第二十六話:二つの光と神々の黄昏
神を欺き、魂を取り戻した俺。その隣には、揺るぎない決意を瞳に宿らせた勇者アレン。俺たちは、崩壊する浮遊大陸の瓦礫の上で、怒りに燃える神々の王、プライマスと、対峙していた。世界の運命を賭けた、本当の最終決戦。その火蓋が、今、切って落とされようとしていた。
『……面白い。実に面白いぞ、バグどもよ』
プライマスは、怒りの表情から一転、どこか愉悦さえ含んだ静かな笑みを浮かべた。
『シナリオ通りに進まぬシミュレーションほど、我々にとって、価値のあるデータはない。よかろう。貴様らの、その無駄で、非効率な最後の抵抗。神である私が、自ら摘み取ってやろう』
プライマスの背後にあった、十二枚の光の翼が、その姿を変えた。翼は、それぞれ異なる概念を司る、十二の「神器」へと変貌したのだ。時間を止める砂時計、空間を断ち切る大鎌、運命を書き換える書物、生命を創造する聖杯……。それらは、この世界の、あらゆる法則を自在に操るための、究極のコントロールユニットだった。
「来るぞ、アレン!」
「分かってます!」
プライマスは、まず、「空間」を司る神器――次元断絶の大鎌を、俺たちに向かって、振り下ろした。
その一振りは、俺たちが立つ足場である、浮遊大陸の残骸ごと、空間そのものを切り裂き、消滅させようとする、絶対的な攻撃。
だが、その攻撃は、俺たちの元には届かなかった。
俺たちの前に、巨大な重力の壁が出現し、プライマスの斬撃を、その中心へと捻じ曲げ、吸収してしまったのだ。
「私の主と、そのパートナーに手出しはさせませんわ!」
声の主はイゾルデ。彼女は、地上から、デュークや、レオナルドと共に、この戦いを見守っていた。そして、自らの最大出力の重力魔術で、俺たちを援護したのだ。
『……ほう。蟻が神に抗うか。無駄なことだ』
プライマスは、次に、「時間」を司る神器――久遠の砂時計を逆さにした。
すると、イゾルデの重力の壁が発生する「前」の時間軸へと、世界が強制的に巻き戻された。そして、再び、次元断絶の大鎌が、今度こそ俺たちに襲いかかる。
時間操作。神の領域のチート技。
だが、俺はそれを読んでいた。
「アレン!」
俺は、アレンの名を呼ぶ。
アレンは、俺の意図を瞬時に理解した。
彼は、ヒノモト国で体得した「気」の力を極限まで高めた。
そして、彼が放ったのは剣技ではない。「概念」への攻撃だった。
《不動之心》
それは、自らの精神と時間の流れを、外界から完全に切り離し、「今、この瞬間」に固定するという、究極の防御の精神。
プライマスの時間操作は、世界全体には作用するが、その世界の理の外側に自らを置いた、アレンの「心」には干渉できない。
結果、世界は巻き戻されたが、アレンの「意識」だけは巻き戻される前の、未来の情報を記憶したまま存在していた。
「――そこだ!」
アレンは、未来予知をしたかのように、プライマスの大鎌の軌道を完璧に読み切り、最小限の動きで、それを回避した。
『……なに? 我が時間操作を、読んだだと……?』
プライマスの完璧な顔に、初めて、明確な「驚愕」の色が浮かんだ。
「驚くのはまだ早いぞ、神様」
俺は、その隙を見逃さなかった。
俺の魂は、まだ万全ではない。だが、アレンが時間稼ぎをしてくれたおかげで、最後の一撃を放つだけの力は回復していた。
俺は、自らのRTAプレイヤーとしての魂の特性――この世界を、「ゲーム」として、客観的に観測する力を最大限に解放した。
俺の視界の中で、プライマスの、その神々しい姿が、無数のプログラムコードと、パラメータの集合体として見え始めた。
そして、俺は見つけた。
彼の、その完璧なシステムの、たった一つの致命的な「バグ」を。
プライマスは、確かに、この世界のあらゆる法則を操ることができる。
だが、彼自身もまた、この「シミュレーションゲーム」という、大きな枠組みの中に存在する、一つの「プログラム」でしかない。
そして、そのプログラムには、絶対に消すことのできない記述があった。
それは、『この、シミュレーションの目的は、生命の進化の可能性を観測すること』という、根源的な開発コンセプト。
プライマスは、生命を管理し、リセットすることはできても、その「進化の可能性」そのものを、完全に否定することは許されていないのだ。
「プライマス。お前の、負けだ」
俺は、彼に告げた。
「お前は、俺たちの『進化』を止めることはできない」
俺は、俺自身の魂を、そして、隣にいる、アレンの魂を、共鳴させた。
そして、二つの魂が一つになった時、そこに、新たな奇跡が生まれた。
それは、俺の星辰の力と、アレンの聖なる力。
守護者と、勇者。
RTAプレイヤーと、主人公。
二つの、対極の存在が融合することで、初めて生まれる、究極の合体技。
俺たちの体が光に包まれ、一つになる。
そこに現れたのは、半身が星空の鎧をまとった、俺の姿、そして、半身が黄金の鎧をまとった、アレンの姿をした、神々しい融合戦士だった。
《双極の創世神》
『な……なんだ、その姿は……!? 我が、データにない、未知の進化……!』
プライマスが狼狽する。
彼のシステムが、俺たちの、この想定外の「進化」を理解できず、エラーを起こし始めている。
俺たちは、その融合した姿で、一つの剣を構えた。
それは、星辰の力と聖なる力が、螺旋状に絡み合った、究極の剣。
そして、俺たちは、その剣に、この世界で生きてきたすべての想いを乗せた。
レオナルドの正義感。
イゾルデの復讐心と、それを乗り越えた忠誠。
ガレスの仲間を想う熱い心。
カエデや、ゲンジの、故郷への愛。
そして、セレスティーヌが、最後に託してくれた、未来への願い。
すべての、非効率で人間臭い、バグのすべてを。
「これが、俺たちの答えだ! プライマス!」
俺たちは叫んだ。
「俺たちは、お前のシナリオ通りには踊らない! 俺たちは俺たちの意志で、俺たちの物語を創造する!」
俺たちの最後の剣が、プライマスに向かって放たれた。
その剣は、もはや物理法則も魔術法則も因果律さえも超越していた。
それは、ただ純粋な「想い」の力。
この、シミュレーションゲームの世界で、唯一神が計算できなかった、最大の変数。
《無限の物語》
黄金の神々の王の体が、俺たちの想いの剣に貫かれる。
彼の、絶対領域が砕け散る。
彼の、十二の神器が、その力を失う。
『……馬鹿な……。この、私が……。こんな、非合理で、不確定なバグごときに……敗れる、とは……』
プライマスは、最期の言葉を残し、その神々しい体が、光の粒子となって消滅していった。
後に残されたのは静寂だけだった。
空に浮かんでいた、巨大な浮遊大陸も、その主を失い、ゆっくりと崩壊し、消えていく。
俺とアレンの融合が解ける。
俺たちは、お互いに顔を見合わせ、そして、どちらからともなく笑い出した。
すべてが終わったのだ……
数年後。
世界は見違えるように復興していた。
管理者という、絶対的な支配者がいなくなったことで、人類は初めて、本当の「自由」を手に入れた。
もちろん、そこには争いも悲しみもある。非効率で、理不尽なこともたくさん起こる。
だが、人々は、それを自分たちの手で乗り越え、自分たちの未来を築いていた。
ヴァーミリオン王国では、レオナルドが王位を継ぎ、その誠実な人柄で、民から慕われる名君となっていた。
イゾルデは、彼の宰相として、その優れた頭脳で国を支えている。
デュークは引退し、後進の育成に励んでいる。
アレンは、勇者としての役目を終え、ガレスやカエデ、ゲンジといった仲間たちと共に、世界中を旅していた。困っている人を助け、新しい出会いを楽しむ、自由な冒険者として。
そして、俺は――。
俺は、王宮の片隅にある、小さな時計塔で、ただ静かに、この世界の移り変わりを「観測」していた。
プライマスとの戦いで、俺の魂は、ほとんど消滅しかけた。アレンとセレスティーティーヌの力によって、かろうじて、この世界に、留まることはできたが、もはや、かつてのような神の力はない。
俺は、ただの穏やかな、一人の青年に戻ったのだ。
俺は、もう悪役を演じる必要も、RTAに囚われる必要もない。
ある晴れた日の午後。
俺が、時計塔の窓から、街を眺めていると、一人の青年が塔を訪ねてきた。
アレンだった。
「よお、ゼノン。元気でやってるか?」
彼は、昔のように屈託なく笑った。
「……ああ。退屈なくらいには、な」
俺も静かに笑い返した。
俺たちは、多くを語らなかった。
だが、言葉にしなくても分かっていた。
俺たちが戦い、勝ち取ったこの平和な「日常」が、何よりも尊い宝物であることを。
「なあ、ゼノン」
と、アレンが言った。
「俺、この世界が好きだよ。理不尽なことも、悲しいこともたくさんあるけど。でも、それも全部含めて、生きてるって感じがして好きなんだ」
「……そうか」
その言葉を聞けただけで、俺の孤独な戦いは、すべて報われたような気がした。
俺は、かつて最速でこのゲームをクリアすることだけを目指していた、このゲームの世界を、今は心の底から愛している、と思った。
タイムや、効率なんかじゃない。
この不確かで、面倒で、でも、愛おしい仲間たちと過ごす時間、そのものこそが、最高の「エンディング」だったのだ。
俺は空を見上げた。
そこには、かつて、俺が憎んでいた、どこまでも青い空が広がっていた。
俺の、長くて孤独だった悪役は、ようやく本当の終わりを告げた。
いや、違うな。
これは終わりじゃない。
これから始まるのだ。
俺と、この世界の新しい物語が。