの最後の作戦が始まった。

アレンは、カエデ、ゲンジ、そして、レオナルドが率いる精鋭部隊と共に二手に分かれ、南北の二つの結節点へと向かった。

イゾルデとデュークはヴァーミリオンに残り、ワクチンプログラムの開発と後方支援に徹する。


そして、俺は一人、世界の中心、天まで届く巨大な神の樹『春秋の天秤』へと向かった。


神の樹の内部は、まるで巨大なコンピュータの中枢回路のように、無数の光の回路が絡み合い、脈動していた。そして、その美しい光の回路の所々に、黒く、醜いシミのような、マキナの混沌のウイルスが侵食しているのが見えた。


『――来たかゼノン。いや、バグ・ハンター気取りの元・RTAプレイヤーよ』


マキナの嘲笑うかのような声が、神の樹の内部に響き渡る。

彼の本体はここにはいない。だが、彼の意識の一部が、ネットワークを通して、俺を監視しているのだ。


俺の目の前に、神の樹の防衛システムと、マキナのウイルスが融合して生まれた、悪夢のようなモンスターたちが、次々と姿を現した。

それは、かつて俺がRTAで利用したバグ技そのものが、具現化したような姿をしていた。

壁をすり抜けてくる幽霊。

こちらの攻撃をすべてフリーズさせる石像。

倒しても倒しても、無限に増殖するスライム。


普通の攻撃では、決して、倒すことのできない理不尽な敵たち。


だが、今の俺は、もはやただの守護者ではない。

俺は、この世界のバグを知り尽くした、最高の「デバッガー」だ。


俺は、星辰の力を剣の形ではなく、一本の細い「針」のような形に変えた。

そして、敵の弱点を攻撃するのではない。

敵を生み出しているプログラムの「バグ」そのものを、直接突いた。


《デバッグ・ニードル》


壁抜けの幽霊には、その座標計算のバグを修正し、壁に埋め込んで動けなくする。

フリーズ攻撃の石像には、その状態異常の判定ループのバグを利用し、逆に、自分自身を永久にフリーズさせるように仕向ける。

無限増殖のスライムには、その増殖の起点となるメモリのアドレスを書き換え、自己消滅のコマンドを与える。


俺は戦っているのではない。

ただ淡々と、目の前のエラーを「修正」しているだけだ。

その光景は、あまりにも無機質で、RTAプレイヤーだった頃の、バグ技を使用する俺の姿とは真逆の姿だった。


だが、今の俺の心には、かつてなかった一つの、強い感情があった。

それは、仲間への「信頼」だ。


(……アレン、レオナルド。お前たちなら、必ずやれるはずだ)


俺は信じていた。

北と南で、同じように苦戦しているであろう、仲間たちのことを。

彼らがそれぞれの結節点を攻略し、イゾルデが完成させたワクチンを届けてくれる、その瞬間まで俺は、ここで時間を稼ぎ、道を切り開く。


俺はデバッガー。

そして、彼ら勇者たちは、このバグった世界を救うための、最後の「希望」。


俺たちの、最後の共同作業。

世界の、巨大なデバッグ作業が、今佳境を迎えようとしていた。

そして、その先で俺たちを待つマキナとの、本当の最終決戦の時が、刻一刻と近づいていた。

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